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老化の心構え ESPECIAL!

12年前の'05年1月に卒業生向けのこのホームページは創刊されました。始めようと思ったきっかけは、何かの縁でMPSという名の小さな空間で、3年、6年と過ごした間柄なのに、あなた方卒業生の一番大切な時期(充実の時代)にお役に立てなかったことを後悔し、草創期の卒業生が10年後には必ず迎えることになる老後について、何かのお役に立つこともあるだろうと思ってしたことでした。今、老化過程の真っ只中にいる自分自身を正直に語っておくことは、よい機会だと思い書きました。かなりの長文、しかも拙文になると思いますので、活字慣れしていない人には大変だと思いますが、最後まで我慢して読んでみてください。
 私の場合、老化を意識し始めたのは50代の中頃でした。少し早いのではないかという人がいるかもしれませんが、その頃まであの「英和中辞典」も老眼鏡なしで読めましたし、天然歯が初めて抜けたのも還暦を過ぎてからでしたが、その頃から、次第にゴルフの飛距離が落ち始めたこと、身体のあちこちをぶつけるようになったこと、また人の名前を覚えられなくなったり、思い出せなくなったりすることが多くなり、覚えたい言葉は覚えられず、覚えていた言葉は忘れてしまい、さらに適切な言葉が瞬時に出てこないことが始まって、完全に私の「心・知・体」は衰退に向かっていると自覚しました。
 MPSのテーマとしてきた“「心・知・体」のバランスのとれた人間性” という言葉こそが、老後を健康に穏やかに楽しく暮らす基礎ではないのかと、老化が始まってしみじみ感じるようになっています。勿論、50年前には私自身も老後にまで役立つ言葉とは考えていませんでした。その頃から確信を持っていたら、塾生にもっと強力に説諭していたでしょう(笑)。健康という言葉は一般的には身体(肉体)とリンクして考えがちですが、むしろ心と脳が健康であることのが、もっと大切だと考えています。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というローマの詩人ユベナリスの有名な言葉がありますが、むしろこの言葉とは真逆で、健全な精神状態を維持し続けることが、健全な肉体でいられると思っています。
 「心」と言っても、とても抽象的な言葉です。具体的には、意志、意欲、意識です。折れない心と客観的な心を養っておくことが老後にとても役立ちます。このことを若い頃から鍛えておくことです。歳をとるにつれ、諦めが早くなり、根気がなくなり、億劫になります。人生の踊り場にあたる頃(40代〜50代前半)までに、この部分の心をある程度鍛えておかないと、老後に活動的に生活することはできません。
近、国内外で介護老人ホームや病院で悲惨な事件が起こっていますが、それらの施設の中にいる人々は肉体よりも、むしろ同時に精神を病んでいることが多いと考えています。病院に看護師や介護師だけでなく、精神疾患の専門家を常駐させるようにすべきだと思っています。身体が自由に動かなくなるということは、ボケ(認知症)も同時進行してしまうことがよくあると耳にします。身体が自由にならない苦しみは、きっと心も変質させてしまうのでしょう。
 また、80歳以上の高齢者運転の死亡事故も多発しています。辛口批評の私にしてみると、本人が命を落とすのは自業自得で片付けられますが、運転者は軽傷程度で済み、被害者側が死亡する事故がほとんどで、理不尽に思えてなりません。ブレーキとアクセルとハンドル捌き、そして交通ルールは運転上の基本の「キ」です。赤信号、一時停止、一方通行、車道・歩道の認識もなく運転している高齢者が多くなったようです。このような運転をしているということは、日常生活もボケているとしか考えられません。このような高齢者の運転事故に、マスコミは何とも嫌な新語を誕生させました。「徘徊ドライバー」。何と恐ろしい響きでしょう。
 老化の開始は個人によって当然異なります。また、個人の自覚によっても異なってきます。まだ老化していないと周りの人は思っていても、本人は老化が始まっていると考える人もいます。逆に、周りの人から見るとかなり老化が進んでいると思われていても、本人は「老人扱いするな!」と怒り出す人もいます。因みに私は先手を打って「ボケが始まっているので、…」と、面倒なことから回避できるように、老化を逆利用させてもらっています。若い頃から頭の使い過ぎで、脳の働きが不活発になってしまったこと(特に記憶力)は感じているのですが、それ以外は50歳前後の人と遜色ないと思っています(笑)。
 昔の人は老化の始まりを「歯・目・○○」と言っていました。歯と目は生まれてからずっと酷使し続けているわけで、歯が抜けたり、老眼になった時は老いてきたなと気付く、よいキッカケになります。特に、昔の人は歯が無くなっても、一般庶民には義歯を入れるお金など無く、私が幼い頃には歯の無い年寄りをよく見かけました。江戸時代までは歯が無くなることは、すなわち食事を満足に取れないことを意味し、老衰という状態で亡くなっていく人が多くいました。
 現在では科学の進歩のお陰で、多くの病気は死期を遅らせることはできますが、それは身体上の疾病が多く、心や脳の病はそう簡単には治療できていません。最近、マスコミなどでアンチエイジングという言葉がサプリや美容の中で盛んに使われていますが、加齢による身体機能の衰えを多少は抑えられるかもしれませんが、帰するところは日常生活での各人の「心」の在り方です。
「老いる」、すなわち老化について具体的に考えてみましょう。日常的身体上の変化では、前述したように近いものが見えなくなったり、歯茎が弱くなったり、あるいは足腰などの筋力の低下や、平衡感覚の衰えがあります。外見上のこととしては、皮膚にシワ、シミ、たるみなどが現れたり、頭髪が脱毛、白髪になったりします。しかし、これらは皮膚癌のような悪性腫瘍のようなものでなければ健康上の問題はないと思います。むしろ怖いのは肥満と痩身です。肥満はそれだけで多くの病気の原因になると言われています。痩身は筋力・平衡感覚・持久力があれば問題ありませんが、痩せている人は周りから見ていても、歩き方、動作、皮膚の張りなどから健康なのか病人なのか、すぐに判断できてしまいます。
 2つ目の「知」、すなわち脳ですが、脳は大脳皮質(ヒトの脳)、大脳辺縁系(ウマの脳)、脳幹(爬虫類の脳)の3つの脳を同時に使いながら「人間らしい」精神活動を営んでいます。特に、記憶をベースにものを考えたり、知的な活動をする前頭葉は、他の動物に比べると非常に大きくなっています。それは本能よりも学習することを重んじ、「考える」ことを武器にして生き延びてきた証しと言われています。つまり、他の動物との記憶の違いこそが、ヒトの人格(心)や人間らしさを作ってきたわけで、「学習記憶」こそがまさに人生そのものと言えるかもしれません。
 覚える・考えるなどの高度なことは、神経細胞(ニューロン)を通して行われ、その神経細胞は複雑なネットワークを形成し、神経細胞からシナプスという箇所(軸索と樹状突起の接続した部分の隙間)に電気信号が送られ、セレブターという受け皿にキャッチされ、活動電位が発生して信号が伝わっています。このように、記憶の仕組みに関しては解明されていることは多いのですが、認知症や物忘れなどの記憶の喪失(脳の障害)に関しては、いろいろな原因が考えられていますが、その仕組みはまだはっきり解明されていないようです。
 そこで大切になるのが、「心」です。歳を重ねることによって、だんだんに根気がなくなり、諦めが早くなり、行動が億劫になり、面倒なことはしたがらなくなります。我慢、努力もしなくなります。一言で言えば,折れやすい心になっていきます。実は、老化の中で「心」が老いることが一番怖いのです。これらの症状は一般的に病気とは言われていませんが、脳と身体の病気を防ぐには、「心」の在り方を日常的に意識して生活することだと考えています。前述した高齢者の自動車事故などは、本人の自覚の無さと周りにいる人の助言不足が原因です。
後を迎えるにあたって、50歳になったら折に触れ老後のことを考えるようにしましょう。そして60歳になるまでにどのような老後生活を送りたいのか、そのためにはどんな準備をしなければいけないのかを具体化しておきましょう。60歳〜65歳くらいから、自分の望む老後をいかに楽しく送れるかが、人生の終焉近くになった時(その期間は人によって異なるでしょうが)、「人生は楽しかった。人として生まれてきてよかった」という想いが頭に浮かぶなら、最高の幸せではないのだろうかというのが、今の私の考えです。「終わり良ければ、全て良し」です。寝たきり老後、ボケ人生をなるべく短くし、健康人生を少しでも長く楽しみたいものです。
 余談になりますが、ある国の首相が「人生70歳まで働きましょう」ということを真顔で話していますが、これほどのブラック・ユーモアはありません。「一生、奴隷のように働き続けろ」ということです。縁あってこの美しい生命と自然にあふれた地球に、人間として生まれてきても「楽しむな!」と言われているようなものです。
 私の健康寿命の定義は、「ほとんどの日常生活の行動を自分一人で処理できる生活行動」と捉えていますが、同時にそれは人生を楽しむ最低条件でもあります。健康で暮せる期間を計算できるのは、多くの人にとって75歳〜80歳くらいまででしょう。70歳過ぎまで働いていたら、穏やかに、人生を楽しむ時間などほとんど持てません。
 また、さまざまな疾病や障害は遺伝要因なのか環境要因なのかということも実しやかに取り沙汰されています。Netで調べてみましたら、遺伝に大きく影響されているものも多くありましたが、環境も直接的、間接的にそのリスクに影響しているとも書かれてありました。個人的には、遺伝子は生まれてくる時に背負ってきた宿命と捉えています。これだけは変えることができないので仕方ありません。科学医療が進化して、仮にサイボーグ人間として生き続けても、哲学的、生物学的に、無条件の延命行為は生命の冒とくにはならないのだろうかと考えることもあります。生命とは老いて死を迎えるという有限の中に輝くものであると考えているからです。
い人生には幾つもの節目がありました。その節目ごとにスタートがありました。「人生はマラソンではなく、短・中距離走の繰り返しだ」と思っています。しかし、老後というのは、正確に始まりを知ることができません。少しずつ忍び足でやってきます。それ故、気付かない人もいれば、考えない人もいます。気付かなくても、考えなくても、死の直前まで不自由なく生活して、命を閉じていく人もいます。そのような人たちは、老後以前から心身ともに健康的な毎日を送っていたのでしょう。そのような人たちは本当に幸せです。
 老化に気付いたら、意識的に身体を動かすことから始めてください。それが基本です。しかし、それを命令する心(気持ち)や脳がひどく衰退していると、身体を動かすことすらもしません。こうなると、折角気付いても行動できなくなります。心の中にまだあなたのパワーが残っているならば、刺激を受けるような、活発になるような、興味を与えてくれるようなことに関心を持って、それまでのダラダラした生活から抜け出す努力をしてください。老化を止めることはできませんが、年ごとの衰退の幅を縮めることはできます。心に感動を与え、脳を駆動させ、身体を動かすことが基本です。
 あなたの心が変われば、あなたの生活も変わります。新しい発見や喜びもあるでしょう。意識的に心、脳、身体のそれぞれを活性化し、新しく始めたことが趣味になれば、習慣化していつまでも続きます。老化は衰退すると、元の状態に戻ることはないということを肝に銘じておいてください。 そして、55歳くらいになれば、子育ても終わり、仕事の先も読めてきます。自分の時間も多く持てるようになります。大きな病気をしなければ、75歳くらいまでは十分老後を楽しめます。85歳まで人生を楽しんでいる人を、私は何人も知っています。それは人生のご褒美です。

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