ちいさな幸せ




 それ以後、会うたびに朱雀は俺を弟のように可愛がってくれた。俺が抱きついて甘えても嫌がらず、ぐりぐり頭を撫でて相手をしてくれる。それが嬉しくて、俺はちょくちょく衛明館に足を運んだ。

「身長伸びたなあ、凌」
「でしょー!六尺超えたんだよ」
「今歳いくつだっけ」
「もうすぐ十七」

 お前と会ってもう三年経ったんだな、と言った朱雀は、なんとも形容しがたい複雑な表情をしていた。

「どうしたの?」
「お前らが歳くうのって、ほんとあっという間だなあと思っただけ」
「そういえば、朱雀って全然変わんないね。人間なら二十代前半って感じ」
「俺のよーな高位のカミサマは老化しないの」

 朱雀はいつもの調子で切り替えしてきたが、ちょっと寂しそうだった。
 そりゃ、こうして喋っている相手が見る見る間に老けていってしまうなら、置いてきぼりをくらうわけだから寂しいだろう。勿論、俺には想像もつかないけど。

「俺はじーさんになっても、朱雀のこと絶対に好きだよ。だからじーさんになった俺でも、嫌わないでね。朱雀に嫌われたら悲しい」

 朱雀の腰に腕を回して、ぎゅっと抱きついてみる。
 腕に力を入れたら、折れそうな細い腰だ。

「ながーく生きる朱雀はさよならが多いけど、はじめましても多いでしょ?」

「……ああ、そうだな」
 


 いつの間にか俺も寝ていたらしい。瞬きをして外を見ると、夕暮れ時になっていた。あたりは全部橙色に染まっている。
 懐に入れていた懐中時計を見てみると、ここに来てから四刻ほど。

「ん……」

 朱雀の声がしたので室内を振り返れば、目をこすりながら上体を起こすところだった。

「おはよー」
「おー。…あれ、もう夕方か」

 起き上がった後に髪は整えても、着物を直そうとしない。今は女であることを忘れているのか、胸の谷間が半分以上、白い脚が腿まで見えている。
 無自覚のお色気全開、このまま外に連れ出すのは絶対まずい。

「朱雀、ちょっとじっとしてて」

 襟を掴んで袷を直し、ずれた帯を結びなおしてあげた。
 
「今日はおねーさんなんだから肌蹴たまんま外出ちゃダメだよ。見せるのは俺だけにして」
「はいはい。で、この後どーするよ。夕飯にゃ早いし、そのへんぶらつくか」
「うん。ここからなら近いから琉璃屋に行かない?時期的に新作入ってるよきっと」
 待ち合わせ前にたかってきた女たちがそう言っていた、とは間違ってもばらしてはいけない。ばらしたが最後、朱雀は今度こそ完全に機嫌を損ねてさいならプイだろう。


 琉璃屋を物色した後、日が暮れてから予約しておいた料亭兼旅館に落ち着いた。
 個室の広い風呂付だから、ご飯を食べてから一緒に入りたいと朱雀にねだってみる。最初は少し渋っていた朱雀だったが、結局首を縦に振ってくれた。
 基本、朱雀はこちらからお願いする姿勢でねだったことには、よほどのことがない限りダメとは言わない。

「なんか……落ちつかねえ」
「そう?俺は心地いいけどな」

 湯船は広いけど、俺は朱雀を抱きすくめたくて、座った脚の間に座ってもらった。
 
「なんで広いのに、くっつく必要があんだよ」
「えー、だって朱雀の肌にくっつきたいんだもん」
「って、ちょ…」
 抱きついた腕を動かして、背後から朱雀の胸をやわやわと揉みながらうなじに口付けた。上気した肌が桃色ですごく色っぽい。

 お湯の中、片方の手でおへそのあたりをまさぐると、朱雀がびくっと反応して慌てた。

「お・お前まさか、ここでなんて考えてねえだろうなっ!」
「考えてないよ。朱雀そんなこと想像したの?え〜やらし…ぶっ!」

 言い終わる前に、思いっきり頭からお湯をかけられてしまった。
 顔に張り付いた髪をかきわけているうちに、朱雀に脚の間から逃げられる。

「あれ、感じちゃってやばかった?」
「うるせぇ……」

 対岸の湯船のへりに寄りかかり、そのまま朱雀は鼻の下までお湯に浸かった。
 遊びなれているのに、こんなところは妙にうぶで可愛い。
 
「ねえ、朱雀」

 声をかけると、返事のかわりにお湯の中でぶくぶくと息を吐く音がする。

「俺は今朱雀といられて幸せ。朱雀は?」
「…幸せ」
 お湯から顔は上げたものの、無愛想にそれだけ言うと朱雀は顔を背ける。
「そっか、よかった」

 ざばざばとお湯をかきわけ、今度は朱雀の隣に陣取った。
 
「またくっつくのかよ」
「今度はいたずらしないって」
「……なら、いいけど」

 まだ警戒しているのか、朱雀は両膝を抱きかかえて小さくなっている。
 なんだか、拗ねた子供みたいだ。  

「たまには俺にも寄り掛かってよ」

 朱雀の肩に腕を回して、紅い髪に頬ずり。

「…………」
「兄貴と比べりゃそりゃガキだろうけど、背もたれになるくらいならできるから。ね?」

 ――― と、ん。

 胸元に軽い重みを感じて見下ろせば、朱雀が頭をもたれかけていた。 
  
「皓司とお前は見た目が似てたって、全くの別人だろ。長所短所も違うから面白いんだ」
「す…」

 斜め上から見ても分かるくらい、朱雀の頬は紅くなっている。
  
「動くなよ、背もたれ」
 

 きっと朱雀は、俺や兄貴などの友人たちが死んだら、大きな金目を涙でいっぱいにして泣くんだろう。人間なんかとダチになるんじゃなかった、と後悔するんだろう。

 それは俺たちと違う時間を生きている以上、避けられない道程だ。
 でも長く生きているなら、生まれ変わった俺たちとまた再会できる可能性もある。
 俺は次の人生でも、朱雀に会いたい。会って、また他愛ないことで笑いあいたい。  

「うん、動かない」

 傍にいるよ。

 ずっとなんて言えないけど、いられる時は、傍にいる。
 だからもっと、弱いところを見せて頼って欲しい。

 って―――そこまで言ったら、きっと朱雀は「調子にのんな」って言うに違いない。