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人間の価値判断

校生と勉強している大学受験・現国長文読解シリーズ第3弾・・・、ということに今回もしておきます。歯切れの悪い書きはじめですが、実はこの文章、大学入試ではなく高校入試の問題なのです。個人指導をしている中学生の一人に一日一文の長文読解を課題に与え、「読んでみて難しかった問題は一緒に考えよう」ということになっています。彼女が申し出た文章のひとつが、ここに紹介する鈴木孝夫の「ことばの社会学」の中に出てくる評論のひとつでした。長文読解を苦手にしている中学生にはかなり難しいだろうと思いました。個人的にも関心のあるテーマでもあり、このコーナーに取り上げました。
 鈴木孝夫という名前は忘れてしまっていたのか、頭の中にはありませんでした。彼は慶應義塾大学医学部予科終了後、文学部英文学科に編入、卒業するというユニークな道を歩みます。その後、日本の言語社会学者・評論家として活躍し、慶應義塾大学名誉教授となり、日本野鳥の会の顧問でもあります。地球環境論などについても積極的に発言し、英国帝国主義批判の論客としても知られているそうです。
 今回は全文を書きません。要約は次のようなものでした。

 筆者がケンブリッジ大学に客分として滞在しているとき、英国の歴史上最大級の国家反逆罪というべきスパイ事件の意外な真相が公表された。その影の首謀者が何と英国王室の絵画顧問で、同時にケンブリッジ大学の名誉教授でもあったアンソニー・ブラント卿であった。
 新聞は連日このスパイ事件で賑わったが、筆者の関心は専らこのブラント卿をケンブリッジ大学がどう対処するかにあった。刑事事件としては時効のため罪は問えなくなっていたが、道義的な見地に立てば大学当局が即刻、卿の名誉称号を剥奪することが、筆者にとっては必至のことに思えていた。
 ところが、ケンブリッジ大学の教授会の声明は、大学がブラント卿に与えている称号は、卿の絵画史家としての類まれな学識才能に対してであって、彼の国家に対する忠誠心に対するものではない以上、ブラント卿がかつて忌わしいスパイ事件の黒幕だからと言って、名誉称号を剥奪することはしないというものであった。
 この事件を基に、人間の価値を決める物差しや評価の方法に多様性のあることを提示し、一人の人間の人格、または人間そのものを、いくつかの独立した部分に分割して捉える英国人の人間観と、全体を不可分の連続体として、総合的に人格や人間そのものを捉えようとする日本人の人間観とを比較しながら、筆者独自の考えを、やや欧米的考えに批判的論調で展開していくものである。

 ある人物の資質や行動を評価する際、その判断はまさに十人十色です。日頃からマスコミの報道を見ていて、その判断は自分たちが正しいとでも言わんばかりの取り上げ方で、疑問を感じていました。
 ある人物の資質や行動を、問題にされる側面だけを取り上げ評価すること、すなわち、ある点で優れている人物が、他の側面においても優れているということにはならず、ましてやその人物の全人格、全行動の肯定には繋がりません。その逆も然りです。そのように相互に独立した部分を分割して考えることのできるのが、英国人の国民性と筆者は言っています。
 しかし日本人の考え方は、ある人物の存在や人格を不可分の連続体として、総合的に捉えようとする傾向にあります。「一芸に秀でたものは、諸芸に通ず」的な人間観が強く、度の過ぎた一個人の不必要な部分までも美化、理想化することもあります。総合的人間評価の精神構造は、反対にある時点まで褒めそやされていた人物が、何かひとつ社会的な失敗をしでかすと、今度は「百日の説法屁一つ」で、掌を返したように集中砲火を浴びます。
 これは日本のジャーナリズムが得意としている戦法です。熱しやすく冷めやすい性格、あるいはブーム、トレンドなどに乗りやすい日本人の国民性をうまく利用して、メディアは読者・視聴者獲得のため作為的に演出します。新内閣誕生のときなどにそのことが顕著に現れます。新総理の人間性の素晴らしさまでアピールするような熱の入れようですが、一転支持率が下がると痛烈な批判の側に回ります。
 似たようなことは新商品、企業紹介、スポーツ界、芸能界にもあり、どの局も同じような内容の番組、情報を流しています。あまりTVを見ない私でも食傷気味になります。この扇動は特にTVの情報番組においてますます過激になっている気がします。これには、日本人の新し物好き、噂好き、付和雷同、優柔不断、日和見主義という国民性も遠因にあるのではないかとも考えます。これらのことから不安に思うことは、これほど激しい日本人の「熱しやすく冷めやすい」性格で、果たしてちゃんと自分の価値観で人や物や事件を冷静に判断できているのかということです。
 筆者はさらにこうも考察しています。私たち日本人は一人の人間を分割評価することを不得手にしているどころか、ある個人をその家族や、その人が属する集団や地域とも明瞭に区別することも苦手にしているようであると。すなわち日本では、一人の個人を時間空間的に、ある隔たりを持つバラバラな点の集合とは考えないばかりか、個人個人をも相互に独立した存在と見ない傾向が強いということでしょう。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」です。
 筆者の使っている「一芸に秀でたものは、諸芸に通ず」とは真逆の「一芸に秀でたバカ」という言葉も、最近では市民権を得てよく使われています。このことは、事象ごとに冷静に判断し、それを総合的に人間評価しようという表れでもあります。人は誰でも公共的立場や社会的見地において、プラス面とマイナス面の両面を持ち合わせて生きています。
 人生を歩んでいく上でオール5という完全無欠の人格形成は無理なことです。そうなると、4がいくつかあれば、あとは2以下をなるべく無くすようにするのか、あるいは何かひとつ5を取るためには、1か2がいくつかあっても仕方ないとするのか、それは各人の人生観によって変わってきます。
 人間の価値を決める物差しや判断に正解はありません。各人は追い求める「豊かな人生」に近い価値観で人格や物事を判断することになり、その判断は千差万別です。大切なことは、権力やメディアなどの意見に踊らされることなく、過多の情報から確かなものを選別し、各人の価値観にそって賢く判断すべきであるということです。
 私の評価の基準と方法ですか? それは「グリーン放言」にお付き合いくださっているあなたには、推測できるでしょう。そう、どちらかと言えば、○○の考えに近いですかね。

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