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古稀と年齢

にとって2017年は「古稀」の年になります。古稀という言葉は唐の詩人杜甫の「人生七十古来稀なり」に由来しています。現代では医療技術の進歩で70年を迎える人生は稀なことではなくなりました。今年中に100歳を超える日本人は、10万人以上にもなるそうで、現在では祝うほどの長生きという年齢ではありません。これまでにも何回も書いてきましたが、健康で、自活でき、しかも人生を楽しむことができて、始めて長生きしている歓びがあります。ただ、命を永らえているというだけでは、生きている意義は半減以下になってしまいます。
 昨年、50年を区切りに仕事をリタイアしました。現在は、塾の50年間の後片付けを、満70歳の誕生日までには終わらせようと、気が向いたときにコツコツ続けています。年老いてよく思うことですが、どうも私は「あれしろ、これしろ」と命令されることは嫌いなようで、人から言われる前に自分の意思で行動した方が、期限までに、また納得するまで、すべきことを履行する性格のようです。このことは中学生頃までの私の勉強不足や、日常生活の行動を見ていた両親からの助言のお陰と感謝しています。
 歴史蘊蓄家である卒業生のI君から、古稀は数え年で祝い、数え年とは生まれた年を1歳とし、以後元日を迎えるごとに1歳ずつ加えていくという数え方と教わりました。すなわち、ある年の1月1日に生まれた人は翌年の元日に数えの2歳(満では1歳)になりますが、同じ年の12月31日に生まれた人は翌年(すなわち誕生日の翌日)の元日には、満ではまだ0歳ですが、数えの2歳になってしまうということらしいです。同じ年に生まれたら誕生日がいつであろうとも、新年の元旦に同じ年齢になるということは、「同じ年に生まれた人は、みんな同い年」ということで、昔の人にとっては判り易かったでしょう。この数え方を満年齢の生まれた年を0歳として始めれば、とてもすっきりして判り易くなり、現代でも十分通用するように思います。
 それにしても、日本には西暦と元号が併用されていて、しかも年度という言葉まであります。「年度」という制度には、同学年の多くの仲間の翌年に生まれたのに、「早生まれ」と言われている半端扱いの区分(1月1日〜4月1日)があります。私もその早生まれです。そのために国や自治体から不利益を被ったこともあります。これが何よりもの弊害です。
 まず、なぜ遅く生まれた人を「早生まれ」というのか、そこのところがワケ判んないです(笑)。ネットで調べたところ、同じ干支なのに学年が一つ上になるので「早生まれ」となったようです。例えば、2年生のねずみ年の子は「早生まれ」、1年生のねずみ年の子は「遅生まれ」ということですが、これもワケ判んない日本語です(笑)。1年早く小学生になれるということならば、「早上がり」のがピンときます。
 また、早生まれの人は、初対面の人やある程度親しくなった人から、生まれ年を訊ねられた時にも面倒なことが生じます。その問いに「48年生まれ(西暦)」と答えますと、それでは「私と同級ですね」と、学年で返す人が不思議に多くいるのです。『「早生まれ」だから1学年上だ』と言うのも面倒で、若い頃からずっと、前年の10月頃に1つ歳をとったことにして、実際は満30歳であっても、31歳と答えていました。
 それにしても、日本にはなぜ年齢一つの会話で、こんなにいろいろな表現があるのか、昔からおかしな国だと思っていました。私は平成になってから、西暦に統一して使用しています。多くの国民、企業も西暦を使用しているのに、こんなグローバルな時代になっても、お上と金融機関だけは元号を使っています。January 1, Heisei 29 と書いて、世界中のどこの国の人が解るというのでしょう。西暦、元号、年度、酉年(とりどし)とか丁酉(ひのととり)などの干支もあります。元号は昭和何年が平成元年だったのかを、しっかり覚えておかないと役に立たないことが多くあります。
 数年したら、新しい元号になることも考えられます。そうなると、しっかり昭和、平成、新しい元号を並べて、それは何年前のことだったのかを正しく計算するのが、益々面倒臭くなります。そう考えると元号は無用の長物です。元号も象徴天皇と同様に、象徴表記としておけば丸く収まります。
 余計な話を長々と書きましたが、最後に古稀の話に戻します。古稀と言っても、私の場合はそういう訳で、満70歳になるまで、あと450日以上もあります。小学1年生になったのは6歳の誕生日でしたので、今になってその時の handicap を取り返してもらった気がしています。この期間を大切に過ごしたいと思っています。まだまだ楽しみたいこともたくさんあります。
 まだ入院ゼロ、手術ゼロの人生も続いています。病院にご厄介になった記憶もだんだん薄くなり、いつが最後だったか覚えていません。心筋梗塞、脳卒中、事故などの突然死は、宿命と考えていますので、そうなってしまった時は仕方ありません。老化と向き合い、健康を心掛け、日常生活を自立して送り、少しでも老化の進行を鈍くさせる努力をします。そして老後を少しでも長く楽しみたいと思っています。

 目の前にある「森羅万象」をしっかり見つめなさい。
 そうすれば、あなたの心も見つめることができます。

 今年のカレンダーには、このような言葉を考えていました。人でもモノでも社会現象でも、森羅万象に自分の正直な心で真っすぐに向かい合うことです。そうすれば、自分の心も映し出すことができ、自分がどんな人間であるかも知ることができます。親しい卒業生がこんなことを言っていました。「先生は私より私のことを知っていますね」

追伸: 最後に、時間がありましたら遠慮なさらずに、是非リフォームしたNEW MPSに来てみてください。教室は語らい、憩いの場になっています。ある卒業生にとっては、酒場になっています。これまでに利用した方たちの塾での雰囲気を見ていまして、4〜5人以下ではゆったりとした会話の時間の流れがあり、10人近くになると賑やかに気儘に笑いの多い会話をしているという感じです。きっと、一度来たらまた来たくなると思います。なぜなら、そこには卒業生の学生時代の思い出が、今でもたくさん大切に保管されているからです。

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