Diary




都井岬紀行(2006年 秋)



久しぶりに都井岬を訪れました。2年ぶりぐらいでしょうか。それでもこの地は、まるで時間が止まってしまったように、 いつもと変わらない風景で私を迎えてくれます。黙々と草を食む馬たち、もう満腹なのか満足げに目を閉じて眠っている馬たち。



"都井岬"としての風景は何も変わったことはないけれど、馬一頭一頭にはいろいろな変化が見られます。子馬たちは成長し、 大人たちは逞しかった筋肉が垂れ下がり、目や首にしわが増え、群れの中での立場も変化しています。写真集「Horse Whisper」 の表紙を飾ってくれたテンちゃんも、今年は15歳。元気にしているかどうかとても心配していました。



到着したのはもう日暮れ前。とにかく暗くならないうちに一目会いたいと車を降り、小松が丘を登っていきました。するとすぐに 十数頭の大きな群れに遭遇し、そのボスを見つけて挨拶しました。私流の挨拶というのは、そっと手のひらを鼻先に近づけ、 匂いをかいでもらうのです。それで少し興味を持っている様子であれば、鼻先や顔をなでてやります。それでも嫌がらなければ、 少し力を入れて顔や首を掻いてやるのです。ここまでさせてくれる馬は、もうかなり人に慣れているので、安心してそばにいること ができます。このボスは、興味深げに匂いを嗅ぎ、顔をさすることも嫌がりませんでしたが、あまり好きではないらしく、 すぐに顔を振り上げ違う方向を向こうとします。人が近づくことには抵抗はないけど、あまり好きではないのかな…と思っていると、 その様子を伺っていた彼の奥さんが私のすぐ脇に首を伸ばしました。片目に障害があるらしく、ずっと閉じたまま涙を流していました。 彼女は顔が痒いらしく、私の手のほうに擦り寄ってきます。それで手の甲で少し掻いてやると、気持ちよさそうにしていました。 顔の次は首というように、自分で私の手を誘導していきます。限がないので途中でやめて、テンちゃんを探しにいきました。 彼女は名残惜しそうにずっと私を見ていました。



そうこうしているうちに太陽は西の海に沈んでゆき、東の空では残念ながら満月には数日足りない月が輝きだしました。もうテンちゃん を探すには暗く、台風のような強風で立ってるのでさえ困難なため、この日は諦めて宿に戻りました。



翌朝、太陽ははっきりと姿を見せることはなく、分厚い雲に覆われていました。けれど昨日同様の強風のため、風に煽られた雲の隙間 から時々キラキラと光が差し込みました。小松ヶ丘の斜面を滑りそうになりながら登っていくと、昨夕出会った群れを見つけました。 はじめにまた、ボスに挨拶をしていると、背中を何度も押されるような感じがしたので、カメラバッグが風に煽られているのかと思っ ていました。しつこいので振り向くと、昨夕の牝馬が立っていました。そしてすぐに、自分の顔を私の手に押し付けてきました。 この子は私のことを覚えていたのだろうか?昨夕たった3分程度の付き合いだったのに…。



それからしばらく丘の上を歩き回っていると、腰を下ろして静かに眠っている鹿毛の馬を見つけました。もしかして…と少し近づいて みても、全くこちらの様子を気にせずに気持ちよさそうに眠っています。普通の野生馬であれば、座っているところに人が近づくと 警戒しながら腰を上げようとします。けれどこの子は全く私の存在を気にせず、近寄って顔や鬣を触っても起き上がろうとしないの です。隣に座っていた今年生まれたばかりの子馬も、初めは立ち上がろうとしましたが、お父さんの堂々とした様子を見て安心したの か、私の腕の匂いを嗅ごうと鼻を伸ばしてきました。よく見ると周囲には1歳程度の子馬と奥さんらしい牝馬が…。以前のテンちゃんは 十数頭を連れ立っていた大きな群れのボスだったけれど、最近は4頭ぐらいで行動しているらしいし…。だいぶ皴皺になってしまった けれど、よく見れば円らな瞳にも見覚えがある。やっぱりテンちゃんかな!?と見ていると、ようやく重い腰を上げました。 すると左の腰に10の文字が…。やっぱりテンちゃんだった。年取ってしまったけど、堂々として優しい感じは全く変わっていません でした。



テンちゃんが私を覚えているとは思えませんが、私にとってはなんだか旧友に再会したような気持ちでした。テンちゃんの前に座り 込んで鼻先をなでていると、私の気持ちを知ってか、知らずか、とてもリラックスした様子で私の肩に頭を載せて再び眠り始めました。 時々私の匂いを嗅ぎながら、右の肩、左の方と頭の位置を変え、子馬がテンちゃんに甘えてきても、"二人の空間を邪魔するな"という 具合に跳ね除けていました。私が立ち上がらなければ永久に離れないというばかりに、4本の脚が大地に根を生やしてしまったようです。 奥さんや子馬たちが草を食みながら少しずつ移動して離れていくのに、全く気にしていない様子でした。厩飼いの馬たちは確かに人に 慣れていますが、その馬と人との間には、飼いを与え、調教し、乗馬するといったギブアンドテイクの関係が成立しています。 厩舎に行けば馬たちは寄ってきますが、それは私ではなく、私のズボンのポケットの中にある人参が目当てなのです。こんな風に何の 利害関係もなく、私に寄ってきてくれる馬はテンちゃんしかいないかもしれません。いつまでも元気でいて欲しいと願いながら、 後ろ髪を惹かれる思いで都井岬を後にしました。




tenka テンちゃんの家族。左から2番目に座っているのが本人



ten テンちゃん




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