Copyright(C) 2002-2008 Bordeaux. All rights reserved.

トップへ戻る
コラムもくじへ

The latest column(最新コラム)

靴の歴史と左右の区別

靴の歴史

 最近、靴の歴史展の図録を手に入れた。昔のヨーロッパの靴の写真がいろいろと載っていてとても面白い。私は「日本は幅広の靴ばっかりでいい靴全然無い!」と文句を言っているけど、その図録に載っている靴を見たら、現代の靴はかなり恵まれていると思ってしまった。図録に載っているのは想像を絶するほど変な靴ばかりだったからだ。これらの靴と比べたら、その辺の量販店の1,980円で売っている靴の方がはるかに履き心地がいいだろう。

 まず、左右の区別が無い。それから、およそ足の形とはほど遠いような「やきいもか?」と思うような形の靴とか、滑ってしまって指を曲げずに履くのは絶対不可能なものとか、立っているだけでも困難だろうなと思うような靴ばかりだ。履けばあっという間に足が痛くなることは、誰が見ても想像できる位のレベルだ。

 靴に左右の別が出来たのは、19世紀の終わり頃でヨーロッパの靴の歴史の長さを考えるとそれほど昔ではない。また、左右の区別ができてからも、すぐに全ての問題が解決したわけではなく、やはり靴は「痛くて苦痛なもの」だったようだ。しかも西洋は日本のように家の中で靴を脱がず一日中履いている。左右がある現代の靴でさえ、合わないものは足が痛くなるのに、左右のない靴を履いて一日を過ごすなんていったいどれ程の苦痛なのだろう。当然変形は起こっただろう。でも当時は、外反母趾などの足の変形は、なんと「老化現象」だと思われていたそうだ。それだけ誰にでも当たり前に起こることで、成人して足が変形していない人など“男女問わず”1人もいなかったようだ。20世紀に登場した靴の救世主サルヴァトーレ・フェラガモ氏は解剖学を勉強し、靴作りに活かしたが、当時はそんな人はいなかったし、知識が無いとそんなものなのだろう。

 日本に靴が伝わったのは、左右の区別がされるようになったあとのことだ。その当時の靴の写真を見ると、非常に細い形をしている。「窮屈袋」とあだ名が付いたそうだ。その頃の日本人の足は、草履や下駄を履いていたし、現代の日本人よりも足幅が広かったと思われるので、そういうあだ名が付いたのだろう。でもこの頃の靴は、まだヨーロッパでも足の変形は「老化現象」と信じられ、痛くて当たり前の時代だったので、窮屈と感じたのは、ただ単に日本人の足幅が広かったせいだけではないかもしれない。おそらく、ヨーロッパ人が履いてもやはり窮屈で痛かったのではないだろうか。

 フェラガモ氏登場以前の靴は、彼の言葉を借りると「箱を履いているよう」だったようだ。つまり足に全く馴染まず、フィット感などとは程遠い足の入れ物を、「箱を履いている」と表現したのだろう。彼は解剖学を勉強し、足の変形と靴の関係を徹底的に研究し、それまでの靴とは比べものにならないくらい履き心地の良いものを作った。当初は映画の衣装としての女優や俳優達が履く靴を作っていたが、その履き心地は俳優達から絶賛された。素晴らしいものは真似されるのが常だと思うが、彼もデザインだけでなく靴の造りなど、靴業界に大きな影響を与えたであろう。また、フェラガモ氏の影響を受ける受けないに関わらず、靴の技術は進化する。だから現代のほとんどの靴は、フェラガモ氏登場以前の靴と比べると履き心地が良くなっていると考えられる。今となっては、彼の登場以前の靴を履いてみることが出来ないが、いったいどんな代物だったのか一度履いてみたいものである。おそらく19世紀後期のヨーロッパの靴よりも、現代の日本の靴の方が履き心地が良いのではないかと思われる。

 日本の靴と、ヨーロッパの靴と比べるときに、よく「靴の歴史の長さ」のことが言われるが、日本の靴の歴史は、ヨーロッパと同じルートを辿りながら、左右の無い時代を通って進化してきたわけではなく、19世紀に靴が伝わった時点からスタートしている。そう考えると靴の歴史の長さなどあまり関係無い気もしてくる。

 ところで、トウシューズを試着しているときも「箱を履いているようだ」という表現を使いたくなることがしばしばある。その大きな原因はトウシューズには未だに左右が無いことであろう。

 そもそもトウシューズにはなぜ左右がないのだろう?靴の歴史の中で「フラットシューズ」という女性用のペタンコ靴が流行った時代がある。形はトウシューズにそっくりでサテンで出来た柔らかい布の靴だ。それが女性用のバレエシューズに発展し、のちにトウシューズに発展したらしい。靴に左右の区別が無い時代の流行だ。

 でも、ルーツがそれだからといって、未だに左右が無いことを守り通す必要など無いと思うのだが・・・。トウシューズは爪先で真っ直ぐに立つものだから、左右対称に作る必要があると反論する人もいるかもしれないが、その必要は私はないと思う。トウシューズを履くのがネコかウサギなら話は別だが、人間が左右のないトウシューズに足を入れると、多かれ少なかれ誰でも足が靴に対して曲がって入ってしまうからだ。特に親指が長い人は曲がりやすい。足の中心(重心)は鼻緒を挟む部分か、第2指あたりにあるように思う。でも、左右対称の靴では、靴の中心と、足の中心が合わないので、そのままだと靴が床に対して斜めになってしまうので、結局安定が悪く倒れやすい状態になるのだ。それで倒れないように立つには、足を無理矢理靴に合わせる必要が出てきてしまう。左右対称ではない足を無理矢理左右対称の“容器”に入れたら、足は容器に合わせて変形するしかないのだ・・・。でも、左右の区別のあるトウシューズなら、無理をしなくても足の重心と靴の中心が合うので、変形させずに済むであろう。左右のあるトウシューズは一部のメーカーでは出している。そろそろそれが当たり前になってもいいような気がするのだが・・・。

'07/12/23


せっかくサテンなのに・・・

 トウシューズの表面はサテンで出来ていて、ツヤツヤとしていてとてもきれいだ。サテンで出来ているのは、昔のヨーロッパ貴族のサテンのパンプスがルーツのようだ。それなのにドーランなどの粉を塗って光らなくしてしまう人がいる。私がバレエを始めた頃、光らないトウシューズは綿で出来ていると思っていた。練習用にそういうのもあるのかな〜?と。でもそのうち粉を塗っているということが判明。

 ある日、光らないトウシューズを履いている高校生の子に「なんで粉塗ってるの?」と聞いてみた。そしたら「色が嫌だから。みんなあの色が嫌だから粉塗っちゃうんだよね。」と言っていた。なるほど。その頃はまだ外国製トウシューズは生徒達には普及しておらず、みんな国産品を履いていた。特に某メーカーの色は不評で粉を塗られていたようだ。

 でも、それから何年も経って、上級の生徒達の大半がフリードやブロックなどヨーロピアンピンクのトウシューズを履くようになった。でも、発表会になるとなぜか中高生は粉を塗ってしまう子が多かった。なのでまた高校生に聞いてみた。そしたら、「光ってると下手に見える。」という意外な答えが返ってきた。教室の傾向としては、小さい子はそのまま履いていて、大きい子ほど粉を塗っている。だから光ったまま履いているのは子供っぽいと感じるのだろう。

 プロのバレエ団でも、バレエ団の方針なのか全員粉を塗っているところもある。その理由を「タイツとつながって見えて足が長くきれいに見える。汚れも目立たない。」と言っているのを聞いた。

 う〜ん、でも私は、光っている方が華やかできれいに見えると思うんだけど・・・。汚れも光っている方が目立たないような気がする。まあ、好みの問題なんだろうけど、せっかくきれいなサテンで出来ているのに、わざわざ光らなくさせてしまうなんてもったいない!

'07/06/03

このページのトップへ


トップへ戻る コラムもくじへ このページのトップへ