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益者三友 ESPECIAL !

 「益者三友」 この言葉を知っているだろうか。「論語」に載っている孔子の言葉である。このあとに「損者三友」と続く。「直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。現代語訳すると、有益な友とは、素直で正直である人、思いやりのある誠実な人、見聞の広い博識のある人である。また、有害の友は、当然この逆ということになるが、人に媚びへつらう人、人あたりは良いが不実である人、口先ばかりの人であるということである。
 このような意味であろうということは、日常生活で人間観察をしていれば、概ね理解できる。今の世に限らず、昔も「損者」は多くいて、「益者」は少なかったのであろう。現代における「益者三友」とは、「官僚、医者、法曹人」で、それもTOPの地位に近ければ近いほどよいと、人目を憚らず口にする人もいる。「益者三友」を拡大解釈すると、友人、先輩、師は人生の中で重要な意味を持つものなので、慎重に選ぶことを諭した言葉であると思うのだが、「友より金」と恥じらいもなく口にする人もいる。嘆かわしいことである。
 もう一つ、「若い時にこそ鍛えろ」という言葉がある。この種の類義語には「三つ子の魂百まで」「雀百まで踊り忘れず」「病は治るが癖は治らぬ」「It is harder to change human nature than to change rivers and mountains.」など、世界の言語にも多くの故事があり、日本語には10近くあるようだ。この訓戒は幼児への親の教えの重要性を説いているだけでなく、どんな節目、場面にも当てはまる言葉であると理解している。
 その根幹になるのは「三つ子の魂百まで」であるが、70年、80年続いていく長い人生の節目、節目に、「What is learned in the cradle is carried to the grave.」の真価が発揮される。卵生動物が卵の中の栄養分を吸収して成長していくように、胎生動物である哺乳類は、同時に親から幼年期に精神的栄養分を、いかに吸収し成長していくかが、人生にとって大いに重要になる。
 親がその義務を怠ったり、偏屈な価値観を押しつけたりすると、それからの長い人生を生き抜いていく上で大きなhandicapを背負うことになる。人間は社会的動物であり、一人では生きていけないことは誰でもが知っている。一緒に行動していて楽しい友達というのは、「いいものだ」ということを、子どもは就学前の頃からぼんやりと認識し始めている。そして小学校に入ってから、人間にもいろいろな人間がいることを知る。嘘をつく子ども、いじめをする子ども、たかる子ども、社会規範を知らない子ども、将来その種の大人になるだろう芽を持つ人間のいることを知る。
 一方で、話していたり、一緒に行動したりして楽しくなり、また遊びたいと思う人間もいる。子どもながらに「すごい!」と思ってしまう感動や、勇気すらも与えてくれる人間もいる。人間はこのあたりから、社会という中での自我を確立し始めていく。その対応の仕方を教育しておくのは親ということになる。子どもは2歳か3歳頃に、自分の傍にいる人間が親であることを漠然と意識し始める。このように親は子どもにとって運命的な存在であり、選択の余地はない。
 会社の中の部署替えや転勤が、それほど深く考えない上層部の事務的、慣習的判断によって決定されることがある。それも運であって「親と子」に似ている。パワハラ、セクハラ、ブラック企業など、問題の多い会社が多くなってきているが、このことは他に生活していく手段があれば、会社を辞めれば済むことであり、僅かでも選択の余地は残されている。しかし、子どもの環境は、その子が長男、末っ子、ひとりっ子という立場、両親、片親(放送禁止用語だそうだが、適語が見つからなかった)、片親の単身赴任などの基本的家族構成、祖父母の同居など、居住地域を含め、運命づけられた空間の中で決定されていく。
 小学校の高学年になると、子どもは主張を始める。大人の目から見ると、当然まだまだ発展途上だとは思うのだが、子どもは矛盾だらけの自我、理屈をこねる。反抗をし始める。ここで親は「何でこの子は、こんな子になってしまったのだろう」と嘆く。子を持つ親には誰にでも1度や2度はあることだ。しかし、この段階では子育ての結論は出ていない。乳飲み子の頃から正しく育ててきたのであれば、子どもを信じることだ。
 中学生になると、完全に親離れをし、自立しようとする。これは、今までの運命づけられた鳥かごからの開放で、暗くならないと家には戻って来なくなる。差こそあれ、家族との接触は激減する。ここで問題になるのは、子離れできない親である。この時点で、子離れできない親は、子供のその後の人生にいい影響を与えない。自分が懸命に、しかも賢明にこれまで育ててきたと思うなら、忠告、助言の頻度を減らし、ここでも子どもを信じることである。
 中学生、高校生になると、親の子育ての真価が表れ始める。子どもは多種多様な人間の蠢く社会の中で揉まれることになる。この時の子どもたちの脳裏に、家族のどんな言葉、躾が残っているかが重要になる。中高生の時に、良きにつけ悪しきにつけ激変する子どもをよく見かけたが、その差はこの時までの総合的な子育てに起因している場合が多い。上手に子育てされた子どもは、親が心配している以上にちゃんと大人への階段を正しく上っていく。
 巣立ちをして、ここで大切になるのが、友人である。「益者」なのか「損者」なのかによって、これからの長い人生に大きな影響を与える。人によっては、親元を離れ独り暮らしをする人もいる。何よりも大学生になったり実社会で働くようになると、それまでと大きく異なるのが、多種多様な人との接触である。今年から18歳にまで選挙権が与えられるようになったということは、法の上でも人間として一人前になったことを意味し、近い将来、刑法上でも少年A、少女Aではなくなる。
 すなわち18歳で子どもから、ひとりの人間になる。ここまでが生産者としての親の務めになる。大人になった子どもは、家庭に代る生活空間を自分の手で創る必要が生じる。生きる喜びを求め、生きる術を学び、自活の道を決しなければならない。その初期の頃は瞬間的にではあるが、自分のそれまでのpersonality(個性)の直観によって毎日の生活行動は経緯していく。ここで子ども(もう社会的には大人)の真価が問われるようになる。
 この時期に、人としての個性はほぼ形成され、その後の人生を変えていく。それまでの家庭をはじめとする、学校、習いごと、書物などで出会った人および言葉を土台にし、人によって進化したり、頽廃したりする。体験、社交、邂逅する人や言葉が、各人によって異なるからである。好きになったり、許せなかったりした人、興味を与えてくれたこと、恐ろしかったりしたことなど、それまでの経験の中で、海馬が記憶しておく必要があると判断されたものは、大脳皮質に記憶されているからである。
 「幼い子どもにとっては遊ぶことが仕事である」という言葉がある。同感である。遊ぶことを通して、経験が始まる。興味を持ち始める。この時から、親からのDNA、周囲の人々のcare、環境のqualityなどと重なり合って、個性は形成されていく。この時期の活動はとりわけ重要であるが、幾つになっても年相応に活動することはもっと重要になる。年齢に沿って、好きなもの、興味を持つものは少しずつ変化していくが、いつの時でも、人、言葉、自然、趣味との交わりは不可欠である。
 尤もらしいことを言っても、哀しいことに人生の1/3は運によって支配される。生まれる前から不公平は始まっているし、努力や人間性に比例して幸せになれるわけでもない。今の時代、人為的不幸に巡り遭う確率も高い。だからと言って、脳、心、身体を動かさないでいる人は、不平を言う以前に人間として生まれてきたことを放棄している。ある人に言われた言葉がある。「やくざはやくざ同士で友達なんだよ」。同義語の故事も多くある。「類は友を呼ぶ」「同類相求む」「似た者夫婦」“Birds of a feather flock together. ”(同じ羽毛の鳥は群がる)。孔子だけでなく並み以上の人なら、長いこと人間をしていればこのことに気付く。
 人は自分だけには誤魔化しをしたり、嘘をついたりすることはできない。素直な心で自分を見つめ、惰性に流されることのない心と、「益者」なのか「損者」なのか、人間を冷静に観察する心を備えていれば、これからの長い人生に待ち構えている、紆余曲折、困難苦境に正しく対応できていける。そうであるならば、あなたの子どもたちも、人生を「生まれてきてよかった」という感謝の気持ちにきっとなる。
 自分自身が「人として生まれてきてよかった」と思うと、まず両親に感謝する。そう思うことは、最低2人の子どもを育てることに結び付く。恥を忍んで告白すれば、こういうことを言う私自身、50歳頃までは「人生楽しければ、子どもを作ることは勿論、結婚することも必要ない」と考えていた一人であった。しかし、還暦前後に「このような宇宙空間があり、地球という世界があり、日本の四季があることを、生まれてこなければ、永遠に知らなかったことになる。さらに、感謝する人、感動をもらった書物、映像、旅にも出会うこともなかった」という事実に気付いたのである。
 人生は老いて知る。健康で、ボケずに生きていられれば、この先にも何か新しい発見(mental realization)に出逢うことがあるかもしれない。

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