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人生こそ輪廻

の大学生時代は1966年4月〜70年3月でした。その4年の歳月の間には、ビートルズの来日、大阪万博の開催があり、国民の80%が中流と意識し「一億総中流時代」と呼ばれ、一方で全共闘(学生運動)の最も盛んな時期であり、日本フォークソングの草創期でもありました。69年には新宿駅西口地下広場に1万人もの学生、市民が集まって反戦的なフォークソングを歌い、マスコミから「フォーク・ゲリラ」と呼ばれる現象も起こりました。
 改めて振り返ると、これらの出来事は50年、半世紀前になるんだなーという思いです。これまでの人生70年の中で、そのころの日本が一番楽しく、元気だったかもしれません。当時の日本は「いざなぎ景気」に浮かれ、「昭和元禄」という言葉がよく使われていました。50年代後半の「3種の神器」にあやかって、Car、Cooler、Color TVの3種類の耐久消費商品は「新3種の神器(3C)」と呼ばれ、日本の国内総生産も米国に次いで世界第2位になったのもこの頃です。
 しかしそれ以降は、技術革新は進みましたが、あまり経済的、社会的にいい時代はありませんでした。東京オリンピック以降は好景気も少しずつ下降し始め、公害、ドル・ショック、オイル・ショック、窓際族、サラ金地獄などがあり、「狂乱物価」「頽廃ムード」「無責任」「不確実性」などと呼ばれる時代が続きました。そして、80年後半からはあのバブル経済となり、91年に崩壊してからは多くの上場企業が倒産、吸収されていきました。その後もつい数年前まで、20年以上にわたってデフレ不況が長く続く、いわゆる「失われた20年」でした。
 この50年を大まかに述べると、こんな時代の流れだったと思います。MPS開塾の1966年6月はビートルズが来日するということで、日本国内が熱狂していた時でした。通っていた大学が当時は日本武道館に比較的近いところ(駿河台3丁目)にあり、東海道線(東京駅)を利用していたので、近辺を機動隊が物々しく警備していたことをうっすら覚えています。
 記憶というものは平面的にしか保存できないもので、3次元、4次元の映像にはならず、何かのきっかけで過去の思い出が脳裏に浮かんだ時、記憶しているその瞬間はスティル・フォト(still photo)のように鮮明なのですが、ムーヴィー・フォト(movie photo)のようにその前後は全く蘇ってくれません。また、他の思い出と混在してしまうこともよくあります。
 大学時代はよく旅行しました。1〜2週間程度の長期旅行だけでも10回近くしていると思います。学生運動が盛んで、ロックアウトやデモで大学の授業は正規の半分くらいしかなかったような気がしています。月謝はしっかり徴収しておきながら、卒業式もありませんでした。しかしそのお陰で(?)、自由な時間は余るほどあり、本を読んだり、バイトをしたり、好きな人と一緒にいたり、暇な時はよく麻雀もしていました。
 今思うとくだらない遊びもたくさんしました。しかし、それら全ての一つひとつがその後の私の心・知・体、そして生活形成の基盤になったことは確かです。学生運動で授業がなかったことで、それまで漫画を含めた書物を読んだことのない私が本を読み始めたり、就職してからも隠れて続けていた塾のことが、2年目に会社にバレてサラリーマン生活を辞め塾業に専念したことも、そんな時代背景があったからかもしれません。
 団塊の世代とは敗戦直後の47〜49年に生まれた人々のことですが、小学校卒業頃までは、貧しい家庭が多かったと思います。玩具や遊び道具などはなく、遊びは自分たちで考え、近所の空き地や野山を遊び場に駆け回っていました。中高生の時に「岩戸景気」「オリンピック景気」があり、いわゆる「娯楽」というものが庶民にも行き渡り始めました。10代の若者の「3種の神器」として、レコード、ギター、テープレコーダーを持つことを、多くの若者は熱望していました。
 私も大学生になった時に、そのすべてを手にしました。私のようなノンポリ学生は楽しいことを追い求めました。音楽・映画・スポーツ・旅、そして大学から始めた読書、この5つのどれかを楽しんでいた毎日だったように思います。この歳になった今でも、似たようなことをして毎日暮らしています。不思議です。やはりこの基盤は、興味、関心のあることは何でもしようという、小中学生の頃に培った行動力なのかもしれません。
 ここで一つ改めて話しておきたいことがあります。あなた方が塾生の頃、授業の中で殆んどの学年に話していると思っているのですが、本当に私は学校の勉強が大嫌いでした。「この言葉は覚えているが、当時から信じてはいなかったよ」と言う人はいませんか? この話は本当に本当の話です。中学生まで定期テストの直前を除くと、日常的に勉強したという記憶がありません。なのに、なぜ大学受験の勉強を始めるようになったのか、残念ながらその明確な理由は覚えていません。ただ、家庭学習らしきことを始めたのは高1の終わり頃ではなかったかとうっすら覚えています。きっと何かの言葉に触発されたか、よほど悲しいこと、悔しいことがあったからでしょう。
 一番大きかった理由と思えるのは、中学生の時に知り合った、当時大学生のお兄さんのように慕っていた人のお陰ではなかったかということです。その頃の私は御多分に洩れず、親の言うことなど聞かない悪ガキでした。ところが、その人の前では言われることを素直に受け入れる自分がいたのです。そのようになりたいという思いがあったのでしょう。単純にその人が通っていた同じ大学、同じ学部に行ったということがその証です。
 しかし、その人の言葉に耳に傾け、勉強する気になったにしても、その人と出会う前までに、そのような機会を活かす自分がいなくてはいけません。胸裡に刷り込まれていた、両親をはじめとするいろいろな人たちの教えがあったからだと思っています。人や書物の邂逅は有難いです。だから「三つ子の魂百まで」を、このHPにもよく書くのです。
 学校の勉強ができたから、一流大学を卒業したからというだけでは、人生を生きて行く上での大きな力にはなりません。人生をラクしたいという人の一助にはなるかもしれませんが…(笑)。一般論として、社会人になってからの人生を楽しむためには、基礎知識を身につけて置くことはそれなりに必要です。一般常識と関心、興味の幅を広げておくこと、そして行動力は大いに役立ちます。これは70年間の人生を自分なりに楽しんできた経験から言えます。
 30代の「充実の時代」は、どうしても人生を楽しむ時間は少なくなります。人によっては、50歳過ぎの「苦悩の時代」へと忙しい日々がずれ込むこともあるかもしれません。しかし、あなたに健康な体と人生を楽しむという強い意志があるなら、50歳になったら老後を考えた生活を送ってください。これから2年間のHPの中で、愛読してくれている卒業生の1割にでも心に残る言葉が書ければと思っています。
 せっかくこの時代に、しかも人として生まれてきたのですから、第1に自分を大切にし、次に家族を一番大切な他人と考えて接し、社会の一員として規範を守る行動をする。この3点を心に留めている人は、「情けは人のためならず」という諺があるように、相対的に充実した人生が送れるはずです。人生は時間、空間において繋がっています。この3次元の世界は途切れることなく繋がっています。未来が現在になり、現在が過去になる繰り返しです。人生いくつになっても自己開発・自己啓発です。現世こそ輪廻です。

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