No.10 続 水辺に咲く植物

小倉 寛

前号に続いて、庭の池に咲いた「大賀ハス」を目当てに訪れたゲスト達と、ジサマが交わした会話を聞いたオラが、受け売り話になるが、1951年3月、千葉県検見川・東大農場(落合遺跡)で、植物学者の大賀一郎博士は地元の花園中学校の生徒達と共に遺跡の発掘調査をした。その結果、地下約7m、弥生時代の泥炭地層から三粒の蓮の種を発見した。大賀博士はこの種に発芽処理を施し同年5月、僥倖にして2粒が発芽した。このニュースは忽ち、世界の植物学者の話題を浚った。その翌年7月18日の早朝、ピンク色の鮮やかな花が開花した。以来、この蓮は「大賀ハス」と名付けられ「世界最古のロマンを秘めた花」として海外にも分根され、友好・親善の輪を深めたという。

前号で「大賀ハス」の交雑について述べたが、少々専門的な話題になるので恐縮だが、知っていても荷物にならないし、覚えて人に語れば博学だと尊敬されるとオラ思うので……いうなれば、植物には種子繁殖と栄養繁殖があって、種を蒔いて殖やすことを種子繁殖という。それに対して球根類の分根、挿し木、とり木、株分けなどで、植物体を分割して殖やすことを栄養繁殖という。

そして種子繁殖すると、風・野鳥・昆虫などの媒体により交雑され、親と同じ形質の固体はえられないが、栄養繁殖では、突然変異が起きない限り、親と同じ形質が継承され、つまり、純潔種が保持される。

蓮の世界的権威者である大賀博士は、奇跡的に発芽して花開いた古代ハスの純潔種の保持に、人知れず対策に苦慮されたであろうとジサマはゲストに述懐していた。話は変わるが大賀博士は、古代織物の研究に十日町市に来訪された機会に、十日町市の素朴な自然環境に着目して、1961年5月に大賀ハスの蓮根を携えて再び来訪され、自ら数ヶ所の候補地を踏査され、同市二ツ屋の弁天池周辺が、「大賀ハス」の原種保存に最適の地域として選定され、地主の俵山薫氏の協力を頂き、稀代の社会奉仕者、市会議員半間正氏が主管となり、原種保持と増殖に私財を投じ、また多くの支援者の協力を得ながら、48年間の永い歳月を、ひたすら広大な蓮田の管理に専念して、今日に至ったのです。 近年、弁天池の「大賀ハス」は、中越地震の被害を受け、止む無く隣接の地に移設し、新たに地元の保存会を立ち上げ、半間正氏の指導のもとで、増殖培養中です。

これまで全国で、大賀博士の指導で「大賀ハス」の純粋種の保存に取り組んできた組織では、新潟県十日町市の半間正氏が主管の二千年ハスの組織と、和歌山県三浜町の「大賀ハス保存会」坂本会長が主導する組織がありますが、いずれも野池栽培ですので、夫々に課題が残されている。

「大賀ハス」は、千葉検見川で発見されて以来、今年で58年の歳月が流れました。日本花蓮協会の事務局長の榎本輝彦先生は、日本の花ハス栽培の第一人者として、新品種の作出登録数も抜群で有名なお方ですが、先生の著書「花ハス栽培」のコラムに次の記事が掲載されていますので、榎本先生のお許しを頂き、抜粋して紹介いたします。

……純粋な「大賀ハス」が最近見られない?どれが本当の「大賀ハス」なのか?そんな声が巷で囁かれる昨今です。 ある方が私の経営する蓮蹊香園に見えた時のこと、「榎本さん「大賀ハス」の浮き葉(無駄葉・銭葉)は赤だよ!」と言われて自分のハスを見ると、 浮き葉が緑なのです。 自分は「大賀ハス」と信じて栽培していたので、大変ショックでした。早速間違いを指摘してくださった、そのお方から分根して頂き、真正な 「大賀ハス」を栽培することができました。

大賀博士は、その生涯をハスの研究に没頭された方です。生前、大賀博士が天然記念物に指定された「大賀ハス」の栽培法について、どの程度の指導されていたか、今となっては知る由もありませんが、今日見られる「大賀ハス」を巡る混乱というか?、トラブルというか?その源は、 種子繁殖の基礎知識を持たずに、勝手に「これは「大賀ハス」の種だよ」と、言って配っている人が多くいるからだと、榎本先生はいうのです。

今では個人のハス園だけにとどまらず、公共的な公園や池などにも「大賀ハス」と異なるハスが「大賀ハス」のレッテルを貼られて、市民の鑑賞の対象になっています。 花が咲けば種子ができます。同じ池や、また付近に異種のハス咲いていれば、当然本来の「大賀ハス」と異なる種子が生まれます。

…以下略…

ここで花バス栽培の大家、榎本先生よりメールがありましたので紹介いたします。「ご依頼の件は、使って頂いて結構ですが、6~7年前にアメリカで大賀蓮をDNA鑑定をしたら、中国古代蓮と同じだと発表されています。英文で、私の所にもありますが、大賀蓮は過去の花で、現在これが大賀蓮ですと、認定できる方はいないと思います。そして、和歌山県の阪本氏とも意見交換をいたしましたが、池で落下種子から出た幼芽が育てば、違う品種になるわけだから、純粋な大賀蓮ではありません。まして池の栽培ほど、純粋な品種は管理不足で残らないからです。 榎本輝彦……

そして先日こんなメールを頂きました。 はじめまして月刊キャレルの読者です。毎回楽しく読んでます。今回の「大賀ハス」はとても懐かしいお話でした。私は千葉市花園小学校に通っていた時、学校近くの東大グランドから「大賀博士が二千年前のハスの種を発見され、それを見事に咲かせ私たち小学生は、「大賀ハス音頭」を踊られました。今では日本中に広がった大賀ハス、あのピンクの可憐な花は、私の思い出です。小倉のジサマ、どうぞ末永くハスを可愛がってくださいね。 新潟市 M・S

(注、大賀博士は、1965年6月永眠・享年82歳・勲3等瑞宝章授与、)
榎本先生の著書「花ハス栽培」は、日本花蓮協会に申込めば入手できます。なお、日本花蓮協会のホームページは、「オープンガーデン・新潟」のサイトにリンクしています。)

注、月刊キャレル 2009年10月号に掲載された記事より一部補足し転載いたしました。

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