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日本の人口減少 第2部 ESPECIAL !

本国の少子化は経済を縮小し、多額の国債返還を困難にし、ますます深みにはまっていくことを第1部で述べました。第2部では、その少子化をさらに加速化させる将来の不安材料について述べていきます。
 懸念している一つ目は、日本国民の政治への無関心さです。日本の投票率が国政選挙でも50%というのは、「global note」によると世界の189カ国中154位で、先進国でそれ以下にあるのはスイスだけです。全体に北欧の国々の投票率は高くなっています(ほとんどの国が80%超)。また、投票に行かなかった場合の罰則が設けられている国は投票率が高くなっています(シンガポール、オーストラリア、ベルギーなどは90%超)。日本もこのように投票率の低下が続くようであるならば義務化したほうが、もっと多くの国民が政治に関心を持つのではないかと思っています。
 確かに政治不信を抱いている国民は多くいると思います。私も one of them です。しかし「棄権」はいけません。一票に値する立候補者がいないときでも、政治に無関心でも、政治不信でも、投票はすべきです。それが国民の義務です。投票箱に「白票」を投じても、立派な意思表示になります。わざわざ投票所まで行って白票を投じているのは、何らかの理由があるからだと、国、自治体、立候補者に考えてもらいたいという意思表示になります。白票が全体の10%あったなら、当選者を定員の10%減にするというのも一つの案です。
 何年後になるか分かりませんが、今のままでは日本もいつの日かデフォルトのような事態になることが予想されます。傷の浅いうちに治療しなくてはいけません。行き詰って急にやり始められても困ります。国民にも準備猶予期間が必要です。そのためには今まで以上に政治に関心を持って、本当に日本の将来を憂慮している政治家に一票を投じるようにしなければなりません。政党政治が政治形態の主流になっていますが、本来は大局的な視野を持つ清廉潔白な政治家個人を選ぶことが選挙の基本だと考えています。宗教母体政党も、共産主義政党も、極右翼政党も個人的には好きでありませんが、仮にそれらの政党に人格的に素晴らしい政治家がいたら1票を投じてもいいと思っています。しかし残念ながら、今の立候補者は公認された党から命じられた政策を連呼するばかりで、自分の理念や信念を主張する人は滅多にいません。
 この「グリーン放言」でも幾度となく書いてきたことですが、どんなことをしてもすべての人を平等に扱うことはできません。だから、できる限り多くの人を公平に扱う法を制定する必要があります。なるべく多くの人が納得する法を制定することが必要になります。当たり前のことですが、このことは権力を持つ(すなわち権力側)の政治家、公務員の人たちが肝に銘じておかなければいけないことで、仕事をする上での不文律になっていなければいけません。
 善良な市民こそ大切にする政治をしてほしいのです。刑法に触れるようなことはせず、何も文句を言わず毎年きちんと税金を払ってくれる市民を「いいお客さん」と、公務員は考える傾向にあります。ある40代のMPS卒業生の主婦の話ですが、生活保護者に該当するのに「皆さんの大切な税金ですから」と言って、二人の子供を抱えて生活保護費を貰わず一生懸命生きている人もいます。一方で、偽装離婚をして作為的に生活扶助費をせしめている輩の話もよく聞きます。このような根性の腐っている人間に悪質なクレイマーが多いのです。これなども完全な税の無駄遣いであり、自治体は強い態度で対応すべきなのです。
 高所得者の中には数世帯を養えるくらいの、私たちには考えられない税金を納めている国民がいます。私も2名知っています。これを高所得者の義務とするならば、誰にとっても大切なお金を文句も言わずに納めてくれている彼らは善良な市民だと思うのです。ですから、そうでない大多数の人々は、多少不便な生活、質素な生活を心掛けなければ公平になりません。生活扶助、教育扶助、介護扶助などの生活保護費を貰っている家庭では、他のことで多少の我慢の生活を強いられるのは仕方のないことだと言いたいのです。自分たちの子供、孫に借金を残して、彼らにもっと過酷な生活をさせればいいと思っている人は別ですが…。
 ここで憲法の「最低限度の文化的生活」を持ち出す人がいるかもしれませんが、少子化を緩やかにするためには、善良なる国民の覚悟と、根性の腐った悪質な国民の排斥が絶対に必要になります。政治家、公務員はクレイマーだけでなくクレイム専門の市民団体の要求をよく精査することも必要になります。こんなことを書く私を薄情な人間と思われるかもしれません。確かに私は快楽を求めて生きてきたと自認する人間ですが、そんな人間でも義務を果たす、最低限の努力と我慢をする、他人への迷惑をかけないなどの道義的責任を伴った行動はしてきました。利便性と、経済の成長ばかりに目を向けないで、国民一人ひとりが我慢を覚えることも必要であると言いたいのです。
 二つ目は日本人の国民性の変化を心配しています。諸外国では先進国、途上国を問わず、自然災害の後には暴動や略奪が多発するのですが、東日本大震災の時の日本はそのような犯罪は全く起こらず、むしろ平時以上に冷静に行動し、秩序が乱れることもなく「助け合いの精神」を発揮しました。この被災者の行動を世界のマスコミは絶賛しました。ニューヨークタイムズには「物資の奪い合いなどは全く見られず、市民がひたすら苦境に耐えている姿が感動的であった」と書かれました。
 私も日本人の多くはそんな心を持っていると思っています。しかし近年、個性の拡散化、価値観の多様化、格差社会の拡大、精神異常者の増加などから、これから先の日本人気質の劣悪化を危惧しています。自分の子供を虐待するという動物以下の親もいます。大衆向けマスメディアは興味本位から凶悪犯罪や猟奇犯罪を多く取り上げています。街の中を歩いていても、歩きスマホ、引きずりキャリーバック、無謀自転車にカチンと来る人はかなり多くいると思います。このような公共マナーの乱れを感じることが多くなりました。日本人の中にも、中国人観光客のあの品性のないマナーに近い輩が多くなったように思うのです。
 こうなってしまった原因は親の子育てにあります。「そうではない。社会がいけないんだ」と言う人もいますが、そうであるならすべての人間がそうなっているはずです。格差社会の拡大によって生活空間が分化し、個性の拡散化、価値観の多様化が進むと、ますます異人格との交流が苦痛になり、ストレスもたまるようになります。何よりも一部の人間の身勝手な振る舞いによる社会の治安悪化を心配します。小学生向けの用語にある「みんな仲良くしましょう」という精神は最終的には大切なことですが、それ以前にまず「みんなに迷惑をかけない行動をしましょう」という前段階のスローガンのが必要だと思っています。
 三つ目は天変地異、地球環境の悪化、戦争勃発、新型ウィルスの流行などの突発的事変です。日本の国土や近海では地下マグマが活発化し、西之島や口永良部島が大噴火しています。地震も神戸淡路大震災以降、活動期に入ったという専門家は多くいます。この50年、100年のスパンで考えたら、関東、東海、南海の大地震は必ず起こると考えていたほうがいいかもしれません。ここに挙げた以外の場所でも大噴火が起きたり、大地震が起こる可能性は十分あります。ただ自然大災害は明日来るのか、数十年先になるのかわかりませんが、もし起きたなら国民の日常生活に与える影響は甚大です。
 東日本大震災級の自然災害があったら、被災者への支援、今回ように原発事故があるとその処理で、国家の支出(すでに東京電力に10兆円の援助をしています)は増加し、被災地の産業の復興までかなりの歳月を要し、税収は減少し、ますます国の債務は増えていきます。これらのことは一時的にでも、国民に生活の不安を感じさせ少子化を助長させます。他にも温暖化などの地球破壊も進んでいます。地域によっては国家間の戦争がいつ勃発してもおかしくない時局です。エイズのように死に直結する新型ウイルスが世界的に流行、蔓延することだってないとは言えません。
 最後の四つ目は、政治家、公務員に関してです。歴史は物語っています。日本だけでなく世界の国々では、時の権力者とその取り巻きがその時代の終焉を迎えさせています。日本では摂関政治、武家政治、第2次世界大戦など…。すべて、権力の掌握欲望と保身暴走に起因しています。現在の主権者は国民で、憲法前文のしかもその初めに「正当に選挙された国会における代表者を通じて…」と謳われています。そして、その国民の代弁者は国会議員と国家公務員ということになります。しかし、今まで長々と書いてきましたように、国民も政治家も公務員もこの体たらくです。だから結果的にこんな「少子高齢化」の社会になってしまったのです。
 国営企業で電電公社だけは黒字経営でしたが、国鉄、郵便局は国のお荷物でした。国鉄は民営化されJRに分割された時、37兆円もの債務があり、うち24兆円は最終的には税金で返済されました。郵便局も、それまで財政投融資のための政府の隠し金庫番でしたが、郵政民営化(この秋上場という話がありますが、郵政関連株は今現在は100%政府保有です)によって業務の効率化、合理化に迫られ、黒字経営になっているところが多くなったと言われています。専売公社はすでに民営化され日本たばこ産業になっていますので、かつての三公社すべてと日本郵政(五現業のひとつ)は民営化されました。これらの大組織が民営化されたことは法人税も増え、公務員も減らすことができていいことだと思っています。
 次にすべき国のスリム化は、100前後はある独立行政法人への対応です。聞いたこともない法人がたくさんあります。あのオボちゃん事件の理科学研究所も独立行政法人のひとつで、国庫から年間1000億円もの支出金が出ています。あの事件がなければ、さらに+500億円増の要求をしようとしていたいう噂もあります。そして何よりもいけないのは、これらは官僚の天下り先であるということです。特に国立大学は法人化により理事職が新設され、某国立大学の理事から別の国立大学の理事へのわたりが行われていて、文科省の天下り法人と揶揄されています。今日の政治家、公務員は権力を掌握しているうえに、経済力とその安定を手中にしてしまったから、形式主義になってしまったという本を読んだことがあります。
 朝から晩まで家族のために一生懸命働いて稼いだお金の一部、否1/5〜1/3ほどのお金を多くの日本国民は税金として国及び自治体に納めています。それらのお金が再び自分たちの懐に戻ってくるようにと、支援者や支持団体はそれぞれの政治家(族議員)を応援しています。これから先も、このようにすべての圧力団体の要求を聞いて、次回の選挙のために湯水のように税金をバラまくような政治をしていたら、予算は膨れ上がるばかりです。一部のクレイマーに近い市民団体や圧力団体からの無理難題の陳情に、議員や公務員は答える必要はありません。そのような古い政治は終わりにしなければ、いつまで経っても緊縮財政はできません。人口減少が始まっているのに、まだ道路を拡張、延長しています。老朽化したライフラインの修復のが先決(先務)事項です。「国民は単純で、古い橋を修理するより、新しい橋を建設したほうのが喜ぶんです。1票に繋がるんです」こんなことを公然と言っている政治家がいるようでは、何をか言わんやです。
 2〜3年前に道州制の議論がしきりになされたことがありました。現在の日本はあまりにも国の権限が大きすぎ、税金も一括管理されすぎています。自治体に国並みのブレインがいるかどうかを危惧していますが、もっと各自治体に自治権を与えたほうがよいと考えています。1000万〜2000万人単位の州に分割して合州国にし、アメリカ合衆国のように州に多くの権限を与え、国は外交、防衛、治安(国家警察)、国家プロジェクトのようなことに専念し、自治体同士を切磋琢磨させることが必要であると考えます。緊縮財政には国民のほうにもある程度の我慢を強いるわけですから、自由に自治体を選択できるようにさせ、酷い行政をしたらその自治体には住民がいなくなる、そんな危機感を持たせるべきです。住民がいなくなっていけば、公務員も永久就職先ではなくなります。
 思うことを忌憚なく述べさせてもらってきましたが、そんな日本でも地球上に200カ国以上ある国々の中では上位に位置する環境にあると思っています。日本人の欠点は「トレンドに流されやすく、熱しやすく冷めやすい」と言われています。考えない、動かない、他人への迷惑を考えない人間が確実に多くなってきていることも確かです。換言すれば、直観的な心の動きだけで生きている薄べったい人間が多くなってきたということです。こうなると国民の多くは国や大企業の術中(陰謀)に嵌ります。
 政府はアベノミクスのお陰で株価は2万円台になり、景気も良くなったとしていますが、これだって日銀がお札の量を2倍に増やしたので、円の価値が1/2になり、株価が1万円から2万円になっただけのことです。好景気なら地価も上昇しなければいけないのですが、そちらは何ら変化していません。大企業は設備投資をせず、内部留保に一生懸命です。先日読んだ雑誌にこんなことが書いてありました。
 『世界中のどこを見ても「成長市場」がないわけですから、現状のむしり取れるところからしか、経済を維持できなくなってきているのです。一部の欲深い金持ちや経営者は、貧乏人をさらに貧乏人にし、自分たちの利益を増大させ、自分たちの地位を維持しようとしているのです。企業は半年に1回は新製品を出し、消費者が求めていないものばかりを作っています。この過剰生産はマルクスの言う資本主義の「宿命」です。企業は早くこのことに気付いて、利益至上主義から脱却してほしいと考えます。企業の付加価値は、人件費と資本維持の減価償却費、あとは利益です。仮に利益を出さなくていいと決めれば、人件費は今の1.5倍になります。雇用も増やせます。これから日本の経済規模は縮小していくわけですから、カネ儲けばかり考えるのではなく、「縮んで豊かになる」思想が必要になります。』
 少子化が進み、経済が縮小する中で「縮んで豊かになる」という言葉に感銘を受けました。例えば、このまま大企業がITなどの科学技術の進歩を利用して利便性のより高い新商品を次から次へと販売し続けていくとします。そうなると、人間はいつか動物というカテゴリーから外れる生き物になっていってしまうように思うのです。注意する、気付く、考える、動くとかの生きていく上での最低限の本質すらも持ち合わせない人間が、科学の進歩の裏側で多くなっていくような気がしてなりません。
 以前にもスマホの功罪について書いたことがありますが、「LINE」依存やその恐怖によって精神の異常をきたし、現在では年間2000人もの若者が自殺しているようです。思春期は人格形成の上で重要な時期であるのですが、精神を蝕まれたり、偏った生活に陥ったりして、自分に適した個性を伸ばせずにいる若者がその何倍、何十倍もいるとのことです。人との付き合いはface to face が基本で、相手の態度や雰囲気、語気、眼の動きなどの観察が感性を磨いていくものですが、LINEという短時間の中で直観的に浮かんだ言葉のやり取りで response し合っていれば、誤解が多く生じるのは当然です。
 医学分野においても、ITの進歩で医学が生命の操作をどこまで介入できるのか、生命の倫理や尊厳の立場から議論されることが多くなりました。不謹慎なことを加えるならば、賢い動物と言われているゾウ、イルカ、ウマ、イヌなどの動物以下の命を持った人間も多くなりました。そうなると人類至上主義の思想が、正しいのかどうかという疑問すら持ちます。「ヒト」と生まれたことが、すべてに優先する専権事項なのか、天文学的偶然の確率で生まれた地球上に根付いた生命は、元は一つではなかったのか、と。
 現在の少子化を防ぐための答えは理論的には簡単です。「こんな社会なら子供を産みたい」と思う親と、「生まれてきてよかった」と思う子供の割合が徐々に増えていくように日本を変えていけばいいことです。しかし、そのような社会を一朝一夕でできるわけはなく、特効薬もありません。理論的には簡単でも、大多数の日本国民が一致団結して実践するのはとても難しい問題です。
 これから何十年かかるかわかりませんが、(1)経済規模が縮小していく中で、国民は多少の不便や、税負担の不満を我慢し、政府、自治体はできる限りスリム化し、税の無駄遣いをなくすこと。(2)善良な市民が損をしない社会、犯罪をなくし治安が安定している社会、将来に希望が持てる社会を創ること。(3)経済が縮小する過程において、少しでも早く拝金主義から脱却し、お金を使わなくても幸せになれる社会環境を作ること。このことを実践できなければ、少子化を防ぐ方法はありません。まさに固定概念から脱却し、逆転の発想が必要です。縮んでいく経済の中では、何が一番大切かということを考える大人が多くならなくては、生まれてくる子供は幸せにはなれません。
【補足】前回に続き長い駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。こういう話はこれで最後にします。こんなことを考えていたら、私自身の残り少ない余生が暗くつまらないものになります。しかし、あなたがたは私の何倍もこれから生きていくことになります。「日本の少子化を緩やかにする政治」について一生懸命考えてください。

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