第2章 クマソタケルの征伐(ヤマトタケルの名の由来)

天皇の命令で、オウスノミコトは、クマソ(=現在の熊本県と鹿児島県の辺りの地域)へ出発することになりました。その時は、オウスノミコトはまだ15歳のあどけなさが残る色白の美少年でありました。髪の毛もその当時の子どもがするように額のあたりで結んでおりました。そして、伊勢神宮に仕えていた叔母のヤマトヒメの着物を借り、刀を懐に隠して出発しました。

 ようやくクマソへ到着すると、さっそくクマソタケルの家を探しました。遠くからその場所を覗いてみたところ、兵隊たちが何重にもその家を囲んで警備をしていました。どうやら、家を新しく建てている様子です。
「なるほど、もうすぐ家の新築のお祝いの宴会があるに違いない。その日を襲おう。」とオウスノミコトは考えました。
 しばらくして、家が完成した様子で、人々は、宴会の準備をしましょうと言って、忙しそうに騒いで、ご馳走の準備をしておりました。オウスノミコトは、宴会の日まであたりをブラブラしながら待っておりました。
 いよいよ宴会の日がやってきました。オウスノミコトは、結んでいた髪をほどいて女の子のように下に垂らして、叔母さんから借りた着物を着て、女の子に変装しました。もともと、色白で美しい顔立ちをしていましたので、これではだれも男とは気づきません。宴会に招待された女性たちの間にまぎれ、まんまとクマソタケルの家に侵入したのでした。
 クマソタケルの兄弟は、大勢の女たちや手下の者に囲まれて、上機嫌で酒を飲んでいました。すると、見かけない美しい娘に気づき、
「おお、あの娘は、たいへん美しいではないか。さあ、こっちへ来て酒のお伴をしなさい。」と言いました。
 クマソタケル兄弟は、このような美しい娘は、この辺では見かけないと不思議に思いながらも、その娘を間に挟み、飲めや歌への大騒ぎを続けました。宴会が最高潮に達した頃、娘に化けたオウスノミコトは、おもむろに懐から短刀を抜き、兄のクマソタケルの襟を掴みながら、その胸へ突き刺しました。刀は、貫通して背中まで突き出しました。あまりにも一瞬の出来事に兄のタケルは何が起きたかわからないうちに死んでしまったのでした。
 キャーという悲鳴とともに、宴会に出席していた家来や女たちはあわてふためきながら、一斉に逃げ出しました。弟のタケルも驚いて逃げ出しましたが、オウスノミコトは、これを階段まで追いかけました。そして、背中の皮をぐっと掴むと、尻から刀を突き刺したのです。すると、弟のタケルが言いました。
「どうか、その刀を抜かないでください。わたしは、あなたに言いたいことがあります。」
「よし、話せ。」
 オウスノミコトは、弟のタケルをしばらく、押し伏せておきました。
「あなたは、どなた様ですか。」
「われは、ヤマトの国(纏向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮(現在の奈良県桜井市あたりにあった皇居))で天下を治められている景行天皇の皇子で、名前は、ヤマトオグナというものだ。わが父の天皇が、お前たちクマソタケルは、ヤマトの国に従わない無礼者であるから殺してこいとご命令になったので、やってきたのだ。」
「なるほど、きっとあなたのいうとおりでしょう。西の国には、わたしたち以上に強いものは、おりません。しかし、ヤマトの国には、わたしたち以上に強い方がいることが今わかりました。だから、わたしたちの名をあなた様に差し上げましょう。あなたは、今日からヤマトタケルと名乗られるがよいでしょう。」
 こう言い終わったので、ヤマトタケルは、弟のクマソタケルの体を熟した瓜(うり)のように、刀で切り刻んでしまいました。
 このようなことから、オウスノミコトは、ヤマトタケルと呼ばれるようになったのです。さらに、ヤマトタケルは、大和の国へ帰る途中、西の国の山の神、川の神、海峡の神をもみな従わせたのでした。

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