●経営(001)
倒産は天から与えられた”ごほうび“」
倒産が「ごほうび」であると書くと、不謹慎だとお叱りを受けそうである。経営者はなにがなんでも企業を倒産させてはいけない。最近、企業の社会的責任という言葉がかまびすしいが、企業の最大の社会貢献は雇用である。しかし、ヒトが病で倒れるように、企業も放漫経営や資金繰り難など、さまざまな要因で倒産する。
モノづくりで世界的に知られる東大阪で、バブルの絶頂期に債務超過に陥って倒産したプレス機械メーカーN社のA社長を十数年ぶりに訪ねた。「再起して元気にやっています」とのメールが届いたからだ。
Aは理系大学を卒業すると、しばらく自動車メーカーで派遣社員として働いた。三十三歳で父親の鉄工所を引き継ぎ社長に就いた。彼はすぐ、従来の動力式のプレス機械から撤退、電子部品や自動車部品の自動組立機械の開発、生産に切り替えた。「モノづくりを永続させるために、いい人材を集めたい」と、ボロ工場を四階建ての総ガラス張りのホテルのような工場に一変させた。一九九〇年のことである。売上げは前年比三〇%増である。ミラクルファクトリーとしてマスコミからも賞賛を浴び、工場見学者は年間五百人を越えた。大手企業の中には、貸切バスで訪れるところもあった。
本社工場は一階がアッセンブリーと、一部加工場、二階から上は会議室、研究室、ゲストルーム、宿泊施設を擁していた。「レポートさえ書けば、金融機関をはじめ、政府も融資を惜しまなかった」と、短期間に集めた資金は十四億円に達し、売上げの倍の投資をしていたのである。
「潰れるかもしれないという不安はつきまとったが、銀行も貸してくれているのだから、なんとかなる」と、自分を納得させた。ところが、バブルが崩壊、仕事量が激減、三年目に不渡りを出してしまった。顧問弁護士は和義には負債が大き過ぎると、自己破産を勧めた。モノの本を読むと、自己破産だけは避けよと、忠告している。確かに自己破産は根こそぎ財産を失い、その悲惨さは筆舌に尽くしがたいという。
「銀行はハッキリしたことを言わずに、危ないとすぐ融資を止める」と、それが判断を鈍らす要因だったという。腹をくくったAは、仕入先と納入先の大半を回って倒産の半年前から「このままではご迷惑がかかります」と、実態を率直に伝えた。中には三時間、監禁され「カネ払え」と罵声を浴びせられた。その甲斐があってかどうか、倒産の日は静かにやってきた。管財人が「この建物は競売(けいばい)にかけられます」と、一枚の紙を貼ることで、会社は二代目で消えた。
ある取引先が開発室を設け、最後まで残務整理に残った七人を雇用。Aも給与は社員より安かったが、顧問に就けた。そのうち、「N社は仕事もきつかったが、やりがいもあった」と、三人が辞めて独立。Aは妻にも苦労をかけ、子供の学資保険で資金をつくり、社長として加わった。倒産二年後のことだ。
倒産企業に銀行は融資しないので、無借金経営。「現金取り引きしかできない」ので、倒産する心配はなくなった。それでも、大手企業からは「当社の規則で手形払いしかできない」と、告げられると、「受注をあきらめるより仕方おまへんな」と、Aは応える。四人の従業員の内、二人は個人企業の形で参画、「売上げが減ったので、今月の給与遅れる」とメールを送るだけで、待ってくれるという。雌伏十年、デジタル家電で波に乗り、売上げは倍々ゲームで伸びているが、「売上げ規模より、中身を大事にしている」と、あくまで慎重である。
「サラリーマン業はできません。結局、苦労にもできる苦労と、できない苦労があります。これもDNAですね。倒産は天が与えてくれた“ごほうび”だったと思ってい
ます」とAは笑う。
(月刊誌「Shokokai9月号・巻頭言、岡田清治」引用)
経営(NO.00人生道場_独人房_へようこそ
マグマグから届いたメールに「そうだな」と、感心する文面を読んだ。私も経験したことなので納得した。ご参考に掲載します。
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強運の持ち主になる方法その3
〜ムダな時間を減らそう
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>『運の強い人は、反論しない』
交渉は、スピードを速くしないと時間のムダになります。同じ交渉事をまとめるのなら、速くまとめた人のほうが勝ちです。交渉を速くまとめた人は、その落としどころがたとえ譲歩したものであっても、チャンスをつかむことができます。
交渉を速くまとめるためには、反論をしないことです。交渉は反論すればするほど、まとめるのに時間がかかります。
日常的な交渉事として、お客様からのクレームがあります。「もうおたくとは付き合わない」と言っている人に、機嫌を直してもらって、今まで以上に常連のお客様になっていただくにはどうすればいいか。
ここでの間違ったやり方は、クレームを言ってきたお客様に反論することです。これでは交渉になりません。男女のケンカでも同じです。ケンカで反論したら、長引くだけです。
ケンカや交渉事になった時は、相手が言うことは全部のみ込みましょう。難しいことですが、飲み込めないような条件も全部飲み込むのです。
相手が言っていることが正しいか間違っているかにこだわると、時間がかかります。そういう問題ではないのです。
正しいとか間違いとかいう道徳論になった時には、お互いに正しいと思っていて意見が平行線をたどりますから、時間のムダになります。
そこで、相手が言っていることを、正しいとか間違っているとかとは関係なく、すべて認めてあげるのです。そして、次回に同じようなトラブルにならないようなアドバイスをどんどん吸収します。
要は、相手が吐き出すスピードを速くすることです。相手が言いたいことを全部吐き出さない限り、事態は解決しません。クレームもケンカも、相手の意見を全部吐き出させるのです。これが一番速い解決方法です。
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経営(NO.003)人生道場_独人房_へようこそ
晩節を汚すことなかれ
春先、鳥インフルエンザが流行(はや)った。養鶏業・浅田農産の浅田肇会長(67歳)と妻、智子さん(64歳)が、感染報告の遅れで世の批判を浴び、その責任をとって自殺した。おそらく夫婦は刻苦勉励によって大養鶏場にのし上げたのだろう。無念の思いを残したまま逝ったに違いない。
67歳の年齢を考えると、すでに息子に社長の座を譲り、気持ちは老夫婦で晩節をゆったりと楽しんでいこうと、最後の夢を描いていたに違いあるまい。そいう時期に運悪く、鳥インフルエンザというこれまで聞いたことがない病名が、降ってわいたように世界規模で広がった。国内でも山口、大分で感染が伝えられ、輸入鶏肉も一時停止される事態になった。
その時期に、「自分」の養鶏場のニワトリに限って感染することはありえない、腸炎に違いないと思ったとしたら、初期判断に誤りがあることになる。結果論だという人もおられるかも知れないが、鶏肉を売る商売で「お客さま」より「自分」が先に出ると、判断ミスが起こりがちである。
もし、そいう思いが咄嗟(とっさ)にヒラメクとしたら、それは人間がもつ「業」(ごう)のなせる技であり、行為まで発展すれば、その人のDNAが発現したことになる。誰もが苦労して得たものを失いたくないという思いは潜在的に持っている。ただ、そのDNAが発現する前に抑制できるかどうかで、天地の差が出ることが往々にしてある。その昔、実業家の澁澤榮一は片手に論語を持って、もう一方の手に算盤を持つように指導した。論語は倫理(モラル)である。実はこれが大変難しいことも事実である。
経営者は孤独でありワンマンである。昔から権十年、権腐十年というように、権力の座に十年以上座ると、いくら立派な経営者といえどもその権力にほころびが生じ、へたをすれば腐ってくるという戒めである。しかも高齢化は脳軟化症を招き、他人の諫言(かんげん)に耳を貸さなくなり、そのために悲劇が起きることは、これまで嫌というほど見聞してきた。
事業を起こし、苦労している時は心に“隙間”は生じないが、事業が軌道に乗り、マスコミに取り上げられて名が売れてくると、分を忘れて舞い上がり、心に”隙”が生まれる。その極めつけが、バブルで多くの経営者がおごり昂ぶり、晩節を汚したことは記憶に新しいところである。京セラの創業者・稲盛和夫氏は「絶対に謙虚さを失わなければ大きく成長できる」と、今もその信念を大事にしている。
マスコミは両刃の剣であることを肝に銘じておくことである。社会事件に関係したときの対応は大企業でも難しい。なぜ難しいかというと、トップはその責任を怖れてマイナス情報を可能な限り極小化したくなるため、事実を隠そうという本能が働く。中には記事にならないよう,止めてこいとウソぶく経営者も少なくない。大事件になる前に可能な限りさらけ出す方が、結果は軽傷で済むことが少なくない。それにはトップの理解と勇気がいる。
大手新聞社の事業担当者が国宝の絵画展示準備中、照明器具を落下させ、絵画の端に当たった。よく見ると少しへこんでいるように見えるが、黙っていれば分らない。しかし、社会部出身の担当者は、自ら事故発表を申し出た。当然、幹部はカンカンであったが一回の発表で済んだ。これが隠して後でばれるとその社の体質を問われ、トップの責任追及も避けられない事態になったかもしれない。
これからは内部告発者保護法も施行されようとしている。経営者は晩節を汚さぬよう、初期判断の誤りにはくれぐれも気をつけてほしい。応接室に「誠心誠意」の額を掲げている企業ほど要注意だといわれる。
(月刊誌『Shokokai2004・6月号巻頭言・岡田清治より転載)
●「守成の経営」(2002年7−8の執筆記録)
http://www1.ai-link.ne.jp/free/news/talknow/talk_page/2002_07.htm
※企業家フォーラム(学会発表論文は2004年7月)の原稿は後日、掲載予定。
経営(004)人生道場_独人房_へようこそ
●青色LED訴訟、高裁の和解勧告案で解決
100年に1度の大発明をめぐって、発明者の中村修二・米国カルフォにア大学サンタバーバラ校教授が元の勤務先である日亜化学工業を相手に発明の対価について不服を申し立て、1審判決で600億円の対価を勝ち取った。高裁に上告した会社側は対価6億円の和解案に応じ、中村氏も「まったく納得していないが、これ以上、争っても望みが無いほど、日本の裁判は腐っている」という感想を残して、裁判の表舞台から去った。世の中の多くの人も、1審と高裁のあまりに大きい 格差に驚いた人が少なくない。会社側は「会社の主張が一定に評価された」と納得していないが、和解勧告に応じたと、コメントしている。メディアは1審判決時と比べ、中村氏に同情的のようであると感じたのは私1人だけであるまい。いずれにしても和解だから、あいまいさが残り、スッキリしないのも事実である。
当初から、会社側の中村氏の貢献に対する評価については専門家の間では、批判的だったと思う。中村氏の貢献が0(会社)か100(中村氏)と、双方譲らなければ、裁判所は発明対価の算定方式を持ち合わせていない以上、両者の主張の真ん中を取って、貢献度50%と判断するほか、選択肢がなかったのであろう。「なぜ、0なんだ」という点が、今回の訴訟の原点であるように私には思えてくる。
ここからは推察になるが、中村氏の著書を読む限り、「同社の創業者に理解され、今回の世紀の大発明が実現した」という。やはり創業者はすごいと、感動する場面がでてくる。「世の中、いや世界中の技術者が諦めた手法を、中小企業が生きる道は大企業のやらないことを,やるべきだ」という中村氏に創業者は賭けたのである。果たして、その賭けは、オオバケしたのである。しかし、その後、創業者は死去、二代目に創業者の娘婿が就いたと関係者から聞いた。もしそうなら彼にとって、日亜化学で有名なのは社長でなく、中村氏だということで面白くないと思っても、それは普通の感覚であろう。
しかも、中村氏の著書や、他の中村氏批判の本をを読む限り、中村氏の態度が独善的で不遜に見えるようにも思えてくる。中村氏も如才なく立ち回れる人間で無いので、当然、疎まれる宿命にあったとしてもおかしくない。私には、ここにこそ、今回の発明対価をめぐる、訴訟の原点があるように思えてならない。残念ながら人間の持つ、本能というか、感情の業(ごう)は、裁判の対象にならない。あくまで、職務の発明に対する、その発明から生み出された、あるいは生み出される利益と、それへの貢献度という点に絞られる。人間らしいはずの感情は無視されるのは、ある意味、仕方がない。ここに、裁判の結果に対する不満が残るのも自然であろうか。
高裁は「こちらの(訴訟内容)をまったく見ないで、常識的な範囲と称して、和解勧告を示し、(中村氏側)弁護士も、和解勧告に従う方がいいと助言したため、不承不精,応じた」と中村氏は不満を隠さない。もし、日本の裁判にも導入される予定のアメリカのような陪審制度が行われていたら、おそらく、今回の和解勧告とは違った判断が示されていたにちがいないだろうと、考えてしまう。新特許法で職務発明が改正されたが、対価について「不合理」だと、技術者が思えば、訴訟の道はかろうじて残された。しかし、その道は、狭められたことは、間違いがないというのが、サラリーマン技術者の立場に立つ、専門家の見方である。。今回の裁判で日本の基準がもし世界のレベルから離れているとしたら、海外への頭脳流出は続くだろう。(2005年、青色LED訴訟の解決について、報道、書籍、雑誌、及び関係専門家の取材から私見を述べたもの。2005年1月19日)人生道場_独人房_へようこそ
●日記(独立させました)
● このページには、主に私の長い経験で得たものを、記録から再現しようと考えています。時期的に過去のモノも出てきますが、その時代背景のなかでお読みいただければ、幸いです。