現し世の阿修羅

 
 沙霧が入隊して三月が経過し、季節はすっかり晩秋。当初不安定だった龍華隊はいまや司が率いていた頃と変わらぬところまで持ち直し、安定している。一時期は司がいなくなったということを聞きつけたのか、次々と遠征が立て込んだ。
 それらの遠征は全て龍華隊に一任。無論、沙霧の力を知らしめるため、そして隊長が変わっても劣らず、龍華隊全体が乱れなく任務をこなせるか試すためだ。

 浄正がここまで龍華隊を徹底的に試した理由は簡単、沙霧が女だから。無論、浄正自身は沙霧の実力を理解しており、充分に認めている。龍華隊隊士が沙霧を実力で認め、さらに女だからこそできるささやかな気遣いに感謝しているのも知っている。
 しかし、直属の龍華隊でない隊士の中にはまだ沙霧を認めようとしない者がいるのも事実で、このままでは不十分。隠密衆全員、さらに敵にも司に劣らぬ存在だと認めさせるには、短期間で司以上の戦功を上げさせる必要があった。

 ひとつの隊がここまで連続して遠征を任されるのは前例がなかったが、遠征を続けて重軽傷者は出たものの死者はひとりも出さず、泣き言や恨み言も出さず。
 浄正がもう充分と判断した頃には、遠征が必要な謀反は起こらなくなり、街中での小競り合いがある程度まで波が落ち着いていたのだった。
 
*

「ん?」
 自分の部屋から広間に向かうときは必ず中庭を横に見ることになるのだが、そこの岩に横目にも鮮やかな赤いものがあって足を止めた。庭に赤、といえば普通は花の色かと思うが、この衛明館の中庭にそんな目を引くような大輪の赤い花はない。
 何だろうと顔を向けると、岩の上、ちょうど木漏れ日が当たるところに赤い―――鳥。大きさ的には烏程度だが、造形は孔雀に近くとても優美だった。全体的に赤、それも朱色でなく紅色のつややかな羽に覆われ、翼と尾羽の先のほうに掛けてやや紫がかっている。
 そんな見たこともない鳥が、こんもりと丸くなって岩の上で目を細めていた。気持ちよさそうな顔からして、日光浴をしているのだろう。よく見れば、首に金色の細い鎖。束縛するための鎖ではなく、明らかに首飾りだ。
 誰かの飼っている鳥だろうと思い、あえて足音を隠さず中庭に下りると、岩の上の鳥はふと目を開けてこちらを見てきた。やはり逃げる様子は全くない。

「…もしかして、貴嶺様の式神さん?」
 沙霧が確か、「式神は皆動物の姿をしていますので、見慣れぬ動物がいたらそうだと思ってください」と言っていた。姿が見える式神は力が強いが、危害を加えなければ何もしないので怖がる必要もない、とも。
 体勢は変えぬまま、こちらを見てくる目はとても綺麗な金色だった。わずかに緑がかっていて、陽光を反射しながらきらきら光る。

「綺麗ですねえ。触ってもいいですか?」
 式神ならば言葉は通じているはず。鳥の前まで行って、顔を見ながらそう尋ねると、猫がするようにすぅと目を細めた。そろりと鳥の頭に触れると、柔らかい羽の感触が掌から伝わってくる。 
 撫でているうちに、鳥が起き上がって一度羽を広げて伸びのような仕草をした。すると、甘い香りが鼻腔を掠める。
「いい香り。あれ、でもこれ貴嶺様の香りとは違いますね」
「それは朱雀といって、私の式神を束ねる四神のうちのひとりだよ」
 鳥を撫でながら観察していると、庭を挟んだ向かいの廊下から沙霧に声を掛けられた。沙霧の声を聞いて、くるりと鳥が首をそちらに巡らす。

「朱雀、もう今日からは喋っていいぞ。ただし、御頭と斗上さんがいる場所では喋るな」
「あい。変身は?」
「まだここでは解くな。外では朱雀だと名乗らなければ好きにしていい」
 沙霧はそれだけいうと、広間に歩いていってしまった。

「え…会話を禁止されてたんですか?」
 鳥―――朱雀が沙霧の後を追うこともないようなので、そのまま話しかけてみる。
 すると、淡い金色の嘴が動いた。
「理由は詳しく聞いてねえけど、駄目だってよ。俺は朱雀だ、よろしく」
 美麗な姿からして、てっきり女性の式神かと思っていたのだが、一人称は「俺」。声は中性的なものの、女のように高くはなく、柔らかい音で耳に心地いい。
「初めまして。綺麗だからてっきり女神様かと思ってましたけど、違うんですね」
「男ですよ。まあでも俺たちは人間みてえに性別に頓着しねえけど。圭祐だって可愛いから、俺はてっきり女の子かと思ったぞ?」
「あはは、初見で男だって気づいてくれる人の方が少なくて困っちゃいます」
「違ぇねえな」 
 綺麗な姿と綺麗な声だが、なんとも言葉遣いは粗暴だった。隊士と話しているような錯覚を覚えるほどだ。聞けば今の他の四神、歴代の四神の中でも自分は相当な変わり者なのだという。しかし、粗暴な言葉で喋っていても、朱雀の放つ気はとても優しく、心地よいものだった。


 肩に朱雀を乗せて広間に入ると、見慣れぬ鳥に皆が注目したのが分かった。
「あれ、朱雀。圭祐と一緒なんて初めてじゃないかい?」
 いつものように隣へ腰を降ろすと、隆は驚きもせず朱雀へ話しかけた。
「おー。会話は制限解除されたんでな」
「変化の術は解かないんだ?その姿、窮屈だーって言ってたよね」
「それはまだ駄目だってよ。犬小屋ではこのまま」
 隆がお茶を差し出すと、器用に翼の先で持って飲みだした。
 しかし、今変化の術と言っていたが、となると今の鳥の姿は本来のものではないということか。
「朱雀さん、本当は鳥の姿じゃないんですか?」
「これは変身してるだけ。本体の見た目は人間とさほど変わらねえよ」
「まあここでは当分出さない方がいいと思うよ。本性を見たら隊士が大騒ぎしそうだし」

 それとなく沙霧を見ると、黙ったまま頷いたのが分かった。
 なるほど、沙霧が許可しないのはまた隊士がもめると面倒だからという理由なのか。
「ふーん。まあ制限されんのはここだけだし、外で遊ぶ時は自由にすっけど」
 あられ煎餅をひとつずつ嘴に放り込んで食べ終えると、茶をひと啜り。飲みきった湯飲みを侍女に渡してから、縁側まで歩いていった。綺麗な鳥だが、身体を上下に揺らしててくてく歩いている姿はなんだか可愛らしい。
「沙霧。俺外で遊んでるから何か用があったら呼んでな」
「ああ。基本、遠征がなければお前の出番はないから、のんびりしてていい」
「あいよー。じゃーなー」
 なんとも倦怠な様子で朱雀は翼を振ると、そのまま羽ばたいてあっとうまに空へ消えてしまった。

 沙霧と朱雀の会話を聞いていた隊士たちは、呆然としている。
「何だか、主と配下の式神っていう感じじゃないですね」
「他の式神は分類するなら妖怪だが、筆頭で束ねている四神は名前どおり神なんだ。本来神は誰かの下にはつかない。単に気に入ったから私についただけだそうで、子供の頃からあいつらが側にいたから、私にとっても家族みたいなもんだ」
「本性を見たら、ってどうしてですか?凄く怖いとか?」
「朱雀、本性も中性的で凄く綺麗なんだよ、俺でも見惚れるくらい妖艶な美人さんでね。そんなのがここにいたら、隊士は大騒動だろう?」
 殿下が周りに聞こえないようこそりと耳打ちしてくる。なるほど、当分の間は不要な騒ぎは起こしたくないというのが沙霧の意図なのだろう。