◆ ◇ 登 場 人 物 ◇ ◆
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景行天皇(けいこうてんのう=ヤマトタケルのお父さん)在位は、西暦 71年〜130年(皇統譜による)
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倭建命 又は、日本武尊 =やまとたけるのみこと、この物語の主人公 です。子どもの頃の名は、オウスノミコト(小碓命)又はヤマトオグナ ノミコト(倭男具那王)といいます。
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大碓命 = ヤマトタケルの双子(ふたご)の兄
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熊曽建=九州地方の部族
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出雲建=出雲地方の部族
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蝦夷=関東から東の地方の部族。アイヌ
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伊勢の神宮の女官、ヤマトタケルの叔母
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ヤマトタケルの妻
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ヤマトタケルの二番目の妻
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第1章 荒くれ皇子(あらくれおうじ)
これは、はるか遠い昔(今からおよそ2000年前?)に、日本の近畿地方(現在の奈良県のあたり)にあったヤマトの国の皇子の愛と勇気の物語です。
ある日、天皇は、毎日の食事の席に皇子のオオウスノミコトが出席しないことを不思議に思って、弟のオウスノミコト(のちのヤマトタケル)を呼んで、こうおっしゃいました。
「お前の兄は、どうして毎朝と毎晩の食事に来ないのだろうか。悪いが、お前から兄さんに食事の席に来るようによく話してみてはくれまいか。」
「はい、わかりました。そんなことなら、お安い御用です。」
と弟は答えました。
しかし、それから五日経っても、オオウスノミコトは、一度も食事の席に現れませんでした。そこで、天皇は再び弟のオウスノミコトを呼び出して、尋ねました。
「わしがこの間、兄さんに食事に来るように伝えてもらうようにお前に頼んだが、どうなっているのだ。あれからも全く来ないのだが。」
「ああ、それなら兄さんには、もうちゃんと伝えています。」
「どのように伝えたのじゃ。」
「兄さんを少し懲らしめてやろうと思って、朝便所に用を足しにいくところを待ちかまえていました。兄さんが来たので、とっつかまえてから空手チョップで手足をへし折り、むしろに包んで投げ込んでやりましたよ。」
それを聞いた天皇は、自分の息子ながら、このオウスノミコトの乱暴さに恐れを感じました。
「この子は、小さい頃から気性も激しく乱暴だったので心配していたが、自分の兄までも殺してしまうとは、何という恐ろしい心を持っているのだろう。末恐ろしい限りじゃ。このままでは、父親の自分さえも殺されてしまうのではないか。若くて力もあり余っているようだし、少し試練を味合わせた方がよかろう。」と考えて、
「九州にクマソタケルという二人の兄弟がいる。これは私たちに逆らう無礼な者たちである。お前が行って、この者達を滅ぼして来なさい。」とおっしゃいました。
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