第5章 エピローグ

ワタツミノカミの娘のトヨタマヒメは、ご自身で地上の国にやって来ておっしゃいました。
「わたしは、妊娠(にんしん)していましたが、もうすぐ産まれそうです。いろいろ考えましたが、これは天の神の御子(みこ)さまですから、海の国では産むべきではないと思って、こうしてやって来ました。」
 こうして、海辺の波打ちぎわに、鵜(う)の羽根を屋根にして、赤ちゃんを産むための産屋(うぶや)を造りました。しかし、まだ屋根が完全に葺(ふ)き終わる前に、急に産まれそうになり、がまんができなくなってしまったので、産屋にお入りになりました。そして、夫のヤマサチヒコにこうおっしゃいました。
「ふつう海の国という異国に住むわたしのような人は、出産の時は、元の国にいた時の姿になって産みます。わたしも、元のからだに戻って産みます。お願いですから、わたしの姿を見ないでくださいね。」
 しかし、ヤマサチヒコは、どうもその言葉をあやしいと思って、まさに産まれようとしているところをそっと覗(のぞ)き見したところ、八尋(やひろ。10m以上。とても大きいという意味)のサメが、体をくねらせてもがいているではありませんか。ヤマサチコは、それを見てびっくり仰天(ぎょうてん)し、怖くなって逃げ出しました。トヨタマヒメは、夫が覗(のぞ)いたことを知って、とても恥ずかしくなり、
「わたしは、海の道を通って、この国との間を常に行き来しようと思っていました。でも、あなたは、わたしの姿を見てしまった、、、。とても恥ずかしくて、もうここにはおれません。」
とおっしゃると、海と地上の国との境(さかい)を塞(ふさ)ぎ、お産みになった御子さまを置いたまま海へと返ってしまいました。こういうことで、この御子さまのお名前をナギサタケウガヤフキアエズノミコト(波限建鵜葺草葺不合命=波打ちぎわに建てられた鵜の羽の屋根がきちんと葺かれていない(産屋)の意味)というのです。
 しかしその後、トヨタマヒメは、覗き見したことを恨みつつも、ヤマサチヒコを恋する心も押さえきれず、御子さまを養育なさっていた縁(えん)で、妹のタマヨリヒメ(玉依比売)に頼んで、次のような歌をヤマサチヒコに送った。

赤玉は 緒(を)さへ光れど
白玉の 君が装(よそい)し 清くありけり

赤い玉は、それをつなぐ緒までも光って見えますが、白玉のような あなたのお姿は とても清く貴(とおと)いことですわ

これに応(こた)えて、ヤマサチヒコは、次の歌を返した。

沖(おき)つ鳥 鴨(かも)どく島に わが率寝(いね)し
妹(いも)は忘れじ 世のことごとに

沖の鳥、鴨がたくさんいる島で わたしが添い寝した あなたのことは、一生の間忘れません

こうして、ヤマサチヒコ(ホオリノミコト。別名=アマツヒコヒコホホデミノミコト。天日高日子穂穂出見命)は、高千穂(たかちほ)の宮に580年の間お住みになられました。そのお墓は、高千穂の山の西にあります。

【系譜】
 ヤマサチヒコとトヨタマヒメの御子のナギサタケウガヤフキアエズノミコトは、その後おばのタマヨリヒメに四人の子を生ませた。イツセノミコト(五瀬命)、イナヒノミコト(稲冰命)、ミケヌノミコト(御毛沼命)、ワカミケヌノミコト(若御毛沼命)の四柱である。
 イナヒノミコトは、母の故郷(ふるさと)である海の国へ行ってしまった。ミケヌノミコトは、海を渡って、外国へと行ってしまった。
 そして、ワケミケヌノミコトは、別をカムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼比古命)といい、のちの初代の神武天皇(じんむてんのう)となった。

                         古事記 上つ巻(神代の巻) おわり

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