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カズオ イシグロ

年度のノーベル文学賞発表時に、この名前を知っていた日本人はどれくらいいたでしょう。おそらく1割くらいではないかと思っています。両親はともに日本人で、彼はれっきとした日本人です。最初の2作は日本を舞台に書かれたものですが、自身の作品は日本の小説との類似性はほとんどないと語っています。5歳の時(1958年)に父親の仕事の関係で、一家(父、母、姉,カズオ)でロンドンの南西50Km程のところにあるギルドフォードに移住しました。当初、彼は10年ほどしたら、日本に帰ると思い込んでいたようです。
 しかし、ケント大学を卒業してからも家族は日本に帰る様子もなく、当時彼は文学よりむしろロック音楽に夢中になっていました。30歳まで日本国籍でしたが、1983年にイギリスに帰化します。現在では日本語をほとんど話すことができないと言っていますが、英語が話されていない家庭で育ったことや、母親とは今でも日本語で会話している、また映画監督の小津安二郎などの1950年代の日本映画に強く影響されているとも語っています。日本を題材とする作品には、映画と幼いころ過ごした戦後間もない長崎の情景が脳裏にあり、彼独特の日本のノスタルジーが反映されているようです。幼少のころの思い出がセピア色に記憶されていて、それを文字に残すことによって忘れないように書き始めたことが、小説を書くキッカケになったと、NHKの番組でも語っています。
 私が初めて彼の作品を読んだのは、ほんの数年前のことです。半世紀以上の付き合いの読書好きの友人から勧められて読んでみました。本の題名は代表作の「日の名残り」です。第2次世界大戦から数年後の、かつて貴族の豪邸であったイギリスの館が舞台の話ですが、そこで働く執事が主人公で、その豪邸で働く使用人たちの様子、秘密裏に行われる会議でのやりとり、過去に抱いてた女中頭への淡い恋心の回想などを織り交ぜながら、きめ細かく描写されている重厚な作品でした。この作品で、英語圏では最高の文学賞とされているブッカー賞を35歳の若さで受賞しています。この本は私にとっても記憶に残る1冊でした。映画化され、DVDでも見ました。
 もう1冊、「わたしを離さないで」も読みましたが、こちらの方はSF小説で臓器提供のために造られ、摘出手術が終われば死ぬだけのクローン人間の話で、その評価は分かれています。この作品も映画になりましたし、TBSTVでドラマとして放映もされたようですが、私は映画もTVドラマも見ていません。一言余計なことを加えさせてもらえば、私はTVの安物ドラマはほとんど見ません。理由は小説から得た感性(心)の描いたイメージが、監督やプロデュサーのコマーシャルベースの発想に壊されるのを嫌っているからです。
 ヨーロッパでの彼の評価は、「抑制された文章と語彙の豊富さ、信じられないほどの細やかな感情表現」、あるいは「幻想的感覚と世界をつなぐ深淵を、舞台にとらわれずに、巧みな筆致で普遍的な人間の感情を描く作風」と、称賛されています。全く同感です。日本人としては、川端康成、大江健三郎に次いで、23年ぶり3人目のノーベル文学賞受賞者ですが、ノーベル財団は公式のプレスリリースで「2017年度のノーベル文学賞はイギリス人作家のカズオ・イシグロに授与された」と、発表しています。国籍はイギリスでも、彼の心は日本人以上に日本人です。

 最後に、ノーベル賞受賞後に、NHKの特別番組「カズオイシグロの白熱教室」再放送の中でとても印象に残っている言葉を抜粋して付け加えておきます。
 なぜ、人は小説を読みたいと思うのか。小説は本当に必要なものなのか。事実でない話で作り上げている小説を、どうして読みたいと思うのか。作者も膨大な時間をかけて、事実でない話を作り上げていくのか。歴史や科学の本は事実に基づいていて書かれていて、多くの知識も身に付けることができるのに…。
 小説家になろうとした動機は、幼いころの記憶、あるいは現実とはかけ離れた日本への追憶、これらのことが歳を重ねごとに薄らいでいくことに気付いた時だ。幼いころの記憶を安全に保存するには小説家になることだと考えた。感情、情緒、情景を交えて、いろいろなテーマや社会問題を盛り込んで、問題提起をする。自分の心や頭にある内なる世界を、小説を通して人が訪れやすい世界を具体化し、外に伝える手段として小説を書き、人と私の考えていることを分かち合いたいという思いからだ。
 最初の2作は日本を舞台にした作品であった。それらは普遍的なことを書いたつもりでいたが、日本人のmindという目で見られてしまった。すべて日本のことと受け止められてしまった。そこで、他の小説家とは異なる独自の人間性や人間の経験に関する普遍的真実を綴る作家になりたいと感じ、舞台が日本でない小説を書くことに決めた。普遍的なことを書く作家として認識されたかったからだ。2作目の「浮世の画家」の舞台をイギリスに変えて、「日の名残り」を書いた。この作品によって世界的に知られる作家になれた。
 フィクションとは何なのか。それは異なる世界を作り出すことだ。それは小説に価値を与える一つだと思う。現実と異なる世界に入り込むことによって、人は思い出すことがある。生活の中で生まれている多くのものは、想像の世界から生まれたものだ。人は異なる世界に行きたいという願望も持っている。
 ここで、「なぜ、人は小説を読みたいと思うのか」の結論が導かれた。小説の価値は表面にあるのではなく、深いところに潜んでいる。小説は事実ではなくても、真実を考え、感じることができるから、読まれるのである。作者は心情を伝え、分かち合えるために小説を書いている。私は哲学的なこと行っているわけでも、ジャーナリストのように社会に向け発信しているわけでもない。人々が共有できる感情や感動を伝えることが、私の小説家としての仕事だと思っている。

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