胸に刺さった小さな棘 - 4 -
怖いくらいに協力的になった魔法使いに、ソフィーは内心驚いていた。
一体これはどうしたというの?
ほんの少し、レティーやマーサの洋服や小物を作っている時にですら「この世の終わりだ!」と嘆いては、ソフィーが自分に向き合う時間が少ないと抗議するのだ。
今回はもっと盛大に・・・ねばねばを覚悟していたのに。
ところが、ハウルは雨の降る荒地へ出向き、ピンクの花ばかり仕入れてきたかと思うと、文句も言わずにバスルームへ行き、次に出てきたときにはすっかり花を摘みに行く前の姿に戻っていた。
「珍しいわね、あんたが雨に濡れて寒いって大騒ぎしないなんて」
ソフィーがフライパン片手にそう言うと、ハウルは黙って肩を竦め椅子に座った。
なんだか気持ち悪いわね。
ソフィーは無言でカルシファーに目配せをした。
火の悪魔はソフィーが最後に焼いた目玉焼きを、大きな口を開けて待っていたので、特に何も返さなかった。
マイケルが焼き上がった目玉焼きを載せた皿をテーブルに並べ、ハウルの隣に腰掛けた。ハウルは何か物思いに耽りながら、頬杖をついてソフィーを眺めていた。
ソフィーが紅茶を注ぎ、ハウルの前にカップを置くとぱあっと笑顔になる。
「それじゃあ食べるとしよう!」
ハウルは急に大きな声をあげて朗らかに言った。
「昨晩は何だか食べた気がしなかったんだ」
ハウルはソフィーが椅子に座るのを待って、カップに口をつけた。
温かな液体が体の中に流れ込んでいくと、そんな素振りをソフィーには見せなかったが、臆病に震えていたハウルの心も幾分温かくなった気がした。
「・・・それは、怒ってるの?」
手にしたフォークをそっとテーブルに戻し、ソフィーは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「そんなんじゃないさ」
ハウルは笑顔でパンを頬張る。
そんなんじゃないよ。ただ、口に入るものが美味しいと感じないだけ。・・・・あんたが居ないと。
心の中でそう続けたが、声に出しては告げなかった。
「それならいいけど・・・」
ソフィーは心の中で用意していた言葉を言い出せず、紅茶と一緒に飲み込む。
昨日はごめんなさい。そして、手伝ってくれてありがとう。
飲み込んでしまうと、もう二度と口に出来ないような気がしてソフィーはずんと暗い気持ちになった。
「・・・で?」
突然の問いかけに、ソフィーは慌てて顔をあげて、ハウルの余所行きの笑顔に見据えられて首を傾げた。
「どこまで終わったの?」
一瞬、何を聞かれているのかわからないほど、ソフィーの思考回路は睡眠不足で鈍くなっていた。
それは、自らに「眠くなんてないわ」と言い聞かせた、ソフィー自身が気がつかない程度の軽い呪いがそうさせたことであったが、ハウルは一瞬眉を顰めた。
「あ、ああ。帽子ね?ええと、木型で型どりしたものがまだ残っていたのよ。本当によかったわ。流石にそこからとなると、あたしでも作れないと思うもの。でも3つほど冬用のフェルト生地の帽子を作るの。それはちょっと時間がかかるわね。ロウで細工を作るのは・・・ちょっと無理だから、絹で花を細工してるのよ。」
だからまだ一つも出来上がってないのよ。本当に、下準備だけね。
そう言って、ソフィーははっとしたようにハウルを見上げた。
「・・・こんな話、わからないでしょう?それにつまらないわね。あたしだってずっと帽子を作っていた時は・・・」
寂しくて、つまらなくて、帽子相手に話をしていたんだもの。
最後まで紡がれなかった言葉に、ハウルはますます眉を顰めて足を組みかえる。
「わからないけど、興味はあるよ。ソフィーの仕事だからね。それで?帽子を作っていた時は?」
次の言葉を促すハウルの視線に、ソフィーは居心地の悪さを感じて立ち上がると、ほとんど口をつけていないパンと目玉焼きの載った皿を手にして暖炉へ向かった。
「帽子を作っていた時は、退屈だった、って言いたかったのよ。」
「ソフィー、もう食べないの?」
カルシファーに全て食べさせるソフィーに、ハウルは思わず立ち上がる。
「・・・ちょっと食欲がないのよ。」
「ソフィー!」
抗議の声に体を強張らせると、ソフィーは笑顔を作って振り向いた。
「何よ?あんたが食べ終わるまでちゃんとここに居るわよ?」
ちくちくと胸に刺さる痛みが強くなる。
あんたが悲しそうに見つめるから・・・。
胸の痛みを再び無視して、ソフィーはマイケルに話しかけた。
「今日は雑貨屋の奥さんが花を買いにくるわ。旦那さんの誕生日なのよ。」
「わかりました、あ、でもピンクの花ばかりじゃ・・・」
先程師匠がピンクの花ばかり摘んできたのを思い出し、マイケルはパンをちぎる手を止めてソフィーを見つめた。
ソフィーは肩を竦め、苦笑すると「大丈夫よ」と呟く。
「あのご夫婦はピンクが好きだわ。同じピンクでも濃淡があるから・・・それでうまくアレンジしてちょうだい」
「はい、わかりました。」
マイケルは笑顔で請合うと、パンを口に放り込んだ。
「・・・ごちそうさま」
がたんと椅子を引いて立ち上がり、ハウルは食器を持ち上げる。
「ああ、いいわ!それくらい、あたしがやるから・・・!」
慌てたようにソフィーが立ち上がり、ハウルから皿を奪った。
「・・・」
「・・・?何?」
「なんでもない。」
くるりと背を向けて、ハウルは花屋のエプロンを身につけると髪を一つに結わえて歩き出した。
その後姿が、いつものひらひらきらきらした姿よりずっと素敵に思えた。
きっと、今日はご婦人方でいっぱいになるわ・・・。
思わず見惚れる自分に気づき、ソフィーは苦笑する。
人のコト言えないわね、ご婦人に囲まれるハウルが憎らしく思うなんて・・・。
「あ、待ってください!僕も行きます!」
皿に残っていた目玉焼きを口の中に押し込んで、マイケルは慌てて立ち上がった。
「それじゃあ、ソフィーさん帽子作り頑張ってくださいね」
「ありがとう、お店お願いね?」
「はい、ハウルさんに言い寄るご婦人をブロックしますからね!」
悪戯な笑顔でマイケルは告げると、ソフィーは真っ赤になった。
そんなにわかり易い顔してたのかしら?
口ごもるソフィーに真っ白な歯を見せて、「いってきます!」とエプロンを身につけてマイケルも花屋へ向かった。
取り残されたソフィーは、ぱちぱちと薪を爆ぜるカルシファーを見つめた。
「・・・あたし、そんな顔してた?」
「ハウルの馬鹿が見たら、抱きついて離さなかっただろうな」
けけけ、と悪魔は笑った。
心の中が、少し明るくなる。
何故なのかわからないけど、カルシファーの言葉にソフィーは心からほっとしていた。
テーブルの上の食器を集め流し台に運び、ソフィーは腕まくりをした。
「カルシファー、今日はどこかに出かけるの?」
水を張った桶に食器を浸しながら、あかがね色の髪のすぐ近くで漂う火の悪魔に尋ねる。
「雨もあがったようよ?」
ソフィーが満面の笑顔で振り向くと、すぐ近くまで来て水を扱う手元を興味深そうに覗き込んでいたカルシファーは、炎が髪に触れそうになり、不意をつかれて慌てて離れる。
「急に振り向くなよ!あんたの髪、燃やしちゃうとこだった!」
そんなことしたら、ハウルに何されるかわかったもんじゃないよ!
カルシファーは舌打ちすると高く舞い上がり、ソフィーを見下ろして悲鳴をあげた。
「少しくらい焦がしたって、気にならないわよ。」
あんた大袈裟なのよ
ソフィーはくすくすと笑うと、視線を食器へと戻す。
「あたしなんて、いっつも掃除と仕事で身なりなんて二の次だもの。ハウルのように、鏡に向かう時間はないんだから。」
「・・・あんたもうちょっと自分の価値を知ったほうがいいんじゃないか?」
溜め息混じりに呟くと、ぽっと炎を吐いて天井でくるりと回る。
「おいら今日は出かけないよ。こう湿ってちゃ、いくら晴れたからって気持ちよく飛べないからな。花屋にでも遊びに行くよ。あんたは帽子作ってしまうんだね。」
何か聞きたそうなソフィーに背を向けて、カルシファーも花屋へ向かった。
「・・・あたしの価値・・・?」
頭の中に掃除婦という言葉しか思い浮かばず、ソフィーは苦笑した。
「あたしに、価値なんてないわ・・・。」
小さな頃から、いい子でなければ・・・価値がなかった。
あたしは・・・長女だから。
頭の中で声が響いていた。
ソフィー、お前はいい子だから。
聞き分けの良い、本当にいい子だから。
継母さんのことを助けてあげるんだよ。
ちゃんと言うこと聞いて、困らせたらいけないよ。
「・・・いい子で居なくちゃ・・・お父さんに・・・嫌われちゃう・・・」
急に襲った恐怖に手が震えた。
早く、早く仕上げてしまわなくちゃ。
ソフィーは洗い終わった食器を棚に戻すと、寝室に駆け込んだ。
5へ続く