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大震災と原発事故から半年経って

日本大震災と東電原発事故から半年経ちました。63年生きてくると、いろいろなeventsが私自身や身の回りに、そして日本や世界にありました。個人的に一番嬉しかったことはやはり大学に受かったことでしょうか。一番悲しかったこと…それは波紋を起こしますので内緒です。日本国内のこと、世界の出来事については、機会があったらいつかこの「グリーン放言」で書かせてもらいます。ただ、大学生の時のことですが、1969年のアポロ11号の月面着陸と、学生運動(全共闘)は大きなimpact を受け、その後の私の生き方に大きな影響を与えたと思っています。
 3月の東日本大震災と原発事故は確実に衝撃disaster TOP3に入ります。大津波だけなら余震や誘発地震の心配をしながらも、気持ちの切り替えのできる人から生活再建に立ち向かっていけますが、原発事故は時間の経過とともに被害は拡大し生活のメドが立つどころか、原発から半径30Km圏外でも積算被爆放射線量は増え続け、避難基準の20ミリシーベルトに近づいている地域もあります。原発事故被災地の住民はもとより、間接的に放射線の影響を受けている国民も、気持ちを立て直すどころか日々絶望感を増しています。原発の核暴走は未曾有の大迷惑な事故ということができます。
 大震災から半年経っても、未だに将来の見通しの立たない、とても悲しく胸を痛める実話を紹介します。
 福島県相馬市に松川浦という小さな漁港があります。地震直後、漁師たちは先祖からの「大地震があったら津波が襲ってくるから沖に逃げろ」という言い伝えを守り、漁師にとっては命より大切な漁船を操縦して100隻近くが次から次へと沖を目指しました。
 港を出てから10分か15分して、第一波の津波が近づいてくるのが見えました。大海での津波は波ではなく、うねりです。海底や地面とぶつかってそれは波になります。第一波の津波は10mくらいの高さでした。漁師たちはエンジンを全開にして、船首を押し寄せるうねりに直角ではなく、やや斜めにしてその波の丘を登り、頂上に達する手前でエンジンを切ります。そうしないと船は海面を離れ、空中に飛び出してしまいます。
 津波は計5回来ました。2回目の津波が一番巨大で15mありました。頂点から先は20m以上の谷になっていて、ジェットコースターの急降下のように落ちていきます。恐怖に打ち勝ち津波の危険が薄らいでくると、次第に漁師たちは陸のことが心配になり始めます。家族は無事なのか、町はどうなっているのか。しかし連絡は取れません。いつまた余震による津波があるかわからず、すぐに港に戻ることもできません。
 半日以上沖に停泊してから港に戻りしました。惨状に唖然としました。停泊する港も消えています。街は瓦礫の山になっています。適当な場所に係留し、急いで家族に会いに行きますが、亡くなっていたり、行方不明という悲しい知らせばかりです。家族を亡くし家を無くし途方に暮れていると、3日後に東電原発の水素爆発が起こり、放射性物質が四方八方に飛び散りました。
 マスコミは一斉に原発の周辺が放射線に汚染されたと報道します。陸だけでなく、汚染された空中や地表の放射性物質は雨や川の水となって海に流れます。発電所の汚染水も海へ流れ出しました。東京の金町浄水場(葛飾区)で、水道水1Kgあたり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出された頃のことです。更にきびなご、ほうれん草などから高い数値の放射線量が検出されたという報道から風評被害も始まりました。
 6ヶ月経った今でも、漁船を守った漁師たちは漁に出られずにいます。しかも漁師は漁業権のために隣県の近海での操業はできません。船さえあれば何とか生きていけると思い、必死に守った船を原発事故のために使えないでいます。大震災から今日までの漁師たちに襲いかかった幾重の不運に言葉もありません。命がけで守った漁船を見つめながら漁師たちは言います。「もう、漁には出られないのかもしれない」と。
 漁業だけでありません。自然を相手にしている農業、酪農などの第1次産業に従事している住民は、今回の原発の核暴走による環境汚染でどれほどの打撃を与えられたか計り知れません。何よりも同情するのは、将来の光を奪われてしまったことです。そしてその光がいつ彼らの生活に戻ってくるのかわからないことです。東電だけでなく、原発を国策として長いこと推し進めてきた自民党、現政権の民主党の責任、その政権を支持してきた国民の間接的責任も大きいと考えます。
 原発事故は戦争に酷似していると知りました。一部の権力者によって国策として戦争なり原発なりひとつの行動が決定されると、国民の喜ぶ大義名分だけを掲げ、国民を洗脳、コントロールし、強要する法律を制度化し、都合の悪い情報は隠蔽し、立ち止まることなく最悪の結末になるまで暴走する、それが戦争と核エネルギーです。それを阻止するのは、justiceを持ち合わせたメディアと公務員の良心、そして権力を握る政治家・行政トップへの国民の監視の目です。
 現時点では、脱原発派でも原発容認派でもありません。国民の物理的豊かさは国策としての核エネルギーのお蔭でもあります。ここまで便利さに洗脳された国民が昔のような生活に戻ることは容易ではありません。産業も電力がなければ生産が縮小し、GDPは減少し、経済はますます停滞します。国家としても怖い隣国に囲まれている中で、原発開発という名の下で核兵器の研究もできません。
 あなたは健康を損ねたいですか。家族、愛する人、故郷を失いたいですか。そう考えると、将来的に原発を無くす「縮原発」が―あまりマスコミでは使われていませんが―国民の多数意見のような気がしています。

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