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平成四半世紀重大ニュース・私のTOP10 #1(selector 今でしょ)

1.福島原発事故
 自分が作り出したものが制御できないという、「人間の悲劇」を目の当たりにした。人々の幸せのために国の施策として、安定的に廉価なエネルギーを供給することで、世界でも突出した「清潔・安全・快適」な生活を国民に与えてくれたのは、電気エネルギーである。
 しかし、その発電手段に、突然、NOが出された。いきなり、原発ゼロか?エネルギーを湯水のように(空気のごとく、かもしれないが)浴びている日常生活を脇において、いきなり「ゼロ」とは。「統合失調(分裂)」ではないのか? しかし、いまの技術では「制御」できないことも「震災」によって露呈した。「命を懸けて命を守る」=当たり前のようではあるが、何か違和感もある言葉。原発の行方は、人類の行方と重なる。深刻であるが結論が簡単に出せない深い命題だ。
2.歯止めのかからない社会保障費の増大(国の借金1000兆円超の主因)
 長生きすることは幸せなのか。人間が生きていくことの基本を問い直す時期が来ているのでは。「長生きしたい」というのは、素朴な「希望」である。それを否定することはできない。が、人間が成熟していくということは、時間的に長く生存することか。「いかに生きるか」「生きるとは何か」という問いを投げかけ続けることを忘れてしまっているのでは。「高齢化社会」という言葉が連呼されすぎて、すでに薄汚れてしまった言葉の本質に、実は私たちはまだ直面していないのではないか。自分も片足を踏み入れつつある「高齢の実像」に徐々に自分が触れながら、考えていきたい。
3.山中伸弥氏ノーベル賞受賞
 長寿問題と対になるテーマ。難病治療、移植医療など延命医療技術の行き着く先は。「死なない人間」が医療技術の進歩で出現したとき、いったい地球はどうなるのか、人類はどうなるのか、と考えてしまう。人は死ぬから、次なる命をも生み出せるのではないか、人が死ななくなったら、生殖機能も退化するのではないか、なんて妄想を抱いてしまう。
4.尖閣諸島、竹島問題
 改めて「領土」というものを意識する。そして「領土」の問題は「戦争」をたやすく連想させる。憲法改正問題&橋本従軍慰安婦問題&靖国首相参拝問題などなど、戦後ではあっても「戦争」から逃れられていない日本。その後、歩んできた道はどうであったのか、その問いが改めて提示されている。自分たちのことは、自分たちで守る、そんな空気が作り出されていくのではないか。一方、自国だけで、孤立して生きていくことも不可能だ。日本の自立と世界との協調。領土問題だけでなく経済(貿易)問題、環境問題などを横串するのは、「自立と協調」だ。
5.自民党大敗で政権交代
 民主党が支持されたのではなく、単なる「反」自民で政権をとっただけだと、当時も今も私は思っていますが、それはそれとして…。
 沖縄基地問題で、当時の首相鳩山氏が見せた「安全保障を全く無視した(というか無知な)対応」は、世界に日本の首相の(あるいは側近たちかもしれないが)無能ぶりを見せ付けたのではないか。選挙で選ばれることと、政治的なリーダーとしての能力は全く別物という「証」にもなった。国民はリーダーという言葉を気軽に使うが、リーダー足りえる人間なんてそもそもいるのか? リーダーも集団における一つに役割・機能にすぎず、大きな期待を寄せすぎているのではないか…、日本人の投票行為は単なる「人気投票か」などなど、政治やリーダーに対する国民の「姿勢・意識・価値観」などが象徴された出来事ではないか。
6.米国同時多発テロ
 映画のワン・シーンにしか思えなかったテレビからの映像。そこで一体何人の人が瞬時に命を失っていったか、そのリアリティが映像を通してしまうと感じられなかった。そのことがひどく印象に残っている。「不条理な死」というものから遠ざかって久しい日本であった(当時、2001年)が、世界では対立(殺し合い)は終わっていない、というもう一つの真実を見せつけられた事件だったと記憶している。
7.大地震(阪神大震災・東日本大震災)
 歴史からなかなか人は学べない。「自分が生きているうちは起こらないだろう」と誰もが思っていた。私も同様だ。災害はいつか必ずやってくる。しかし、それらに対して「万全の対策」などというものは、現実的には難しいだろう。せめて、個人として「こころの覚悟」を決めておかねば、と肝に銘じた。
8.オウム、地下鉄サリン事件1996
 集団の狂気。宗教問題が本質なのかもしれないが、狂気がパーソナルな次元で留まることなく、「集団」に拡散・浸透していくことの身近な事例として、あらためて恐怖を感じた。ナチスによるユダヤ人虐殺、アフリカの悲惨な部族闘争(ルワンダでのツチ族とフツ族の殺し合いなど)…。およそ、理性的・倫理的・道徳的・客観的な判断などは、全くの無力であるという人間の恐ろしさ。「話せばわかる」(五・五一事件で当時の犬養毅首相が死の間際に発したという言葉)という願いは、宙に舞う。
9.北海道拓銀・山一証券破綻
 興銀・長銀・日債銀という政府系金融機関も同じような時期に破綻したと記憶する。私の就職活動時(1987年当時)には破綻など思いもよらず、実際、大学時代の同級生も何人もこれらの企業に就職した。この事件が気にかかる点は、日本の金融システムといった高邁なことでは全くなく、学生の「職業選択」という問題との関係だ。簡単そうであり、しかし実はすごく難しく、でも真剣に考え過ぎてもどうにもならないが、やはり人生においては重要な節目となる「就職」という課題。
 私は1988年に入社して、たまたま同じ会社で26年間働いているが、同級生を見回してみると、こうした例は少数派だ(多く見積もっても3割いるかどうか)。会社が消えてしまったり、自ら進んで転職したりと事情は様々だ。彼らには、先見の明がなかった、一貫した信念がないといったことではもちろんなく、強いて言えば、我が強かったり、偶然であったり、運命であったり、妥協できなかったり…、恐らくさしたる(「重要な」というか「最もな」)理由はないだろう。どこに就職するか、どんな職業に就くのか、こだわり続ける人もいれば、流れに任せている人もいる。しかし、仕事に関してはずしていけないことは、「どこで」とか「何を」ではなく、「続けている」という事実だけのような気がする。もちろん、仕事は個々の生き方の問題であり、外野がとやかく言うことではないと基本的には思っているのだが。
10.東欧諸国の共産主義体制崩壊(東西ドイツ統一〜アラブの春まで)
 共産主義は人々の頭と体を「堕落させる」ということが明らかになった。では、民主主義はどうか。アメリカを中心とした西欧先進諸国や国連が、中東や紛争地帯で行っている諸策が、成功しているとは決して言えない。イスラム教という宗教、アルカイダを代表とする「族長(親分)支配」は、民主主義に勝る人心掌握の力があることも一面の真実であろう。国の(あるいは人間集団の)統治のあり方が振り出しに戻っているのではないか。

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