西方寺由緒
成立
当寺は入逢山と号し、浄土宗西山派粟生光明寺に属する。この常盤の地は、嵯峨野の入口にあたり、
王朝時代から多くの貴族の別業が営まれたところである。 三条天皇の長子、敦明親王は後一条天皇の皇太子であった、しかし、 この頃は摂政藤原道長の全盛時代であり、道長は一条天皇の中宮、彰子(道長の長女)の
第三子敦良親王(のち後朱雀天皇)を春宮(皇太子)とするため圧力を加えた。
そのために、親王は寛仁元年(一〇一七)八月皇太子を辞し、太政天皇に準し、小一条院の名を与えられてこの地に隠棲し、後に出家した。
親王の没後、ここは寺となっていたが、鎌倉時代、法然の弟子、
宇都宮頼綱(実信房蓮生)が寺内に念仏堂を建て西方寺と称するようになった。
応仁の乱の頃、仁和寺が焼失し、寛永十一年(一六三四)再建されるまで一七〇年の間、
仁和寺の寺基が当寺などに移してあったという。 敦明親王御歌 雲居まで立昇るべき煙かと みえしに思いのほかにもあるかな 京都市 現在の西方寺に残っているお位牌、お墓を調べています。
(石碑から年代や人物が読み取れる範囲)
○のマークがお位牌あり
*のマークが付いているのは鳴瀧家の系図より(系図は小一条院より記)
※のマークはお墓あり
○小一条院前式部郷宮一品敦明親王 永承3年55歳 1048 (永承6年58歳1051)
*敦貞親王 小一条院子
*敦賢親王 小一条院子
*寛意 敦貞親王子 仁観音院御寺務・寛治6年1092年39歳大僧都
*基平 参議侍従 号御子宰相 敦賢親王子 → 鳴瀧家へ続く
*鳴瀧元祖 行賢 法眼仁和寺執事別當 妙純院行兼 久安2年 1146年
*2代 覺寛 勝元坊大貳 仁和寺執事別當 保元3年 1158年
*4代 覺乘 法眼大蔵卿 仁和寺別當 円宗寺勝光明院上座法勝寺権都維那円堂執行
*9代 行深 仁和寺執事別當 勝功徳院上座
*15代 行乘 仁和寺執事別當 仁平2年4月7日寂 1152年
*16代 覺俊 相圓坊宰相 仁安3年戌子 1168 治承4年寂 1180年
*17代 乗俊 勝運坊俊紹 仁和寺別當 文治4年1188年 承元3年寂 1209年
*18代 濟紹 良音坊法印 兵部卿 仁治3年(1242)総在廳補 建治2年寂 1276年
*19代 嚴暹 相勝坊法印 中務卿 正元元年(1259)総在廳補 弘安6年寂 1283年
*20代 濟嚴 慶順坊法眼 刑部郷 徳治元年(1306)総在廳補 徳治2年寂 1307年
宇都宮頼綱(実信房蓮生)正元元年(1259)念仏堂を建て、西方寺と称す
*21代 相還 順乗坊 法印宮内卿 貞和3年寂 1347年
*22代 教紹 西寺別當職 應安6年11月28日(1373)新院御所勅許
應永19年(1412)鳴瀧村御閑居 勝言坊教紹 応永25年寂 1418年
応仁の乱の影響で仁和寺の伽藍全焼(1467~1477)
寛永11年1634年あたりの再建まで西方寺(西寺)へ170年程、寺基がうつされる。
○後南御室一品大王 正保5年1648
*31代 慶譽 元和3年(1617)総在廳西寺別當 勝運坊法印慶譽 寛文2年寂 1662年
○當寺住僧法蓮社圓譽上人大和尚 延寶甲寅78歳 1674 ※法蓮社圓譽慈給上人
○東福門院 延宝6年 1678
○※威儀師浄譽維清法印 貞亨2年乙丑 1685 俗名 高橋氏大進
*33代 幸譽 元禄5年 1692 ※法印幸譽
※信蓮社行譽○説 元禄9年 1696
※光玄院明譽幸林法尼 宝永5年戌子 1708
○大威儀師法印一譽維純 亨保7年寅年 1722
※息菴上人 亨保12年1727
※湛慧律師 延享4年1747
*34代 幸存 延宝6年(1678)殿中得度 戒師、真乗院孝源僧正 龍哲坊幸永 延享4年85歳(1747)西方寺葬 刑部郷 ※前総在廳法印幸永
※前総在廳法印隆敬之墓 寛延元年1748
*35代 鳴瀧幸成(又幸淳) 元禄11年(1698)殿中得度 戒師、真乗院大僧正孝源 元文元年(1736)総在廳兼西寺別當 元文4年称号鳴瀧之文字如願被 ○大威儀師前西寺別當法印幸淳 寶歴3年発酉68歳 1753 龍仙坊 宮内卿 ※
○※景淳院清月寿照法尼 天明7年 1787
※隆貞大孺人 寛政6年 1794 井端氏織田総見院殿之代々子孫
*※36代鳴瀧幸俊 ○大威儀師前西寺別當法印幸秀 寛政6年甲寅53歳 1794 龍仙坊 宮内卿
※37代鳴瀧幸寛 ※法印幸寛 文政8年44歳寂 1825 西方寺葬 龍仙坊 宰相改兵部卿
*※38代鳴瀧暁暹 ○明観院法眼暁暹 天保12年27歳 1841 龍謹坊 兵部卿
○栄松院寛空寿林法尼 文久元年 1861
○當寺一代 堪空博忍上人廣圓和尚 明治元年 尾州常念寺(西山浄土宗?) 1868
*※39代鳴瀧幸昌 渓雲院龍潜幸昌居士 明治14年西方寺葬 文久二年(1862)威儀師、同年隠居 王政復古のため位記消滅
○當山壱代 清空博院上人圓浄和尚 明治16年未年 尾州常念寺明空上人徒弟 1883
○※順空辯孝上人魏山和尚 大正9年寂 1920 奈良は村田珠光のお寺の称名寺より
○※寛空源宥上人双丘和尚 昭和63年寂 1988 愛知の曼荼羅寺より
宗旨 西山浄土宗 本山 報国山 光明寺 本尊 阿弥陀如来歴史
現在