名を呼べば


 ここにいれば、飢えることはない。
 争いもなく、のんびり暮らせる。
 たくさんの仲間がいる。
 でも、主様と一緒でないとここから出られない。
 広いお屋敷だから、窮屈だとは感じないけれど。

 屋根の上から遠くの景色を見ていると、時々すごく寂しくなることがある。


「あら、それなぁに?」
 縁側の隅っこで丸くなっている、小さな白い妖が目に留まる。ちょろちょろしているのはごくありふれた光景だが、何かを大切そうに抱え込んで頬ずりしていた。
 この家に暮らす妖は、皆犬や猫のような存在で、人間に危害は加えてこない。嫁いできた当初は驚いたが、言葉が通じる小動物同然と分かれば、可愛いものだった。
 
「…桃の種?」
 手先でころころしていた物を見れば、もうカラカラに乾いた桃の種だった。
 それを手先で抱え込んで、それはそれは愛おしそうにしている。
 桃といえば、以前この妖にひとつ丸ごとやったことがある。その時のものだろうか。



 久しぶりに斗上家へ遊びにくると、凌と玲は不在。真夜が昼食の支度中だったこともあり、瀞舟が出迎えてくれた。
 
 他愛ない話をしていたら、ふと瀞舟が庭を見てから唐突な質問をしてくる。
「以前凌が病で臥せった際、見舞いに来てくれたのか?」
 健康優良児の凌が病で臥せったことといえば、少し前の一度しかない。確か、凌から病原菌をもらってエルまで寝込んだあの時だ。
「あー行った。でも凌がオッサンどもをメコしてる最中で、見舞いもバカらしくなってそのまま帰った。でも何で?」
「その時、桃を置いていった覚えは?」
「……そういえば、見舞いにひとつ桃を持ってたのを、庭先で落としたな」
「なるほど。やはり、あの桃は朱雀の見舞いの品か」

 話を聞けば、なにやら最近一匹の妖が桃と思しき種を大事に抱えているのを何度か目撃したらしい。その種は暗いところでぼんやり金色に光り、他の妖も欲しがって時々もめているのだとか。

「もとの種は近所のばーさんがくれた桃のだけど、俺たちん家で育ってるから普通の桃とは違うのかな?」
「おそらく、我が家にいるような小さな妖にとっては、冬の太陽のようなありがたい存在だろうよ。しかしそれを奪い合って争うことが増えてきたのが、少々気にかかる」

 と―――瀞舟がいい終わる前に天井裏から小さなものが複数走り回るような音が聞こえてきた。ネズミよりは大きい、多分猫が走り回ったらこのくらいだろうと思われる音。

「なんかただ走り回ってるっつーより…取っ組み合ってるような音じゃね?」
 どたたたた、どすん、がたん。
 きゅーだのぴーだの、時折何かの鳴き声のようなものも混ざっている。
「あ、静かになっ……て、おわっ!」
 ぴたりと静かになったと思ったら、真上の天井の板が一枚はがれて落ちてきた。
 板に続いて、白い小さなものが見えたので咄嗟に端を掴む。

「……イタチ?いや、オコジョ?」

 掴んだのは栗鼠のようにふさふさの毛に覆われた尻尾だった。襟巻きにしたらさぞ暖かそうな尻尾より胴体は細く、長さは同じくらい。やや短足でちんちくりんな印象を受ける。
 びっくりしているのか硬直したままの顔をのぞきこむと、イタチより目が大きく輪郭も丸め。どちらかといえば冬毛のオコジョによく似ている。薄汚れているが、おそらく本来の毛色は真っ白だろう。
 動かないが、尻尾を掴んでいては痛いだろうと畳の上にそっと下ろしてやる。

「お前、怪我してるな。大丈夫か?」
 小さな頭を指先で撫でてやると、ようやく硬直がとけたのか鼻先をすんすん鳴らして瞬きをした。妖というより、小動物。

「上で揉めていたのは、やはりこれか」
 瀞舟が天井裏から落ちてきたもうひとつの物体―――種を指先でもてあそびながら、俺とオコジョの傍に腰を下ろした。
「客人の前に姿を現すな、妖同士で揉め事を起こすな、と以前から躾けているはずだ。これは私が没収する」
 にこりともせずそういった瀞舟が怖かったのだろう、オコジョはぺたんと耳と尻尾を落とし、しまいにはぷるぷる震えだしてしまった。
「いいよ、瀞舟。揉めた原因は俺が持ってきた桃らしいし、姿を現したのもどう見たって不可抗力だろ?」
 軽く丸まれば、尻尾以外は俺の両手に納まるくらいの小さな体。
 神気をほんの少しだけ指先から開放し、頭から尻尾までを軽く手で撫でてやると所々に覗いていた傷はすぐに塞がった。

「ほら、もう痛くねえだろ」
 急に痛みが消えたのが信じられないのか、きょろきょろしている様が可愛らしい。
 妖と言っても本当に色々な奴がいるもんだ。