長崎への船旅(2006.6.1)


2006年のゴールデンウィークに計画した長崎への船旅は、強風のため断念した。

ふるさと長崎で、出島ワーフで会う予定だったTさん、Nさん。
待っていてくれてたのにと思うと、天候のせいだとはいえ、
とても申し訳ないことをした・・・・・という思いがずっとあった。

6月1日(木)、2日(金)になんとか、休みが取れた。
居ても立ってもいられなくなり、ゴールデンウィークのリベンジとばかり、
急遽、ひとりで、長崎への船旅を計画した。


【 母港、倉岳港から長崎、出島ワーフ(泊)までの海路 】


【6月1日(木)】
5:00起床
8:30には、舫を解いて出港!
海は、ベタ凪である。


【出港間際の、スクリュウが描く波・・・・さあ!行くぞって感じ!】

途中、3箇所ほど釣り糸を垂れ、キスを10匹ほど釣った。(25センチ級、4匹)
今晩の、出島ワーフでの船上パーティーの刺身は確保した。


【亀島 】

一路、長崎へ。
野母崎、樺島大橋をくぐり、高島あたりの海が綺麗な場所で、
釣っておいたキスを、刺身にさばいた。

長崎港入り口の右手に広がる、三菱重工長崎造船所、香焼ドッグ。
そこで、大きいタンカーを見た。近くに寄るとホントでかい。


【十和田(TOWADA)という船名の、大タンンカーが係留されていた】


【長崎港入り口の、女神大橋・・・夕方で、モヤがかかっていた】

さあ、わがふるさと長崎だ。
出島ワーフに着岸。


【 長崎出島ワーフに到着!!  】

16:30、着岸!
出島ワーフの管理人さんが、ロープをとってくれた。
とても親切な人でした。


【 出島ワーフから、稲佐山を望む 】

稲佐山は、さだまさしの「夏、長崎から」野外コンサート会場で有名である。
そういえば、最近読んだ本「本気で言いたいことがある」(さだまさし著)で、
「・・・そして今年2006年、20回目を迎えるにあたり、このコンサートをやめる決心をしました・・・」
と、あった。少し、心配である。

長崎の先輩、Tさんや、Nさんと、夕方、6時頃、出島ワーフで船上パーティーの予定である。
急いで出島ワーフの事務所で、係留手続き(1泊の係留費2,100円を払うだけ)をし、
その足ですぐ隣りの夢彩都という大型ショッピングセンターで、バーベキューの材料を買った。
買い物客の話す、長崎弁のアクセントが妙に懐かしく、うれしかった。

徳成丸に小さな灯りをともして、やがてやって来たTさん、Nさんとパーティの開始である。


【 徳成丸の船上にて、T先輩 】


【 同じく、Nさん 】

このあと、私の親父が加わり、さらにHさんも加わった楽しいパーティーとなった。

楽しいひとときは、瞬く間に過ぎ、解散後、私は中小島の実家に泊まった。
疲れていたのだろう、泥のように眠り込んだ。

【6月2日(金)】
翌朝、7時にはあわただしく、出港、帰路についた。

天候、やや曇りで小雨も降ってきた。
野母崎の岬を回ったところで、猛烈に海はシケていた。
なんとか乗り切り、樺島大橋へ。


【 野母崎を左旋回したところで、強風と、大波。かなり苦労した。】

よく、「XX岬を回る場合、注意!」などと、日本一周した方の航海記にあるが、
なるほど、こういうことを言うのか! と、妙に納得した。

さらに、樺島大橋を抜けたところで、さらに強烈な風と波である。
まるで台風だ。とても航海できる状況にない。


【 樺島大橋を抜けたあたりの状況 】

脇岬港の、防波堤の内側に船を係留した。
その防波堤は、長さが500メートル以上もある大きな防波堤だ。
防波堤の内側はベタ凪だが、外側はまるで台風である。
よくもこれだけ荒れたものである。

防波堤の端から端まで歩きながら、1時間ほど、海を眺めていた。
(午前10時頃から、11時頃まで)

こりゃあ、いかん!脇岬港の漁協かどこかにお願いして、係留させてもらい、
バスで、熊本へ帰ろうと決めた。
命あってのモノダネである。
翌日の土曜日、お客様との約束があり、仕事が入っている。
早く帰らにゃあ・・・・・

「困ったな!この港から、長崎までバスで1時間はかかるだろう。
 それから、高速バスりんどう号で熊本まで4時間。
 さらに、熊本から倉岳港まで、車を取りにいかねばなるまいし・・・・
 金もかかるが、時間もかなりかかるなあ・・・
 そして、数日後になるだろう、天気が回復したら逆のルートで、
 船を取りにこなければいけないし・・・・・・・やれやれ・・・」

と、独り言を言って防波堤の舫を解いていたとき、
その時、その時である。奇跡が起きた!!!

上空が、曇り空から急激に真っ青な空に変わり、風と波がピタッと止んだのである。
映画で見た十戒ではないが、海が割れる代りに、ピタッと凪いだのである。
これほど急激な海の変化を、私は今まで見たことがなかった。
「ウォー!、神よ!オオ!」と、私は叫んでしまった。

後は、スイスイ、倉岳港まで快適な船旅であった。
途中、何度も携帯に電話をいただいた、Tさん、ありがとうございました。
ご心配をおかけしました。

それにしても、あの海の急激な変化は何だったのだろう。
よっぽど、私のふだんの行いが良いので、神が味方してくれたのだろうか。
きっとそうだ。 そう思うことにした。


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