天 意 無 崩




 暑さがまだ控えめな初夏、飛脚から何通かの文を受け取った。

 華道宗家という職業柄、文は様々な相手から送られてくるので珍しいことではなかったが、その文は今まで見たことのない紙を使っていたためとても印象深く、受け取った中で最初に封を開けた。
 明るい翡翠色の、柔らかな手触りの紙。しかし柔らかさとは相反して紙の角はくたびれることもなく真っ直ぐなまま。かすかな金箔銀箔が控えめに散りばめられている。

 稽古場の縁側に腰を下ろして文を開くと、ふんわりと甘い香りが漂ってきた。むせ返るような強さではなく、鼻をくすぐるような心地よさだ。おそらく花の香りだろうと思うが、沢山の花の香りを知っている自分でも、何の花の香りなのか分からなかった。異国のものだろうか。しかし、差出人の地名は京のもの。

 文面を見れば、紙や香りに負けぬ美麗な字体。
 丁寧ではあるが、行き過ぎさは与えない分かりやすい文章で内容が書かれていた。
 内容そのものは、花をあつらえて欲しいという仕事の依頼である。

 しかし、最後まで読んでもひとつ不明なのが、送り主の性別だった。
 紙と香りだけで判断するならば、どこぞの高貴な女性だろうと思うが――字体と文章から性別が読み取れないのだ。書かれた名前も、おそらく本名ではなく何らかの雅号のようなものだろうと思われる。

 書き手に興味を持った。
 作品を気に入ってくれた新しい買い手が増えることは大歓迎であり、拒否する理由もない。
 正式な依頼をする前に、一度会って話をしたいので都合がよい日時を教えて欲しいという記載があったため、返事をすぐに書いて送り出した。

「真夜。これを見てどう思う?」

 自室で縫い物をしていた妻に文を見せると、「まあ」と感嘆したような声を上げた。

「とても綺麗な紙と字ですのね。それにいい香り。どんな方なのかしら」
「武家や公家であれば姓を書くであろうに、書いていない。何か理由があるのやも知れぬ」
「どちらの方でも、あなたのお花を気に入られて文を下さったのであれば、私は嬉しいですわ」

 この文を手にして、書き手に興味を持つのはやはり自分だけではないようだ。  
 さて、どのような人物がやってくるのだろう。久々に来客が楽しみだ。

*

 手紙の返事を出してから半月後。今日は手紙の送り主がやってくる日だ。 朝食後、十一歳になる双子を呼んだ。

「今日の昼過ぎ、初めてお会いするお客様がいらっしゃる。仕事に関わる大事なお客様だ。くれぐれもご迷惑をおかけせぬようにな」
「初めて来る客なんて珍しいね。どんな人なの?」

 双子にとっても、来客は珍しいことではない。しかし大半が代々つきあいのある顔の知れた相手だ。今回のように、どこの誰かも分からない、顔も知らない相手というのは凌の言うとおり珍しい。
 これの送り主だと手紙を見せてやると、案の定双子は目を輝かせた。
 いつでも礼儀正しい玲はいわずもがな。一方の凌は日ごろこそやんちゃだが、来客に所構わず無礼を働くような分別のない子ではない。実際に会って不都合がなさそうであれば、客人に引き合わせてやろう。


 太陽が南を通過してやや経ったころ、家の側の道がざわつく気配があった。近所の住人が何かざわざわ騒いでいるような――そんな声が聞こえてくる。
 何事かと思っていると、開け放ってある正面の門から足音が聞こえた。足音から察するに一人だ。門を開けておくから玄関までそのまま来て構わないと書いておいたので、例の客人だろう。

「ごめんください、先日文をお送りした者ですが」

 声から察するに、年齢はまだ若い。二十歳そこそこというところだろうか。

「いらっしゃいませ、紅殿」

 出迎えは通常どおり対応したが――そこに立っていた人物を見た瞬間、柄にもなく絶句した。ここまで驚いたのはいつぶりだろう。

 庭の明るい緑の木々を背景に、紅の牡丹のような髪がさわさわ揺れている。
 肌は淡い桃、双眸は緑がかった鮮やかな金。

「お初にお目にかかります。私が文をお送りした紅です。異国の出身の為、私の容姿に驚かれたと思いますが、この国の言葉や文化は重々理解しております。どうかご心配なさらず」

 玄関に上がる前に深々と一礼した客人――紅は、頭をあげてからにこりと花のように微笑んだ。