温泉地ガイド

  群馬県内には令和5年3月末現在で212カ所の温泉地、459の源泉があります。そのうち宿泊施設のある主だった温泉地について、県内を吾妻、利根、西部、中部、東部の5つの地域に分割し、特にその温泉の歴史等を中心にご紹介します。


◎ 吾妻地域 
         
 浅間山、草津白根山等の山々の広大な山麓は、日本を代表する山岳、高原のレジャーとスポーツのメッカ。また、地域内の山あい、川沿いには有名な温泉地が点在しています。草津、四万、沢渡、川原湯、万座、鹿沢などの温泉地があります


○ 草津温泉は、白根火山のふもと標高1200mの高原にある自噴湧出量全国一の 名湯で、硫化水素を含み高温で強酸性の温泉です。開湯は古く約1800年前に日本武尊が東征のおり発見したとも伝えられており、明治時代にはドイツのベルツ博士も特別な効能のある温泉と絶賛し、国際的に紹介されました。今でも、昔ながらの湯治場の雰囲気が残っていますが、近年「草津夏期国際音楽アカデミー」を定着させるなど、健康で文化的な温泉保養地として発展しています。


中之条町にある四万温泉は、四万川の渓谷に沿って広がる清楚な温泉街で、平安時代の初期、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、入湯したのに始まるといわれています。昭和29年、日本で最初の国民保養温泉地に指定され、飲泉所もあり、カヌーなど自然の中でスポーツを楽しむことができます。

 同じく沢渡温泉は、上沢渡川沿いの静かな環境にあり、温泉病院の設備も整った保養向きの温泉で、古くから草津温泉の湯治客の仕上げの湯、「直し湯」として利用され、現在も療養湯治の人が多く見られます。

○ 中之条町と合併した旧六合村にある尻焼温泉は、その昔河原に穴を掘り、そこに尻を入れ療養したことから名づけられたといわれています。長笹沢川の露天風呂では満天の星を眺められる静かな温泉です。少し下がると「山桜、咲きしこずえのはなしきて」と源頼朝の歌に読まれた花敷温泉があります。静かな山あいにある保養向きの温泉で、近くには野反湖などの見所があります


○ 東吾妻町にある薬師、鳩の湯、温川の3つの温泉は、総称して「浅間隠温泉郷」と呼ばれており、開湯は薬師、鳩の湯が江戸時代初期、温川は昭和初期で、3つとも1軒づつの宿があり、山あいの静かな、そして素朴な味わいがあり、保養、静養に格好の場といえます。

 同じく東吾妻町には、日本「三美人の湯」のひとつとして知られている川中温泉があります。開湯は古く、源頼朝の旗本侍が長くここに留まり治療したという言い伝えがあります。少し下がると松の湯温泉があり、こちらも1軒宿ですが開湯は明治時代で、泉質は両方ともカルシウムー硫酸塩温泉で

〇 長野原町にある川原湯温泉は、吾妻渓谷を眼下に望む高台にあり、紅葉を始め四季を楽しむことができます。今から八百年前、源頼朝が浅間に狩りにきたとき発見し、入浴したといわれています。江戸末期から明治にかけて宿屋が増加し、戦後昭和21年の吾妻線開通で一層知られるようになりました。毎年1月20日の未明に 行われる「湯かけ祭り」は有名です。

○ 嬬恋村にある万座温泉は、白根火山の直下、標高1800mとわが国で最も高地にあり、周辺は原生林におおわれています。強度の硫化水素を含み、高温で湯量豊富な温泉です。開湯は古く戦国時代に入湯の記録があり、江戸末期には湯宿ができたといわれています。雄大な自然美に包まれ、四季を通じて温泉保養と自然探勝でにぎわい、特に冬は雪質のよい絶好のスキー場となります。また、鹿沢温泉は「雪山賛歌」発祥の地として知られる、標高1500mの浅間山麓にある国民保養温泉で、素朴な山の温泉気分が満喫できます。春には高原に国の天然記念物に指定されているレンゲツツジが咲き、夏は避暑、秋は紅葉、冬はスキーと四季を通じてファミリーで自然が楽しめます。鹿沢から長野県東御市までの道脇に安置されている「百体観音」から、古の温泉信仰が偲ばれます。


◎ 利根地域
壮大な谷川連峰を背景にした奥利根は、良質な源泉に恵まれた風雅な温泉があり、 三国峠界隈に点在する温泉は景勝に恵まれ湯の街情緒にあふれ、美しい湿原と白い水芭蕉に代表される尾瀬の周辺には、四季それぞれの自然とスポーツが楽しめる温泉地がたくさんあります。水上、湯ノ小屋、湯檜曽、猿ヶ京、老神、尾瀬、片品、川場など58の温泉地があります。


水上温泉の由来は四百年以上前と古く、かつては「湯原の湯」といわれていました。昭和6年の上越線開通により世に紹介され、戦後の水上駅設置などにより水上温泉と呼ばれるようになりました。さわやかな利根川渓谷に沿って美しさを競うように近代的なホテルや旅館が軒を連ねており、自然美に囲まれ、四季を通じて楽しめる温泉地です。温泉街の近くには、諏訪峡などの景勝地のほか、多くの詩人や作家の歌碑が点在し、文学散歩の道筋を彩っています。

 同じみなかみ町にある谷川温泉は、伝説では約六百年前に発見されたといわれ、谷川岳南麓の渓流沿いにあり、四季豊かな自然を楽しめる清閑な保養温泉です。

また、湯檜曽温泉は、谷川岳のふもと、上越国境の山々に囲まれた休養に適した温泉でスキーや登山の基地になっています。歴史は古く、鎌倉から室町時代にかけて奥州の豪族阿部氏一族が、この地で川辺に湧く豊かないで湯を発見し、「湯のひそむ村」ということで、いまの湯檜曽になったといわれています。


川温泉は、藤原湖の北部に流入する宝川沿いにある1軒宿で、日本武尊が東征中、一羽の白鷹に導かれて湯を発見し、病をいやしたという伝説があります。大きな露天風呂は海外でも有名です。

湯ノ小屋温泉は、水上温泉郷の最奥部にあり、鎌倉時代には奥州藤原氏が隠棲した温泉といわれています。宝川とともに落人伝説の里「藤原卿」の風物を十分味わうことができ、観光資源にも大変恵まれています。

○ みなかみ町(旧月夜野町)にある上牧温泉は、上越新幹線「上毛高原駅」と関越自動車道「水上I・C」から近い交通の便がよいところで、数軒の旅館と温泉病院が利根川沿いに並んでいます。国指定の国民保養温泉郷で、健康の里として家族連れや女性客に人気があります。肌にやさしく「化粧の湯」と言われてます。


○ みなかみ町(旧新治村)には猿ヶ京・三国温泉郷があり、そのうち湯宿・川古・法師温泉が平成11年に国民保養温泉地に指定されました。

 猿ヶ京温泉は、国道17号沿いの赤谷湖のほとりにあり、新緑と紅葉の美しいところ。江戸時代の発見といわれ、以前は「湯島の湯」・「笹の湯」として赤谷川渓谷に旅館が点在していましたが、昭和34年相俣ダムの完成により水没。猿ヶ京温泉として新生し、湖畔には近代的なホテルも建ち、一大温泉地になりました。県指定史跡の猿ヶ京関所跡などがあります。また、陶芸、竹細工、石工、木工、和紙等様々な「たくみ」を集め1つの集落を形成した「たくみの里」があります。


 
国道17号沿いの三国温泉郷入口にある湯宿温泉は、9世紀中ごろ弘法大師の開湯といわれ、古くから利用されてきました。江戸時代の宿場としての面影が今でも残り、公衆浴場が点在し昔ながらの家並みもあります。

  法師温泉は三国峠の南麓、山間の秘湯一軒宿で、弘法大師が東国行脚のおりに発見したとのいわれから名付けられました。多くの文人、歌人が訪れており、法師川の瀬音、かじかの声、ぶっぽうそうの鳴き声が聞かれ、心が洗われる風情があふれています。国鉄のフルムーンのポスター・宣伝で一躍有名になりました。

  川古温泉は、赤谷川上流にあり、四季おりおりの自然が楽しめます。発見は江戸時代中ごろ(250年前)で、37度のぬるま湯で身体を温めると、神経痛やリウマチ及びムチウチに良く効くといわれ湯治客でにぎわっています。

○ 沼田市(旧利根村)にある老神温泉は、その昔、赤城山と日光二荒山の神々の領地争いがあり、 赤城の神がこの温泉で傷をいやし、二荒の神を追い返したことから「おいがみ」と名付けられたといわれています。尾瀬や日光への途中、片品川沿いの渓谷の両岸に静かなたたずまいを見せる昔ながらの湯の街で、アレルギー皮膚炎の人には特に効く温泉として利用されています。


川場村の武尊山の南麓にある川場温泉は、弘法大師が日光に赴く途中発見したと  いわれ、源泉も「弘法の湯」と呼ばれています。昔から「脚気川場」の霊泉として知られ、湯治客が絶えません。

  武尊温泉は、標高2158mの武尊山の南麓、薄根川沿いにあるシャレた山荘風の湯宿です。四方を山に囲まれ、聞こえてくるのは川の音と小鳥のさえずりだけという静けさは、他に類がないほど。赤倉峡、武尊山の探勝、登山の足場として最適です。(冬季閉鎖)


○ 片品村には、国の特別保護地域に指定されている観光地「尾瀬」があり、その周辺にはいくつもの温泉があり、「片品温泉郷」と呼んでいます。昭和58年に国民保養温泉地に指定されました。

  尾瀬温泉と片品温泉は、尾瀬の表玄関で、アルカリ性の肌にヌルヌルする温泉は、山歩きのあとの疲れをきれいさっぱりと流してくれます。2つとも戦後の観光開発により急速に発展しました。片品川と沼田街道沿いに点在する旅館・民宿は200軒以上あり、半分以上が温泉を利用しています。夏は尾瀬へのハイキング基地、またテニスを始めスポーツ施設も充実しており、冬はスキー場の宿泊地として、四季型観光地としてにぎわっています。

  丸沼温泉は、金精峠を通って日光へ抜ける「日本ロマンティック街道」沿いの、標高1430mの原生林に囲まれた丸沼のほとりにある一軒宿です。開湯は江戸時代中期と伝えられています。冬季は金精道路とともに閉鎖されます。

◎ 西部地域

  西上州・西毛地域とも呼ばれるこの地域には、高崎市ほか3市5町村があり、わが国の古代文化を物語る文化遺跡が数多くあります。また、鋭く切り立つ妙義山は岩場のスリルを味わえる登山コースとして人気があります。温泉地は54箇所、素朴な温泉が多い。磯部、妙義、霧積、八塩温泉などが有名です。

○  安中市にある磯部温泉の開湯は天明3年(1783)、日本三大奇勝妙義山を間近に望み、清流碓氷川河畔にある閑静な湯の街です。明治時代の中頃,外相の井上馨ら時の政府要人が好んで別荘をたてました。また北原白秋、若山牧水、島崎藤村ら多くの詩人や文人が滞在し作品を残しています。また、温泉マークの発祥の地であり、温泉を使って焼いたせんべいは有名です。

○ 安中市(旧松井田町)の霧積温泉は群馬・長野県境の自然環境に恵まれた古くからの湯治場であり、2軒の温泉宿は静けさに満ちています。また、森村誠一の小説「人間の証明」の舞台となり、一躍脚光をあびた温泉です。

○ 鬼石町にある八塩温泉は、神流川沿いにひっそりとたたずむ温泉宿で、「塩の湯口八ツ所」として知られ、ここから八塩温泉と名付けられました。付近には最澄が天台宗を開創し、東国布教の根拠地とした浄法寺があり数々の歴史を偲ぶことができます。

○ このほかに高崎市のシンボルである白衣観音のそばに高崎観音山鉱泉があり、ここから眺める夜景は格別です。妙義温泉は、上毛三山のひとつ妙義山の麓にある妙義神社の門前町として賑わっております。下仁田温泉は四方を山に囲まれた離れ屋形式で大庭園や池、小川があり静かに保養するのに最適です。また、村面積の94%が森林という上野村には、その大自然の中に野栗沢、浜平、向屋、塩の沢の4つの温泉があります。


中部地域
赤城山の西南麓、榛名山の東麓から広がる中部地域は、前橋市を中心に人口が多く、近年ほとんどの市町村に日帰り温泉センターが設置され、連日多くの利用客で賑わっています。地域には32の温泉地があり、全国的に有名な伊香保温泉があります。


○ 群馬県を代表する伊香保温泉は、榛名山の東斜面にある石段の美しい湯の街です。今から2千年前に発見されたと伝えられており、4百年前の戦国の世に石段街を軸にした温泉宿が形成されました。江戸時代には本格的な湯治場として隆盛し、明治にはベルツ博士が訪れ、温泉医学の原典「日本鉱泉論」をまとめました。徳富蘆花の小説「不如帰」で全国に紹介され、また竹下夢二ゆかりの地でもあります。

○ 赤城山南麓の前橋市(旧宮城村)にある赤城温泉の歴史は古く、温泉の守護仏・薬師尊石像は応仁元年(1467)の作であり、元禄2年(1689)前橋藩主・酒井雅楽頭が「諸人人助けのため」として湯小屋を作らせた。また、標高950mから関東平野が一望でき,名峰赤城山に抱かれた静かな環境の中にあります。

美人の湯で知られる小野上温泉は、日帰り温泉を中心に県内外から連日多くの利用客が訪れ賑わっております。

このほかには、伊勢崎市の華蔵寺公園の付近に五色温泉があります。鉄分が多いのが特徴で飲用にも使用されています。


東部地域
雄峰赤城山の東山麓から始まる東上州は、農村地帯と工業地帯が広がり、桐生市、太田市をはじめ都市化が進んでいる。この地域は温泉地は少なく、12箇所ですが、宿泊施設のある薮塚温泉と梨木温泉があります。


○ 薮塚温泉は、天智天皇のころ行基上人により開かれたとの伝説があり、新田義貞が鎌倉攻めの折、傷ついた兵士をここで湯治させたとも伝えられています。付近には温泉神社、スネークセンター、テレビドラマ「木枯紋次郎」で有名な三日月村などの見どころが多く、数少ない素肌に効果がある温泉として知られています。

桐生市(旧黒保根村)にある梨木温泉は、坂上田村麻呂が赤城神社造営の折発見したといわれ、 明治20年頃から宿に温泉が利用され始めました。赤城山の東南麓の自然に恵まれた環境の中にあります。また、猿川温泉は大正時代から利用され、現在はわたらせ渓谷鉄道の「水沼駅温泉センター」で利用されております。

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