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行動変容

まり聞きなれない言葉である。この用語の起源は心理学なのか、行動学なのか、あるいは健康学なのか、どの研究分野で使われてきたのか知らない。ただ、由来がどの学問からであろうと、この手法は一定分野の領域にとどまらず、まさに個人のあらゆる生活行動、その奥の心の状態(まさに人間性)そのものを分析し、指導する点であらゆる分野で応用できるのではないかと思った。
 「行動変容」を簡単に説明すれば、「自発的に考え行動する人間」に成長していればお世話になることはないのだが、そのようになれなかった人間には周囲の働きかけが必要で、お偉い学者さんたちがステージごとにその効果的なサポート環境作りを研究している学問のようである。すなわち、生まれてこのかた続けてきた習慣化された負の行動パターンを望ましい行動に変え、一生にわたって維持させようとする行動プログラムのようである。1980年代前半に禁煙の研究から導かれたモデルのようであるが、今ではダイエットをはじめ、疾病予防などの健康全般、学校教育、キャリア選択、会社の研修、購買心理などにも広がりをみせているようだ。



 世の中には無気力、無関心、薄志弱行な人間は多くいる。行動面でもなかなか実行に移せない人間、解っているのだが一歩を踏み出せない人間、飽きっぽくてすぐに止めてしまう人間。このような人間には周囲のサポートや環境作りが必要になる。上記の図のように、望ましい行動習慣を身につけるまでに5つのステージがあり、先のステージに進むにはその人の現在の認識、関心などから、今どのステージにいるのかを把握し、そのステージに合った働きかけ・サポートを用意する。これが学問上の「行動変容」のsubject である。しかし、専門家のお世話にならなくても、周りに協力する人間がいなくても、多少の関心と自省する心と行動力のある人間であるなら、自分がどのステージにいるかを自ら把握することはできるし、行動もできる。
 なお、行動変容のプロセスは常に「無関心期」から「維持期」に順調に進むとは限らない。いったん「行動期」や「維持期」に入ったのに、その後、行動変容する前のステージに戻ってしまう「逆戻り」という現象も起こりうる。ダイエットにおけるリバウンドが、その好例である。また、ある生徒が勉強をする気になって成績も上向いてきたのに、別のあることに夢中になって勉強しなくなったということも逆戻り現象である。
 この「行動変容」のことを知って、50年間「田舎塾の教師」として、「生活塾の塾長」として頭を過ぎったことは「子育て」への応用であった。三つ子の魂百まで」「孟母三遷」とかの言葉もあるように、できれば生誕5000日を迎える13〜14歳(基礎の時代)までに、親としての子育てを熟成させておかなければいけない。否、できるなら終了させておく必要がある。それから先は、子どもたち自身で親、家族から受けた躾や倫理を土台に、社会環境からいろいろなことを学んで生きていくことになる。
 ここで自分が子どもだった頃を少し思い出してください。「そんなことばかりしていていいの?」と母親から言われたり、学校でも「ゴミがあったら、そのことに気付いてね」と言われたりしたのは、今考えてみると、「関心期」へのステージアップの基本であった。まず「気付く」、「関心を持つ」という心の素地造りが大切になる。そこから、考える、行動するというステージへと進んでいく。
 母親は涙を流しながら叱ることがある。特に昔の母親は、叱っている自分の方が泣いている。これには悪童(ワルガキ)だった私も参った。叱りながら泣いている母親を何回見たことか。今では、その時の母親の心情が痛いほどわかる。いつ頃からか、相手に愛情を感じさせるような叱責や小言こそが究極の教育、躾と考えるようになった。だから、愛情を感じさせることができるなら、場合によっては手を出すことも肯定するようになった。そのような私だから熱意を持って、厳格、毒舌で、この半世紀生徒に接してきたのかもしれない。
 近年、過保護と過放任の親の増加で「考えない子ども」「気付かない子ども」「気力のない子ども」が多くなってきた。親からのDNAもあるだろうが、幼い頃からの家族、仲間、先生、環境、書物などからのサポートを受け、「基礎の時代」の子どもは人格が形成されていくのであるが、残念なことにそのような子どもたちは間違ったモラル、教育を受けてきたのだろう。自分の子どもを虐待して死に至らしめるような信じられない親も多くなってきた昨今だが、これなどは「親の親」の躾も酷かったのだろう。
 生きていく中で、大切なことは健康・環境・自立であることはこの「グリーン放言」でも幾度も述べたが、一芸に秀でている人や手に職を持っている人は、とりあえず自活はできる。福沢諭吉も「自ら労して自ら食らうは、人生独立の本源なり」と言っている。とりあえず自活することができるようになったら、社会人としての義務を果たし、あとは各自の人生観に沿って楽しみたいことを楽しみ、語りたい人と語ればよい。これが人生だと思う。
 しかし、精神的に弱い人間になり、落ちこぼれたり、閉じこもりになったり、社会人になっても人間関係に悩んだり、会社に馴染めなかったりする人も多くいる。あなたの人生の主役はあなたではあるのだが、なるべく多くの人と会話のキャッチボールができるようにしておくことと、自分の立ち位置を考えておく必要はある。これが社会人になって役立つ人間関係の構築に繋がる。
 凡人・俗人が万人を愛し、万人に愛されることはない。自分の感性、趣味、価値観が同類項の仲間を大切にすることだ。あとは社会人として、犯罪者、悪徳商人、給料泥棒などのように第三者に迷惑をかける人間にならないように心掛けることだ。
 40代前後の卒業生のみなさん。あなた方の多くは成人前の10代の子どもを育てている頃だと思う。子どもが行動変容のどのステージにあるのかをよく観察してください。あの懐かしい「英文解釈読本」にこんな英文がある。Every child has in him(her)the beginnings of the man is to become, and the kind of child he(she)now tells us the kind of man he(she)will be. It is wise parents that know their own child.(どんな子どもでも自分のうちに、将来なるであろう大人の萌芽を宿している。そして現在の子どもの性質が将来なるであろう大人の種類を語ってくれている。自分の子どもをよく知っている親は賢明な親である。)
 至極当たり前のことであるが、子どもは片方の親が違うだけで全く違う個体として誕生する。そればかりか、同じ両親であっても選ばれし精子と卵子の結合の個体である。せめて子どもが成人するまでは、社会に対して我が子の責任を持つことを忘れてはいけない。「我が子可愛や」でベタベタするだけでなく、「子ゆえの闇」にならないようにしっかり観察することも必要だ。格差社会はますます進み、食料は異常気象が起こらなくても地球上ではMAX 80億人分しか生産できないという話もあり、21世紀が文字通り世紀末になる可能性もなくはない。生産者として我が子を「生まれてきてよかった」という人間に育ててください。
 あなたにも注意されたり叱られたりした時の忘れられない言葉がきっとあるはずだ。人はそんな言葉に支えられて成長していく。私にもこの歳になっても忘れられない言葉がいくつもあり、折に触れ思い出す。この文章を執筆中に頭に浮かんだのは、父親からの「親孝行なんてしなくていい。したところで何分の1も返せない。そう思うなら、その分、自分の子どもたちをしっかり育てろ」という言葉。両親の教育には大いに感謝している。しかし残念なことに、子どもたちから感謝されているかはわからない。

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