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平成四半世紀重大ニュース・私のTOP10 #4 (selector ワナナバニ園)

 久しぶりの三宅先生からの宿題で、平成四半世紀の重大ニュースを考えることになった。そこで、もう少し遡って半世紀前の1965年頃と現在とを比べてみると、農地や山林は工場や宅地に変わり、舗装が進んで土の地面が減り、トイレも水洗が当たり前になり、お釜とかまどは電気炊飯器になって、電気を頼りにすることが増え、火を直接おこすことも減った。亡祖父(1903年生、農業)は鶏の首をはねたと言っていた。その殺生は当然食べるためだったが、今そんなことをする人は職業人以外ではほとんどいないだろう。私自身もできればしたくはないし、ウォシュレットに慣れてしまった今となってはかつてのボッタン便所に戻りたいとも思わない。人類が紀元前から継続してきた営みがこの国では途絶えつつある。それは悠久の歴史の中ではわずか半世紀のことに過ぎないが、それ以前のどの時代にも増して、急速かつ大規模に旧来の生活の仕方とそれを取り巻く自然や社会の環境が一変した歳月であったと言ってよいだろう。この50年ほどの内に、とても簡単・迅速・清潔・便利な世の中になった。けれどもその一方で、自力でせざるを得ない生々しい実体験は確実に減った。この四半世紀はさらにそれらが加速したと感じる。
 以上から、最近25年を括る「生々しい実体験と自力の喪失」というキーワード(言い換えると、誰かがあるいは何かが何とかしてくれる人ごとの世の中になったこと)を独断で設定し、与えた(あるいは与えるであろう)影響の大きさ、史上の稀少性から、私なりに選出してみた。とはいえ、色々あり過ぎて選びきれず、ずるい方法だとは思ったが、関連性のある複数のニュースを一連の現象としてまとめてしまったことをあらかじめお詫びしておきます。

TOP 1 原発事故  東海村(1999年) 福島(2011年)
 川崎にある東電の電気の史料館は原発=美しい未来とするコンセプトで展示をしていたが、3.11のその日から無期限休館中(むしろ今だからこそ「電気」の未来を示して欲しいのだが…無理か)。原発は麻薬だ。最近十年くらいで惑星の研究が進んで、地球以外の惑星にも人類と同等あるいはそれ以上の高度な文明を持った知的生命体の存在が想定されるようになったのだという。であれば、ものすご〜く文明が進んでいたら地球にUFOが来ていても不思議ではないはずだ。それでもUFOがやって来ないのは、文明が発展すると最終的に核に行き着いてその惑星が自滅してしまうからだそうだ。昨年『言葉の誕生を科学する』(原発とも宇宙とも無関係な本なのだが面白かった)で知った。人類が核を手にして未だ100年足らずだが、加速度的な現代社会からすると、もはや時間の問題なのかもしれない。この話が本当だとすると、今はただ、せめて寒い時は厚着をし、早寝早起きで節電に努め、短い運命の中でできることを楽しみつつ、何とか宇宙の法則の例外に、あるいは科学者の見当違いで怖いおとぎ話のままであれよかしと願うしかない。
TOP 2 IT革命(2000年)
 標記の呼称は日本での当時の政治的スローガン、流行語に過ぎないが、大きな現象を象徴する言葉として掲出した。以前もこのH.P.に投稿したことだが、文字を手書きする機会が激減した。文字の誕生は、メソポタミアでの資産管理に伴う経済行為からだとする学説がある。その行為はおよそ5200年前の粘土板文書に刻まれた楔形文字に遡る。東洋では日常的に長らく文法四宝(墨・硯・筆・紙)を用いてきたが、今では紙が残っているだけで、その他は非日常的な存在になってしまった。1990年代にはワープロを使っていて、本格的にパソコンを使うようになったのは1998年頃からだと思う。当時は未だ馴れないから、手書きで下書きをしてから入力していた。そのころ携帯電話を持っている人も少なく、持っていてもトランシーバーのような形状だった。お金のやりとりも、最近では電子マネーもあり、カードの利用が増えてコインや紙幣を使う頻度も減った。旧来のお金も重みを失った。ボタンを押す、キーを叩く、画面に触れるだけで、簡単に何でもできる(何でもわかる気がする)世の中になった。人類は本当に進化しているのだろうか?と思ってしまう。
TOP 3 湾岸戦争(1990〜91年)・アメリカ同時多発テロ(2001年)・イラク戦争(2003年)
 とある米軍人は、空爆を職場での遠隔操作で処理し、帰宅後は家族と夕食を楽しんでいたという話を聞いた。人類史上初の血の通わない戦争だ。かつて弓矢刀槍を以てしていた戦争は、国家のためか自分のためかを問わず、相手を自らの手で殺した。そして、それを果たした本人も必ず血にまみれ、変な言い方だが殺人者になった実感を得たのだと思う。神仏にすがる心持ちもここに生まれたのではないだろうか。そうしたことからすると、ベトナム戦争(1975年終結)までは生々しかったように思う。これまた変な?不謹慎な言い方だが人間的だったのではないか。しかし、もはやそれはなく、生身の人間として思うことは、空虚で気持ちの悪い極めて事務的な大量殺戮が始まったのだということに尽きる。報復の連鎖と言われるイスラム圏のテロ手法とは対極にある。人の命を軽く見ているのは本当にイスラムなのか?米国ではないのか?
TOP 4 京都議定書採択(1997年)
 地球環境を見つめ直したポイントとして掲げた。果たして温室効果ガス削減は至上の命題なのか?原発推進を裏の目的とした方便との見方もあるようだ。しかし、原発大国の米国は議定書に批准していないし、ゲリラ豪雨、竜巻、洪水、土石流、豪雪、寒波。何十年ぶり、今まで経験したことのない異常気象が日本列島ばかりでなく、海外でも近年とみに増えているのではないか? 最近の報道でもあったが、今世紀末の日本列島では平均気温は6℃余、海水面は60p余上昇すると予測されるのだという。ポリネシアなどは国土が消滅してしまう。このまま地球温暖化が進んでいけば、人間の社会生活が重大な変化を余儀なくされることは疑いない。
TOP 5 社会主義国家の転換 東西ドイツ統一(1990年) ソ連崩壊(1991年)
 東西の冷戦が終結した。現代史上で世界の枠組みを大きく変えたできごとだった。ベルリンの壁の上に登り立って壁を壊す市民たちの、レーニンの銅像を引き倒す人々の映像は、遠く離れた日本にいても臨場感があって、職業柄全部壊さないで少しは保存すべきだと思いつつ、時代が変わる時はこういうものかと感銘を受けたことを覚えている。北朝鮮にもこんな時が来るのだろうか?しかし、労働者のための国家は、必ず官僚的な社会になって、独裁者が君臨するのは何故なんだろう?
TOP 6 日本の農業人口の減少・農耕地の荒廃
 事故や事件ではないので依頼された内容から少しずれるかもしれないが、大きなできごとだと思っている。現在の北シリアからトルコ国境近くで人類の農耕・牧畜が始まったのは1万年前、日本列島では九州で約2500年前の水田が出土している。少なくとも1970年代には香林寺の近くや木地挽にも田んぼがあった。農林水産省の統計データをググると、農家世帯の人口は1985年(昭和60)は1563万人、1990年(平成2)は1387万人だったが、2010年(平成22)は650万人に半減した。2010年の農家世帯の自営農業人口は260万人、内65歳以上は61.6%を占める。同年「農地として利用すべき耕作放棄地」は全体の52.6%に及んだ。埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が広がっている。日本列島で長らく続いてきた営みが途絶えようとしている。単なる生産活動だけでなく、農耕の放棄は社会構造、生活様式、信仰のあり方を大きく変えてしまったと思う。
TOP 7 日本列島の地震の活発化 阪神淡路(1995年) 東日本(2011年)
 20世紀後半の日本の高度経済成長は大地震の隙間に成就したものである。地球は厚さ50〜100qのプレート(岩盤)で覆われているが、全部で十数枚の内4枚ものプレートがある国は世界中で日本だけだそうだ。北米・ユーラシアプレートに、太平洋・フィリピン海プレートが潜り込み、ひずみがたまって岩盤が元に戻ると、巨大地震が起きる。死者・行方不明者約2万人の東日本大震災は北米・太平洋プレート境界を震源とした。一方、同約6千人以上の阪神淡路大震災は活断層によって引き起こされた。伊豆半島のあるフィリピン海プレートは、横浜のある北アメリカプレートと静岡のあるユーラシアプレートに潜り込んでいる。小田原付近には3枚ものプレートが集中している。フィリピン海・ユーラシアプレート境界の南海トラフで大地震が起きる周期は100〜150年で、最近は1945〜46年にあった。また、神縄・国府津−松田断層もある。阪神・東北で目の当たりにしたことは、身近にも確実に起きることなのだ。
TOP 8 オウム真理教事件(1994〜95年)
 とりわけ地下鉄サリン事件は泰平の眠りを醒ます日常の狂気。その日の朝は忘れられない。当人たちは間違ったことはしていない、正しい行動をとっていると疑ってはいない。極めて幼稚な発想でも閉鎖的社会団体は集団内でテロを正当化できる。名前を変えても未だに若者の信者が多いと聞くにつけ、既存の宗教では日本人は救済されなくなってしまったのだと感じる。しかし、こうした悪気のない最悪の閉鎖社会という本質は、案外ふつうの会社や役所でも日常的なことなのかもしれない。
TOP 9 小選挙区制導入(1994年)
 巨大与党を生んだ元凶。二者択一の方式は、社会党の解体に代表されるように多用な異見を廃してしまった。間の悪いことに東日本大震災+福島原発事故の時にたまたま政権与党だった民主党の失政で、挙げ句の果ては、尖閣・竹島問題〜集団的自衛権の行使〜改憲に突き進んでいる。そもそも前近代社会では境界に面積があった。板橋と早川との境界は河原も含む早川。同様に日本列島とアジア大陸との間はボーダーレスだった。心神喪失状態となって職務放棄した人が再度この国の長となって大政翼賛会よろしく面舵いっぱい。そんなに戦争がしたいのか?って当人は直接戦場に行く訳ないから関係ないか…。沖縄にアメを与えて基地問題を乗り切り、形だけ人の話を聞くふりをして秘密保護法を強行採決する。この人のポスターは潤んだ遠い目をしている。つまり国民を見ていない。やっぱり人より国が大事なのね。投票はするけれど選択肢が少なすぎてどうしようもない。
TOP 10 伝統的共同体の崩壊 平成の大合併(1999〜2010年)
 「伊豆」と「伊豆の国」とか、「みどり」と「さくら」とか、まぎらわしい、どこだかわからない地名が増えた。地方自治体も元をたどれば、おおむね16世紀に生まれた共同体(村や町)に遡る。現在の板橋・風祭・入生田など大字の枠組みに相当する、これら共同体は、年貢や労役を領主に納め、地域内の道や橋などを維持管理する自治組織だった。江戸時代の幕藩体制を経て、明治維新後の近代国家においても行政の末端組織としての自治機能を担っていたが、合併を繰り返す中でより大きな組織としての地方自治体に包括・吸収され、21世紀の現在は解体に向かっている。その大きな原因の一つは、旧来の共同体を成立させていた最も重要な要素である人間の変化である。都市では市街化に伴い旧住民に対する新住民の比重が増加することで、地方では限界集落に代表される過疎化により、旧来の共同体が崩壊するのは時間の問題といえる。一方、例えばゴミ回収有料化のように、財政状況の苦しくなった地方自治体は、従来のようにあらゆることを賄う体力を失っている。近年では地方への回帰、地元の見直しも行われつつあるが、これからの地域社会はどうなっていくのだろうか? 地域社会の再編成が求められている。
TOP おまけ編 第17回サッカーワールドカップ日韓大会決勝(2002年)
 ブラジル対ドイツのドリームマッチ。名人と鉄人。天才アーティストvs職人マイスター。それまで全16回出場で優勝4回・準優勝2回のブラジル。14回出場で優勝3回・準優勝3回のドイツ(旧西ドイツ)。70余年にわたるワールドカップ史上、全くもって不思議なことに一度も対戦の無かった両雄が雌雄を決した。しかも横浜で。ドイツの守護神・GKオリバー・カーンの奮闘むなしく、2-0でブラジルが栄冠を手にした。ブラジルのFW・得点王ロナウドのおむすび頭が懐かしい。後日、仕事で仏教の梵字を調べた際、梵字カーンが不動明王の意味だと知って、はまりすぎで笑ってしまった。明るいニュースが何も選べなかったので、最後におまけをつけました。以上。おしまい。

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