胸に刺さった小さな棘 - 5 -
初めて帽子を作ったとき、父さんがとても喜んでくれた。
何度も指に針を刺して、痛くて涙が込み上げたけど、ぐっと堪えて最後まで仕上げた。
レティーも同じように教わっていたけど、途中で止めてしまった。
楽しいというより、父さんが喜ぶことがしたかった。
きっと、父さんが・・・私に跡を継がせたいんじゃないかって・・・そう思ったから。
私は、長女。
そして、何より父さんが喜んでくれる。
━━ねえ、父さん、喜んでくれる?
指先がジンジンと痺れていた。長いこと針を握り締めている所為かもしれない。
もう止めてしまうか・・・そんな風に思うこともあったのに、結局ソフィーは帽子を投げ出すことができなかった。
見えない力が指先に呪いをかけたかのように、白く血が通わなくなっている指先を動かし続けた。
時折訪れる、空白の時間が意識が遠のいていたことを知らせている。
ソフィーは強く頭を振って、また指先に集中する。
そして、また幼い頃の自分に戻っていく。
父さんの優しい手。
思春期の頃、新しく母さんになったファニーのこと。
「母さんの言うことをしっかり聞くんだよ。」
━━父さん、あたし、ちゃんとお話聞けてるよ?いい子だねって言ってくれる?ちゃんとファニーの言うことを聞いてるよ。
小さな子どもに戻って、ただ父親が頭を撫でるのを待つソフィーの胸をまたちくんと刺した。
本当は・・・・・・・もっと・・・・・・・大切なことがあるはず・・・・・・・?
『なんでそんなに抱え込むの!?』
胸の痛みが増していく。
『あんたが一人で抱え込む必要ないじゃないか!』
指を動かす小さな少女は、花開くように大人の女になっていく。
『あんたはもうぼくの奥さんになったんだ!』
涙が零れて視界が曇った。
『これ以上奴隷働きする必要はないだろう!?』
ぐいっと涙を拭いて、ソフィーは帽子を見つめた。
「これは・・・奴隷働きなんかじゃないわ・・・」
あの日のハウルの顔が浮かんだ。苦しそうな寂しそうな・・・・ハウルの顔。
奴隷働きなんかじゃない・・・。
あたしはただ・・・・。
あたしの居場所を確保したいだけ・・・。
3日目の朝、重苦しい空気が流れる城の扉を陽気に叩く音が響き、暖炉の前のソファーで窮屈そうに眠っていたハウルはのろのろとカルシファーを見た。
「誰・・・・?」
「来たぞ、おいらが苦手なヤツだ・・・!」
「ファニーか・・・」
やれやれと重い足取りで近づき、ハウルはぼさぼさの髪に人差し指を向け、面倒くさそうに一振りする。
寝癖は撫で付けられたように大人しくすとんと肩に落ちた。
普段は営業用の笑顔でも張り付かせるハウルであったが、笑顔は強張り、いつもにまして存外な態度で扉を開けた。
「ソフィー!もうできてるかしらっ!?」
扉を開けた途端響いた声は、思わずハウルの肩をがっくりと落とすほど能天気で、しかし、逆にその能天気な声は、魔法使いの頭をクリアにしてようやく営業スマイルを浮かべた。
「おはようございます。サーシェヴェラル・スミス夫人。」
厭味をこめて言ったつもりであったが、ファニー本人はまったく意に介さず「おはよう、ハウル」と気分よさそうに城の中へと入ってきた。
「ソフィーはどこ?ええ、わかってるわ、あの子は一度やると決めたらちゃんとやる子だもの!きっと素敵な帽子が出来上がってるのでしょうね」
そわそわと居間を見回しながら、レースのハンカチを右手に持ち、ひらひらと揺らした。
「ソフィーは寝る間を惜しんで帽子を作ってますよ。」
実際に3日3晩寝ていない様子だけどね!
心の中で毒づきながら、ハウルは椅子を引くとファニーをエスコートして座らせた。
この義母が嫌いではなかったが、やはりどちらかというと苦手であった。
彼女もまた、彼の姉同様、自分の事をどこか批判的に見ているからだろうか?
いや、自分自身がそう見ているからだろう。
ハウルは再び指を鳴らしてお茶を出した。
「どうぞ、マダム」
「本当に便利ねえ。ありがとう、ハウル。」
ファニーは紅茶の香りを楽しむかのように、カップを鼻先で揺らした。
ソフィーの前ではけして使わない。
生活に関する魔法は、極力使っていない。
そんな必要はないから。ソフィーが甲斐甲斐しく、相手の気持ちを考えながらお茶を淹れてくれるのだから、魔法なんて必要ないのだ。
「それで、あとどれくらいで出来上がるかしら?」
「どうでしょうね?今、ぼくが見てきますから、しばらくお待ちください。━━マイケル!」
花屋の店先で開店の準備をしていたマイケルに声をかけると、ハウルは暖炉に向かってなだめるような視線を送る。
火の悪魔はふてくされたように、薪の下に潜り込んでいた。
「はーい、なんでしょうか?ハウルさん」
ばたばたと靴音を響かせてマイケルが顔を出すと、ハウルはまたにっこりと笑ってマイケルを見つめ、優雅に立ち上がった。
「ソフィーを見てくるから、サーシェヴェラル・スミス夫人のお相手を願うよ。君の未来のお義母様になるんだろう?」
背筋に冷たいものが走るのを感じながら、マイケルは紅茶を口に含むファニーの前に立った。
「ご機嫌麗しく・・・・」
「おはよう、マイケル。」
少しばかり厳しさの混じった声でファニーが答える。
泣きそうになりながら脇を通り抜ける師匠に少年が視線を向けると、苦笑しながら肩をぽんと叩いた。
「ソフィーを呼んでくるよ。」
「・・・はい」
観念したようにうな垂れると、マイケルはファニーの向かい側に座った。
今日も【清い男女交際】について、語られるのだろう。そう思うと、マイケルは体中から力が抜けて行く気がした。
寝室の扉には、もう呪いは掛けられていなかったけど、ハウルは静かにドアをノックした。
「ソフィー?」
声が震えていたが、ハウルは気づかないフリをした。
これからソフィーが自らにどんな呪いをかける気なのか、それを思うと心が悲鳴をあげそうだった。
そんなソフィーは、ソフィーじゃない。
「・・・ハウル?」
静かにドアが開けられて、ソフィーがゆっくりと顔を出す。
寝不足で、酷い顔。
きっとフラフラだろうに。
それでも、ドアを開けて真っ直ぐに立とうとするソフィーに、ハウルは微苦笑した。
「・・・ファニーが来てるよ。終わったかい?」
ソフィーは同じように苦笑して、小さく頷いた。
「今、最後の帽子にリボンをかけたとこよ。持って行くのを手伝ってくれる?」
「もちろんさ」
ハウルはソフィーを抱き上げて、ベットに放り込みたい気持ちを抑えて室内に入った。
一つ一つ丁寧に箱詰めされた帽子からは、祝福されるかのように淡い光りが満ち溢れていた。
しかし、室内の隅には闇の精霊が蠢いている。
予想した光景とはいえ、ハウルはソフィーの横顔を見て苦しくなってあちらの言葉で小さく罵った。
「なに?」
聞き取れなかったソフィーが、帽子の箱を3つ抱えて立ち上がった。
「あんたの腕が確かだから、また帽子を作って欲しいなんて言われやしないか、心配だって言ったんだ。」
その三つも全て自分の方へ引寄せて、ハウルは10個の包みを器用に持ち上げた。
「もう・・・頼まれたりしないでしょう・・・?」
「そうだといいんだけど。」
そう言って、ハウル静かにソフィーの頭にキスを落とした。
「お疲れ様、あんたはよくやったよ。」
「・・・う、ん。」
素直に頷いて、しかしソフィーは恥ずかしくなって俯いた。
それでも、ソフィーは何故か胸でちくちくしていたものが、急に軽くなった気がした。
大きな手で頭を撫でられたわけではなかったけど、優しく落とされたキスはもっと胸の中で温かく広がった。
不思議な感覚だった。
求めていた?
この温もりを・・・?
「ソフィー?やっぱりあんた、このままここで寝ていたほうがよさそうだ」
覗き込まれて、ソフィーははっとしてハウルを見上げた。
碧眼が不安そうに揺れている。
この人が・・・本当は寂しがりだって、ちゃんと知ってるはずだったのに。
しばらく放っていたから、きっと凄く寂しかったのだろう。
いつもの日常を思い出して、ソフィーはここ数日、胸につかえていた重たい鉛のようなものが、すっと軽くなっていくのを感じる。
「大丈夫よ。それより早く届けましょう。」
だから、笑顔でハウルの背中を押した。
6へ続く