No.1 作務衣とスキンヘッド

小倉 寛

オラは「久兵衛の庭」に棲むモグラのオラだが、ジサマが立ち上げた、オープンガーデン新潟のホームページのお蔭で、オラも人間の社会で、少しは有名になったようだが、人間が犬や猫に名前をつけて呼ぶ娑婆と違って、人間がモグラに名前をつけて呼ぶ習慣がない。 だからモグラのオラは、いつもオラで過ごし、時々悔しい思いに駆られている。

ところで数年前のことになるが、新潟で月刊3万5千部発行するといわれる「月刊キャレル」の見目麗しき編集長から、オープンガーデンにまつわるエッセイを書いて欲しいというお話が舞い込んだと聞いたので、多事、多忙なジサマに代わって、オラが書かせてもらうことになり、以来4年数ケ月連載して戴いたお蔭で、多くのフアンに囲まれ、生き甲斐を感じていた、モグラのオラですが、ジサマがyahoo!で調べたら、事もあろうに、同じ「モグラの寝言」のタイトルで、エッセイを書いている人が、ナント3万人もいるそうで、紛らわしいので、オラはタイトルを変更し、「エッセイ 越後久兵衛の庭」に棲むモグラのオラに改名「オープンガーデン新潟」のホームページ更新を機会に、再登場することになった。

という事情から、改めて諸賢各位に、経過報告を兼ねまして、ご挨拶申します。

モグラのオラは、ジサマが庭に訪れた客人と交わす会話を、いつも盗み聞きしているので、いまでは、ジサマの優れた識見を、己れの知識として、門前の小僧と習得することができた。 つまり、庭作りに関することなら、なんでも代弁できる、と自負しているモグラのオラでございます。

久兵衛どんのジサマは、大正の最後の年、つまり1926年に生れ、大正・昭和・平成の三代の天皇に仕えた侍で、いうなれば、床の間に飾る骨董品に相応しい御仁であるが、ジサマの口癖でいう言葉に、人間は、気力・精力・胆力・判断力・決断力の五力を持って事に臨めば、軍師官兵衛に勝る、人生の勝者になれる、という持論を抱くジサマだが…、オラの見た限りでは、その五力には程遠いようだが、行動力だけは抜群のジサマであることには間違いない。

例えば、アトランタ・モントリオール・シドニー・アテネ・北京、これは皆様ご存知の近年オリンピック開催都市の名であるが、アトランタ大会のとき、スキンヘッドスタイルの選手達が、次々と世界記録を更新して金メダルを獲得していた。

この大会競技を茶の間のテレビ桟敷で観戦していたジサマが、つらつらおもうに、頭の毛を剃って走ると、それだけ空気抵抗が減る、百分の一秒を競う競技には、有効な方法かもしれない。しかし東洋には頭寒足熱という健康法がある。スポーツ科学の進んだアメリカでは、かならず極秘の効能を発見したに違いない…だとすると、これに乗り遅れたら一生の損と、ジサマは立ち上がって車庫に向かった。

ジサマの行き先はバーバーだが、如何に老いぼれといっても、顔馴染みのバーバーでは、剃り落としてくれ、とは武士の情け、言え難いので、ハンドルを切り替え、一元のバーバーのドアーを押して、迷うことなく変身した。

光陰矢の如し、以来数十年の星霜を頑固ジサマの象徴としてスキンヘッドを貫いている。

毎日湯船に浸かりながら、安物のトンボ型のヒゲソリで器用に剃っている。そしてスキンヘッドに、スーツはなじまないので、もっぱら作務衣をまとって行動している。

ジサマのプロフィールはこれくらいにして、本題に入ることにする。

そもそもジサマが、オープンガーデンを意識して庭造りを始めた発端は、1982年の昔にさかのぼる。当時の日本には、まだオープンガーデンという言葉は、耳慣れない時代であった。ある園芸雑誌のコラムに、英国で生まれたオープンガーデンが、ドーバー海峡を渡ってフランスに飛び火して、いまや欧州全土に澎湃として広がっている。という紹介記事であった。やがて日本にも、この組織が生まれるであろう。と筆者は予測して記事を結んでいた。

それから10数年経過してようやく、1997年に岩手の吉川三枝子女史が「オープンガーデン・岩手」宮城の大森依子女史の「オープンガーデン宮城」福島の加原世子女史が立ち上げた「オープンガーデン岩城」等々が続々誕生した。続いてその翌年には、イーロブック岡山、黒潮丸のPCオーシャンヨットクラブのクルーで有名な、森下先生が立ちあげた、伊豆オープンガーデンなどが発足している。ジサマは伊豆オープンの森下先生の追っかけ信者だそうだ。新潟県に隣接し至近距離にある交わりも深い「オープンガーデン岩城」は、加原女史の福徳と小椋事務局長の、優れたサイト編集技術などで斯界では、突出した存在になっている。

小布施町オープンガーデンは、創設した名町長が任期が過ぎ、交代したので、当時から見ると、少し変化が起きているのではないかと憂慮している。例えばサイトがサーバー上から見ることができないことなどである…

観光目的で行政主導のオープンガーデンで大成功した小布施町に真似て、行政主導の組織が各地に生まれた。悪いことではないが、今一つ成果が上がらず呻吟している。お役人で花作りの好きな人をジサマは見たことがない?、そして花壇を持たず、サイトの運営ができない人が、主導していることが多いからだ、とジサマは呟いていた。

営利目的の組織ではない、オープンガーデンは、花を愛する人と人との交流を求め、自庭をひろく一般に無料で公開する組織であり、特別の場合を除き、名前・住所・電話などを公開することを前提としている。

この組織に行政の都合で『個人情報保護』などの概念を持ち込まないで欲しい。せっかくのオープンガーデン活動が混乱する。行政がオープンガーデンを観光資源の組織と位置つけるなら、それなりのポリシーを持ち対応する姿勢が必要であるとジサマは言うのだ……、そして海外には行政主導のオープンガーデンは存在しないと聞いているが、もし間違っていたら、是非教えて欲しいとジサマは言っている。

ジサマの願望するところは、お庭つくり、花つくりの好きな人達は、夫々に、多くの失敗を重ねて、やっと思い通りの花が咲いたときの喜び、こんなに見事に咲いた花を家族だけで楽しんでいるのは勿体ない。一人でも多くの方々にも見て欲しい。見て貰わないと咲いた花に対しても申し訳ない。こんなとき貴方がオープンガーデンの仲間になっていれば、貴方の生活に艶も張りもでゝ、歳など忘れた生活が蘇るというのです。そして狭い庭だからオープンガーデンの仲間になれないなどと、始めから諦めないで、狭い僅か畳12枚程の面積の庭でも、訪れたゲストに大きな感動を与える庭を、僅か2年で、しかも手作りで完成させた人がオープンガーデン・新潟の会員にいる。庭師に任せてつくった庭は、見る人に感動を与える庭とは異質なものだと、ジサマはいう。オラには、まだそこまではわからない。 そして、人は好き好きといっても、ご飯のオカズの甘い辛いと違って、庭つくりや花つくりには、その言葉は通用しない、とジサマは口癖のようにいう。日本庭園にしても、フラワーガーデン&イングリッシュガーデンにしても、夫々一定の基本が存在すると、ジサマはいうのである。

注、月刊キャレル 2009年1月号に掲載の記事を一部補足し転載いたしました。

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