山頭火の、私の、島原(2005.4.17)


早朝、フェリーで熊本から島原へ渡った。
姉の家へ、ちょっとした所用があったためだ。

所用は1時間程度で済んだ。
私にとって島原は、小さい頃から中学校卒業までの多感な時を過ごした街である。
帰りのフェリーの時間まで少し時間があるので、島原の街を歩いてみた。

むかし住んでいた家の近くに、護国寺というお寺がある。(島原市寺町)
小さい頃、門前で、水あめをなめながら紙芝居をみていたお寺である。
その境内にある小さな池のほとりに、種田山頭火の句碑を発見した。

「 こんなにうまい水があふれている 」

湧き水の美しい街、島原。 島原にも来たのか、山頭火は・・・・


 【携帯のカメラで写した。句碑の左下、山頭火のモチーフがかわいらしい】

” 分け入っても分け入っても青い山 ”
私の好きな山頭火の句である。
この句碑も島原市南下川尻町の鐘ケ江管一氏の宅庭内にあるらしい。 

そうこうしているうちに、フェリーの時間まで間もないのに気付いた。
島原外港への道を歩きながら、後ろを振り向き、振り向きタクシーが来ないかと。
振り向いた私の目に、1台のタクシーが・・・・・・しかし、手を上げようととしたらお客が乗っている。

いかん、もう間に合わない。
まあ、いいや!次の便まで待てばと思い、港の方へ歩いていたら、
例のタクシーが客を降ろしたのだろう、前方から走って来て、Uターンして私の横に止まった。
思わず乗り込んだ。
『後ろを振り向き、振り向きしよんなさるけん、急ぎよんなっとやろと思うてですねぇ』

うれしいではないか、島原ならではの気配りというか親切なタクシーである。
港まであと、500メートルもなかったが、
「イヤー、どうもすんまっせんなー。近くて悪いですが、外港まで・・・」
『何時の便ですか』
「あと10分です」

すべり込みセーフで、帰りのフェリーに間に合った。

フェリーのデッキから、外港と眉山、その後ろに普賢岳の姿を見ながら、
しまばらはいいなあー
しまばらへ、しまばらへとみなゆきたがる、しまばらはやさしや山までも・・・・
とつぶやき、日帰りのしかも、小さな小さな旅
を振り返った。



それにしても、私が鼻を垂れながら、お寺の境内を走り回っていた45年前も
あの山頭火の句碑は、護国寺のあの場所にあったのだろうか。


 へ      へ        「旅」メニューへ       「エッセイ」メニューへ   ホームに戻る。