2006年 夏 長崎から(2006.9.3)
広島に原爆が投下された8月6日。
毎年この日に、長崎の稲佐山で、「XXXX年 夏 長崎から」 と題して
さだまさしが無料コンサートを開いている。
【 稲佐山方面から、長崎市街をのぞむ 】
先の第二次大戦で、日本人だけでも約310万人の人が亡くなった。
(軍人、軍属:約230万人。空襲などで民間人:約80万人)
毎回のコンサートの中で、さだまさしは言う・・・・・
「・・・・・・ほんの僅かな時間でいいから、あなたの一番大切な人の『笑顔』を思い浮かべ欲しい。
そうしてその『笑顔』を護るために自分に何ができるだろうか、ということを考えて欲しい・・・」
それが、平和への第一歩だと思うから・・・・・・・」
詩人である、まさに、さだまさしらしい。
また、最近読んだ、さだまさしの本に以下のようなくだりがある。
『・・・・想いはちゃんと伝わるんですね。そのコンサートの打ち上げの席で、
第一回からボランティアをしてくれている長崎県の職員のスタッフがこんな話をしてくれました。
開演前に席を探している二十代の若い母親と三、四歳の小さな子供がいた。
たまたま移動中だったスタッフが、偶然並んで歩く格好になったんだそうです。
そのとき、小さな子供が、
「お母さん、なしてこんなに一杯人の居ると?」 と聞いた。
彼は別に盗み聞きしようなんて気持ちはないのです。
でも、そういうときに若いお母さんがどんな風に説明するかはスタッフの一人として気になるじゃないですか。
で、彼は何気なく耳をそばだてていた。
若いお母さんは、
「今日はね、平和を考える日だからよ」 と答えたあと、今度はしゃがみ込んで逆に子供に尋ねた。
「平和、ってどういうい意味だかわかる?」
「わからん!」 三、四歳の子供なら当然ですよね。
そうしたら、お母さんはこう答えたというんすね。
「こんなに沢山の人が集まって、良い音楽を聴くことが”平和”なのよ」 と。
その話を聞いて、彼は泣いた、といいます。僕も涙が出た。
頑張ってきてよかった、と心から思った・・・・・』
私は今、女房が録画してくれた「2006年 夏 長崎から」を、ビデオでを見ている。
ゲストの大竹しのぶさんが、「フレディもしくは三教街 −ロシア租界にて−」を朗読した後、
さだまさしが唄う・・・・唄い終わった後、大竹しのぶさんが、涙で顔をクシャクシャにして言った。
” ・・・・今日はじめてここへ来て、さだまさしさん、すばらしいスタッフの方、ここにおいでのみなさん方、
全てのすごさを知りました。だから・・・・ありがとう!!”(要約)
20年間、さだまさしがやっていたので、一度くらいは稲佐山に行きたいとは思っていたが・・・
今年で、この「 夏 長崎から」のコンサートを終了するという。
さだまさしの、20年におよぶ旅が終わった。
「2006年 夏 長崎から」を最後として。
私は今、日本戦没学生の手記 「きけ わだつみのこえ」を読んでいる。
大竹しのぶさんと同じように、涙で顔をクシャクシャにして・・・・・