三宅学習塾OB会 > トップ > GREEN放言 > これからの日本は 〜前編〜

これからの日本は 〜前編〜

価が乱高下している。4年ぶりの高値16000円近くから、3週間足らずで20%下落した。株価上昇の際はアベノミクス効果であると、政府は自画自賛していたが、所詮実体経済を伴わないトリックにすぎないことは素人にもわかる。経済の成長は好景気で金の流れがよくなり、それに伴ってインフレになる。これが正規の道筋である。結局、国民の心理をその気にさせて景気をよくしようとする一種の啓蒙政策である。
 アベノミクスによる経済の活性化や個人の生活向上を実感できている国民は20%しかいないという調査もある。株価の変動は、国内投資家より多くの海外投資家によって操作されているのであって、このことを理解しておけば、海外のアベノミクスや日銀の金融緩和に対する評価は、日本国内のお祭り的評価とはかなりの温度差がある。
 日本人は群集心理に弱く、流行を追い、ブームを作りたがり、すぐに飽きる国民だと言われている。今回の株価の乱高下の顛末を、日本人を羊の群れに例えた話を紹介する。「今回の株式市場は、まさにあの山に登れという羊飼いの指示に従って一気に登ったら、その先に崖があって落っこちた」ということだ。沈滞化した経済を活気づけようとする意図は決して間違っていることではない。いつか経済の実態がある程度上向いていくのは事実であろう。ただ、あまり早合点な行動をとらないで、タイムラグを考える余裕がほしい。
 ちょうどこの文章を書いていた18日にG8首脳宣言があった。その中の一つに「日本は信頼できる中期的な財政計画を定めるという課題に応える必要がある」という文言があり、各国から財政再建への取り組みを促された。安倍首相は相変わらずの強気発言であるが、彼の政策は国民の気分を高揚させるというマジックが通用した時に、それなりの効果を上げる。
 実体を伴わないインフレは怖い。中国もそろそろバブル崩壊が近いと言われている。日本も1990年のバブル崩壊からの20余年を「失われた20年」「空白の20年」と言われているが、1980年代後半から、日本の経済に何があったかを50歳未満の世代は、金融・経済を職業としている以外の人は詳しく知らない。政府、投資家、金融、一部大手企業によってつくられた経済であった。(そのトリック知るために「空白の20年」関連の記事をネットで見つけて、読むことを勧めます)
 10億円の美術品が100億になったり、10万円のゴルフ会員権が300万になったりした。株価もそれほど業績のない企業でも、2倍、3倍になった。これは私の親しい人から聞いた実話であるが、地価もそれまで坪20〜30万の相場だった彼の自宅の土地を、200万で売ってくれないかと言ってきた業者がいたという。
 しかし、現代社会では経済の活性化を見るには、株価よりも地価を気にすることが一番のように思う。人口減少の中、当然土地価格は一般的には下落する。もう、土地の狂乱高騰はないと考える。企業が土地を購入する場合、小売業のような日銭を稼ぐ企業は徹底的なマーケッティング・リサーチをする。製造業や運輸業は利便性や労働力、ライフラインの完備も調べる。購入価格で利潤を生み出せるかを第一義に考えて土地購入をするので、企業の設備投資は景気の動向をシビアに知ることができる。
 ところで、7月21日(日)に参議院選挙が予定されている。しかし、アベノミクス「第3の矢」である成長戦略「日本再興戦略」は市場に「力不足」と受け止められ、株価の急落を招いた。高い支持を維持するために「4の矢」「5の矢」の実現に動き始めているという。
 一方で、衆議院の「1票の格差の違憲状態解消」のために「0増5減案」もなかなか決まらずにいる。国民からしてみると、こんな些細なことにである。何かあるといつも大風呂敷を広げるみんなの党も、「18増23減」案であるが、議員減数はやはり5議席と同じで、どの政治家も自分自身には大ナタは振らない。国会議員を半数にするということなど心の中では毛頭考えていない。国会議員一人当たり年に1億円以上の税金が使われているのに。
 この文章を見直していた20日、神奈川新聞1面にとんでもない記事が載っていた。ここに追加記述する。政務調査費の一部が目的外支出と横浜地裁によって認定された。自民、民主、公明、県政会の各会派で、全体支出額の1/10にあたる約2億4千万円。灰色の部分を含めたらいくらになるかわからない。住民とは国会議員よりもっと身近にいなくてはいけない自治体議員が、こんのような不正をしているようでは、住民の不信感は増すばかりである。
 国民への増税は簡単に決まっても、緊縮財政に関する法案は成立したためしがない。否、抜本的な財政再建や行政改革法案が国会に提出された記憶もない。政治家や公務員が権力、経済力、生活の安定を掌握してしまった今、彼らは自分たちの欲望、現状の生活、既得権を維持することに専念する。役職の高い人間ほどその傾向は強くなる。ちゃんと天下り先まで確保しておく。
 政治家と公務員は言い古された言葉であるが、「善良な市民を守る」ことが主たる仕事である。悪質な市民を守る必要はない。自分たちの後ろには善良な市民が味方してくれているという気概を持って、各種手当や助成金を不当に受給しているような輩には、決して許さないという強い態度で臨んでほしい。政治家と公務員に対する国民、住民の不信は、「身を削る」ことをしない、「不正に対して強い態度で臨む」ことをしない、この2点である。同世代の仲間と話すとき、この不信感がとても根強い。
 相変わらず公務員の不祥事や隠蔽工作が電波、紙面をにぎわしている。先日も復興庁参事官のふざけたツイート事件があったが、彼は自分に反対するのは知性のないヤツらだという極めてエリート意識的な、上から目線で国民を扱っている。これは個人の問題であってほしいと思っているが、そう信じきれない日本国の役人の傲慢さを哀しく感じている。いじめでの教育委員会の対応などは、保身の言動があからさまに現れている。
 詳しくは後編に書くつもりであるが、「日本が危ない」と言われて久しい。50歳を過ぎた頃から、そして人生のほとんどを生きてしまった今でも、自分の人生を振り返りながら考えることは、要約すると「人生」についてと「社会」についてである。時間のある限り、新聞、雑誌、ネットの記事、あるいは専門書を読みながら、「どうして日本はこんな国になってしまったのか」ということをよく考える。人間は過去を美化したくなる習性があるが、按配して考えても個人的には日本国は「心配する方向に進んでいる」気がする。続く

住 所
〒250-0034 小田原市板橋647番地 三宅学習塾OB会事務局
事務局への投稿などはこちらへ
三宅先生への連絡などはこちらへ