べにゆうぎ


 昼飯時にぶらりと入ったなじみの飯処。蕎麦を啜っている最中、通路を挟んだ隣の席の少女ふたりの会話が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、あのひとこのへんじゃ見ないよね?男のひとだけど凄い綺麗〜」
「わーほんとっ。女っぽいわけじゃないのに綺麗ねえ。役者さんかなあ」

 綺麗?
 そんな形容が嵌るくせに女っぽくないというのはどんな男だ?
 彼女たちの目線を追ってみる。

 格子窓の傍の席に、“彼”はいた。食べ終えたうどんのどんぶりを端にどけ、なにやら瓦版のようなものを読んでいる最中。連れはいない。ひとりだ。
「あの髪、どうやって染めてるのかな。柘榴みたい」
「それに見るからに湯上り卵肌〜。いいなあ、何したらあんなになるのぉ?」
 なるほど、確かになよなよした印象はない。だが中性的な印象を与える、すらりとした体型の若い男だった。黒い着物を纏っているが生地に抑えた艶があり、見るからに高そうだ。さらに繊細な金の飾りが耳や手首をしゃらしゃらと飾っている。ごつい飾りでない分嫌味な印象はなく、とても彼の風貌に似合っていた。
 瓦版を読んでいる、つまり目の位置よりは下を向いているわけなのだが、その伏目の様が物凄く色っぽい。袷から覗く首筋も細長い手も以下同文。だが擦れた汚らしさのようなものはなく、万緑叢中紅一点―――生い茂る緑の中で鮮紅色の花を咲かせる柘榴そのものだ。

 かたん。

 小さな音を立てて立ち上がった彼は、ゆっくりと俺の席の側を通過する。直後、茉莉花と橙の香りを混ぜたような、柔らかい香りがほんの僅かに漂ってきた。
(うほー……すっげ、いい香り……)
 着物といい装飾といい香りといい、どう見ても庶民には手がでない域のものばかり。だが単身こんなところで昼飯とは、どこぞの金持ちがお忍びだろうか。
 なんとなくここを出たあと、彼がどこへ行くのか知りたくなって、自分も急いで会計を済ませ、外へ出た。

 通りの左右を見てみると、右を行く後ろ姿があった。
 ここは江戸といっても一番混む地域から少し外れているから、さほど人通りは多くない。見失わない程度に距離をあけて、後姿を観察する。
 座っていた時は分からなかったが、かなり背が高い。その長身さとは相反して、男にしては細身だ。しかしそれなりに鍛えてはいるのだろう、細身なりに程よく筋肉がついていてしなやかな線を描いている。特に腰から背中、うなじにかけてが絶妙だ。
 これは老若男女とわず相当気にいられるだろう。
 できるならお近づきになってみたいが、さてどうしたものか。

「ん?」
 考えながら歩いていると、自分の下駄より少し先に、光るものが転がってきた。何かとかがんで拾ってみると、緋色の輝く石が嵌められた装飾品。
 こいつは確か……。
「あー悪ぃ悪ぃ。金具が外れて転がっちまった」
 随分綺麗な声が、綺麗ではない言葉をつむいだ。
 顔を上げて声の主を見ると、俺の前を歩いていた彼がすぐ側にきている。間近で見るその華やかさに圧倒され、一拍反応が遅れた。
「……兄さんのかい?」
「そー。拾ってくれてありがとな」
 ああなるほど、片方の耳にこれと同じものをしている。
 それより、紅い髪を揺らして笑った様が、意外にも子供のように無邪気で可愛く、思わず見とれた。
 白い手に飾りを渡した時ふと、彼が反対の手に持っている紙に目がいった。さきほども読んでいた瓦版のようなそれは、このあたりの名所や名物が載っている旅案内のようなもの。
 ということは、やはり彼はこのあたりに住んでいるわけではないのだろう。
「兄さん、ここいらじゃ見ない顔だけど旅の人?」
「江戸城のそばに住んでるから、旅っていうほどじゃねえよ。でもこのへんて来たことねえし、どんなもんかと探索しにきたの」
「よければ案内しやしょうか?俺この近所に住んでましてね」
 そう提案すると、彼はふと探るような眼差しを僅かに向けてきた。緑を帯びた金色の、猫の目のようなそれがくるりと動く。
「聞くまでもねえかもだけど……裏通りも詳しい?」 
「愚問ですな。俺がそっちの遊びをしない堅物に見えますかい?」
「それこそ愚問だな。お前が堅物に見える奴がいたらそいつは相当目が悪ぃだろ」
 おや。
 言葉遊びにも退屈しない。派手な見た目よりずいぶん落ち着いているというか柔軟というか。いい意味で予想を裏切ってくれる別嬪さんだ。

「いいってんなら案内してもらおうかな。俺は朱雀。お前は?」
「綺堂一哲です。綺堂でもカズノリでもイッテツでもお好きなようにどぞ」
「んーじゃあ言いやすいから綺堂で」
 横に並んで歩きだした時、彼が草履をはいていることに気付いた。足袋は履かず、裸足。右小指と薬指に金色の輪飾りを嵌めているため、視界で時々ちらちら光る。
「ずいぶんガッチリだな。日焼けしてるし、肉体労働?」
「仕事は葬儀屋なんでそんな肉体労働じゃあないですよ。ただまあ、以前は腕っ節を使う仕事だったもんで、そのクセがぬけず毎日鍛錬はやっとります」
「へー。どれどれ」
 するりと細い指を絡ませ、右掌を開かせると納得したように笑った。細やかな造形と、水分を存分に含んでいるのが分かる柔らかい感触にぎくりとする。手だけ見れば誰も疑わず女だと思うだろう。
「何ですかい?」
「相当実戦で刀握りなれてるだろ。戦歴の長い奴の手だ。でもちょっと中指に力を入れすぎる癖がある」
 びっくりして、思わず歩いていた足を止めた。

 確かに刀を握り続けたことによるタコはできているし、掌から指にかけて全体的に皮が硬くなっている。
 が、それにしたって俺の癖まで手を見ただけで見抜くとは、この別嬪さん一体何者だ?
「いいね。強い奴は好きだ。弱い奴は論外」
 じゃあ何の仕事をしているのかまでは突っ込まず、呆然としている俺の腕を掴んで歩き出す。
「綺堂に任せるから、オススメのとこ連れてってくれよ。な?」
 見た目や洞察眼からしてどう考えても一般人ではなさそうだ。しかしかといって悪人には見えない。何よりこの猫っぽい言動からして、どこぞの組織に属して諜報活動を行うような手合いでもないだろう。