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隠居生活

ろそろ舞台「学び舎」の緞帳を下ろす時が近づいている気がしています。
 1966年6月6日から46年。あと4年頑張って半世紀続けようかなとも思っているのですが、もう一人の私が「ボケも始まっているし、身体もガタがきている。そろそろ隠居生活したらどうなの?」と、甘い言葉を囁くことが多くなってきました。
 老後は健康で穏やかに趣味の世界に暮らすのが若い頃からの理想でした。しかし、働き盛りのときは気にせずせっせと納税していたのですが、老後になってからも多額の租税のあることは知らずにいました。父親から「若いときは苦労しておけ! 歳を取ったら楽になるから」という言葉を鵜呑みにし過ぎました。父親は公務員で、いい老後を送っている姿を身近に見ていましたので、愚かな私は自分もそのような暮らしができるんだと思い込んでいました。しかし現実は、そう、この破綻寸前の日本国の姿です。
 自営業者にはリタイアの年齢はありません。自分で決められます。父親は58歳で退職しました。私も50代の半ば頃に隠居生活に入ろうと考えたこともありました。多趣味で楽しみたいことがたくさんありましたから。しかし、働かないでいたら、まさに「シャベルにスコップ、いやブルドーザー」で、貯えは近い将来に底をついてしまうことが目に見えてわかりました。そこで税金対策と自分の小遣いのため、迷惑を掛けない範囲で働けるうちは働こうという気持ちで、この歳まで頑張ってきました。大きな病気や手術をしないでこんな気持ちになるのですから、雀の涙の年金収入だけの人、あるいは持病・闘病の人の生活は大変だと思います。若い頃は人並み以上に納めるものは納めてきたつもりでいるのですが、お上は取れるところからは死ぬまで召し上げる魂胆のようです。
 現在は塾というより個人指導という形態での授業を続けています。行事とかはもちろん今はないですが、個人的な会話や「生徒を知る」という面では昔より深くなっているかもしれません。授業をしていると「そうなんだ、この子と俺、50も違うんだ」という感慨が頭を過ぎることがあります。この歳になっても根がバカで我が侭な人間のままですので、感性の赴くまま、よく言えば私の人間味で教えています(笑)。ですから、あなた方を教えていた頃と授業の雰囲気は変わっていないと思います。そんな孫のような中高生と今でも楽しく働かせてもらえるのも、現在教えている生徒たちのほとんどの保護者がMPS卒業生であるお蔭です。
 いずれにせよ、永きに亘り田舎塾の教師として生きてこられたことは卒業生及び父母に感謝・感謝です。思い起こせば、母親の知り合いの中学生を家に呼んで勉強を教えたのがMPS誕生でした。残念なことに、1号生の彼は私より先に亡くなっています。私の耳に入った情報だけでも、20〜30名の卒業生が亡くなっていると思われます。このHPをアクセスしてくれている方々を含め、私の知る卒業生は文字通り「氷山の一角」で1割か2割に過ぎません。ほとんどの生徒は、生死はもちろん、今どこで何をし、幸せに暮らしているのかを知る由もありません。多くの生徒を教えてきたということは、それだけ功罪も大きいと考えたりもします。緞帳を下ろす時をはっきり決めているわけではありませんが、私の性格上、最後の一人の高校生が無事志望する大学に合格したとき幕を下ろすような気がしています。
 その一環ということではないのですが、このHPも丸7年続け、アクセス数も3万回になろうとしています。そこで、そろそろお役ご免にさせてもらってもいいかなと考えています。パタッと廃刊にするということではなく、来年あたりから徐々に月1回の更新の間隔を不定期に、また掲載記事数を減らすことを許していただけたらということです。歳をとると、読解力は多少なりとも残っているのですが、文章を書くときに適切な言葉が出てこない頻度が年々多くなり、この歯痒さは痛切に感じています。
 しかし、HPのお蔭で私も楽しかった過去を思い出しました。とても懐かしかったです。OB会のHP開設によって数十名の卒業生からメールもいただきました。拙い駄文と偏った思考にお付き合いくださったことに感謝もしています。細々と更新を続けていれば、懐かしい卒業生からのmailというsurprise がこれからもあるかもしれません。また、記事を書き続けることはボケ防止の進行を抑える働きもあります。何よりも「まだしぶとく生きている」という私の生存確認と伝達の手段にもなりますから。今まで通り書きたいこと、書かなければならないこと、お知らせしたいことがある場合は更新していきます。
 私は真面目ではないですが、正直には生きてきたつもりです。これからの余生も自分らしく生きることが幸せだと考えています。還暦を過ぎた頃から、家のリフォームをしたり、不用品を整理したり、物理的な「死の旅支度」を知らず知らずのうちにしている自分を知りました。人生は塞翁が馬、喜怒哀楽の繰り返しですが、怒と哀に学び、喜と楽を求めて生きていくのが、私の人生でした。これからもそうすることが、私の人生です。死ぬまで末席のprejudice な思想家のままで生きていきたいと考えています。

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