第6章 オトタチバナヒメ

それからヤマトタケルはさらに東を目指して進んで行きました。走水海(はしりみずのうみ=現在の神奈川県三浦半島と千葉県房総半島との間の水道)を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こしたため、船はくるくると回転してしまい、一向に前に進むことが出来ませんでした。すると、この船に一緒に乗っていたヤマトタケルの妻の一人のオトタチバナヒメが立ち上がっていいました。
「わたしが、この乱暴な海の神を鎮めるために、あなたのかわりに海に入りしましょう。あなたは、天皇から命じられた任務を立派に果たして、ご報告申し上げなければなりません。」
 そうして、オトタチバナヒメは、海の波の上に菅(すげ)で作ったござを八枚、皮で作ったござを八枚、絹で作ったござを八枚敷いて、その上にお降りになって、次のような歌をお詠みになりました。

 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

これも、あの相模の国の野で燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛するあなたのためですもの。

そして、オトタチバナヒメは、海に身を投げたのでした。すると、荒波はおさまり静かになって、船は無事に海を渡ることができました。
 それから七日後、海岸にオトタチバナヒメが身につけていた櫛(くし)が流れ着きました。ヤマトタケルの目から、愛する妻を失った悲しみの涙があふれ出しました。そこで、オトタチバナヒメのお墓を作り、その中に櫛を納められました。
 
 ヤマトタケルは、さらに東へ行って、乱暴なエミシたちをことごとく倒し、山や川の悪い神々もすべて従えました。そして、西へ引き返す途中の足柄(神奈川県足柄町)の坂の麓(ふもと)で、乾飯(かれいい=乾れ飯。携帯の食糧)を食べていたところ、その坂の神が白い鹿に変身して下りて来て、ヤマトタケルの前に近づいてきました。ヤマトタケルは、鹿が近づくのを待って、すばやく食べ残したネギ(ノビル)を投げつけると、それが目にあたって、鹿は死んでしまいました。そして、坂の上に登り、今来た東の方角を見て、三たび亡くなったオトタチバナヒメのことを思い出され、何度も嘆きながら、こう言いました。
「ああ、我が妻よ。」
 だから、この東の国々のことを「あづま(吾妻)」というようになったのです。

 ヤマトタケルは、相模の国を出て甲斐(かい)の国(現在の山梨県。甲州)へ入られました。して酒折(さかおり=現在の山梨県酒折町)の神社に行かれた時に、次のように歌を詠まれました。

新治(にいはり) 筑波(つくば)を過ぎて 幾夜か寝つる

常陸の国(現在の茨城県)の筑波を過ぎてから、これまで幾晩寝たのだろうか。

 すると、神社の境内でかがり火をたいていた老人が、その後に続けてこう歌いました。

かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を

夜は九夜、昼は十日の日数をお重ねになっております。

 ヤマトタケルは、その老人を誉めて、吾妻の国造に任ぜられました。

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