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HPページを開設して今年で12目年を迎えます。卒業生から多くのアクセスをいただき感謝しています。これまでに「グリーン放言」には約100編、「狂育原論」には約30編のエッセイを書いてきました。駄文、愚見にお付き合いくださり有難く思っています。調子に乗りまして(笑)、昨年の12月に意識的に書きためた3編(原稿用紙22 枚)を一挙に掲載します。これらの駄文、愚見の苦痛を乗り越えられたあなたは、私の完全な理解者です(笑)。あと2年、あなたの将来に役立つことを少しでも書けたらと思っています。

老後を考える その2

年10月更新の「完全リタイア」の中で、「現在、毎週3日働いていますが、数年前から多くの時間を持てるようになり、時間の流れがゆったり過ぎていることを実感しています」ということを書きました。このことに加え、老後生活こそ人生の理想があるのではないかとも感じ始めています。歳を重ねるごとに、身体も頭脳も鈍くなり、運命の悪戯や気まぐれも多くなり、人生設計を狂わされる人もいますが、それなりに頑張って生きてきた人には、そのご褒美として幸せな老後があるのだと信じるようになりつつあります。
 幸せな老後のためには、日常生活費の他にも何がしかのお金が必要になりますが、それよりもっと大切なことがあります。それは健康と趣味です。手持ちのお金が少なければ、少ないなりの楽しみ方もあります。しかし、若い頃から物質的贅沢にのみ喜びを感じてきた人は、その習慣から抜け出せないのであれば、それなりの蓄えをしておく必要はあります。
 老後を楽しむ生活の必須ワードは、行動する気力・体力と、興味・感動を持ち続ける心です。換言すれば、現役(学生、社会人)時代から人生を楽しむという習慣を心掛けて生きてきたかどうかです。特に「静年・苦悩の時代」の後半に当たる50歳前後のあなたのidentity が、その後の人生に大きな影響を及ぼします。
 考えてみてください。退職したら高収入、社会的地位、名声など、現役時代に他人から羨望の目で見られていたほとんど全てを失うことになります。人によっては激変する環境から健康を損ねることもあります。これから「老後を楽しむぞ」という時に、行動する気力・体力と、興味・感動を持ち続けていない人はどうなるでしょう。きっと、それほど遠くない死という観念に追い込まれていくだけです。そして、それに相関して不健康な心身になり、老化は加速度的に進んでいきます。
 自営業者にははっきりした退職という線引きはありませんが、会社人間は「退社」という厳格な一線を引かれてしまい、生活パターンやリズムが180度変わってしまうことがよくあります。サラリーマンに退職すると鬱になってしまう人が多いというのは、現役時代に人生を楽しみたいという趣味もなく、何かを始めようという関心・気力を持ち合わせていないからかもしれません。
 若い頃からもっと先を読んだ生活を心掛けていればよいのですが、なかなかそうはいきません。自営業者は自分の選んだ仕事を軌道に乗せようと、サラリーマンは会社の捨て駒とわかっていても働き蟻として頑張らなくてはいけません。家族がいれば、あなたの好き勝手な意思決定は家族の将来も変えてしまいます。最近は女性の社会進出から共稼ぎの夫婦が多くなり、夫婦二人の話し合いの人生設計をしている家庭も多くなりましたが、私のような古い人間は、男には男の重責が死ぬまで背負わされているという考えを持ち続けて生きてきました。
 このような時代の中で自分探しは難しいことですが、自分は老後になったらどうしようかということくらいは考えておいた方がいいと思います。高校生になってから本格的に勉強し始めた学生が大学受験で苦しむように、老後の生活もそれまで何も考えずに迎えたら、おそらくあたふたすると思います。今のうちにその基盤づくりをしておいた方が賢明です。「何?! 俺は行きたい大学に合格できたって?」それはMPSのお陰です(喝)!
 親しい友人は片手もいれば十分です。私は読書したり、古い映画や音楽を楽しんだり、ガーデニングをしたり、自然と親しんだりして、自分なりに年寄りの中では多種多様の楽しみをしていると思っています。独りでいることも好きだからかもしれませんが、友人よりも趣味を多く持った方がいいです。「三宅老頭語録」にも書きましたが、ストレスの多くは人間関係です。友人といっても歳を取れば取るほど考えはかけ離れ、昔話などは二人の共通項で、それはそれで楽しいですが、煩わしいことも多くなります。趣味が同じで、人生観、道徳観も似通っている古き友がいれば、それが一番なのですが、なかなかそういう友人はいません。
 それに比べて、趣味は煩わしいことは一切ありません。私の方が気移りして他のことに興味が向かない限り、趣味の方から裏切ることはしません。先日も50年来の友人がこんなことを言っていました。「三宅。おれはゴルフができなくなったら、死んだも同然になってしまうよ」と。彼とは月1の割合でゴルフ日和を選んでゴルフを楽しんでいる仲ですが、ラウンド中に好きなゴルフの技術的な話は勿論しますが、彼も読書家で、好奇心もまだ持ち合わせていますから、時事問題から社会風潮までいろいろな話をしています。このような友人は貴重です。
 45〜50歳になって考え始めてほしいことは「老後を楽しく」です。一人で楽しめる時間と趣味で結び付く友人の確保です。しかし、徒然なるままにゴロゴロしている独りの時間とか、酒好きの飲兵衛とただ酒を酌み交わしている時間とかは、老後の人生の無駄遣いです。そのような老後が理想と考えている人には、充実した老後はやって来ません。老後の充実とは体力、気力、関心、感動を、いつまで持ち続けられるかだと思っているからです。
 このHPも今年で12年目に入りました。鈴木正紀君のボランティアのお陰で続けられています。開設時の私の年齢は56歳でした。当時、毎年卒業生の方から子どものことで相談があったり、年賀状に書かれてあったりして、多くの人が子育てに苦しんでいることは知っていました。やはり子どもの養育は生産者である両親の責任です。その時にはまだ、そこそこの生徒がいましたので、十分な対応はできませんでしたが、今振り返ると、あなた方の多くの子供が幼児や小学生の頃、もっと積極的に話を聞いて、参考意見を言ってあげていたらと、心を痛めています。
 現在私には、2歳の男の孫がいます。平均月に1度くらい帰省してきます。長女は彼女なりに一生懸命躾けています。両親や親戚筋から聞いた私の幼少時代より、孫のが数段世話はかからないように思うのですが、それでも長女は時折荒立った声で叱っています。その姿を見て思うのです。長女は親としての務めを果たそうとし、孫は自我形成の年齢に入ったが、当然その対処をわからず衝突しているのだと…。
 子どもと違って孫はとても客観的に見ることができます。身内であっても自分の子どもではないので、客観的な態度を取らなくてはいけないとも考えていました。私の周りには「かわいい、かわいい」と、猫かわいがりしている者もいますが、私は第三者的に接しています。長女には長女の人生(考え)があり、孫には孫の人生があります。だから相談されなければ、こちらからは一切口出ししないことにしています。
 子育ての成功を一言でいえば、子供が立派な成人になって「今の自分は両親のお陰だ」と思ってくれることです。両親にとってもこれ以上に報われる言葉はないでしょう。教育に限らず、子どもたちが家庭を持ったら脇から支援するのが親(孫にとっては祖父母)の務めだと考えています。娘はいくつになっても私の子供ですから、娘の子育てを手助けするという立場で、あれこれ斟酌しながら孫と遊んでいます。しかし、悲しいかな、長年の職業上の性から教育的要素を取り入れてしまいます(笑)。
 正紀君にあと2年、私が70歳までHPを更新するお手伝いをお願いしました。あと最低2年、このHPの紙面を通して、10年、20年、30年後にあなた方にも必ずやってくる老後についての随想を中心に書き続けていきます。今年のカレンダーの“Every beginning has an end. All's well that ends well.”です。
 あなた方が一生懸命子育てをしている時、お役に立てませんでした。せめてものその罪滅ぼしに、あなた方が老後を迎えた時、あるいは孫と接している時、「今は亡き三宅のあの言葉が頭の中に残っていてよかった」と思ってもらえるような文章を残したいと思っています。そして時々、ジジーになってもまだこんなことをして楽しんでいるという紀行文も書いていきます。

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