守るべきもの ― 4 ―





ここ数日、キングズベリーの王宮には、不可解な現象が報告されるようになった。
見たことのない物体が駆け抜けていっただとか、とんぼのような形の鉄の固まりが空を浮かんでいただとか、王宮よりも高い灰色の箱が見えただとか、暗闇で目が瞑れてしまいそうなほど光り輝く瞳が遥か頭上にあっただとか。
それらはまるで霧に映し出された幻影のようで、実際駆け抜ける物体にぶつかった者の話では、痛みも質感もなく、まるで体をすり抜けるようだったという。
王室には、そんな怪異現象の報告書が山積みになっていた。
しかし、王室付き魔法使いの一人はここ数日職務を放棄して、なんでも夫婦喧嘩の末出て行った奥方を探しているのだとか。

「ベン、ハウルの奥方は見つかったのか!?」
書類に埋もれるように執務室の机に向かっていたサリマンに、懐かしい友が声をかけた。
「殿下・・・」
ストランジアの統治に出向いているジャスティンは、母国で起きている怪異現象の噂を聞きつけて、こうして王都に出向いてきたのだろう。
「また、お前寝てないだろう?」
書類の山を手で押しのけて、ソファーを空にすると長い足を投げ出して座る。
かしこまった態度で立ち上がろうとすると、片手で制止されサリマンは肩の力を抜いてジャスティンを見つめた。
急いで駆けつけたのだろう。
さすがに呼吸は整えられていたが髪は乱れて、うっすらと額に汗を滲ませていた。
「すまないな。おかしな噂が流れては、順調に進んできたストランジアの統治にも悪影響だな。」
サリマンは大きく溜め息をつくと、目を瞑る。
あのジンの騒動以来、王女を捕らわれていた国々を中心に、インガリーも武力以外の外交を続けてきた。
それはそれは、平和的に。
しかし、このような怪異現象は国に混乱を呼ぶ。
そして、その混乱に乗じて、よからぬ事を考える輩だって現れるだろう。
統治下であれば、尚のこと。
「どうだ、おちびちゃんは元気か?そろそろ歩き出す頃か?」
ヴァレリアは歩き出すの早かったんだ。
ジャスティンは目を細め、今では王女らしくなった姪姫の赤ん坊時代を思い出して微笑む。
突然の話題の変化に、一瞬言葉を忘れる。
「あぁ、いや・・・まだハイハイがやっとできるようになったとこだ。」
サリマンが驚いたようにジャスティンを見つめる。その顔を見て、ジャスティンはほっとしたようにソファーに深々と沈み込む。
「よかった。娘の話ができるくらいには冷静なようだ。」
「?」
「兄上が心配されてたぞ?ハウルの奥方のことと、今回のことは何か関係があるのではないかってね。まあ、前のジンの時も、あの夫妻の失踪が絡んでいたからなあ。」
あの時は俺も失踪したけどな。
そう呟いて天井を仰ぎ見る。サリマンはそんなジャスティンに苦笑する。
「本当だな。」
「で、今回の事とハウルの奥方の失踪は関係あるのか?」
・・・ああ。
それは心の中で呟いた一言。
まだ本当のことは言えない。この現象は、向こう側とこちら側が微妙にリンクしているのだ。
それは、多分ハウルが2人存在する歪み。
もしくはハウエルの魔力の暴走が原因なのか・・・。
ひしひしと感じる強大な力。それなのに、この力の源を突き止められないでいる。
イライラする自らに、ハウルは自分よりももっとイラついていると言い聞かせ、せめて、私くらいは冷静でいよう、と深呼吸する。
どちらにしても、このままではこの世界は崩壊するのではないだろうか?

サリマンは頭を振って否定する。

それは、そんなことは食い止めなければいけない。

「サリマン?」
「・・・まだわからない。しかし、今起きていることは、私の前居た世界への扉が、大きく開いている・・・それは、間違いないだろう。」
まともな答えになっていないことは自覚していたのだが、それでもジャスティンは立ち上がって、サリマンの肩を叩くと
「お前も倒れるなよ?」
と真剣な表情で耳打ちし、「落ち着いたらまた3人で飲もう!」それだけ言って部屋をあとにした。

どこに居るのだろう?
ハウルはあれからも寝食を忘れてソフィーを探している。こんな時に頼りになるのは、彼の一番弟子で。
モーガンの面倒も「いつものことですよ!」と気丈に世話してくれている。
レティーが心配しないようにと、このことは伏せて切り盛りをしてくれているのだ。
妻に隠し事を・・・実の姉が行方知れずということを知らずにいるレティーの笑顔は痛かったのだが。
カルシファーもモーガンが眠る夜中にふらりと出かけては、星たちにソフィーと黒づくめの少年を見なかったかと聞いてまわっているようだった。
仕事に出向く前に様子を見に城へ行くと、心なし炎を小さくして帰ってくるのだ。
ハウルは、一日中、国中を探し回り、かと思えば城の中で捜索魔法を駆使している。
あんなに見た目を気にする男が、髪はぼさぼさ、無精ひげを気にもせず、頭を掻きむしっては向こうの言葉で毒づく。
無理な魔力の使い方で時折気を失うかのように倒れ、眠りの底に沈んでは悪夢で目を覚ます。
ハウルはあのアンゴリアンと戦った時よりも憔悴している。
無理もない。あの時は守らなければいけない存在が、手元にいたのだから。
どんなことをしても守りたい、と自らを奮い立たせるように。
逃げ出さしたりせず、自分が守るのだと。
・・・今はその大切な存在の行方すら・・・わからないのだ。

「・・・魔力の暴走。」

ハウエルは大丈夫なのだかろうか。

サリマンは思わず自分もつられてあちらの言葉で毒づくと、椅子から立ち上がる。
「嫌な予感がする・・・」
先読みも通じない未来は・・・暗く淀む。
まだまだ、明るい未来を見ていたい。娘の為にも。
じっとしていることができずに、サリマンは足早に執務室を飛び出すと、ハウルの城に向かって駆け出した。


「ハウルさんっ!ハウルさんっ!」
ぽたっと頬に冷たいものが落ちてきて、ハウルはゆっくりと目を開けた。視界がぼやける。
「おい、大丈夫か!?」
火と水・・・?
ぼんやりと零れ落ちる雫と、青い炎。
ハウルを覚醒させたのは、胸を叩く柔らかな感触だった。
それは、心臓を取り戻した時に感じた重みに似ていて、はっとして目を開ける。
「ソフィー!」
ぎゅっと抱きつき、しかしその感触が小さな事に、嬉しさと絶望で涙が零れた。
「・・・モーガン・・・」
ソフィーの温もりの残る唯一の存在は、ハウルの上で馬乗りになりながらにこにこと胸を叩いていた。
ようやくはっきりとする視界には、泣きじゃくるマイケルと心配そうなカルシファーがいて、ソフィーが居なくなって僕等泣き虫になったよね、とハウルは苦笑する。
確かに、もう何度もこうして心配そうに見下ろすマイケルとカルシファーを見たのだろう。反対に、こんな風に倒れるハウルを何度も見ているマイケルとカルシファーは毎日気が気がじゃなかった。
「今日のは、酷かったぞ!あんたどこもなんともないのかよ!?」
ハウルはゆっくりとモーガンを抱き上げて、半身を起こす。
「胸を突然押さえて、凄く苦しそうでしたよ!」
マイケルはぐいっと涙を袖で拭うと、ハウルに掴みかかりそうな勢いで声をあげる。
確かに、とハウルは胸を押さえる。
一瞬、どくんと心臓が跳ね、そのまま息を吸えなくなった。
真っ白になる世界がハウルを襲ったのだ。
「・・・ん・・・大丈夫みたい・・・。心配かけてすまないね、マイケル。」
くしゃっと頭を撫でて、そうして頭の中の記憶の中で、急にクリアになったものがあることに驚く。
「・・・なんてことだ・・・」
「ハウル?」
「ハウルさん!?」
愕然とするその記憶に、ハウルはモーガンを抱きしめたまま立ち上がる。
「僕が・・・ソフィーを探しに過去へ行ったから・・・ぼくは・・・ハウエルはこちら側に来てしまっ・・・た?」
「どういうことですか?」
マイケルが訊ねると、ハウルは蒼白な顔を左手で隠す。しかし、その指の間から見える碧眼は大きく見開かれ、手は小刻みに震えている。
「ハウルさん・・・・・?」
「僕が扉を開けた。過去のぼくを・・・ここへ誘うように。」
失われていた記憶。

ママ!パパ!ぼく、インガリーっていう国に居る「魔法使いハウル」に頼んでくるよ。ママとパパを帰してくださいって。

絶望に打ちひしがれていたぼくを・・・優しく抱きしめたのは・・・紛れもない僕自身。
金髪の悲しげな碧の瞳を持つ・・・。そう、あれはソフィーを探しに行った僕だ。

突然降りだした雨の向こうから声がする。
その声は、厳しい声だったのにとても温かで。
『ハウル!ハウル!あんたいつまで寝てるつもりなの!?』
「ハウルだって!今の人ハウルって言った!」
どうか、お願いです。ぼくをハウルに会わせてください!
その願いは強い魔力を持って。
静かにその禁断の扉を開けたんだ。

「そう、僕は・・・ハウルを探して、あちこち訊ねて回って、ようやくここに辿り着いたんだ。」
流れ込む記憶。それは優しい封印・・・。
禁忌を犯したぼくを守ろうとする、誰より愛しい女性の魔法。

彷徨って、願って、噂を辿って、祈りを捧げて。
純粋な願いは魔力となり増幅され、時間も空間も次元さえも狂わせる。
いつしか、ハウルを探すことだけに捕らわれて、ただ歩き回って。
そうして、花の溢れる店先で微笑むソフィーを見つけた。雨の中で聞いた優しい温かなその声。
「いらっしゃいませ。どんなお花を探しているの?」
にっこりと微笑むその女性に、ぼくは糸が切れたように店先で泣きじゃくったんだ。
ふわりと、ぼくは包まれた。
「・・・どうしたの?悲しいことがあったの?・・・・こんな小さいのに・・・いいのよ。泣きたい時は泣いていいのよ?」

「ハウルさん!」
マイケルの声にハウルは目を開けたまま微動だにせず、ただ涙が伝うのを感じていた。
その辛かったはずの少年時代の記憶に・・・そっと包み込んだ・・・愛しい妻の姿を見つけて。
幼いぼくまで守る、愛しいひとを。
「ソフィー・・・」







       5へ続く