Diary




フリースランド紀行(26/06- 05/07/2005)



1.旅の始まりは
2.オランダの風景
3.不吉な予感
4.チエッツァ
5.Stal Hermes
6.放牧地
7.厄日
8.呑気なおじいさん
9.不思議な警察
10.お経とトレーニング
11.宙を駆ける
12.Horse Woman
13.時間にうるさいオランダ人
14.オランダ料理
15.調教師Roos
16.不思議な警察〜その2
17.Castration
18.不思議な天気
19.お馬の親子は
20.お別れの日
21.事故〜その後



1.旅の始まりは・・・お財布紛失事件


オランダ北部フリースランド地方には、フリージアンという花の名前のような馬が生息しています。 ウェーブのかかった長い鬣がトレードマークのとっても美しい馬です。この馬たちが草原を走り回る 姿は、日本では決して見ることができません。これはオランダに行くしかないと、この旅を計画しました。 3年ぶりの海外で12時間も飛行機の中で耐えられるか不安だったのですが、 疲れていたせいかほとんど寝てしまい、"もう着いたの?"という感じでした。 以前に比べ、KLMエコノミークラスの座席スペースが広くなったためでもあるかもしれません。 と、この時点では、旅慣れていると思い込んでいる私は、これから身に降りかかる災難を 予想だにしませんでした。

まず空港についてレンタカーを借りようと、いつも利用しているEuropcarのカウンター に行きました。メールで予約を入れていたので、そのコピーを渡し難なく借りる 予定だったのですが、カードで支払う段階になってちょっとした問題が持ち上がりました。 私のクレジットカードの名義は旧姓のままになっているので、免許証の苗字と異なるのです。 そんなことはフランスでもそうだったので、説明すれば済むことだろうと思っていたら、 オランダ人は頑固らしく、何か旧姓を英字で書いたIDはないのかと執拗に求めるのです。 "フランスのEuropcarで借りた時も、きちんとこのカードで支払ったんだから問題ないですよ" と言ってるのに、フランスとオランダは違うときっぱり言われてしまいました。 とりあえず探す振りはしてみたものの、無い物は無いんですよ。

そうこうしているうちに、免許証やカードを出した後の私の大事なお財布が見当たらないのです。 リュックやそのポケットを探しても影も形もなく、私としてはカウンターの上に置いたものと 思っていたので、一瞬いやな予感がしました。そういえば私の横に二人の男性が何やら話をして いたし・・・前回カマルグを旅した時も、車中のトランクに入れて置いた撮影済みの全てのフィルムと カメラレンズを盗まれるということを体験してしまったので、もしかして置き引き?旅の初日から 全財産を失うなんて何てことだろう。私も年取ったな〜と情けなく思っていると、カウンターのお兄さんが ”とりあえずポリスに報告した方がいいよ”と言うので、戻ってくる当ても無いけれど言われるまま にポリスに向かいました。

少なくともクレジットカードがあるからいいか、と歩きながら、再びリュックやカメラバックの中を 探しました。あと一歩でポリスの入り口というところで、何やらカメラバックの前が膨らんでいるのを 発見したのです。慌ててチャックを開けると、あったんです。私の大事なお財布が。安堵感で力が抜けたと 同時に、"やっぱり私も年取ったんだ"と以前に増して強く感じ、余計に落ち込みました。冷や汗を一杯かきながら 荷物を抱えてレンタカー会社のカウンターに戻り、状況を説明すると、"やっぱり"というように苦笑して いました。こんな騒ぎの中、クレジットカードの名義は結局どうでも良くなってしまったようです。




2.オランダの風景


幸先悪いな、と思いながら、事故を起こさないように気をつけようと肝に銘じ、車を高速へと走らせました。 オランダ郊外はNetherlands(平らな土地)というだけあって、どこまで行っても360度水平線が見えるのです。 ランドマーク的なものも余り無く、自分がどこにいるのやら全くわかりません(あるといえば大きな近代的な 風車ですが、どこに行ってもあるのでやっぱり景色は変わりません)。漸く地平線ではなく、水平線が見え、 北部まで辿り付いたことを知らせてくれました。アムステルダムから北上しフリースランドへ入る手前で、 アイセル湖とワデン海に挟まれた道路を渡ります。空も海も同じような色なので、このまま真直ぐ走ると 海の中に入って行くのではないかという錯覚に襲われました。

目的地はSt. Jacobiparochieというとっても小さな町なので、何の問題もなく到着しました。とりあえず宿泊先に 荷物を降ろし、夕食をとろうとBBのおばさんにスーパーマーケットの場所を尋ねたのですが、小さい町故に、 2つ先の街まで行かなければ店はないと言われてしまいました。仕方なく食べ物を求めて再び車を走らせました。

ヨーロッパは現在夏時間なので、サンセットは10時半ぐらいでした。だから明かりには問題なかったのですが、 また新たな問題が持ち上がりました。オランダはほとんど看板がないのです。あるといえばあるのですが、 小さくて控えめで品のある看板しかないのです。日本やアメリカのようにJuscoとか大きな看板が見えれば、 すぐにそこがマーケットだというのがわかるのですが、結局見つけることができず、2つ目の町も通り過ぎて しまいました。途方にくれていると、大きな看板が見えたのです。"McDonald"でした。ここまで来て、マックか・・・ と思い、もう少し探すことにしたのですが、それが裏目に出ました。大きな町に入ってしまい、住宅街をぐるぐる 回っているうちにその"McDonald"も見失ってしまったのです。迷って帰れなくなると困るので、とりあえず明るい うちに戻ることにしました。夕食はお預け・・・




3.不吉な予感


疲れきって戻り、途中見つけたカフェテリアで購入したサンドイッチを頬張りました。パンにサラダとチーズを 挟んだだけですが、何かハーブの種のようなものがチーズに入っていて、以外においしかったです。その後、 シャワーを浴び、寝る前には髪の毛を乾かさなきゃと、海外旅行用のドライヤ―のプラグを差し込み、スイッチを入れました。 すると、ものすごい轟音を立てて熱風を吹き出したのです。あれ?おかしいなと思いつつ、電圧が高いとパワーが違うのかなと 思いながら、電熱線が真っ赤になるのを眺めていました。けれど、数秒のうちに"プチッ"という音がして、それっきり反応が なくなってしまいました。しばらくどうしてこんなことになったのか理解できず、呆然としていると、脳の奥のほうから何やら 湧き上がってくるようでした。実は、このドライヤーは借りもので、持ち手にある変圧スイッチを変えるよう説明を受けていたの です。あー全ては私の脳の老化現象か・・・

翌朝はStal Hermesというフリージアンホースの牧場を取材する予定です。宿泊しているBBの斜め向かい、 距離にして50mぐらいの場所です。こんなに近いというのも、牧場の方に宿泊先を紹介してもらったからです。 けれど、残念なことに、ここには2日しか滞在できません。こんな田舎でしかも平日に満室になるなんてどういう ことだろう?と思っていたのですが、何でもロシアから団体のお客さんが来るとの事でした。こんなことは滅多に ないそうです。まあ私の運が悪いのでしょう。日本からフリースランドという全く違う世界に移動した上、 色々なことが起こり、長い一日だったなあと疲れきってベッドの中に吸い込まれていきました。




4.チエッツァ


馬の牧場といえば競走馬の繁殖、育成牧場しか頭にないので、朝早くから作業しているのだろうと、5時に目覚ましを かけました。起きてみると、まだ薄暗く、日の出前のようでした。少し明るくなって6時ごろStal Hermesへと出かけて みました。けれど人一人見当たらず、厩舎の中でなく馬や犬の声だけが響き渡っていました。仕方ないので、フリージ アンホースの放牧地を求めて、早朝ドライブに出かけました。

20km程走ると、道路沿いに何やら黒い物体が…車を運転しながら探しているので、遠くから見ると、草むらにある四角い物体すら 馬に見えてしまうことがあるのです。でも、やっぱり動いてるし、群れのどの馬も黒っぽいし… "こ、これだ。"車を脇に停め、 遠くにいる黒い馬たちをじっと観察しました。みんなも私に気がついてこちらを見ているようです。見慣れたサラブレッドとは 全く違う太い首に太い肢、長くて豊富な鬣、フリージアンホースに違いない。早速望遠レンズを出してカメラを覗いてみましたが、 遠すぎるのと光が弱いのとで、ディテールが全くわかりません。知らないところに勝手に入るのもなんだし、と思いつつも、 放牧地は全て水路に囲まれていて、どこから入ってよいのか全くわからなかったのです。とりあえず三脚を立て、カメラを構えてから 30分ぐらい経ったころ、汚れた作業服を着た大きな男の人が遠くから近づいてくるのが見えました。何か文句を言われるのかな、 とちょっと不安に感じていると、聞きなれない言葉を話し始めました。オランダ人だからオランダ語を話しているのでしょうが、 オランダ語を耳にするのさえ初めてなので全く理解できません。多くのオランダ人は英語を話せるらしいです。でも、やはり田舎の人と なるとそういうわけにもいかないのかしら…それでも、互いにジェスチャーを交えて英単語を羅列した結果、この大きな男の人は目の前に 放牧されている馬たちの所有者だということがわかりました。そして、"チエッツァ、チエッツァ"という言葉を何度も繰り返し、 よくわからないけれど、とにかく何か見せてあげるからついて来なさいという感じでした。彼がスタスタと民家の方に歩いていく ので、とりあえず後を追いました。

そこは2、30件ほどの民家しかないHun(Huins)という町で、彼の牧場の厩舎がありました。厩舎には放牧されている馬たちよりも ずっと大きく、鬣を三つ編みしている馬たちが牧草を食べていました。どうやら種馬らしい…すると、彼はそのうちの一頭を 厩舎から出してきて、編んであった鬣をするすると解いていったのです。"あ"っと思わず息を呑みました。これなのです。 私がずっと憬れていたのは…ウェーブのかかった長い鬣に朝日がきらきらと光り、その隙間から真っ黒い瞳でこちらを見ています。 "こんなきれいな馬は見たことない。"写真ではもちろん見たことはありますが、それが目の前にいることにとっても感激しました。 おじさんは自慢げに写真を撮ってくれと言っているみたいなので、とりあえずシャッターを切りました。でも厩舎の周辺は散らかって いるし、他の建物や背の高い電灯があり、背景が今一つなので気が進みませんでした。言葉も通じず会ったばかりで我侭も言えないので、 なるべく周辺をカットしながら撮影しました。せめて引き手を外してくれれば良かったのですが、朝食の途中で連れてこられた上、 放牧地でもない場内の真ん中に立たされた馬は、あまり落ち着かない様子でかわいそうでした。またもう一度撮影に来たいと いうことを何とか伝え、その場はお礼を言って戻りました。放牧地の前で、一生懸命言っていた"チエッツァ"という言葉はあの馬の名前 だったのです。




5.Stal Hermes


St. Jacobiparochieに戻ってきたのは8時過ぎでした。B&Bで朝食をとり、10時過ぎに再びStal Hermesを尋ねました。BBのおばさんが 今から行くという電話を入れてくれたので、今度はすんなり会うことができました。車をエントランス横に停めると、奥へどうぞと いう感じで、おじさんが事務所の窓の向こうで手を振っていました。奥へ進むと、ちょうど休憩中だったらしく、木陰にセッティング されたベンチで、3人の乗馬服を着た女の子が寛いでいました。そして、母屋から30代と50代ぐらいの二人の女性が出てきました。

若い方の女性は、この牧場のお嬢さんのRoosです。馬の育成、調教のほとんどは彼女の担当みたいです。後に知る事になるのですが、 彼女は素晴らしい調教師なのです。残念ながら3週間後が予定日で、大きなお腹を抱えた彼女が実際に乗馬をしているところを見る ことはできませんでした。けれど、その2週間前までは、乗馬をしていたそうです。やっぱりヨーロッパの人はすごいなーと感心 しました。もう一人の恰幅の良い女性が、先程エントランスで手を振っていたオーナーの奥さんのErnaです。とても、明るい方で、 オランダ人というよりはどこかラテンの香りのする人です。

二人に、今朝Hunという町のAndreという人の自慢の種馬を見せてもらった話をしたのですが、全く知らない人のようでした。だいたい、 "ハーンだかフーンだかという町"と説明しても、"それどこ?"という感じでした。あまりにも不可解な顔をしているので、Andreから もらった、牧場のポストカードを見せました。"ここから20qぐらいの場所なのに、町の名前も知らないのかしら…それにしても読み方 ぐらいわかりそうなものなのに…"と思いましたが、よく考えてみれば、私だって日本の自宅から20km離れた小さな町の名前なんて 知らないかもしれません。しかも、フリースランドは独自の言語を持っているので、Ernaのようにアムステルダム出身のものには わからないそうです。"だけど、同じブリーダー同志交流はないのだろうか…"と、少し不思議に感じました。

Stal Hermesはブリーダーではなく、購入した1,2歳の馬を調教し、各国へ販売しているそうです。場内は、レンガ造りの母屋の 周りに3つの厩舎があり、フリージアンホースの牡馬用、牝馬用とその他の乗用馬用に分けられています。外には小さな放牧地と、 練習用の馬場、また厩舎には内馬場が併設されています。馬のほかには3匹の犬と豚とヤギが飼われています。場内を案内してもらい、 フリージアンホース1頭ずつに挨拶を交わしました。牧場の周りは広大な畑が広がっているのですが、ここで一つ疑問が湧きました。 "馬たちはずっと厩舎にいるのだろうか?どこで放牧するのだろう…。"

実は、日本で撮影地を探している時、Stal Hermesのウェブサイトにきれいな写真が掲載されていたので、フリージアンホースが 放牧地で自由に遊んでいる様子を撮影したいとメールしたのです。だから、初めて場内を見たときは、"厩舎か馬場でしか撮影 できないのかな?もしかしたらここに来たのは失敗?"など色々な思いを巡らせていました。すると、オーナーの奥さんのErnaが、 午後になったら放牧地を案内すると言ってくれたので、少しほっとしました。"案内するということは、この場内の周りじゃないの かしら…。"




6.放牧地


昼食をご馳走になり、Ernaとお嬢さんのRoosと共に車に乗り込みました。放牧地は厩舎から車で5分ぐらいの圏内に3ヶ所あり、 その一つにフリージアンホースの2歳馬が放牧されていました。この日はとても天気が良く、真っ青な空が360度広がり、 白い風車の羽がとてもきれいに映えていました。

2歳馬のフリージアンはまだ鬣が短く、首も細くて、Hunで見たような逞しい馬ではありません。けれど、大きな蹄にふさふさの毛が 生えていて、やはりサラブレッドとは違います。まだ幼さが残っているせいか、人間にとても興味を持っていて、カメラを構えて 立っていると近寄りすぎて撮れなくなってしまいます。遠ざかろうとすると後をついて来て、鼻面で背中を押してくるのです。 かわいくて仕方なかったので、相手をしていましたが、全く飽きない様子で、終わりがありません。その場を離れるときは、 後ろ髪を引かれるような思いがしました。

その夜、夕飯をご馳走になったのち、Stal Hermesから車で30分程の放牧地に案内されました。20kmにも広がる海岸沿いの放牧地では、 1,2歳馬が放牧されています。登録されているブリーダーが共有している場所なので、併せれば何百頭にもなるそうです。けれど、 あまりに広すぎて、その日は10頭ぐらいの1歳馬しか見ることができませんでした。しばらく撮影した後、きれいな夕日を背に、 St. Jacobiparochieへ戻りました。





7.厄日


フリースランドでの2日目の朝。昨日教えてもらった海岸沿いの放牧地へ向けて、5時に出発しました。けれど問題が一つ。 車で案内されたので、道をはっきり覚えていないのです。往路は幹線道路を通って右折左折を繰り返したので、あまりよく わかりませんでした。復路は海岸のダイク沿いの細い道を一直線にSt. Jacobiparochieへ戻ってきたので、この方が迷わず 済むだろうと思いました。けれど、この選択が今後の悲劇の始まりでした。

順調に車を走らせると、目的地近くの目印となっていたキャンプ場のタワーが見えてきました。これで、一安心。この辺りの ダイクは牧草が生えていてヤギの放牧地になっています。馬の放牧地に行くにはこのダイクを超えて海側にでなければなりません。 ダイクを越える道だけはコンクリートで舗装されているのですが、車1台がやっと通れるぐらいです。それなのに、このバカなやぎの 大群は牧草地ではなく、わざわざコンクリートの路上で寝そべっているのです。車を低速で少しずつ近づけても一向に退く気配があり ません。クラクションを小さめにプップと鳴らしながらやっとの思いでダイクを越え、馬の放牧地にたどり着きました。

放牧地では昨晩出会った1歳馬のフリージアンが、もうひとしきり朝の運動を済ませたかのようにみんな座り込んで寛いでいました。 生憎この日は雲が多く、なかなか太陽が顔を出さないので、しばらくその馬たちと一緒に休憩しました。風が結構あったので、 雲が動くと少し日差しが注がれます。その瞬間にちょっとずつ撮影をしました。2時間近く馬たちとの楽しい時を過ごし、 太陽がほとんど隠れてしまったので、一旦帰ることにしました。

帰りも往路同様ダイク沿いの道を走ることにしました。道は狭いけれど、車の通りも少ないからいいだろうと思ったのです。 幹線道路はまるで高速道路のようにスピードを出した車が多いので、かえって危険を感じていました。しかし、それが仇となって しまいました。平日の朝ということもあって、結構対向車が走っているのです。昨晩も早朝も対向車など一度も会わなかったのに、 今回は少々勝手が違います。路線バスも走っていて、こんな細い道すれ違えるのか冷や冷やしましたが、意外とあっさり通り 過ぎました。狭く見えるけど、結構幅があるんだなと安心していたのも束の間、前から幅の広い車が、道の真ん中を堂々と走って くるのです。全く避ける気配もなく近づいてくるので、思わず右に避けた瞬間、"バーン"と何か砕けたような大きな音がしました。 車の右側を見ると、あるはずのミラーが砕け散って、その枠だけが残されていました。

車を降りて、どこにぶつかったのだろうと見回しました。ダイク沿いの道路は路肩などなく、道路のすぐ側は民家が並んでいます。 そしてその民家の脇などには道路に跨って路駐している車があるのです。振り返るとそこにも古い車が一台ありました。恐る恐る 近づくと、やはりその車のミラーにはひびが入って1mほど先に飛ばされていました。車の持ち主は辺りには見当たらず、きっとその 隣の家の住人かもしれないと思いました。窓から様子を窺ったけれど、人の気配はせず、シーンとしていました。どうしようか 悩んだ挙句、言葉が通じないと困るので、牧場の人に相談しようと一先ず戻りました。

初めから不吉なことばかりあった今回の旅は、"やはりこういう結末に終わるのか…"というショックでなかなか運転に集中できません でしたが、なんとか宿へと着きました。車を降りてもう一度ミラーを眺めていると、白い車の右側のボディー全体に黒い一本線を発見 してしまいました。"やっぱりボディーにも傷がついてしまったのか…"ショックが更に大きくなり、今度は相手の車も心配になりまし た。"でも、さっき見たときは全然傷が見当たらなかったし、けれどかなり汚れていたから良く見えなかっただけなのかな…"などと考 えながら部屋に入りました。

この日はチェックアウトの日だったので、荷造りをしてとにかくStal Hermesに行くことにしました。そして、ほとんどの荷物をスーツ ケースに詰め込んで、いざかばんを閉じようとしたら、今度は鍵が掛からないのです。たいていのスーツケースはレバーのようなもの を押すと、中のフックが掛かって閉まるはずです。けれどこのかばんはレバーを押してもフックが下りてこなくなってしまったのです。 ついさっきまでは何の問題もなかったのに、何でこんなことになってしまったのだろう?"2度あることは3度ある"というのはよく 言ったものです。これで、最後にカメラでも壊してしまったら…などと悪いことばかりを考えてしまいました。

閉まらないかばんに悪戦苦闘した結果、フックの横辺りにねじが組み込まれていたので、これを開いて分解するしかないと思いました。 BBのおばさんにドライバーを貸して欲しいと頼んだのですが、大きなマイナスのドライバーしかなく、これではどう仕様もありません でした。おばさんは再度他のドライバーを探しに行き、その間何かないかと私も探しました。そこで、小さな金属製の耳掻きがあるの を思い出しました。ねじのヘッドに入れてみると、サイズが良さそうなので少し回してみました。と、その瞬間"ビーン"と音がして、 フックが下がったのです。どうやらフックを支えているバネがいかれてしまっていた様でした。これで何とかかばんの件は解決し、 おばさんにお礼を行って宿を後にしました。





8.呑気なおじいさん


Stal Hermesに到着し、早速ErnaとRoosにこれまでの事故の経緯を説明しました。"ちょっと問題が発生したのですが…"と切り出すと、 "何?"と少し眉をゆがめてErnaが私の顔を覗き込みました。"実は駐車してあった車にぶつけてしまって…右のミラーが砕け、ボディー も少し傷がついてしまったの。相手の車のミラーも壊れてしまって…。"初めはたいしたことないと思った二人は、"駐車していた車の 持ち主はいなかったんでしょ?そのままほっとけばいいよ"と言っていました。"でも、近所のおばあさんが遠くで見ていたんですよ。 それに、駐車といっても家の横だから…もしそのおばあさんが、見慣れないアジア人が車をぶつけていったって持ち主に報告したら どうしよう…。""それもそうね"と少し考え込んでいました。その後、私の車の傷を見て事態は一転、"これはかなり修理費がかかる かもしれないわね、一応警察に届けたほうがいいかしら…"ということになり、とりあえず相手の車を一緒に見に行ってくれることに なりました。

Ernaの車で今朝通った道を戻り、事故現場を探しました。ダイク沿いの道には、小さい平屋がぎっしりと連なっています。Ernaの話 では、洪水になれば一番危ない場所で、低所得者やリタイアーした人たちが住んでいるそうです。どこも似たような風景なのでなか なか事故現場を思い出せず、20分ぐらい走ってやっと見つけました。事故相手の車を見回しましたが、やはり壊れたのはミラーだけの ようです。ではどうして私の車に傷がついたのだろう?と思っていると、Ernaが事故車の給油口のふたの取っ手にあるふくらみの先に 黒い点を発見しました。あーこのたった1点が、私の車のボディー全体に一筋の線を作ってしまったんだ…。私が落ち込んで事故車を 眺めていると、Ernaはその車の持ち主と思われる家のベルを鳴らしていました。

中からでてきたのは、かなりお年を召したおじいさんでした。おじいさんは何も知らなかったようですが、全く落ち着いた様子でした。 私も一応謝ってみましたが、私の存在はどうでも良いようで、Ernaと何やら話をしていました。ひとしきり話した後、住所などの 連絡先を紙に書いてもらって、今度は警察に行くことになりました。Ernaの話では、あのおじいさんは呑気な人で全く気づいていな かったそうです。たぶん言わなければ、自分でどこかにぶつけたのかなとでも思うようなタイプだったそうです。まあ、田舎の おじいさんだからのんびりしているのだろうと思いますが、悪い相手ではなくてほっとしました。




9.不思議な警察


警察へ向かう途中、Ernaが対向車はどんな車だったか、どんな運転をしていたかしきりに聞くので、車種などは覚えていないけど、 幅が広くて角張っている赤っぽい車だったと説明しました。すると、"それはベンツでしょ?"と決め付けていました。 "わからないけどそうかもしれない"と答えると、"ベンツはひどい運転の仕方をするからね。悪いのはそのベンツだわ"って言うのです。 悪いのは私です。確かに対向車が寄ってこなければこんなことにはならなかったかもしれませんが、私が止まれば良かったことなのです。 対向車が悪いとしたって、もうどこの誰かもわからないし、今更どうすることもできません。それでも、Ernaは"警察に行ったら、 そのベンツのせいにしなきゃだめよ。絶対自分が悪いって言ってはだめだからね。"と念を押すのです。海外で事故を起こしたら、 自分が悪いといってはいけないと良く聞きますが、本当にそうなのですね。でも、今回のケースはいくら自分が悪くないといっても 無駄な気がしますが…。

近くの警察に到着し、車を降りました。新築らしく、警察には見えないモダンな建物です。けれど、なんだかシーンとしていて、 人の気配がしません。自動ドアの前に立ってみても全く反応がなく、目の前の張り紙に気づきました。なんと、警察なのに業務時間が 限定されているのです。しかも13時から16時の3時間だけです。これ以外の時間帯に何かあったらどうするのだろう?と思っていると、 この街のErna自身も知らなかったようで、びっくりしていました。"なんて怠惰な警察だろう"と呟いていました。この警察署は新しく できたもので、ここから15kmほど先の大きな街の警察署の分室みたいなものらしいです。だから、きっと業務には支障がないのでしょう。 気を取り直して、午後にもう一度来ることにしました。

昼食後、再びErnaとともに警察にやってきました。2人の警官がいて、そのうちの一人である婦人警官が対応してくれました。 初めは私が英語で事故の説明をしていたのですが、そのうちErnaが横からオランダ語で捲くし立て始めました。婦人警官は神妙そうな 顔をして、ふーんふーんと聞いていましたが、私の顔を見て、"かわいそうにね。そのベンツが悪いのよ"と慰めてくれました。 Ernaは今朝話していたベンツの話をしたのでしょう。終いにその婦人警官は、"そのベンツの持ち主を知ってるわ。いつも荒っぽい 運転をしているから。本当に困るわよね。"と言っていました。どうやらこの街でベンツはとっても嫌われていることがわかりました。 だから、相手がベンツといえば、全てそのせいになってしまうみたいです。婦人警官は"必要ならいつでもレポートを作るから取りに 来て。"と言ってくれました。

牧場に戻る途中、Ernaは修理費がかかってかわいそうだとしきりに言っていました。"なんとかならないかしらね。"とはいっても身 から出た錆で、自分が悪いわけです。お金で済んだだけ良しとしなければと思っていました。するとErnaは"私がいつもシエスタに 使っている部屋があるんだけど…。"と話し始めました。"狭くて厩舎の横だから、馬の動く音や泣き声が聞こえるかもしれないけれど、 良かったらそこに泊まったら?宿泊代が浮けば修理費に回せるでしょ!"ボーとしていた私は、始めは何のことかわからず"へっ?" と思っていましたが、やっと思い出しました。そうだ今日から泊まるところをまだ紹介してもらっていなかったんだ。これは、 願ってもない話です。まだ会って2日目の人にこんなにお世話になってよいのだろうか、と思ったのですが、ずうずうしい私は遠慮も せずに、即OKしてしまいました。Ernaといい、婦人警官といい、ミラーを壊してしまった車の持ち主のおじいさんといい、この街 の人は温かい人ばかりです。"悪いことがあればその後に幸運があるよ。"とErnaが言っていましたが、Ernaに出会ったこと自体既に 幸運でした。




10.お経とトレーニング


牧場に戻り、お茶を飲みながらRoosにこれまでの経過を話しました。その間にErnaは私の宿泊する部屋を準備していてくれたようです。 しばらくすると、部屋に案内されたので、車のトランクから荷物を降ろして運びました。部屋は厩舎と同じ建物を半分ぐらいに区切っ たもので、馬具などの倉庫としても使っています。その建物の真ん中に三畳ほどの小部屋があり、ベッドが置いてありました。扉を 閉めると真っ暗なのでスタンドライトを用意してくれました。部屋の横にはキッチンやシャワー、トイレなどが付いていて、泊まる だけなら申し分のないところです。ただ気がかりだったのは、持病のアレルギー喘息です。馬の写真を撮っていながら、実はイネ科の 植物(例えば藁)や牧草に対するアレルギーを持っているのです。まさかこんな展開になるとは思ってもいなかったので、季節的には 大丈夫だろうと、薬を携帯していなかったのです。"厩舎の裏であれば藁や牧草の粉がかなり充満しているのだろうな…"と少し不安 だったのですが、もうこうなったら我慢するしかない。マスクもあるし、とりあえず喘息の発作を抑える薬は持っていたので、 "何とかなるだろう"と、成り行きに任せることにしました。

荷物を整理していると、研修生のAnnabelが厩舎で馬装を始めているのが見えました。Roosは大きなお腹を抱えながら、馬場の前の ベンチに座っていました。そして、Annabelが馬場に入ってきたとたん、Roosは何やらAnnabelに向かって話し始めました。何か注意を しているのだろうなと思いましたが、オランダ語なので全くわかりません。それでもずっと聞いていると、Roosの声は全く途切れない のです。結局Annabelが駆歩運動を終了するまで、まるでお経のように何かを唱えているようでした。日本で乗馬を教えてもらう時、 一つ一つの動作に対して注意を受けることはありますが、息継ぎもないほど指導者が何かを言い続けている光景を目にしたことは ありません。一体何をどのように言っていたのでしょう?Roosに聞いてみたけれど、ただ乗り方の注意をしているだけと言います。 オランダ語がわかればいいのに、残念です。




11.宙を駆ける


Annabelはその馬の運動が終わると、他の馬の馬装を始めました。すると、Roosが"馬に乗ってみる?"というので、私は"えっ"と思わず 言葉を飲み込んでしまいました。"乗ってみたいのは山々ですが、果たして私に乗れるのだろうか?"何せ常歩からして、馬の肩の辺り まで前肢が上がり、後肢は馬体の真中辺りまで踏み込んでいるのです。速歩や駆歩といったら、想像もつかないような反動があるに 違いないのです。"乗ってもいいのですか?それはうれしいですけど、まだ6年ぐらい、しかも主にサラブレッドに乗っているので、 フリージアンホースに乗れるかどうかわからないですよ"と答えました。でもRoosは"大丈夫よ、そんなに難しくないわよ。おとなしい 馬にしておくから…"とニヤリとしました。何やら私を試しているような雰囲気で、Ernaや旦那さんのWillemもやってきて、馬場の前の ベンチに腰かけました。

Annabelが馬装をして、馬場に入っていきました。少しだけ、常歩、速歩、駆歩を終えると、馬から下りて待っています。"いいよ、 乗ってみて!"というRoosの言葉のあと、Annabelに支えてもらい乗馬しました。馬はHykaという牝馬です。なんかハイウェイカード みたいだなと思いながら、Hykaの首筋をなでました。"よろしくね"とわかるとは思えないけれど、日本語で声をかけました。そして、 常歩を始めました。しかし一歩踏み出した瞬間ぐらっとしてバランスを崩してしまったのです。すると"Annabel少し引いてあげて"と Roosの声が聞こえました。4,5歩Annabelに引いてもらうと、何とか馬の動きについて行ける様になりました。それでもどこかぎこち なく、常歩でさえこんなに難しいのに速歩や駆歩は無理かもしれない、と思いました。

何とか動かそうと脚で馬体を押して前進していると、"そんなに脚で押さないで"とRoosに注意されました。とても敏感なので、脚は あまり強くしないようにとの事でした。確かに軽い。今まで乗った馬の中でも比較にならないぐらい軽い。また、いつものように、 "手綱を長めにし、頭を低くして…"などと考えてると、"手綱が長すぎ!短く持って、頭を高く!"と、いきなりの指示。乗り始めは 手綱を長めにして頭を下げさせ、馬の背中を伸ばし、後肢を踏み込ませるといった順序を取るのが普通だと思っていました(できるか どうかは別として)。確かに、Annabelが馬房から連れてきた時も手綱を短く持ち、Hykaは既に頭を高く上げ、屈頭しながら馬場に 登場して来ました。"フリージアンホースには体をほぐすなど準備運動は必要ないのかな?やはりサラブレッドとは動きも違うけど、 運動の仕方も違うのだな"と感心しました。

もう常歩だけでも十分でした。ところが、"速歩"というRoosの声が響き、"え、マジで"と心の中で呟きました。"でも、ここまで来たら やるしかないか"と、半分どうなってもいいやという投げやりな気持ちで速歩を始めました。反応がすごく良いので、少しお腹を圧迫 するとすぐに大きくて高い一歩が踏み出されました。思わず"うわっ"と言ってしまいそうなほどの大きな上下の動きを感じ、私の堅い 体ではなかなか馬の動きを理解できません。体は前かがみになり、手綱を持っている手が上下に揺れてしまいます。"体を起こして、 手を動かさない"と呪文のように心で唱え、Hykaを信じてひたすらじっとしていました。すると、Hykaは次第に首を曲げ、顎を引き 屈頭し始めました。ようやくHykaの動きのリズムを自分の体が受け入れ、気持ちに余裕が出てきました。Hykaは私が全てを信じて 委ねているのを理解しているのか、まるで、機械のように同じリズムで動き続けてくれます。"じゃあ、駆歩して。外方の脚を後ろに 引くだけで出るから。"とRoosに言われ、その通りにすると、一発で体勢を全く変えることなくスムーズに駆歩になりました。 "なんていい子なんだろう。"もう完全に信頼してしまったので、Hykaの動きがとても気持ちよく感じられました。"こんなにいい馬に 今まであったことがない。"




12.Horse Woman


馬場で駆歩を終えた後は、クーリングダウンのために場内を常歩しました。慣れて来たとはいえ、地面がコンクリートなので油断は なりません。それでも、Hykaの常歩は揺り籠にでも揺られているように心地よく、始めに跨った時の不安はうそのようでした。 "ドレッサージュは練習してるの?"とRoosに聞かれ、"とんでもない。"と答えました。"でも、ドレッサージュをやっているように 見えたわよ。"と少しからかった表情で私を見ていました。"Hykaはとってもいい子だから、ただ彼女を信じて馬上でじっとしている だけで、何もできないんですよ。"と言うと、"そうじゃないわ。Hykaもあなたを信頼していたからちゃんと動いてくれたのよ"と 微笑んでいました。

一番うれしかったのは、Ernaの一言でした。"あなたは、Horse Womanだわ。馬を全く怖がらないし…馬の扱い方を見ればわかるわ。 バランスもいいし…。買い付けに来たお客さんで乗馬経験20年って言うから試乗させたら、全然乗れなかったこともあるのよ。" 'Horse Woman'、なんていい響きだろう。こんな6年そこらしか馬に触れていない私が'Horse Woman'なんて、生意気だと思う人もいる かもしれません。確かに自分でもそう思います。もっと、子供の時から馬と一緒に過ごせる環境だったらどんなに良かったか…。

下馬した後は感謝しながらHykaを手入れしました。フリージアンホースは全身黒くて、体も重いので、とても暑さに弱いそうです。 だから、夏の間はあまり長いこと運動させず、終わった後は水で馬体を冷やします。蹄の周りは長い毛がふさふさしているので、 きちんと手入れしないといけないと思い、脚を洗おうとしました。けれど、Annabelはそんなに洗わなくても大丈夫というのです。 それに、蹄の裏は全く洗いませんでした。手入れの重点の置き方も国が違えば違うのでしょうか。それとも、Annabelのやり方が そうなのでしょうか?




13.時間にうるさいオランダ人


Hykaの手入れを終えると、"夕食は6時ね!"とErnaは言い残し、キッチンへ入っていきました。この2日間お世話になった上、乗馬まで させてもらい、何か手伝わなきゃと後を追いました。"何かやることありますか?食器でも洗いましょうか?"と尋ねると、 "食器洗い機があるし、いいわ。Annabelは今日一人だから手伝って欲しいかもしれないわね!"と言うので、再び馬場へ戻りました。 彼女は広い場内に散乱した砂を、大きなデッキブラシで擦りながら集めていました。この日はかなり日差しが強く、日本の夏と大差 ないぐらいの暑さでした。"大変そう"というのが本心ですが、仕事を選んでいてはいけません。デッキブラシを探して掃き始めました。 ブラシはかなり重くて、竹箒の方がどんなによいか、でもきっとこの広いスペースを竹箒では掃ききれないのでしょう。デッキブラシ でさえ砂は飛び散ってなかなか終わりが見えないのに…"写真を撮りに来たのに、何やってるんだろう!?"と感じてはいたのですが、 こういう場合はコミュニケーションの方が大切です。しばらくするとRoosがボーイフレンドのPaulとともに飲み物を持ってやって きました。"しばらく、休憩しましょう。"

Paulはオランダでは大変重要な仕事を担っているそうです。平坦な国土はダイクによって守られていますが、その水門の開閉を コンピュータで管理しているのです。その職業からしても、どうやらメカ好きであることが推察できます。私の顔を見るや否や 自分のカメラを持って来て目の前に並べました。ニコンのデジカメです。レンズを友人から借りたので、見て欲しいというのです。 確か35−300mmぐらいの驚異的ズームで、F値は4.0−5.6と、とても暗いものでした。"これでは、光が弱かったり早く動くものは 撮れないですね"というと、"これはプロフェッショナルじゃないからな。あなたの持っているような白いボディーのがいいんだよな" と私のカメラレンズを舐めるように見ていました。Roosによると、Paulはいつもレンズをどれにしようか、露出はどうしようかと 理論的に考えすぎて、シャッターチャンスを逃してしまうのだそうです。Paulはどちらかというと、写真よりカメラが好きのタイプ のようです。

夕食の時間が近くなってきたので服を着替え、キッチンへ行きました。テーブルの上には料理が並べられ、Annabel以外は既に着席して いました。Ernaは少しイライラした様子で、"Annabelは?"と尋ねるので、"シャワー浴びていたけれど、もうすぐ来るんじゃない ですか?"と答えると、"いつもあの子はそうなのよ"と少し不満そうでした。"まだ時計は6時を回って1,2分なのに…"と少し不可解に 思いました。後で、Paulから聞いた話では、オランダ人は"just on time"でなければならないのだそうです。約束の時間の後は もちろん、前に来てもいけない。時間通りでなければならないそうです。これが本当なら、日本人より厳しいなと思いました。

夕食後、Douweというフリージアンホースのブリーダーが訪問する予定になっていました。何時に来る約束をしたのかは知りませんが、 RoosもErnaも少し不機嫌な様子でした。"Douweはいつも時間を守らないのよね。"とぶつぶつ言っていると、程なくして現われました。 何の用事があったのかは知りませんが、ただ話をしていただけなので、そんなに時間を気にする理由があったのだろうかと不思議 でした。それに、RoosやErnaがイラついていたのとは正反対で、Douweは全く悪びれた様子もなく、ニコニコとしていました。 Douweはとても時間にルーズな人のようです。でも、Douweもオランダ人だから、どちらが一般的なのか本当のところはわかりません。




14.オランダ料理


牧場に一週間ほど滞在し、毎日Ernaの手料理をいただきました。オランダ料理というのはほとんど馴染みがないので、どんなものを 食べているのかとても興味がありました。お肉やチーズなどこってりしているものばかりだと思っていたのですが、以外に野菜が たっぷりで、中華のような野菜炒めや、イタリアンのようなオーブン料理など、とても多彩でびっくりしました。"私のは典型的な オランダ料理じゃないから…おいしいかどうかわからないけどね"と謙遜していました。"Ernaの料理は多国籍料理ですね。 バラエティーに富んでとてもおいしいですよ"と言うと、とてもうれしそうでした。そして、"唯一つニシンの酢漬けは、絶対に オランダ料理だからね"と笑っていました。オランダでは紀元前から魚が主食とされ、ニシン漁が盛んだったようです。そして 17世紀前にはすでにニシンを缶詰にして交易し、これがオランダにかなりの富をもたらしたそうです。ニシンの酢漬けなんて、 日本ぽくてとても親近感が湧きました。味もなかなかでした。

出発前、オランダについては全くといっていい程無知でした。オランダ人はどんな生活をしているのか、英語は話せるのだろうか、 そう思いながら、色々な旅行記を読んでみました。その一つは司馬遼太郎の"街道をゆく"です。オランダには人種差別がなく、 かなり解放的な国であり、オランダの女王が、訪蘭したポルトガルの大統領を市電に乗って案内したという話もありました。 "そういうこともあるのか"と一般客と隣り合わせに座っている女王様を想像してみました。

何の話をしていたのか忘れましたが、日本の皇太子妃の話になりました。やはり王国であるがゆえに、他国の皇室でも気になるよう です。現在、雅子様に娘しかいないから、その方が女王になれるかどうか議論しているといったことも知っていました。"女王に 何の問題もないのにね。"とErnaはタバコをふかしながら、まるでこの家族の中では女王様のような風格です。そこで、司馬遼太郎の エッセイを思い出し、"オランダの女王はアムステルダムで市電に乗るんですか?"と尋ねると、"そんなことあるわけないわよ。 彼女は専用の大きな車を走らせてるんだから…"と日本とは違って身近な王室なのかと思っていたら、やはり王室は王室。庶民とは 全く違う生活をしているような感じで話していました。"市電に乗るとしたら、全部借り切って乗るんでしょ。でも、いつも車だから 市電になんて乗る必要ないわよ。"聞き方が悪かったのかもしれないけれど、司馬遼太郎が言っていたユニークな女王様というイメージ ではないようでした。




15.調教師Roos


夕食後の撮影から戻ってシャワーを浴び、翌朝の撮影のために準備をしていると、Ernaが私の部屋へやってきました。"Hykaの写真を 見たいでしょ。日本にメールで送ったら?"かなりお酒が入って、もう既にオランダ人ではなく、スペイン人のようになっていました。 "ここは、お付き合いをしなければいけないでしょう。"そう思い、彼女の仕事場にお邪魔しました。写真はなかなか良く撮れていま した。"結構ちゃんと乗っていたんだ。"と少し安心しました。その他Roosの調教中の写真などもパソコンに入っていたので、見せて もらいました。そこには、あの大きなフリージアンホースの4つの蹄を、50cm四方の小さい箱の上できれいに揃えて立っていたり、 カブリオレをしていたり、お辞儀をしていたり、座らせてその上にRoosが乗っていたり、とにかく目を奪われるような光景ばかり でした。"これはRoosが調教するの?どうやったらできるのかしら?""さあ、Roosに聞いてみたら?" Ernaはあまり興味のない様子で、 それよりも私とHykaの写真を加工するソフトと格闘していました。

毎朝10時にはRoosがキッチンへやってきて、コーヒータイムが始まります。昨晩、調教風景の写真を見せてもらったことを話しました。 "どうやったらあんなことを馬に教えられるの?どのくらいかかるの?"と聞くと、Roosはそんなの全然たいしたことないという様子 でした。"準備ができている馬だったら、2,3週間もすれば出来るようになるわよ。馬を大切にし、コミュニケーションをとっていると、 馬の方から人を理解するようになって、人を喜ばせたいと思うようになるの。どうやったら喜んでくれるかわかるようになるの。 "Roosは妊娠していたので、具体的なトレーニングをこの目で見ることはできなかったのですが、彼女の言葉は実に印象的でした。 事実、ここで出会った馬たちは、決して人の嫌がることはせず、人と過ごすことを楽しんでいるようでした。この馬たちを見ていると、 人からどんなに大切にしてもらっているのかが良くわかります。

Roosは各国で馬が不当な扱いをしている様子を見てきたそうです。その写真も見せてもらいました。エジプトでは、炎天下の中、 ラクダの代わりに馬で砂漠に聳え立つピラミッドを遊覧するといったツアーがあるそうです。その過酷な状況で扱き使われ、 死んでしまって使えなくなると川に投げ捨てられていたそうです。そういう国には、どんなに高いお金をもらってもフリージアン ホースを絶対に売らないと言っていました。彼女は、海外からやってくる顧客の乗馬経験はもちろん、どういった状態で飼うことが できるか、施設の状況など全て考慮し、必要であれば現地に赴いて調べるそうです。その結果馬を販売するかどうか決定するそうです。 彼女にとって、お金よりも販売後の馬の生活の方が大切なようです。彼女に調教されている馬たちは本当に幸せですね。




16.不思議な警察〜その2


あの悪夢についてレンタカー会社に報告しました。ポリスレポートが必要かどうか確認したかったのです。事故状況を説明したのち、 どう処理したらよいか聞くと、やはりレポートが必要のようなことを言っていました。そこへ、Ernaがやってきて、電話を代わって くれました。ひとしきり話した後、もう既に電話を切っていました。"ポリスレポートは必要ないって言ってたわよ。車に入っている 保険会社の報告書に記入すればいいみたい。"はじめの話とは違うけど、きっと事故の話をして大したことがないと思ったのでしょう。 どの程度まで警察の報告が必要なのかシステムがよくわからなかったし、また車を返却する時に説明するのも面倒なので、とりあえず はポリスレポートをもらっておこうと思いました。

今度は警察署の業務時間がわかっていたので、ちゃんと午後1時過ぎに訪ねました。すると、昨日座っていた婦人警官が見当たらず、 若い男性が一人電話をしていました。"実は、昨日事故を起こし、ここにいた婦人警官に説明して報告書を作ってもらうことになって いたのですが…。"と話を切り出しました。"彼女は今日は来ませんよ"と若い警官が答えました。"今度はいつ来ますか?"と尋ねると、 "う〜ん。病気になったからわからないな。" 彼は腕を組んだまま難しい顔をしていました。"じゃあ、2,3日後に来ればいいです かね?""いや、いつ来れるかわからないんだよね。かなり重いらしいから…。"何ということでしょう。昨日まで元気そうにベンツの 悪口を言っていたのに、どうして一日で重病になってしまうのでしょう?どうしてこう普通考えられないような状況ばかり起こるので しょう?なんだか狐につままれたような気分になりました。この旅行全てがもしかしたら夢…?

その婦人警官は昨日折角説明したことを何もメモしていなかったようで、引継ぎも全く行われていませんでした。事故の報告があった ことすら記録していない警察って一体何だろうと思いましたが、一から話すのも面倒だし、レポートも必要ないみたいだし、 まあいいか、と、帰ることにしました。もし、レンタカー会社が後にレポートが必要になったら、その時はお願いしますと若い警官に 頼み、警察署を後にしました。




17.Castration


撮影に入って4日目。オランダに到着した日も、その次の日も真っ青な空だったのに、この日はどんよりとした雲に覆われ、時々雨粒 さえ落ちてきます。ただでさえ光がないと撮影できない黒馬にはかなり厳しい状況です。仕方なく、いまや私の愛馬となったHykaの馬房 で彼女のブラッシングをしていました。Hykaは本当に優しい馬で、彼女が痒がっている首の部分をブラシで擦ってやると、まるで私が 馬の仲間であるかのように、私の肩を大きな口でマッサージしてくれるのです。"お金があったらこの子を連れて帰りたいな〜"と思い ながら、しばらく馬房で幸せなひと時を過ごしていました。

"去勢しているところを見たことある?今日の午後あるのだけど、見る?"私が少々暇そうにしていたせいでしょうか、Roosが教えて くれました。別に見たいわけではないけど、どうやってやるのか興味がありました。手術をするのは先日やってきたルーズなDouwe です。案の定、午後1時からといっていたのに彼はなかなか現われません。ErnaもRoosもイライラが募り我慢の限界となった3時過ぎ、 漸く彼の車が到着しました。Douweはいつものように全く罪悪感もない様子でニコニコと車から降りてきました。

手術の準備が整い、Annabelが馬を連れ来ました。これから何が起こるか全く知らない様子で、何の疑いもなく、普段どおりに洗い場に 繋がれました。Douweが馬の局部に麻酔をしようとした瞬間少しひるんだ様子でしたが、ほとんど抵抗なく全てが終わりました。足元 には真っ赤な血が流れ、特大の鳥の砂肝みたいなものが片隅に2つ残っていました。"日本人はこれを食べるって聞いたけどほんと?" とDouweに聞かれ、咄嗟に"とんでもない"と答えてしまいました。でも後でよく考えると、そんな話をどこかで聞いたような…まあ、 いいか。

ブリーダーであるDouweの牧場には、たくさんの牝馬と今年生まれた子供達が放牧されています。一度撮影に行きたいと思っているの ですが、なかなか良い光に恵まれません。それでも、4時を過ぎた頃少しだけ日が差すようになりました。"このまま天気が回復する ようなら、後で牧場に撮影に行きますね。"とDouweに伝え、車を見送りました。




18.不思議な天気


夕食後、空を眺めていると北西のかなたに太陽が少し顔を出しました。次第に周囲の雲も吹き飛ばされて、西日がかなり強くなって きました。"これなら撮影できる"と思い、カメラバッグを背負ってDouweの牧場へと向かいました。ところが10分ほど車を走らせると、 行く手を真っ黒な雲が阻んでいます。なんだかいやな予感がしました。"たった10数キロしか離れていないのに、何でこんなに天気が 違うんだろう?"と不思議に思いながら先へと急ぎました。

Douweの牧場の上はやはり厚い雲が覆っていました。写真を撮るのは無理かもしれないけど、仔馬達と戯れようと車のドアを開けようと しました。すると、私が出てくるのを待ちきれない様子で、まだ1歳のボクサーのような大きな犬が、車のガラス窓に顔をぴったりと くっつけています。何とか犬を押しのけてドアを開けると、いきなり私のジャケットの隅をパクっと銜えました。"しょうがないな"と 馬の口を開ける要領で口角に指を入れようとしましたが、馬と違って隙間がありません。犬はかなりはしゃいでいて、私のジャケット を銜えながら、私自身まで揺さぶられるほど、頭を振り回しています。このままじゃどうにもならないと、仕方なくジャケットを脱ぎ、 犬にあげてしまいました。犬は戦利品を受け取ってうれしくてたまらない様子で、5メートルほど走り、私の顔を誇らしげに見てい ます。"このままじゃ返してくれそうもないな"と思い、転がっていた木片を振り回し、犬の興味をひきつけて、思いっきり遠くへと 投げました。犬はたいそう喜んで私のジャケットを口から落とし、木片へと一目散に走っていきました。私はぼろぼろになったジャ ケットを拾って、犬の噛んでいた場所を見ました。やはり、穴が一杯開いていました。"ヨーロッパでこんなに躾けられていない犬は いないだろうな…"と思いながら、Douweの家の扉をたたきました。

奥さんのRenskeが優しそうな声で、扉を開けました。私がジャケットを見せると、"あら、ごめんなさい。あの子はほんとに悪い子 なのよ。お客さんが一人でいると、すぐやるのよね。悪気はないんだけど…。"と申し訳なさそうな顔で私のジャケットを手に取りま した。"たいしたものじゃないから大丈夫ですよ"と言ったものの、朝夕はまだ肌寒いので旅行中はこのジャケットを着るしかないな、 とさみしく穴の部分を見つめました。

曇ってはいるもののまだ雨は降っていないので、仔馬達を撮影することにしました。仔馬といえば普通はかなり臆病で、母親の側を 絶対に離れず、人間に対しても警戒心を持っています。ところがここの仔馬達は、母乳をもらう以外はほとんど彼らだけで遊んでいて、 放牧地へ入っていくと、興味津々に私の周りを取り囲み、カメラバッグの紐を引っ張ったり背中を押したり、さっきの犬ほどではない けれど、私と遊びたくて仕方ない様子です。そんな仔馬達と遊んでいると、時間が経つのを忘れてしまいます。

雲行きが怪しくなってきたので、母屋に戻りました。Renskeがぜひ写真を撮ってもらいたい牝馬がいると馬房で待っていました。 もうすぐ子供が生まれるらしく、大きなお腹をしたとてもきれいな牝馬でした。鬣もかなり長くて、下を向くと、まるで尻尾のように 地面すれすれまで垂れ下がってしまいます。"この天気ではいい写真が撮れないから、今度光のあるときにぜひ撮らせて下さい。" と言うと、"そうね。今日は残念だけど…。"そして、部屋の中へと案内されました。

日本で撮影した写真を持っていったので、RenskeとDouweにお茶を飲みながら見てもらいました。"きれいな写真ね。日本ってきれいな ところなのね"と風景のことばかりでした。"日本の馬は小さくて、ポニーみたいね"というように、日本の馬には"美しい"という形容詞 はとうとう使ってもらえませんでした。"やはりどう比べてもフリージアンホースには適わないです。日本の馬はきれいというよりかわ いいですから…"と付け加えておきました。そして、"子馬の出産を見たことある?"とDouweに聞かれ、"テレビでしか見たことないです よ。見てみたいですね!"と答えると、さっき見た妊婦の馬が出産する時、連絡してくれることになりました。

空が真っ暗になってきたので帰ることにしました。牧場を出発して程なく、大粒の雨が車の屋根をたたき始めました。とうとう降って きたと思うや否や、まさに"バケツをひっくり返した"という表現がぴったりの状態になってしまいました。滝の裏側に閉じ込められた ようにフロントガラスの向こうは全く見えなくなってしまったのです。ところがStal Hermesに近づくにつれ、さっきまで立ち込めてい た暗雲がどこへ行ってしまったのだろう?というぐらいすっきりと晴れ渡っていました。Ernaの話では、理由はわからないけど St. Jacobiparochie付近は周囲と天気が異なるそうです。すぐ近くの町で洪水が起こっていても、ここだけは晴れていたり、またその 逆もあるそうです。周辺は全く丘陵のない平坦な土地なのに、何でこんなにも天気が違うのでしょう?




19.お馬の親子は


もう後残すとこ1日。今日晴れなかったら今回の撮影は無理かな…と思っていると、天が味方してくれたのか夕方から青空が広がり始め ました。でも、まだ油断はできません。何せStal HermesとDouweの牧場では天気が違うのですから…。不安に思いながら、出発しまし た。でも、今日はDouweの牧場の方向にも雲があまりないようです。今日こそはと思いながら、慣れた道を走りました。

"今日こそは撮影できそうですね。"着いてすぐにRenskeに笑顔でいうと、彼女は少し苦笑いをしながら"それがね。仔馬が生まれちゃっ たのよ。"仔馬が生まれるときは連絡してくれるって言ったのに、アレは私の聞き間違い?ではなく、実は、DouweもRenskeも出かけて いる間に生んでしまったようなのです。"でも出産の時って危険もあるでしょ?大丈夫だったんですか?"と尋ねると、"大丈夫なんです よ。案外スルッて生まれるから…"とDouweは相変わらずニコニコしていました。後でRoosにこの話をしたところ、"考えられないわ! 出産時は何があるかわからないのに…"と首を左右に振りながら、憤慨していました。Kolkman家(Ernaの家族)とDijkman家 (Douweの家族)の人々は全く正反対の性格のようです。

"昨日生まれた子馬が一緒じゃちょっと撮影は無理でしょうね"と残念に思っていると、"子馬がついてきてくれればいいんだけど" と一応トライしてくれることになりました。母馬を厩舎から出すと、子馬も母馬を追って出てきました。とりあえず一安心というとこ ろでしたが、母馬のほうがかなりナーバスになっていました。馬房に帰りたい様子で、放牧地へ出しても出口の方に走り出してしまい、 それを追って子馬も生まれたばかりの細い脚を一生懸命前に出して走っていきます。"なんだかかわいそうだな"と思いましたが、 DouweもRenskeも一生懸命なので、私は少しでもいい写真を撮るしかないのです。それでも、母馬が動きすぎるので、とうとう子馬が 転倒してしまいました。すると、はるか向こうを走っていた母馬が、振り返って子馬に駆け寄ってきたのです。それは本当に感動の 瞬間でした。"お馬の親子は仲良しこよし…"という歌が私の頭の中を巡っていました。母馬の子馬に対する愛情が一杯溢れて いました。




20.お別れの日


あっという間に1週間が過ぎてしまいました。でも、色々なことがあったので、随分長いこと滞在していたような気もしました。 明日はフランクフルトへ旅立つ予定ですが、午前のフライトなので、今日中に空港近くのホテルまで移動することにしました。 この日も太陽から見放され、これまで撮影してきた放牧地を回り、そこで出会った馬達にお別れをして来ました。部屋で荷物整理や 掃除をしていると、"私達もこれから出かけなければいけないの"というRoosの声がしました。それならちょうど良いと思い、 途中マーケットで買ってきたケーキを渡してお礼を言い、Roosの出発にあわせて、私も牧場を後にしました。1週間もお世話になり、 同じ時間を共に過ごしたので、どこかのテレビ番組のような感動のお別れシーンが待っているのかと思ったら、"バイバイ、またね!" というような、とってもあっさりしたものでした。まあ、あんまり重たい空気は好きではありませんが、吹けば飛ぶような余りの軽さ にびっくりしました。スペイン人やフランス人なんて、離れる切っ掛けがなかなか掴めないほど大変なこともあるのですが、オランダ人 はこんなものなのでしょうか?

今日中に空港まで着けばよかったので、Douweの牧場に寄ることにしました。すると、ちょうど馬車の調教を始めるところで、 トレーナーが二人待機していました。馬はまだ調教を始めて間もないようで、馬装をしている時も少しバタバタしていました。 牧場を出て、周辺の農道を走り始めましたが、やはり慣れていないのか時折背中を持ち上げて跳ねようとしていました。けれど、 次第に落ち着きを戻し、かなり遠くの広場まで走ってゆきました。その中でぐるぐると輪のり運動をしたのち、牧場に戻ってきました。 乗ってみないかと誘われましたが、何せ練習用の馬車で、座るところも狭かったので遠慮しました。調教が終わり、しばらく庭で お茶を囲んで談笑しました。そして、また来ることを約束し、私の大切な?ジャケットを引きちぎったワンちゃんにもお別れをして 空港へと向かいました。

空港への道は来た道をそのまま帰ればよかったので、これといった問題もなく着きました。けれど、成田空港もそうですが、空港周辺の 道路というのはかなり複雑で、案内の標識などを探しながら行かないと、目的の場所には着きません。しかも、この時期アムステルダム 空港は工事中で、もともと設置されている看板はほとんど当てにならないのです。それでもなんとかレンタカー会社の駐車場に辿り着き ました。けれど、ガソリンを満タンにしていなかったので、レンタカー会社のお兄さんに近くのガソリンスタンドを尋ねました。 "この駐車場を出て真直ぐ行き、右の方向に道なりに行くと反対の方に出て、そのまま行くと…あっちの方向だから…"というような 感じで、全くわかりません。空港内の地図はないのか尋ねると、"そんなものはないよ。"とそっけなく言われ、とっても不親切な人で 私もかなり頭にきました。レンタカー会社の人間がこんなのでいいのだろうかと思いましたが、この人にこれ以上関わっても埒が 開かないので、とにかく駐車場を出ることにしました。

不親切な彼が言ったように、右の方向に出て行くと、更に大きな道と右手の細い道に別れたので、どうしようか迷った挙句右側の道に 進んでみました。その後、工事現場の周りをうろうろしているうちに、とうとう工事現場の中に入ったのか、行き止まりになってしま いました。そこにはヘルメットをかぶったおじさんが立っていて、不信そうにこちらを見ていました。仕方ないので車を降り、 おじさんのところまでいってガソリンスタンドの場所を尋ねました。すると、さっきのレンタカー会社の兄ちゃんとは全く違って、 とっても親切に説明し始めました。けれど、聞いているうちにかなり複雑になってきて、"なんだかわかりにくい場所ですね" と言うと、"そうなんだよ。でもとにかくそこの前の3つの道の真中を行って、左にカーブし、次の信号を左に曲がれば看板が見える はずだよ。"と教えてくれました。

工事現場のおじさんが言ったとおりに車を走らせると、やっとガソリンスタンドの看板を見つけました。"なんだ、ちゃんと説明して くれればわかるじゃない"とあのレンタカー会社の兄ちゃんの顔を頭に浮かべました。ガソリンを満タンにした後、再び駐車場に戻ろう としましたが、今度はその空港の駐車場がわからなくなってしまったのです。工事中で看板は当てにならないので、もと来た道を戻って みることにしました。ゆっくりと車を走らせると、さっきまで気がつかなかったのですが、道路脇の低いポールに何やらマジックで 手書きしたような板が貼り付けてあったのです。それは、日本では電信柱に針金で貼り付けてある"築20年、2000万円、 連絡先090-××××"というような使い捨ての看板みたいなものでした。それを良く見ると、"D"とか"A"とか書いてあるのです。 "D?Departure…A?Arrival…そ、そういうことか。オランダともあろう国が、こんな看板で車を誘導しようとするなんて…。" あまりに簡単な標識で声も出ないほどびっくりしました。

レンタカー会社の駐車場に戻ると、さっきの兄ちゃんはもういなくなっていました。別の男の人が"こんにちは"とやってきました。 "日本語知ってるの?"と尋ねると、かれは以前東海銀行に勤めていたそうです。合併してUFJになったことや、UFJと東京三菱が合併 することなど良く知っていました。そして、事故のことを説明し、今後について聞いてみました。"このぐらいの傷なら大丈夫じゃない かな〜。でも査定の専門家が見てみないとわからないけど、詳しいことは空港内のカウンターで聞いてみて。"と言われたのですが、 カウンターにはちょっと行き辛かったのです。というのも、この旅の始まりは、お財布紛失事件です。その時と同じ人がいたら…。 よく問題の起きる人だなと疎まれそうな気がしていました。

仕方なく保険請求の書類を持って、カウンターに行きました。そこには、お財布紛失事件の時とは別の男の人が座っていました。 書類を渡すと、"とりあえず、インボイスはレンタカー代のみのを作成しておきますね。査定して、負担額が決まれば新たな インボイスを送りますから、支払ってください。最高で1事故に付400ユーロですから。"ということでした。まあ、人を傷つけた わけではないし、お金で解決できる程度で良かったなと自分に言い聞かせ、空港近くのホテルに行きました。





21.事故〜その後


帰国後、インボイスはいつ来るのかと、ビクビクしながら待っていました。けれど、1ヶ月経っても何の連絡もありません。そして、 また、1ヶ月が過ぎ、結局支払わなくてもいいのかな?なんて楽観的に考えていました。そして、月末いつものようにカード払いの 請求書が届きました。封を開けてみると、オランダで使用したレンタカー、ガソリン代やホテル代などの請求が書かれていました。 なんだか請求金額が高いような気がしてジーと見ていると、レンタカー会社の請求が2箇所に記入されていて、その一つに400の数字が ありました。"え?な、何これは?インボイスを先に送るって行ったのに、その根拠も示さずにいきなり請求?"しかも、請求日は車を 返却した次の日になっているのです。"ということは、まだ査定をしていないのに、いきなり請求したっていうことじゃない!"頭に血 が上った私は、すぐにパソコンを立ち上げ、レンタカー会社に怒りのメールを送りました。メールアドレスがわからなかったので、 レンタカーを予約した時の確認メールに返信してみました。

すると、私の怒りが通じたのか、5分もしないうちに返事が来たのです。その内容は、"大変失礼しました。当部は予約関連の事務しか 扱っていないので、担当の部に転送しました。しばらくお待ちください。"あまりのすばやい対応にかなりびっくりしました。やはり オランダ人は真面目なんだなーと思っていると、1時間ぐらいして、事故処理の担当者からメールがきました。"申し訳ありませんで した。今現在、修理代の査定をしていますので、確定次第その写しを送付します。"とのことでした。

2日後、また、レンタカー会社からメールが届いていました。それは、修理代の査定について記された書類の写しで、合計金額は およそ1300ユーロでした。"なんだ、やればきちんとできるじゃない。もし黙っていたら全て向こうの言いなりになっちゃうってこと なのかしら…。"保険会社がどのぐらい負担してくれるのか詳しいことはわからなかったのですが、始めの契約で1事故に付400ユーロ ということだったので、修理代がそれを上回るなら400ユーロは払わなければいけないのだと納得し、まあ、はっきりしたので良かった なと、確認のメールを送付しました。先方は煩い日本人だと思ったかもしれませんが、初めに説明された手順をきちんと踏んでくれ ないと、なんだか騙された気分になってしまいます。遠く離れているから泣き寝入り、なんてことはしたくないですよね。

それから、一ヶ月。カード会社からの封書が届きました。今月はカードを使っていないのになんだろうと思いながら、封を開け ました。そこには5万円あまりの金額が記入されていました。"え?何に使ったかしら…?"と、請求書をよく見直すと、5万円の前に ―(マイナス)の文字があったのです。そしてその横には、またもや400の数字が書き込まれていました。"え〜お金かえってきたの?" 全く予期していなかったので、うれしさは倍増です。どうしてこういうことになったのかわからないけれど、返してくれるものは 有難く頂戴しようと思いました。"結局1300ユーロ余りの修理代は保険で全部負担してくれたのかしら…?"いまだ、そのシステムは よくわかりませんが、事件は全て私の都合の良いように解決してしまいました。




back



home  japan  france  netherlands  other  black&white  punda  book  link





Copyright (C) 2005 Fumiko Sato, All rights reserved.