Tappu

いつかはお別れの時が来るってわかっていたけれど・・
それはあまりにも早く訪れました。
異常に気が付いたのは2002年10月の終わり。
首のリンパにこりこりとした銀杏ほどのしこり。
細胞検査で悪性リンパ腫である事。
8箇所のリンパにしこりがある事。    余命は1〜3ヶ月。
ただし抗ガン剤投与によっては半年から1年の延命。
延命・・・。
完治することはほとんど無いに等しい進行性の憎い病気でした。
悩みに悩んでいっぱい泣いて私たちが決めたこれからの生活は、
なるべく自然な状態で痛みや苦しみだけを取り除く治療と
最小限のお薬のみ。
不自然に思えた延命やタップの負担になる治療を望むことは
出来ませんでした。

残された時間を一緒に楽しく過ごすこ.と。
そして・・・
近い将来必ず訪れる最期の瞬間には苦しみ少なく穏やかに・・
それが、たった一つの私の願いでした。


病気がわかってからはどうしてタップがこんな病気に
ならなきゃいけないの?って本当に悔しかった、悲しかった、
心がバラバラになるくらいに辛かった。
気が付くといつも泣いていた私。
泣いちゃいけないってわかっていてもあふれてくる涙・・
止められなかったいっぱいの涙・・
不安な思いをいっぱいさせて・・ごめんね。

残された時間を大切に、タップと過ごせる1日1日を
噛みしめるように過ごしていたあの頃。
少しでも長く健康な状態が保たれるようにと願う事しか
出来ませんでした。
しばらくは小康状態が続いて安心していたのもつかの間。
頑張っても頑張っても次から次へといろいろな苦しみが
タップを襲う中看病する私たちも必死でした。
少しでも楽に過ごさせてあげたい病気の苦しみの中で
幕を閉じてしまう最期には絶対にさせないって。

そんなある日、奇跡の様な出来事が。
しっぽを振る元気も無くしていたタップの瞳がキラキラ輝いて
足には力がみなぎりしっかり自分の足で歩けるように。
その日からの4日間は病気が完治したと思えるほどの
はつらつとしたタップに戻っていったのです。
幸せなとっても幸せな夢のような4日間でした。
病気の事を忘れて元気なタップといっぱい笑っていっぱい遊んで。
今から思うと泣き虫の私の為に元気な姿を見せてくれたのかも
しれないね。
本当なら私がタップのためにしなければならなかった事。
どんなときでも元気に笑って穏やかな心で・・
泣いてばかりの母さんだったもんね。
最後の最後に元気な姿をありがとう。

元気な4日間を過ごした次の日2003年1月27日の夜10時。
父さんの帰りを待っていたかのように・・
家族みんなに見守られて静かに空へと旅立って行ったタップ。
朦朧とする意識の中でありったけの力を振り絞り
みんなの顔を確認するように辺りを見回して大きく呼吸を2回・・・
泣きながら名前を呼んでも背中をたたいても・・・
・・もうさよならなんだね・・
どんどん冷たくなっていくタップの体を撫でながら朝を迎えました。
6才2ヶ月・・もっともっと一緒にいられると思ってた。
       もっともっと一緒にいたかったよ。

私のたった一つの願いどおり苦しみ少なく旅立ってくれたタップ。
延命治療を選ばなかった父さんと母さんの選択は
間違ってなかったよね?
長くは頑張れなかったけど幸せな犬生だったよね?

今でもあの時のタップの笑顔に。
苦しみの中で幕を閉じなかったタップの最期に。
救われている私です。
亡くなる前日の穏やかで愛らしいタップの笑顔は
今でも私の大切な宝物です。

もっともっと一緒にいたかったよ
2003.1.26
父さんと♪
母さんと♪
最後の海遊び
いつもにこにこ♪