てのひらの上
一 |
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今夜は新月。 室内の灯かりを消してしまえば、すぐに真っ暗な闇の中。 まだ亥の刻を過ぎたばかりだ。一部の早寝の者以外は部屋で喋っていたり、花札をやっていたりする時刻。耳を澄ますまでもなく話し声が僅かだが聞こえてくる。 ・・・・・・・コツ、コツン。 「……」 座っている位置からすると右側、窓の外から小さな音がした。 立ち上がって窓を開けると、手すり部分に一羽の鳥。烏程度の大きさの体を、紅の羽で包んだ、とても綺麗な姿。 「おや、朱雀」 もとの姿の時同様、猫のように室内の光を反射して輝くのは金色の両の目。ゆっくり瞬きをしてこちらを見つめてくる。何も言わないが、入っていい?と訊ねるように軽く首をかしげた仕草が可愛らしい。 「どうぞ、お入りください」 歓迎の意を示すと、羽音を立てて窓から室内へ入って来た。畳に着地すると同時に、その輪郭が一瞬で変化する。 「この時間にいらっしゃるのは珍しいですね。いつもはもっと早い時間でしたか」 「……」 窓を閉めてから朱雀の方を見下ろす。 正座を崩したような体勢で畳に座った朱雀は、俯いたまま何も言葉を発さなかった。 はて。 これはどうやら、いつもの軽口がたたける心情ではないらしい。 まじまじと彼の姿を見れば、浴衣一枚しか纏っていない。装飾品も、いつも必ず嵌めている左小指の指輪のみ。しかも髪がやや湿っている。 ということは、風呂から上がってそう時間も経っていないのだろう。 「お風呂上がりに外をふらついては、湯冷めしてしまいますよ」 細い肩にそっと触れれば、随分冷えていた。髪も湿気のせいで酷くひんやりとしている。 頭を撫でると、朱雀が唐突に抱きついてきた。 「…皓司」 か細い声で名を呼ぶ朱雀の腕は、微かに震えている。どうしたものか。 こうして部屋に来るのは珍しいことではない。しかしいつもならば余裕たっぷりの色香で誘惑してくる朱雀が、まるで寂しさに震える幼子のようだった。 その珍しさゆえ、無性に意地悪をしてみたくなる。 「さて、私が好きなのは我侭で気まぐれな朱雀です。今の貴方ではありません」 抱きついてくる細い腕を引き剥がして顔を覗き込めば、大きな金目が見開かれた。まさか拒否されるとは思わなかったのだろう。当然だ、今まで朱雀を拒否したことなど一度もない。 「いつものように誘ってください。でなければ遊んで差し上げませんよ」 縋るように袖を掴んでくる朱雀の手も押し戻し、顎に手をかけて睨むように顔を近づけた。 「何で……なんで、そんな意地悪いこと言うんだよ…っ」 「意地悪い?私はもともとそう優しい男ではありませんよ。ご存知でしょう?」 「皓司……!」 見る見る間に金目が潤み、綺麗な紅い睫の堰をきって透明な雫が頬をすべり落ちていく。 あえて何も言わずやや乱暴に手を放すと、そのまま朱雀は背中を丸めて嗚咽を続ける。ぱたぱたと膝に落ちた水滴が浴衣に染み込み、濃い影を作っていた。 「俺が欲しいのは、ひとつだけなのに……いつも、嫌われたくなくて、好きだって言って欲しいだけなのに……わかんねえよ、俺はどうすりゃいいんだ……っ」 ああ、そういうことか。 内心で嘆息し、肩を震わせる朱雀を見下ろした。 「玄武に、つれなくされたわけですか」 「!」 俯いたままの朱雀の肩が、玄武の名を聞いたとたんに跳ねる。 なるほど、ここまで朱雀が動揺するとなれば、確かに考えるまでもなく玄武に関わることだろう。気付かなかった己に今更呆れた。 「図星ですね。本当に貴方は彼が絡むとまるで硝子細工のように脆い。困った神様だ」 朱雀と親しくなって随分経つが、こんな風に感情の制御ができずぼろぼろ泣くような姿は見たこともない。 「分かりました。そういった事情でしたら今日は見逃して差し上げます。ですから、泣き止んで下さい」 「こ…」 涙で頬に数本張り付いていた赤い髪をそっと払い、涙を軽く唇で吸い取ってやる。 だが、優しい仕草と微笑みを向けてやっても、先ほどのように抱き付いてこない。どうやら、また拒絶されるのではと躊躇っているようだ。そんないじらしい様を見せられると、もっと苛めたくなってしまうのだが。 朱雀が部屋にきてもう二刻は過ぎただろう。だがまだ、眠らせてやる気はない。 細い腰を引き寄せて打ち付けると、敷布団を握り締める眼下のほの白い指に力が入る。 淫らな水音と、甘い鳴き声が、絶え間なく耳を刺激してくるのも心地いい。 「上のお口も淫らですね。ほら、開いたままではありませんか」 半開きのままの口に指をねじ込んで舌を撫でると、糸を引いて唾液が滴り落ちた。 絶えず角度を変えて腰を動かしつつ、反対の手で朱雀の中心を鷲掴みにし、扱き上げる。いつもならばもっと時間をかけてやるが、今日は痛みを感じるかもしれないと思うほど性急かつ少々乱暴に。 やはり僅かながら痛みがあるのだろう、朱雀は途切れ途切れに喘ぎ声を上げながらも、厭々をするように首を左右に力なく振るう。そのたびに、紅い髪が跳ねて散らばった。 傷ついた心で、本命でもない相手に抱かれている今、どんな顔をしているのだろう。 いつもの余裕がないだけ、無性に見たいと思った。 腰から足の順で掴み、仰向けに返し―――突き上げながら顔を覗き込む。 「……」 驚いた。 本当に、これまで見てきた朱雀とは全く違う。 白い肌は上気して桜か桃か、綺麗な金目は涙で潤み、汗で髪が首や胸元に触手のように張り付いている―――のはいつもと同じだが、余裕のなさがそのまま初々しさとなっていた。黙っていても薫り立つ濃密な色香とは相反するそれが、逆に相乗効果となってこちらの嗜虐嗜好を掻き立ててくる。 妖艶な微笑を浮かべて、腹の上で踊る見慣れた姿は極上。 だが、たまにはこんな姿もいい。 激しい波を堪えるように数秒閉じた目をまた開き、腕を首に回してしがみついてくる。 「皓司…」 荒い息が、耳元でそれはそれは甘美な囁きに変わる。 一番深い位置でそのまま動くのをやめると、朱雀が甘えるように擦り寄ってきた。 「皓司が……人間じゃなかったら、よかったのに」 「どうしました、急に」 「鬼でも悪魔でもいい、俺と同じ時間を生きる種族なら、きっと本気でお前を好きになってたなって」 「それはつれない。人間の私でも同じように本気で好いて下さい」 「やだ。だって、もしお前一番で惚れ込んだら―――その途端俺を捨てるに決まってる」 背筋を、予想だにしていなかった悪寒が駆け抜けた。 珍しく可憐な一面をみせたと思えば、この何もかも見透かした洞察力でしっぺ返しも容赦なく。 これが朱雀の最大の魅力。そして大勢が骨抜きにされる最大の理由。 だが、皮肉なことに朱雀自身は全くそれに気付いていない。自覚がないからこそ、自由奔放でその色香に全く加減がないのだ。 なんにせよ、厄介。 そして、彼に自覚がないその原因は――― (全く、お二人とも本当に困った神様だ) ◆ 翌朝、朝食後。 まだ布団にくるまって眠っている朱雀の枕もとに書置きを残し、そっと部屋を出た。 この時間ならば、“彼”はまだ家にいるはず。 「ごめんください、斗上ですが」 立派な玄関先で扉にむかって声をかけると、数秒後にやたら元気な足音が近づいてきて豪快に開く。 「皓司!久しぶりだなっ」 「おはようございます、白虎」 「んーと、朱雀に用なら留守だぞ」 「いいえ、今日は玄武とお話がしたく参りました。いらっしゃいますか?」 言い終わる前に、廊下に面している厨房から大柄な男が現われた。 いつも黒か生成りか、彩度の低い色しか纏わない―――しかしどこか優しい空気の男。 玄武。 どうやら朝食の片づけを済ませたばかりのようで、手に付いた水滴を拭きながら上がれと促してきた。 「俺に用とは珍しいな」 「できれば二人きりでお話をさせていただきたいのですが」 「今いるのは俺だけだ。沙霧とエルも仕事でもう出ている」 入れ替わりで白虎と青龍が玄関から外へ出て行く。白虎はまだ色々と勉強している段階なのだと以前聞いたが、今日もそのために天界に戻るのだろう。 文句をたれつつも青龍に背を押されて門扉をくぐる白虎の背を見送ると、扉を閉めて廊下へ上がらせてもらった。 衛明館よりも広いこの屋敷、当然廊下も長い。少し前を歩く玄武は黙ったままだ。 それにしても、この男。 朱雀が夜に家を飛び出したのは知っているはず。そしてその行き先も同様。 なのに全く動揺する様子もない。本当に大岩のようで何を考えているのか全くもって不明だ。 |
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進 |