TOPページへ
昨日はNPO主催の勉強会を開き、WS西日本会員の小形真訓さんから著書『迷ったときの聖書活用術』(1月24日の日記に記載)について、宗教、本の出し方等、お話を聞きました。
興味ある内容でした。
本について
1.タイトトル
1.目次―内容が分るように十分、盛り込む
1.帯―「読まない人は損をする」
「元祖・ビジネス書」等のキャッチコピー
以上、3点が重要ですと、指摘されました。
宗教について
1.宗教は縛る―自分を縛るのは、自分の「欲望」です
1.宗教は怠け者にする―バランス感覚をつける
1.宗教は逃げだ―逆だ、より強くするための足場である
以上、俗説に反論されました。
本の中から「聖書に基づく私の危機管理三原則」を紹介されました。
1.どんな時にも逃げない。平たく言えば居留守を使わない。
1.いやな仕事、いやな相手を先にすませる。
1.今日の仕事を明日に延ばさない。
☆2005年2月25日(金)晴れ、今日も寒い朝です
詩『子ども』
先日、皇太子さまが誕生日の記者会見で読み上げたスエーデンの中学校の教科書に載っている詩「子供」を買い求め、書店に殺到しているそうです。
−批判ばかりされた子供は/非難するすることをおぼえる・・・・・。−
すばらしい詩だと思った人が多いのでしょうね。これを、実際の子育てで実行しようと考えますと、大変だということが分ります。要するに、子供には愛情を持って接することが大事だということでしょう。現実的には、その愛情の中身、表現が難しいのだと思います。親としては愛情のつもりが、子供を傷つけたり、心の負担になっていることがあるかもしれません。そういう意味でこの詩から教えられることは多いですね。
著者のドロシー・ロ・ノルト女史(米国)は家族教育の子育てコンサルタントで
『子供が育つ魔法の言葉』(More Magic Words of Parenting)はミリオンセラーになったのです。
その一節を紹介しよう。
―「子は親の鏡」(Children Learn What They Live)
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると,子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励まして上げれば、子どもは自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ・・・・・・・・
誉めることが大事でしょうね。ただ、日本の教育がある時から「下」に合わせることに重点を置いたため、なんでも平等にしたことに大きな誤りがあったように思います。走ることでも、一緒にゴールするというバカげたことが行われ、個性を伸ばすことより、抑える方向に行ったことがある意味で悲劇を招いています。
子どもは一人ひとり違うのに、「みんなと同じでありたい」と、親も望み、期待し過ぎになっているところに、不幸が起こるのでしょうね。
子育ては忍耐です。
☆2005年2月24日(木)晴れのち曇り、寒さ続く
老舗の教え
先日、ある老舗を訪ねました。創業130年で、今なお、チャレンジ精神旺盛でした。この企業につきましては、「経営のページ」に後日、掲載します。今日は、経済界の不祥事があまりにも多いので、その企業の3つの掟を紹介します。
歴代、「信用」を大事にしました。家訓とも言うべき三つの掟を絶対に守れと教えました。一つは「ウソをつくな。」です。これが大変、難しいことは、最近の経済界、産業界の不祥事を見ても分ります。経営者は平気でウソをつき、晩節を汚しているのです。
その企業の先代たちは商売で一度もウソをついていないそうです。「ウソも方便」といいますが、損してでも「ウソをつかない。」ことを守り抜いているといいます。そうなんですね、自分だけが得をしようと考えるから、ウソをつくことになります。
戦後のヤミ商法も厳しく封じました。「覇道」より「王道」を求めたからです。「覇道」は時に短期の正義になるかもしれないが、長期的に見れば、違うと考えたのです。
「商売上はもちろん、普段もウソつくな。ウソつくと癖になるため、商売でもウソをつき易くなる。何でも正直に話せ。」と、いまも教えているそうです。
二つ目は、「約束は守れ。」ということです。一度約束したことは、有言実行でなければならない。どうしても約束を果たせない時は、土下座するなり、早めに謝りに行くなり、きちんとフォローをしろと、先代らは伝えています。知らない間に約束を破ったことが一度でもあれば、商売人として失格で、同社の社長の器でないことを肝に銘じておくよう、言明されています。
三つ目は、「時間を守れ。」です。約束の五分前に到着していたら、普通は時間を守っていることになるが、同社の教えは、「五分前に着く計算で出かけて、何かあった場合どうするのだ。道路が渋滞して十分遅れたら、すみませんでは済まされない。約束は出来れば三〇分前に着けることで約束をしろ。それで遅れた場合は、天変地異に関係することが多いから仕方ない。」ということだそうです。
商売人にとって「信用」が生命であるから、この一見、簡単そうに見える三つの約束を堅持できるだけで経営者失格にならないと教えられているそうです。いま、企業はCSR(社会的責任)といって、難しいことをやっていますが、この3つの掟を守るだけで、十分だと思いますが・・・・。
今朝は寒いですね。ラジオ深夜便で「常夜鍋?」を聞いたので、さっそく試しました。まず、水とお酒を一対一で鍋に入れ、出し昆布を加えます。あとは、しゃぶしゃぶ用の豚肉と、ほうれん草だけです。漬け汁はダイコンおろしとポン酢。簡単な鍋で、わが家では初めてでした。ただ、野菜は他のものを加えた方がいいですね。豚肉とほうれん草の組み合わせに意味があるのかもしれませんが。・・・。
今日は、先日の講演「企業戦洛と知的財産権」の概要をまとめましたので、報告します。講師は京都大学の法学部を出たあと、私学の工学部で学んだ蔦田内外国特許事務所の弁理士・蔦田正人副所長。質疑も含めて、アットランダムに記載します。
テーマの中心は、2005年2月2日にマスコミで大きく報じられたジャストシステムのワープロソフト『一太郎』の販売禁止の判決問題です。これは、松下電器産業がこのソフトを開発、販売したジャストシステム(徳島市)の特許侵害を訴えていたもの。
1. 提訴(04年8月)からわずか6ヶ月で判決は、非常に速い。
2. 問題の特許はタグバーの右上についている?アイコンに「ヘルプモード」ボタンがついていることに関するもの。(このため、ジャストシステムは?なら問題にならないということで、??のような工夫で一時的に対策を打っている。)
3. これまでのように、特許は「守る」ためから、「攻める」ことが必要であった。より広い範囲の特許が必要だということが、今回は認識させた。
4. 本特許が成立した98年に『一太郎』がこの特許を侵害していると、話し合いを求める文書を送ったが、ジャストシステムは無視した。その後も数回、送付。
5. 警告(松下の)にはすばやく、丁寧な対応が必要である
6. 無効の主張については、強力にしなければ、ならない。
7. 知財裁判は迅速に進行するので、双方、迅速かつ念入りな対応が必要である。
こういったところが、講演の概要です。
「松下は事業をやっていないので直接のメリットはない」(参加者)
「判決文など、公文書の大半が『一太郎』を使っているが、この判決文は他のワ−プロソフトを使って、作成した」と、伝えられる。
「まだ、賠償を求めていないので、当面、問題は無い。ただ、侵害特許を使ったソフトということで、気持ちが悪い人にはソフト交換の必要がある。」
「特許範囲を広くして申請すると、中心の特許が弱くなり、認められない可能性があるのではないか。(バランスの問題です)」
●私は先の青色ダイオード判決について、質問しました。
「高裁は世間の意見を斟酌して判決したように思う。個人的な意見としては、中村氏に気の毒だと思う。」
「職務対価を認めているのは、日本とドイツだけ。アメリカなどは、個人契約で、給与には職務対価も含まれているので、問題ない。」(参加者)
「儲かると考える技術者は、すぐ、独立してベンチャーを起こし、大きな資産を形成する。」(参加者)
「中村問題で一応、最高額が示されたので、今後はこの種の訴訟は終息に向かうと思う。」
「武田薬品など、青天井の企業が出てきた」(参加者)
「職務対価は、自社で使う限りは、問題がない。」(参加者)
「企業はいま、様々な算定方式を検討している。」(参加者)
「松下のような特許は、機械屋の特許では考えられない。いわば、著作権に属するように思う。」(参加者)
「ソフトの特許は今後も考えられるし、電気機器は機械と違って、何百の部品、特許で作られていくので少し違うだろう。」
「新特許法では自然科学でなければ、ならないので、どうなりますか。」(参加者)
「広い意味で自然科学であれば、いいということでしょう」
「中小企業から、出願を見て“あんなもの、特許になるわけがない”が、どうですか、と聞かれるが・・・。」(参加者)
「やはり、出願されたものは、基本的に抵触する恐れがあると考えないと、大変なことになりますと思った方がいい。」以上です。 雨が降るたびに、春に近づいているらしい。しかし、明日の日曜日は、最高気温6℃と真冬の寒さに戻るという。
先日、大手シンクタンクのチーフエコノミストA氏と懇談した。A氏によると、東京の総生産は全国の平均値の8倍で徐々に良くなっているが、大阪4倍で下がっているそうだ。3倍の名古屋、神奈川は上向いているようだ。数字で見ると、大阪、兵庫が一番ダメージを受けている。いまや、大阪府は日本一の借金王となった。返済メドはない。借金がある上に、おカネがないから、A氏のせっかくの提案を大阪府は、ようしないだろう。皆さんは、どう思います。
A氏は「地方へ行って感じることは家が狭い、軒を並べて建てている。田畑の価格は安いので大きな家を建てればいいと思う。東京で1億円の家を建てても豪邸にはならないが、地方でも豪邸にはならない。土地が結構高いからだ。人口が減るのだから土地を売ってお金持ちに豪邸を建ててもらうことが得策だと思う。大阪が東京に比べ遅れをとったのはお金持ちが大阪に住まないことが原因だと考える。大阪のお金持ちは芦屋でなく東京に家を持つらしい。東京など豊かな地域の税金で何とかしてくれるという考えが根底にある。それが不可能ということが分れば、土地を売って力のある人に住んでもらった方が得だという考えになる。」
「東京の人はあきらめがいいので、どんどん入れ替わって活気がある。人の入れ替わりのためには住むコストを下げることが重要である。個人が土地を売るということは難しい。大阪の豪邸街が出来るとしても、最初に土地を売った人は損をする。豪邸街が出来ることで価値が高くなり土地の値段が上がるからだ。300軒の豪邸を建てるだけの土地を持っており、最初に50件安売りしその後高く売るという作戦が考えられるが、個人でそれだけの土地を所有している個人、企業はあまりいない。しかし大阪府は持っており、しかも地価が上がることで固定資産税を増やすことが可能である。地方自治体が主体になってやるのがベストである。しかしやらない。国からおカネが貰えると思っているからだと思う。」
東京から見ると、広尾の豪邸より、芦屋の豪邸の方がはるかに立派に映るそうだ。土地面積が大きいからだ。それだけ、大阪には金持ち持ちが多いという。 東京に建てず、大阪にということだが、企業そのものが、東京へ進出するものだから、いまのところ打つ手はないように見える。ボツボツいくしかないか・・・・。
大阪・上町台地(高台の意味)の一角にある日本最古の寺町。文字通り寺の町で、下寺町一丁目〜二丁目の松屋町筋の南北一・八qに浄土宗を中心とした三十弱の寺院が集まっている。
「世界中で教会、神社、寺院のどれをとっても、これほど密集している場所はほかにない。生国魂神社から四天王寺一帯を“夕陽丘”という地名で分るように西に望む海に沈む美しい夕陽を西方浄土として拝む最適地だった。法然上人もかつて後白河法皇とご一緒に一心寺の地から見事な夕陽を観られた。」(高田恭行・一心寺長老)と話す。当時から夕陽を観る地として寺院が集まり人々が詣でた。
同じ上町台地でも生野区の住民の四人に一人は韓国・朝鮮籍をもつ人々の住むコリアタウンから見る寺町は「天国に見えます。」(宋悟・コリアNGOセンター代表)と語るように江戸中期の名刹が建ち並ぶ。寺院の多くの創建は豊臣方が徳川家康に敗北を期した夏の陣、一六一五年以降だが、先の戦争でこの周辺も焼け野原になった。だが、八十六体もの仏が焼け残ったという。戦後、厳しい状況下で檀家の支援もあって再建、復興したそうだ。
いまの仏教は葬式仏教としての役割しかないと揶揄されて久しい。その葬式も戒名、墓の問題を含め社会問題化しているほど、日本人の仏教離れが進行している。そうした時代背景の中で、この寺町の南端にある一心寺と、北端の慶典院は異色な活動の場を提供する寺だ。一心寺は納骨された骨で十年毎に一体の仏を造立している宗派を問わない“お骨佛”の寺として庶民に親しまれている。平成六年に発足、十四年六月に装いも新たに再スタートした「一心寺シアター倶楽」は演劇を中心に落語、浪曲など多種多様の文化活動を行っている。建築家としての顔をもつ一心寺長老の高田氏は、寺町から天王寺公園を含む緑地沿道約二・二qを「茶臼山・夕陽丘プロムナード」と名付けた歴史の散歩道構想として提案、行政、市民に働きかけている。
一方、北端に位置する大連寺の別坊である慶典院は墓も檀家もなく葬式も布教活動も行わない会員制のユニークな寺だ。平成九年に完成したコンクリートの打ちっぱなしの劇場型本堂ホールで演劇のほか芸術文化、介護・福祉や教育シンポ等の活動をNPOやアーティストと協力し合って催し生きた仏教活動を行っている。「寺はかつてから学び、癒し、楽しみの原点です。」と秋田光彦住職は活動趣旨について語る。
昨年、この寺町を舞台に「極楽ストーリー」と銘打って歴史資源を見直す町おこしイベントが行われ、インド様式の本堂をもつ心光寺、法然上人開祖の一心寺、壮大な寺院建築の大覚寺、そして年間三万人の若者が集う慶典院の僧侶たちが生の声で「寺町」を語った。それはまさに現世、極楽浄土を目指しているように見える。極楽に行けるかどうかは、それを思い、信じるしかないのだが・・・。
(出典:雑誌「TARU」2005年2月号関西の風)
NPO法人WS西日本会員 岡田清治
人間の品性
ネットでいろいろ文章を読みますが、相当な知識人でも、いや、知識人だからこそかもしれません。中村修二氏について、TVを見ただけで、「品性がない」と断じているのです。人の品性を論じるには、その人物のことをもっと知ってからにしてもらいたいものです。
私に言わせれば、品性は、「心がきれい」と言うことだと考えます。心がきれいと言うことは、「なにごとについてもフェアーであること」です。ところが、中村氏は「カネの猛じゃで、卑しい」と、いうのです。おカネについて、フェアーならば、なにも品性は問われないはずです。プロ野球選手が契約更改して、自分の貢献度に応じて年俸を決めているのと、同じなのです。
日本とドイツだけが、「職務発明の対価」の仕組みを取っているそうです。欧米は、初めからプロ選手同様、契約制になっています。研究者は「カネの猛じゃ」になることが、いかんというなら、資本主義社会は成り立たないではありませんか。彼のしゃべり口に、「品性がない」というなら、それは品性の問題でなく、表現力の乏しさ、顔の悪さであるはずです。問題は話している内容で「品性がない」という指摘なら分るが、そういう人たちには、「嫉妬心」からだと思ってしまう。ある国立大学発ベンチャーで成功し、大金を得た助教授は『嫉妬のかたまり』で排除されようとしています。日本人は「和を以て貴し・・・」でなければ承知しない農耕民族なのです。
先に西澤肇氏の著書『人の値段』でも触れましたように、「中村氏は、一見、オレが、オレがと、独善的に見える」というのも、誤解だと分ります。彼は特許申請で協力者、全員の名前を列記していますし、常務で彼の上司、小山稔氏が「中村氏の貢献度を客観的に認めている」ことでも、明らかです。
西村氏は、「国内で中村擁護論を主張したのは、自分と日経の中嶋彰記者だけです」というように、中村批判が当たり前なのです。結局、日本人は「ゲマインシャフト」の社会から抜けられないのでしょう。ところが、中村裁判をきっかけに、世界を相手に戦っている武田薬品のように「対価を青天井にした」企業も現われました。松下電器も「貢献度に応じた職種別賃金制度を導入する」動きもあります。グローバル化というのは、ゲゼルシャフト社会へ移行することで、それは嫌な面もあるでしょうが、個性を伸ばせる意味では、より進んだ社会でもあります。
「ゲマインシャフト」といえば、ライブドアの堀江社長とフジテレビ会長のやりとりを見ていても、つくづくそう、思ってしまいます。確かに、ゲマインシャフトでは、「事前に挨拶がない」というのは、分りますが、ゲゼルシャフトでは「大株主と、なぜ会わないのか」という論理は明快です。日本人は戦略的M&Aを嫌うのですが、「会って、堀江氏の考えを聞いて損はない」と思うのですが・・・・。先の知識人と同じように、「堀江氏にも品性がない」ということになるかもしれません。彼の服装、顔つき、バサバサの髪をみて「生理的に嫌になる」ということはあっても、株式ビジネスに情緒的、感情的なものを持ち込んでは、成り立たないですね。ただ、彼は「カネで女もついてくる」といっているそうです。ある面、真実ですが、「品性がある」とは、思わないし、人の心までカネですべて買えるという発言があったとしたら、彼の品格はいただけませんが・・・。
時々、国立大学や、国立の研究機関が「すごい発明しても、独占せずに、公開している姿はうつくしい」という人もいますが、税金を使っているので、当たり前のことです。単純に行為だけで、比較して批判することに、アホらしくなってしまい、愚痴日記となりました。
☆2005年2月16日(水)、雨、気温は緩む。風邪気味の状態。
☆2005年2月15日(火)、今日も寒い。かぜが治らない。
「ラジオ深夜便」
定年後、起床時間が不規則というか、夜中に目が覚めることが多くなったため、TVよりラジオを聴くことが圧倒的に増えました。現役の頃、ラジオといえば、自動車で聞く程度でした。ところが、ラジオがすばらしいことを再認識しました。ラジオは映像がないものだから、説明が丁寧で、詳しく話される。
NHK第1の「ラジオ深夜便」は、その内容が大変、充実しているのです。聞いている人の多くが、シニアであるのでしょう。そうした年齢向きの内容が中心です。音楽も旧い曲が多いので、懐かしいのですね。昼もNHKのFMは朝の6時の「バロックの森」など、ジャズ以外、あまり興味ない私でも、PCの作業中、バックグランドミュージックにはいいですね。ラジオを聴くようになったら、「歳をとった証」では、あるのでしょうが・・・。
先日、ラジオ深夜便で「流氷」の研究者、青田正秋氏が出ておられました。先生は、北大名誉教授、低温科学研究所流氷研究施設長(紋別)ですが、もともと長崎の出身(高校まで長崎)で、疎開、原爆の体験を経て、学究の道は、北の地に来たそうです。
ラジオでは映像はありません。音だけですが、その番組でも「氷山が流れるとき、動物のような不思議な声を発する」と、録音テープを流していました。流氷が活きているような感じがします。
「夏の青い海原が、冬白い大陸と化かす。荒れくるいながら凍っていく氷海のきびしさ、凍てつく流氷野の静けさ、海明けの流氷の美しさー凍る海では自然のすばらしいドラマが演じられます。」
児童書の著書『白い海、凍る海―オホ−ツク海のふしぎ』の一文ですが、科学者の青田氏が非常に文学的に表現し、語られます。
「海は母、流氷は友」
−冬、オホーツク海は荒れ狂いながら冷えていきます。海中に小さな氷の結晶が生まれ、ゆらゆらと舞い上がります。流氷の赤ん坊−氷晶−です。氷晶の群は、絡み合って海面を覆い、さざ波が消えていきます。軟らかい氷の膜は、やがて、薄い氷の板へ成長します。うねりで氷板が割れます。ぶつかり合って角を削られた円盤状の はす葉氷が揺らぎます。はす葉氷の隙間もやがて凍り、青い海は白い海へと変わります。氷野と氷野の激突、起伏の激しい荒野が生まれます。延々と続く氷の山脈が走ります。オホーツク海に静寂の時が流れます。春一番に氷野に亀裂が走り、青い海が顔を出します。流氷の群が去っていきます。沖に氷海の蜃気楼−幻氷−が揺らぎ、オホーツク海は海明けの季節を迎えます。白い海は豊かな青い海へ還ります。浜に活気が戻ります。 流氷、それは海からの素晴らしい贈りものです。−
●大陸移動説と流氷
−世界地図を広げ、南アメリカ大陸を東へ、東へ動かしてみましょう。アフリカ大陸の西側にピタリとつながります。−『白い海、凍る海―オホ−ツク海のふしぎ』から。
☆ 2005年2月14日曇り、寒さ続く
再び、NHK&朝日問題
●先に、「神楽坂まちの手帖」編集長の平松南氏の、この問題についての意見を掲載しました。それには、私も賛同し、意見を書きました。今回、その続きのメールが届きましたので、下記に紹介します。
サイト送信が不能?
●その前に、日曜日、HPのサイト送信が不可能となり、しばらくダメだと思い、休止としました。ただ、日記だけは書き続けることにしておりました。いずれ、公開できる日が来るからと考えたからです。月曜日、朝9時になるのを待ちわびて、サポートセンターに電話をかけました。すると、10分足らずの説明で、元に戻りました。NECは遠隔操作でサポートする体制をとるということですが、おじんクラスには、そうしたサポートが出来れば、PCはもっと普及すると、思うのだが・・・。富士通はずばり、シニア専用のサポート体制をとると、報じられていましたが、PCについては、もっと、容易に安くサポートすることを考えるべきだろう。
「PCの増設を行い、情報や、ソフトを移動すると、サイトへの送信ができなくなることがあります。」ということで、テキパキと指導してくれました。これほど早く回復するとは思いもしませんでした。
●今日、ある大手メーカーの下請け企業の経営者との懇談の席で面白い話を聞きました。その方は、かつて政治家を目指して戦いましたが、破れ、いまは大手メーカーの下請け企業の経営者をしています。
「国政選挙で投票率が下がって、正常化してきているのです。ネコも杓子も選挙権を持ちましたが、問題意識を持った人たちが投票しているので、投票率が下がっても、かえって健全なのです。選挙権はその昔は、有力者だけに与えられていましたが、20歳になれば日本人なら誰でも選挙権をもつため、そのありがたさを忘れ、タレントのような、哲学のない議員か、地元へ利益誘導を図る議員に群がるわけです。それにしても、昔に比べれば、議員の質はよほど良くなっています。結局、政治家が悪いのではなく、選ぶ国民がその程度だということです。すぐ、人のせいにしますが、すべて自分の責任だということを、みんな忘れているのです。」と語っておられました。ごもっともですね。
●――先の意見に対して、賛同者からのメールをいただきました。わたしは一つの党派性にこだわる者ではありませんが、あまりにひどい論調を看過することはできません。その続きで、2月7日青山で行われた「緊急シンポ、NHK番組改変・政治介入事件の原点を徹底検証」という催しを覗きました。NHKを糾弾する側の論調なので、そう聞いてくださっていいのですが、やはりNHK上層部はひどいと思います。それは資料を読むと少しわかります。
過去のジャーナリズムの歴史を見れば明らかですが、ジャーナリストもうそをつきます。
朝日新聞はあの「沖縄サンゴ事件」で信用を失墜しました。NHKも特番ででっち上げを何回もやり
した。しかし今回は、そうした事実を踏まえてもどうやらNHKはうそをついていると思います。
ジャーナリストもときどきうそをつきます。CNNもニューヨークタイムスもみな例外ではありません。しかし公的な人々のなかでだれが一番うそをつくかといえば、経験的にだれもわかります。政治家です。
安部晋三氏が例外とは思えませんし、中川昭一氏も同類です。北海のひぐまといわれた中川氏の父親一郎氏は、自民党青嵐会系の大物政治家で、石原慎太郎現都知事の自民党での領袖でしたが、どろどろした政治の陰謀に飲み込まれて、政治的に破壊され自殺しました。それに負い込んだのはあの鈴木宗男氏といわれています。
鈴木宗男氏は中川一郎氏の秘書でした。一方の安部晋三氏は、その魑魅魍魎(ちみもうりょう)そのものを糧として、戦前戦後の日本政治の権力中枢を生き抜いて「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介氏の孫です。岸信介氏は、第二次世界大戦・太平洋戦争では、敗戦の責任から、東京裁判のA級戦犯として巣鴨プリズンに拘置されながら、持ち前の権謀術数で生き延びましたし、その弟の佐藤栄作氏は、造船疑獄で逮捕寸前でありながら、吉田茂内閣の指揮権発動で逮捕を免れ、なんとノーベル平和賞を受賞するのですから、政治や権力の世界は、板子一枚で地獄と天国を分けるのです。
そして目を転ずれば、報道機関でもっとも政治的体質を持っているのがNHKです。とりわけ海老沢体制だったのはないでしょうか。
(神楽坂まちの手帖編集長平松南
2005.2.14)
☆2005年2月13日(日)、曇り、寒さが続く。 【石部小路の料亭「玉半」】
「Oyaji」サミット
昨晩は「Oyajiサミット」と称する会合が、京都・祇園の玉半で行われ、私も招待され出かけました。実は、これは10年前にバブル崩壊とともに、当時、大変な脚光を浴びていました企業「ナカテック」(社長中眞一郎氏、八尾市)が倒産しました。そして不死鳥のごとく、見事に「パラット ドウ」の社名で再生して10年を迎えました。そのことについては、HPの経営ページnewpage3keiei.html へのリンク「倒産は天から与えられた“ごほうび”」としてまとめてありますので、お読みください。
中社長は、地獄から這い上がるなかで、終始、応援してもらった方々に声をかけて、お礼の思いを込めて集まってもらったそうです。最近、インドやシンガポールの工場から帰ってこられた人をはじめ、東京、名古屋、茅ヶ崎、川崎、福井など遠くからも駆けつけてこられました。倒産後に、これだけの人たちを呼べるのは、さすがに中さんをはじめ従業員の方々の人柄と、努力の賜物と、改めて感動しました。
出席者の方々には、一応、了解を得ましたので実名と肩書き、それとひとこと発言を紹介します。大半の人たちが技術者ですが、日本のモノづくりに誇りと夢をもっておられることを知って、うれしく思いました。1人3分のところ、ほとんどの人が10分近く、話しました。皆さん一家言お持ちの方ばかりで、好きなんですね。話をすることが・・・。
参加者の中では一番の長老でありますが、非常に若々しい印象の元デンソー常務山口寛氏(67歳)は「これからの自動車はデイーゼル車が増えてきます。」と、世界の流れを踏まえて予想、エンジンの性能も日進月歩だという。ご本人はエンジンの噴射技術に長年、取り組んでこられたそうです。
松下系の自転車、消火器メーカ、宮田工業社長(元松下電子部品常務)東和登氏は、「当社は、自転車、オートバイ、750CCの自動車も作っていた会社ですが、オートバイで失敗。自転車は世界的に溶接で作られていますが、当社は航空機でつかっているボンド接着方式で生産しているのが特徴です。」と、自転車のPR以外に、クリーンルーム向けの新製品を商魂たくましく宣伝されました。
ご自分のプロフィールを1枚のはがき大にまとめられたものを配布しながら、横河電機常務安養寺明彦氏は話されました。「名前の安養寺は(あんようじ)は天国の中でも一番楽しいところです。」と珍しい名前なのでその説明をまず、されたあと、「いまは設備や機械が大きくても精度をいかに高められるかという技術に取り組んでいます。その模範とする例は橋梁です。」と話されました。
(株)エビサワ代表海老澤満男氏(元松下電産)は「これからは単に組み合わせの技術でなく、すりあわせの技術が重要です。」という認識で、退職後、会社をもたないとビジネスが出来ないことを知って、株式会社を設立、自分で開発した技術の「ご用達」をしているそうです。その第1号が間もなく、開花するという。「やはり技術者だから、世界初のものを開発したいですね。」と、夢を語っておられました。
松下電子部品をこの5月に定年退職するという内藤晴夫氏は「定年の日が待ち遠しい。」と言う。「45年間、モノづくりに携わってきましたので、残りの人生をモノづくりの楽しさ、面白さを日本の若い人たちに伝えたい。」と、定年後の夢を膨らませておられました。
大阪工大高(元都島工業校長)の蔵敷重壽氏は、都島工業の教え子で中社長とは35年のお付き合いだそうです。「中さんは成績もトップグループにいて、いつもリーダーシップを発揮するアイディアマンでした。」と、若いころのお話を披露されました。倒産後、「朝の来ない夜はない。」と励まされました。長年、教育にたずさわられて、「人を教えることは出来ても、育てることは、忍耐のいる仕事です。40人の子供がいれば、それぞれ何か、個性を持っています。それを見つけ、引き出してやることが育てることです。」と教育哲学を述べられました。現在の大工大高も64歳で定年ですが、臨床工学士養成の専門学校から引き続き講師依頼があって、80歳で引退する前任者から「定年はないから、よろしく頼む。」と言われたそうです。「人工呼吸器などを扱う臨床工学士は大変、不足していて、この資格をもつ人は、引っ張りだこというので、生徒は真剣そのものです。大卒の方もおられます。」と、話されました。
デンソーインドから帰国された前田順一氏は、「よくインド人と間違われますが、当のインド人から、そう言われた時は、ショックでした。」と、笑わせました。「やはり、海外展開は現地に溶け込むことが大事で、人間カメレオンになっています。それにしても、インド人の商売はしたたかで、手ごわいと思いました。」と、ご苦労の一端を述べられました。
松下電子部品変成器ビジネスユニット長の杉本英一氏はシンガポール時代、、宮田工業社長東氏が上司で、「アジアへ行くと、日本人は自分たちが偉いと誤解する人もいますが、みんな同じです。レイバーコストの安さのみで、進出するのは危険で、そこでしか作れないものを求めるべきです。」と、松下の生産方式を現地の人たちと変革するんだという気概で取り組んでいるというお話でした。
中小企業金融公庫福井支店長増田浩士氏は、金融庁の調査を受けた経験を話されたあと、「どうして中社長は、無借金経営でやれるんだろう。」と、不思議な思いを話されました。
中京大学経営学部教授の寺岡寛氏は、「ドイツ人の仲間と、かつてヴァーチャルの大学をつくり、やがてドクターも取れる大学に成長しました。いまはそこから離れ、今度は「学外疑塾」を日本で立ち上げたところ、2週間でアクセス1000もあって、40名の教授が集まりましたので半座同盟(半分本業、半分は教育)にして運営するという大変、ユニークな報告がありました。
最後に、小生もNPO活動を報告させていただきました。
野村総合研究所理事長村上輝康氏(すばらしい祝電披露がありました)、小松ライト製作所羽生一美氏、弁護士の斉藤勝俊氏のみなさんたちも急用でこられなかったことが説明されました。
こうして、石塀(いしべ)小路(こうじ)という、京都の通好みの通りに面した、由緒ある料亭「玉半」で会席料理に舌鼓を打ちながら、楽しいひと時を過ごしました。すばらしい異業種交流の場となりました。
中社長をはじめ、中岩男さま、三桝恵美さま、広畠健一さま、阿部伸也さま、そして中社長の奥様で経理・事務を受け持っておられる中章子さまのスタッフの皆様、さらに参加者のみなみなさま、玉半の女将・稲葉英子さまら給仕役の方々の心温まるお世話により、すばらしいお祝いの会になりましたこと、厚くお礼申し上げます。(文責は岡田です。間違い、さらにご意見を追加されたい方はメールをください。)
☆2005年2月12日(土)曇り、今朝も寒さ続く。
「NHKと朝日」問題
昨日は、友人A氏と夕方、久しぶりに大阪市内で会った。いろいろ語り合った中で、「NHKと朝日」の問題で、10日付「読売新聞」の番組改編問題を1ページにわたって報道した紙面を見せながら、「朝日の記者が、放送前日に、政治家、それも具体名を書いているため、それを政治家とNHKが否定している以上、説明責任はある」という意見を披露した。ここのところは、水掛け論になるだろうし、ニュース源を守る立場からすれば、「できない相談になる」と思われるが、果たして、朝日はこの読売の求める「説明責任」にどう対応すのか、注目される。
☆2005年2月11日(金)曇り、また寒さがぶり返す。
一眼レフデジカメの複雑なこと
カメラを扱って40年ぐらい経ちます。その間、ニコンの広角、望遠、接写、焼付け機等を揃えてきました。デジカメが登場した頃は、解像度でデジカメは一眼レフにはかなわないだろうと思っていました。そのうち、PCを扱い、写真を挿入する必要が出てきましたので、自分のPCと同じメーカーのデジカメを購入して、なんとか間に合わせていました。ところが、デジカメの解像度で十分、見れるし、それ以上にPCの大型画面で見れるなど、楽しめることを知りました。
カタクリの開花時期が迫ってきました。どうしても手持ちの望遠レンズが使える一眼レフのデジカメが売り出されていたので、なんとか手に入れようと、呻吟していましたが、ついに購入を決断しました。ところが、ニコンF2という旧型のカメラのため、マニュアル操作をしなければならず、これが結構、複雑なんですね。レンズがD2ではシャッタースピードに絞りが連動せず、表示できないことが分りました。写すことはできても、露出、スピードの調整は暗闇でするようなものです。さすがにニコンだと思っていましたが、レンズは次の世代のD2hでないとダメです。HPをマスターした後だけに、また新たなメカの操作、機能をマスターすることに、うんざりしています。
しかも、メモリーの入れ方が間違って、カメラ内部のツメを壊してしまいました。新品なのに修理費が取られると、思いながら、買ったヨドバシカメラ梅田店に保証書を添えて持参、壊れた箇所の説明をしましたところ、「買って2日しか、経っていませんので、ボディーを新品と取り替えましょう」と、無料で交換してくれました。やはり、大手だけあるなと、感心しましました。オートマニュアルで練習してから、マニュアルの方法を店の方に教えてもらおうと思っています。年を取ると、メカの扱いが億劫になる今日この頃です。
☆2005年2月10日(木)朝から雨、まだ肌寒い。
サッカーに想う
昨日の、北朝鮮のサッカーは日本中で盛り上がったようですね。専門家をはじめ、いろいろな方がコメントしています。それぞれの見方に一応、うなずくのですが、結局、アジアの王者でも日本が確実にドイツへ行ける保証はないということだけはハッキリしているということでしょう。
サッカー競技は、世界ランクのトップ10と以下の差は割合、実力通り結果がでるようですが、10位以下の順位になれば、当てにならないし、だからこそ面白いし、サッカーくじも盛んになるのでしょうね
。
埼玉競技場のサポーターの応援席を観ていて、赤と青の両国の間に緩衝席を大きく設けていることが、この試合の政治的意味合いを嫌がうえでも見せ付けていました。この空間がいつ、埋められるようになるかな、と多くの日本人は感じたと思います。
どのスポーツもそうですが、精神面が出てきます。最初の5分という時間帯に得点して、誰もが楽勝すると感じました。選手もそう感じたのかもしれません。ところが、時間の経過とともに、北朝鮮チームの方が攻めまくっていました。不思議ですね。もう1点取れば、確実に勝てると思いながら観ていますと、逆に、相手に1点取られ、がっくりさせられたことでしょう。残り時間が迫ってくると、サポーターの応援席の緩衝帯のことが、頭を過ぎり、ドローになった方がいいかもしれないなんて、つい政治的な顔がのぞきます。
それにしても、サポーターの大きな混乱もなく、すばらしい試合をした両国の選手には拍手を送りたいですね。案外、こうしたスポーツの交流が日朝間の隙間を埋める機能が働くのではないだろうかと、サッカーを観ながら思ったものです。
☆2005年2月9日(水)晴れのち雨、ポカポカ陽気(気象庁)の割には朝は肌寒い
『きみに読む物語(The Notebook)』
今日は、春のような陽気に誘われて、近くの枚岡梅林(HP:独人房アート館)出かけました。咲き始めで、来週の中ごろが見ごろだと思います。平日だからシニアばかり、デジカメで楽しんでいる人が多かったですね。
今夜は、サッカー、北朝鮮との一戦に日本人の多くはTVにクギづけになるでしょう。私の予想では1−0で日本か?
先ごろ、平日の午後4時20分上映の映画「きみに読む物語」を観ました。平日の総入れ替えでも8ぶ通りお客(若者8、シニア2の割合)で埋まっていました。
毎月1日は「映画の日」で女性1千円、この映画かどうか確かめていませんが、50歳以上のペアーは2千円、もう一度見たい人にもペアー2千円、もちろん60歳以上は1千円と、観客動員に工夫していました。映画はTVと違って、やはり迫力がありますね。
今回の「きみに読む物語」は、ITの映画案内で観賞した人の評価のほとんどが満点だっただけの理由で、ストリーなど、すべてを知らずに行きました。結果は、私も90点はつけますね。この映画は人生、高齢化、痴呆症、愛がキーワードの内容です。アメリカ人好みの貧者と富裕者、一途な愛の賛歌等、ストリーが単純で分りやすいです。舞台は1940年のノースカロライナ州(実際の撮影はサウスカロライナ州)です。風景がすばらしいです。
日本でも新藤兼人の「午後の遺言状」など、高齢者を扱ったすばらしい映画がありますが、高齢者問題は世界共通ですね。映画で主演ノア役を演じるライアン・ゴズリンクはすばらしい俳優ですね。それに、相役のレイチェル・マクアダムス、二人の高齢者役を演じるジーナ・ローランズ、ジャームズ・ガーナーの演技はたまらないです。
映画のような夫婦で人生を終えることができれば,最高ですが・・・。ぜひ、好きな方とご覧になってください。
●「NHKと朝日新聞問題」の日記を読んだ感想(Aさん)が届きました。
☆ 2005年2月8日(火)雨のち曇り、最高気温11℃
NHK&朝日新聞問題
ようやく寒さが緩んでまいりました。今日は、「NHK&朝日新聞問題」について、記事を紹介しながら,私見も書きたいと思います。まず、紹介しますのは、私どものやっているNPO活動の東京の兄貴分のNPOが提携していますメルマガ『神楽坂まちの手帖』編集長の平松南さんが書かれた記事です。平松様の了解が得られましたので、この機会に取り上げたいと考えました。私も、政治家・安部晋三氏について平松氏と同じ思いを持ちました。
また、私のHPのNET108ページに『神楽坂まちの手帖』のHPアドレスを掲載しますので、ご覧ください。平松氏は講談社編集部から独立、市民運動、神楽坂の町の活性化、同地で飲食店の経営など、幅広い活動をしておられます。(私の記憶が間違いなければ・・・。)
「●英国王室のチャールズ皇太子の次男のヘンリーが、パーティーでナチスの軍服を着て、おまけにハーケンクロイツの腕章までつけてきて、回りを驚かせました。皇太子は激怒して、早速ポーランドのアウシュビィッツに研修にいかせたそうです。
最近のイギリスでは半数の人が、アウシュビィッツの存在を知らないといいます。
文芸評論家福田和也氏が今週発売の雑誌に書いている内容です。」
「●朝鮮人従軍慰安婦問題は、イデオロギーが混入してややっこしなくなっていますが、あったことは事実です。しかし事実が誇張されたことがないとは言えません。南京大虐殺もしかりです。草思社の近著「南京事件【証拠写真を検証する】」は、その証拠写真といわれるものの胡散臭さを亜細亜大学の東中野修道氏が3年かけて調べたそうです。戦時下の事件には、誇張や虚偽があることは想像できます。
しかし今週日曜日にフジテレビに出演した自民党の人気者安部晋三氏のNHK・朝日問題に対する見解はひどい物でした。北朝鮮問題では毅然とした風に見えた氏が、言論や報道のはなしになると、しかもその当事者になるととたんに、その底の浅さを露呈してしまったのです。」
「フジテレビ「報道2001」の内容はこうです。
キャスターの黒岩氏にたいして安部氏はこんな発言を繰返しました。「朝日の松井やより記者や本田雅和記者は、従軍慰安婦問題が事実であり、その責任を追及するという視点で報道することを決めており−−」といい、いかにもそうした視点を持つことが反政府的であるかのごとく咎め、朝日新聞社を攻撃したのです。(朝日新聞の報道にいろいろ問題があることは、わたしも編集者として見逃してはいません。しかしこの新聞が、日本ではクオリティペーパーであることに変わりはありません。)
これにはさすがの黒岩キャスターも(竹村健一氏も)「安部さん、その発言はまずいですよ。それでは、ジャーナリストの思想や信条まで問題にしているようです。
記者がどんな考えを持つのは自由ですから」と、いさめました。
見てくれがよくて、岸信介の孫という血筋、安部晋太郎の息子という育ちで、苦労
なしの安部氏が人気を得るのはいいとしても、こんな人が総理候補の筆頭であることにわたしは日本政治の深刻なあやうさを禁じえません。チャールズ皇太子ではないが「言論の自由」「思想の自由」という戦後憲法の根幹をよく学びなおしてほしいとおもいました。フランス革命で、ヨーロッパは「自由、平等、博愛」を、そして「民主、人権、」を確立しました。民主主義は、反対意見を命懸けで保証することです。
フランス啓蒙思想家のモンテスキューは「君の思想には反対だが、君がその考えを発言することは命を懸けて守る!」
といいきりました。これが言論の自由です。
今号では、このことを踏まえて、ふたつのイベントをご紹介しました。
(2005年2月4日 平松南)。」
URLはhttp://www.carinavi.org/db/です。
平松南 HIRAMATU MINAMIminami@cba.att.ne.jp
● この問題は映像と、活字メディアの両横綱の争いになっていますので、世間の関心はジャーナリズムの世界だけにとどまらず、野次馬も含め大変な盛り上がりを見せています。昨晩、筑紫哲也氏がNHKと朝日新聞のOBを招いて、この問題を取り上げていました。「本来の問題はNHKの内部、つまり経営陣と現場(内部告発)の問題が、すりかわってしまって、NHKと朝日新聞ということになっている」と指摘していました。疑惑の取材の難しさも明らかにしていました。NHKOBの川崎氏は「海老名会長体制と政治家の関係が、指摘されたわけで、彼が顧問にも就けないことが決まると、一番の子分も発言を変えてきている。」と、厳しく批判していました。
● この問題は、ジャーナリズムの本質を問う意味で、NHKと政治家の馴れ合いの一例として、朝日新聞が取り上げました。しかし、朝日新聞の予想に反して、政治家への取材方法、さらには、NHKからの事実誤報の追跡となり、思わぬ展開を見せています。私がこれまで、現役の記者を含め、ネット上で意見交換した中では、「日本のマスコミは先の戦争責任の総括をしていない。“従軍慰安婦”という言葉も最近、ようやく新聞に登場してきたのである。あの戦争責任はマスコミこそ、大罪をうけるべきで、そういう意味ではA級戦犯たちはチンピラのようなものである。」という指摘もありました。
● 私の父は、ニューギニヤのスタンレー山脈を挟んで連合軍と死闘を繰り広げた、ポートモレスビー作戦に従軍記者として現地を取材、それを小説の形で『ニューギニヤ山岳戦』(山岳戦は市街戦と違って、個人戦の様相をおびます。「死体の数が戦争の悲惨さと規模を示す。」といって、死体の数を克明にメモしておりました。)を発表、それが戦前最後の直木賞に選ばれました。戦争が終結、父もGHQに呼び出され、報道を厳しく追及されました。英語が得意だったことに加え、捕虜のオーストラリア人神父と現地で毎日、話し合ったことも理解され、最終的に釈放されました。後年、この神父について雑誌に発表、オーストラリア戦争記念館=ITで見られます、の関係者からの依頼もあって、翻訳したものを届けました。)戦後、朝日の記者に戻りましたが、小説を書くのは40年近く後の定年後のことです。「長く戦争責任で悩んでいた。」と、評論家の鶴見俊介氏は書いています。先の小説では、「攻撃までしか書く許可が出なかった。退却の悲惨さは、晩年になって話し、書くまで待たなければならなかった。」と、述懐していました。
● こうした人物をそばでみていて、ジャーナリズムの難しさを感じていました。権力とどの程度距離をおいて、取材をするのか。今の記者クラブ制度を見るにおいて、戦前の大本営発表と違うのか、ともすればサラリーマン化した報道陣は安易な道に堕ちこんでいないのか、常に自省する姿勢を持ち続けなければ、ジャーナリズムは言論界から消えることを危惧します。一方、安部氏が指摘する『取材の行き過ぎた姿勢』については、人権問題と関連して難しい問題です。真実や事実を追究するという大儀のなかで、ともすれば、行き過ぎてしまう現実があることも、確かです。
● それと、私が危惧しているのは、朝日新聞にせよ、NHKにせよ、コメント掲載がそれぞれの理解者に偏っていないかという点です。文化面やその他紙面に登場する人物を色分けして、いかにも「公平。中立だ」ということを標榜していることです。やはり、違った思想の持ち主でも、登場させてこそ、堂々とオピニオンリーダーとしての理解が深まるのではないだろうか。いずれにせよ、この両方のメディアからジャーナリズムがなくなることは、日本にとって不幸なことです。今回の問題は、水掛け論になる心配もあるし、仮に裁判になって、最後の一線は敗訴と分っても明らかにできない言論人として守るべき内容が含まれています。裁判を一番望んでいるのは、政府自身であることを、両方のメディア首脳部は知っていてほしいと願っています。皆さんのお考えをお聞かせください。以上。
☆2005年2月7日(月)曇り、最高気温8℃とまだまだ寒い。
異文化コミュニケーション
今日から、京都の北天満宮の梅が一般公開。やはり、春を告げる一番は梅ですね。近くの枚岡神社の梅林にも多くの人が訪れます。
先月、紹介しました元外交官の七尾清彦さん(HPは私のNET108にも掲載)からメールが届きました。そこには、みなさんにも読んでいただいたらいいと思うエッセイが紹介されていました。
「皆さん、お寒いですね。お元気ですか?
私の永年の友人である木村洋君(ワシントンDC在住)のエッセイ「文化は変えられるのか?」がシヴィック・エクスペリエンスに掲載されました。日々のアメリカの動きを追いかけていてもなかなか分からない根っこの問題を、彼の永年のアメリカ人との付き合いの例を引き合いに分かりやすく解説してくれています。
最後はアメリカ人の文化は変えられるのかという問題に読む者を誘導してくれるのですが、これは人によって皆、考えが異なるのかもしれません。
もう野鳥達はツガイになって電線に止まっているみたいで「春遠からじ」です。ご自愛ください。」
*********************
七尾 清彦
ホームページ
「 シヴィック・エクスペリエンス」
( http://civex.org)
********************
「ご連絡ありがとうございました。興味深い論文ですね。
私は、日米社会に横たわるゲゼルシャフトとゲマインシャフトの違いのようなものを感じながら読ませていただきました。
実は、私は青色発光ダイオードの裁判を追っているのですが、この裁判を通じて日本のゲマインシャフト社会をまざまざ見せ付けられた思いをしております。発明者の中村修二氏自身はすでにゲゼルシャフト社会の意識を持っておられる、数少ない日本人であると思います。だから日本社会では誤解されやすいのではないでしょうか。」
「木村さんの異文化コミュニケーション論はおそらく、ペリーの黒船出現以来の旧くて新しい問
題で、ある意味で永遠の課題であるように思えます。取り急ぎお礼まで。」岡田。
☆2005年2月6日(日)曇り、昨年より寒い。
介護問題
以前に紹介しました熊谷市の知人からメールが届きました。介護問題について書かれていました。
友人からのメールを紹介します。
「主題の件 介護施設での介護から自宅での介護支援政策に軸足を移すと厚生労働省の方針変更。私の母は(91歳)現在介護施設に週3日通っていますが、これより重度な介護を必要とする老人が自宅に帰ります。
そこでこの人たちの住環境の整備をする組織(NPO)を立ち上げたいと考えています。
その環境整備を行うに必要と思われる資格(第二種電気工事士は10月に取得、第一種電気工事士合格証書は昨日届きました)、また安全で安心できる住環境の構築のために今、防犯設備について勉強中です。構想も未熟ですがお力をお貸しいただけたら幸いです。取り急ぎお願いまでで失礼します。」
介護経験した人なら、その大変さが分ると思います。私の場合、親父が亡くなったあと、お袋が一人、不自由な体でありましたが、誰の世話にもなりたくないと言って、独居を続けておりました。兄は「有料老人ホームに入れよう」と、提案しましたが、母親が一蹴したので、諦めました。そのうち、電話をかけるのもおぼつかないことになり、夜だけは心配になって、私が母親の家から通う別居生活を続けました。いま自分がその歳に近づいて分るのですが、老人は、夜、何回も起きては、ごそごそ動きまわりますし、年がら年中、ラジオのボリュム一杯上げて気を紛らわせておりました。だから、現役の私は、そのたびに起こされ、いつも睡眠不足に悩まされました。このままでは、母親より、自分の方が先に死んでしまうのではないかと、心配したものでした。
さらに、やっかいなことに、女房の方も、九州の熊本へ、姉妹4人で96歳の母親の自宅介護に交代で出かけてしまうことでした。しかも、長女は70歳を越え、老老介護の悲劇に直面、ついに長女が担当する介護期間だけは、老人ホームと病院にかわるがわる入れざるを得なくなりました。「もう、帰ってこられないかも・・・」と、家を離れる母親は寂しげにつぶやいたそうです。介護期間が1年、2年と過ぎていくころ、一番下の妹も大阪から通う辛さをもらすようになりました。私は、そばで見ていて限界に近いと思ったこともありました。恐らく、皆さんも、いろいろご苦労をされた、あるいは今、されている方もおられると思います。介護保険だけでは、まだまだ対応できない現実があります。先の知人のNPOも、そういう問題を含んでいるように思います。
☆2005年2月5日(土)晴れ、寒さ続く。
今日は、エレガンス会
この会ではいつも何か、発見できるからうれしい。違う世界が見られて面白い。昨晩、新しく名刺交換した方々には、エレガンス会の名前にふさわしいエレガントな女性が多く、参加していました。
Webで稼動する業務管理システムを運営する有限会社(滋賀)の代表O女史、有限会社(滋賀)マネージメントプロモート(広島市)の代表T氏、奈良産業大学教授F氏、米国カルフォルニア大から帰国して企業PRをする有限会社(大阪市)を立ち上げたM女史、高齢者支援事業組合(神戸市)理事K氏、専門学校(埼玉)校長、企業勤務しながらベンチャー企業(枚方市)を経営するY氏ら、各地のユニークな人たちです。
昨晩の会合での語録を紹介します。
「いまの学生の3割はなぜ、働かないといけないの?社会へ出て行く意思が、まったく無い。6割が働く意思を示している」
(大学の授業中、ひところはお喋りする学生が多かったが、いまは静かになった反面、携帯でメール通信していることも聞く。2007年問題は、少子化で全員大学に入れる。すでに、筑波大学の一部学科でも昨年、全員入学があったというくらいだから、地方大学、私立大学は大変である。一方、ニート族が増加している。自宅に引きこもり、怠惰な毎日を送る若い人たちである。私の知り合いにも、いるが、実に気の毒に思えます)
「学生は卒業したら、なぜ、社会で働かなければ、ならないか?という新しいカリキュラムを準備している。これを教育的表現をすると、“就職哲学”と名付けます。」
「私は企業人から、大学へ移りましたが、企業社会と教育現場の人たちの考え方に大きな開きを感じます。」
そのほか、関西に住んだり、やってくる外国人を対象にしたビジネスなど、老若男女の生き生きした会話に圧倒されています。IT社会になって、いろいろなビジネスが出てきている事を実感しています。
☆2005年2月4日(金)曇り、依然、朝は冷え込む。
NPO活動
昨日は、NPO法人WS西日本の例会がありました。これからの行事を中心に議論しました。2月は、WS西日本会員の小形真訓氏が、著書『迷ったときの聖書活用術』について講演されることが決まりました。3月はシニアのための「話し方教室」ということで、元アナウンサーの方をお招きすることになりました。また、この日記でも話題にしましたブログの勉強会も行う方向で、講師と交渉に入ります。会員のための仕事情報は、毎週メルマガ(有料)で10本前後、流しています。
このNPOは情報系のものでは、大阪府の第1号認証団体ですので、関西からの情報発信の強化を目標にさらに充実を図らなければならないと、思っております。
本日、夕方、「企業戦略と知的財産権」の講演に出かけます。いずれ概要を報告したいと思っています。
☆2005年2月3日(木)曇り時々晴れ、最高気温8℃で平年より冷え込む。寒波は今日までという。
カイワレ育つ
台風で野菜が市場から消えた時、スーパーでカイワレの種を買い込みました。室内で10日ほどで、栄養価の高い野菜を口にできるという、メッセージが気に入ったからです。15cm四方のプラスチックの容器の中のスポンジの上に百粒程度の種を撒き、上から水をかけ浸すだけで立派なカイワレが育ちます。野菜不足の対策の一助にはなりそうですね。
採れたてのカイワレをトマトの上に散らし、その上から、エキストラバージンオイル、ワインビネガー、ドレッシング、レモン、胡椒、塩をかけていただくと、イタリヤレストランのサラダに変身します。
花粉症が心配な女房が市の総合病院の耳鼻咽喉科に診察に出かけました。若い医者はカテーテルの先についたカメラを鼻の中に入れ、すぐ30cm四方の画面に10cm画の鼻の内部を写し出して説明するそうです。「赤い周囲に少し白く写っているのが、アレルギー反応、つまり花粉症の兆候です。」と、すでに軽い花粉症にかかっていることに驚いていました。以前に服用した薬剤名が分らないので、「一般的なもの(ジルテック錠)を渡しましょう。」ということで、会計で支払って家に着いてから、薬をもらってこないことに気づきました。薬局はすべて院外になっているため、支払いですべて終わったと思うことが、時々、起こります。それで、近所の薬局へ受け取りに行くと、「今、4錠しかありません。今日中に取り寄せになると、300円費用が余計にかかります。明日なら無料です。」と言う。やはり、田舎の小さな薬局では在庫をそう多く持たないからだろう。「明日、御宅に届けますよ。」と、町では考えられないサービスをする。こういうところに、大規模な薬チェーンが押し寄せるなかでも、何とか残れるのだと思う。高齢化社会になれば、こうしたサービスを工夫すれば、価格競争でないところで勝負ができるに違いない。
☆2005年2月2日(水)曇り、朝氷点下1℃、最高気温7℃
ブログて何?
先日、日記でブログについてどなたか、「教えてほしい」と書きましたところ、M女史から次のようなメールが届きました。私の知る所では、日記などはサイト管理が不要だから、メールを書く感覚でいいようです。プロバイダーにはブログを無料で提供している所もあるそうです。HPとブログを併用すれば、いいという人もおられます。
メールの最初の部分は、私のHPでのトラブルについての意見です。
●M女史からのメールです。
「お使いのHPソフトがおありですか。 ざっと拝見しましたところ、そんなに容量は無いと思いますので、契約範囲を超えているとはあまり思えないのですが。
既にお使いの写真、例えば年賀状でお使いの花のお写真などを2月のページに貼り付けてテストされましたでしょうか。 参照先などの設定が間違っているとパソコン上で表示されているのに、アップロードすると表示されないというトラブルは起こります。」
「又、ブログについてもご質問なさっていらっしゃいましたが、確かに日記はこれをお使いになって、HPからリンクさせるのも良い手段かと思われます。
ご存知の通り、日記はHP作成ソフトをお使いになったりして毎回アップロードをするという手間が必要ですが、ブログはそれが要りません。
なぜなら、ブログはインタネット上で書き込みや書き換えをするからです。 無料で使用することも可能です。私のちっぽけな知識などお笑いネタにしかなりませんが、必要でしたらお知らせください。
もう少し情報提供が可能かと思います。」
☆2005年2月1日(火)曇り時々晴れ、朝、庭に雪1p、最高気温3℃。
ドラえもん秘話
2月が始まります。ページも一新しました。今日は、ドラえもんについて、おかちゃんこと、岡田剛一さんのメルマガから転載します。ドラえもんについては、私にもなつかしい思い出があります。出版局に籍を置いていた頃、サザエさんなど有名漫画の謎解きのような本が、大変、流行したことがあります。
ある方からの持込で、「ドラえもんに出てくる、竹コプターなどを、科学的に検証して、実現可能か、どうか研究しているグループがあります。リーダーは東大教授の○○氏をはじめ、NTTの技術者ら多くの方が参加しています。」ということだった。
途中からどうしても漫画を入れないと、竹コプターといっても、読者は分らないということになり、私が小学館に了解を取るための交渉役になりました。幸い、知人から同社のA専務を紹介してもらって、著者の故・不二子氏(A?)の事務所を一緒に訪ねて、了解をとったことがありました。もちろん、初対面でしたが、趣旨を説明しますと、すぐに了解されました。
「あとは、版権を管理している小学館プロダクションと契約してください」ということでした。小学館にとって、ドラえもんは同社の最大のドル箱商品です。版権管理は大変、厳しいものでした。交渉は長引き、そのうち同社編集部から「当社で出すべき」と言う声もでてきて、何回もダメだと思いました。漫画をはめ込めば、完成する段階でしたから、諦める訳にはいきませんでした。「不二子氏のお墨付きがあるんだ」というこを支えに、何回も粘り強く交渉を重ね、ようやく、売れ部数に沿って印税を増加させる、あまり、これまで例が無い方法で合意しました。合意後は「がんばってください」と、エールを送られました。すでに『ドラえもんの鉄がく』の書名で発行して10年以上たちますが、いまだに売れているという報告が伝えられます。
さて、おかちゃんからのメールです。
■ ドラえもん
ドラえもんを知らない人はいないくらい、ドラえもんは有名人ですね。じつ はおかちゃんはドラえもんシリーズの映画を全て見ています。
1980年に封切られた「のび太の恐竜」〜 2004年に封切られた「のび太の ワンニャン時空伝」まで。おかちゃんは一年に一本のわりに作られるどら えもんの映画はそれぞれ少なくとも2回〜3回ほど「あっ君」と見てい ます。
あっ君はドラえもんが大好き、新百合ヶ丘の家に帰るとこのドラえもんのビデオに付き合わされます。 ところが、ドラえもんをあっ君(彼の息子さん)とみているとストリーの面白さについつい おかちゃんの方が一生懸命に見てしまいます。
去年の11月に驚くべき発表があったのをご存知でしょうか? そうそう。 どらえもんの愛すべき声優さんたち全員が引退するというもの;
★ 大山のぶ代さん (68) 「ドラえもん」
★ 小原乃梨子さん (69) 「のび太」
★ 野村道子さん (66) 「しずか」
★ たてかべ和也さん(70) 「ジャイアン」
★ 肝付兼太さん (69) 「スネ夫」
上の皆さんは四半世紀1つの役を演じ通すという、このすさまじいプロ 意識に驚くとともに脱帽と敬意を感じます。 平均年齢が68歳、間もなく全員が70歳です。 実年齢を聞いて 腰を抜かさんばかり驚きました。 この年齢で小学生4年生を演じるわけですから すごいです。
恐らく声優のような仕事は視聴者が支持してくれる限りは、定年というもの がありません。 最終的には今回の引退は5人で話し合って交代を決めた と聞きました。 引き際を自分で決められるということが自分自身に厳しい故にこのような25年も続けられた要因なのでしょうね。
次回のドラえもんから新しい声優さん達でスタートと聞きました。 先輩のやった25年もの「どらえもん」を越えることは難しいかもしれません がまた新しいドラえもんの世界を作ってもらいたいものですね。
もう一つどらえもんは嬉しいことがあります。 おかちゃんはよく、仕事 の関係で東南アジアの人たちと話すことが多いのですが、南の国の人達 もドラえもんファンが多いことです。 ドラえもんという日本文化が海外の子供達(一部大人達)にも受け入れらて いることに感謝です。
日本製の物理的な物の輸出より、このような「夢」、「文化」の輸出は これからますます、増えることとおもいますが、、増えてもらいたいですね。
以上です。
今日は女房が朝から花粉症の診察と、薬をもらいに行くというので、病院に同行しようと思っていましたが、朝の積雪による路面凍結が心配で見送りました。テレビで「これまでかかったことがない人こそ、今年の花粉症は要注意です」というものだから、心配になっています。皆さんは何か、対策をされていますか。
昨日はNPO主催の勉強会を開き、WS西日本会員の小形真訓さんから著書『迷ったときの聖書活用術』(1月24日の日記に記載)について、宗教、本の出し方等、お話を聞きました。
興味ある内容でした。
本について
1.タイトトル
1.目次―内容が分るように十分、盛り込む
1.帯―「読まない人は損をする」
「元祖・ビジネス書」等のキャッチコピー
以上、3点が重要ですと、指摘されました。
宗教について
1.宗教は縛る―自分を縛るのは、自分の「欲望」です
1.宗教は怠け者にする―バランス感覚をつける
1.宗教は逃げだ―逆だ、より強くするための足場である
以上、俗説に反論されました。
本の中から「聖書に基づく私の危機管理三原則」を紹介されました。
1.どんな時にも逃げない。平たく言えば居留守を使わない。
1.いやな仕事、いやな相手を先にすませる。
1.今日の仕事を明日に延ばさない。
☆2005年2月25日(金)晴れ、今日も寒い朝です
詩『子ども』
先日、皇太子さまが誕生日の記者会見で読み上げたスエーデンの中学校の教科書に載っている詩「子供」を買い求め、書店に殺到しているそうです。
−批判ばかりされた子供は/非難するすることをおぼえる・・・・・。−
すばらしい詩だと思った人が多いのでしょうね。これを、実際の子育てで実行しようと考えますと、大変だということが分ります。要するに、子供には愛情を持って接することが大事だということでしょう。現実的には、その愛情の中身、表現が難しいのだと思います。親としては愛情のつもりが、子供を傷つけたり、心の負担になっていることがあるかもしれません。そういう意味でこの詩から教えられることは多いですね。
著者のドロシー・ロ・ノルト女史(米国)は家族教育の子育てコンサルタントで
『子供が育つ魔法の言葉』(More Magic Words of Parenting)はミリオンセラーになったのです。
その一節を紹介しよう。
―「子は親の鏡」(Children Learn What They Live)
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると,子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励まして上げれば、子どもは自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ・・・・・・・・
誉めることが大事でしょうね。ただ、日本の教育がある時から「下」に合わせることに重点を置いたため、なんでも平等にしたことに大きな誤りがあったように思います。走ることでも、一緒にゴールするというバカげたことが行われ、個性を伸ばすことより、抑える方向に行ったことがある意味で悲劇を招いています。
子どもは一人ひとり違うのに、「みんなと同じでありたい」と、親も望み、期待し過ぎになっているところに、不幸が起こるのでしょうね。
子育ては忍耐です。
☆2005年2月24日(木)晴れのち曇り、寒さ続く
老舗の教え
先日、ある老舗を訪ねました。創業130年で、今なお、チャレンジ精神旺盛でした。この企業につきましては、「経営のページ」に後日、掲載します。今日は、経済界の不祥事があまりにも多いので、その企業の3つの掟を紹介します。
歴代、「信用」を大事にしました。家訓とも言うべき三つの掟を絶対に守れと教えました。一つは「ウソをつくな。」です。これが大変、難しいことは、最近の経済界、産業界の不祥事を見ても分ります。経営者は平気でウソをつき、晩節を汚しているのです。
その企業の先代たちは商売で一度もウソをついていないそうです。「ウソも方便」といいますが、損してでも「ウソをつかない。」ことを守り抜いているといいます。そうなんですね、自分だけが得をしようと考えるから、ウソをつくことになります。
戦後のヤミ商法も厳しく封じました。「覇道」より「王道」を求めたからです。「覇道」は時に短期の正義になるかもしれないが、長期的に見れば、違うと考えたのです。
「商売上はもちろん、普段もウソつくな。ウソつくと癖になるため、商売でもウソをつき易くなる。何でも正直に話せ。」と、いまも教えているそうです。
二つ目は、「約束は守れ。」ということです。一度約束したことは、有言実行でなければならない。どうしても約束を果たせない時は、土下座するなり、早めに謝りに行くなり、きちんとフォローをしろと、先代らは伝えています。知らない間に約束を破ったことが一度でもあれば、商売人として失格で、同社の社長の器でないことを肝に銘じておくよう、言明されています。
三つ目は、「時間を守れ。」です。約束の五分前に到着していたら、普通は時間を守っていることになるが、同社の教えは、「五分前に着く計算で出かけて、何かあった場合どうするのだ。道路が渋滞して十分遅れたら、すみませんでは済まされない。約束は出来れば三〇分前に着けることで約束をしろ。それで遅れた場合は、天変地異に関係することが多いから仕方ない。」ということだそうです。
商売人にとって「信用」が生命であるから、この一見、簡単そうに見える三つの約束を堅持できるだけで経営者失格にならないと教えられているそうです。いま、企業はCSR(社会的責任)といって、難しいことをやっていますが、この3つの掟を守るだけで、十分だと思いますが・・・・。
今朝は寒いですね。ラジオ深夜便で「常夜鍋?」を聞いたので、さっそく試しました。まず、水とお酒を一対一で鍋に入れ、出し昆布を加えます。あとは、しゃぶしゃぶ用の豚肉と、ほうれん草だけです。漬け汁はダイコンおろしとポン酢。簡単な鍋で、わが家では初めてでした。ただ、野菜は他のものを加えた方がいいですね。豚肉とほうれん草の組み合わせに意味があるのかもしれませんが。・・・。
今日は、先日の講演「企業戦洛と知的財産権」の概要をまとめましたので、報告します。講師は京都大学の法学部を出たあと、私学の工学部で学んだ蔦田内外国特許事務所の弁理士・蔦田正人副所長。質疑も含めて、アットランダムに記載します。
テーマの中心は、2005年2月2日にマスコミで大きく報じられたジャストシステムのワープロソフト『一太郎』の販売禁止の判決問題です。これは、松下電器産業がこのソフトを開発、販売したジャストシステム(徳島市)の特許侵害を訴えていたもの。
1. 提訴(04年8月)からわずか6ヶ月で判決は、非常に速い。
2. 問題の特許はタグバーの右上についている?アイコンに「ヘルプモード」ボタンがついていることに関するもの。(このため、ジャストシステムは?なら問題にならないということで、??のような工夫で一時的に対策を打っている。)
3. これまでのように、特許は「守る」ためから、「攻める」ことが必要であった。より広い範囲の特許が必要だということが、今回は認識させた。
4. 本特許が成立した98年に『一太郎』がこの特許を侵害していると、話し合いを求める文書を送ったが、ジャストシステムは無視した。その後も数回、送付。
5. 警告(松下の)にはすばやく、丁寧な対応が必要である
6. 無効の主張については、強力にしなければ、ならない。
7. 知財裁判は迅速に進行するので、双方、迅速かつ念入りな対応が必要である。
こういったところが、講演の概要です。
「松下は事業をやっていないので直接のメリットはない」(参加者)
「判決文など、公文書の大半が『一太郎』を使っているが、この判決文は他のワ−プロソフトを使って、作成した」と、伝えられる。
「まだ、賠償を求めていないので、当面、問題は無い。ただ、侵害特許を使ったソフトということで、気持ちが悪い人にはソフト交換の必要がある。」
「特許範囲を広くして申請すると、中心の特許が弱くなり、認められない可能性があるのではないか。(バランスの問題です)」
●私は先の青色ダイオード判決について、質問しました。
「高裁は世間の意見を斟酌して判決したように思う。個人的な意見としては、中村氏に気の毒だと思う。」
「職務対価を認めているのは、日本とドイツだけ。アメリカなどは、個人契約で、給与には職務対価も含まれているので、問題ない。」(参加者)
「儲かると考える技術者は、すぐ、独立してベンチャーを起こし、大きな資産を形成する。」(参加者)
「中村問題で一応、最高額が示されたので、今後はこの種の訴訟は終息に向かうと思う。」
「武田薬品など、青天井の企業が出てきた」(参加者)
「職務対価は、自社で使う限りは、問題がない。」(参加者)
「企業はいま、様々な算定方式を検討している。」(参加者)
「松下のような特許は、機械屋の特許では考えられない。いわば、著作権に属するように思う。」(参加者)
「ソフトの特許は今後も考えられるし、電気機器は機械と違って、何百の部品、特許で作られていくので少し違うだろう。」
「新特許法では自然科学でなければ、ならないので、どうなりますか。」(参加者)
「広い意味で自然科学であれば、いいということでしょう」
「中小企業から、出願を見て“あんなもの、特許になるわけがない”が、どうですか、と聞かれるが・・・。」(参加者)
「やはり、出願されたものは、基本的に抵触する恐れがあると考えないと、大変なことになりますと思った方がいい。」以上です。 雨が降るたびに、春に近づいているらしい。しかし、明日の日曜日は、最高気温6℃と真冬の寒さに戻るという。
先日、大手シンクタンクのチーフエコノミストA氏と懇談した。A氏によると、東京の総生産は全国の平均値の8倍で徐々に良くなっているが、大阪4倍で下がっているそうだ。3倍の名古屋、神奈川は上向いているようだ。数字で見ると、大阪、兵庫が一番ダメージを受けている。いまや、大阪府は日本一の借金王となった。返済メドはない。借金がある上に、おカネがないから、A氏のせっかくの提案を大阪府は、ようしないだろう。皆さんは、どう思います。
A氏は「地方へ行って感じることは家が狭い、軒を並べて建てている。田畑の価格は安いので大きな家を建てればいいと思う。東京で1億円の家を建てても豪邸にはならないが、地方でも豪邸にはならない。土地が結構高いからだ。人口が減るのだから土地を売ってお金持ちに豪邸を建ててもらうことが得策だと思う。大阪が東京に比べ遅れをとったのはお金持ちが大阪に住まないことが原因だと考える。大阪のお金持ちは芦屋でなく東京に家を持つらしい。東京など豊かな地域の税金で何とかしてくれるという考えが根底にある。それが不可能ということが分れば、土地を売って力のある人に住んでもらった方が得だという考えになる。」
「東京の人はあきらめがいいので、どんどん入れ替わって活気がある。人の入れ替わりのためには住むコストを下げることが重要である。個人が土地を売るということは難しい。大阪の豪邸街が出来るとしても、最初に土地を売った人は損をする。豪邸街が出来ることで価値が高くなり土地の値段が上がるからだ。300軒の豪邸を建てるだけの土地を持っており、最初に50件安売りしその後高く売るという作戦が考えられるが、個人でそれだけの土地を所有している個人、企業はあまりいない。しかし大阪府は持っており、しかも地価が上がることで固定資産税を増やすことが可能である。地方自治体が主体になってやるのがベストである。しかしやらない。国からおカネが貰えると思っているからだと思う。」
東京から見ると、広尾の豪邸より、芦屋の豪邸の方がはるかに立派に映るそうだ。土地面積が大きいからだ。それだけ、大阪には金持ち持ちが多いという。 東京に建てず、大阪にということだが、企業そのものが、東京へ進出するものだから、いまのところ打つ手はないように見える。ボツボツいくしかないか・・・・。
大阪・上町台地(高台の意味)の一角にある日本最古の寺町。文字通り寺の町で、下寺町一丁目〜二丁目の松屋町筋の南北一・八qに浄土宗を中心とした三十弱の寺院が集まっている。
「世界中で教会、神社、寺院のどれをとっても、これほど密集している場所はほかにない。生国魂神社から四天王寺一帯を“夕陽丘”という地名で分るように西に望む海に沈む美しい夕陽を西方浄土として拝む最適地だった。法然上人もかつて後白河法皇とご一緒に一心寺の地から見事な夕陽を観られた。」(高田恭行・一心寺長老)と話す。当時から夕陽を観る地として寺院が集まり人々が詣でた。
同じ上町台地でも生野区の住民の四人に一人は韓国・朝鮮籍をもつ人々の住むコリアタウンから見る寺町は「天国に見えます。」(宋悟・コリアNGOセンター代表)と語るように江戸中期の名刹が建ち並ぶ。寺院の多くの創建は豊臣方が徳川家康に敗北を期した夏の陣、一六一五年以降だが、先の戦争でこの周辺も焼け野原になった。だが、八十六体もの仏が焼け残ったという。戦後、厳しい状況下で檀家の支援もあって再建、復興したそうだ。
いまの仏教は葬式仏教としての役割しかないと揶揄されて久しい。その葬式も戒名、墓の問題を含め社会問題化しているほど、日本人の仏教離れが進行している。そうした時代背景の中で、この寺町の南端にある一心寺と、北端の慶典院は異色な活動の場を提供する寺だ。一心寺は納骨された骨で十年毎に一体の仏を造立している宗派を問わない“お骨佛”の寺として庶民に親しまれている。平成六年に発足、十四年六月に装いも新たに再スタートした「一心寺シアター倶楽」は演劇を中心に落語、浪曲など多種多様の文化活動を行っている。建築家としての顔をもつ一心寺長老の高田氏は、寺町から天王寺公園を含む緑地沿道約二・二qを「茶臼山・夕陽丘プロムナード」と名付けた歴史の散歩道構想として提案、行政、市民に働きかけている。
一方、北端に位置する大連寺の別坊である慶典院は墓も檀家もなく葬式も布教活動も行わない会員制のユニークな寺だ。平成九年に完成したコンクリートの打ちっぱなしの劇場型本堂ホールで演劇のほか芸術文化、介護・福祉や教育シンポ等の活動をNPOやアーティストと協力し合って催し生きた仏教活動を行っている。「寺はかつてから学び、癒し、楽しみの原点です。」と秋田光彦住職は活動趣旨について語る。
昨年、この寺町を舞台に「極楽ストーリー」と銘打って歴史資源を見直す町おこしイベントが行われ、インド様式の本堂をもつ心光寺、法然上人開祖の一心寺、壮大な寺院建築の大覚寺、そして年間三万人の若者が集う慶典院の僧侶たちが生の声で「寺町」を語った。それはまさに現世、極楽浄土を目指しているように見える。極楽に行けるかどうかは、それを思い、信じるしかないのだが・・・。
(出典:雑誌「TARU」2005年2月号関西の風)
NPO法人WS西日本会員 岡田清治
人間の品性
ネットでいろいろ文章を読みますが、相当な知識人でも、いや、知識人だからこそかもしれません。中村修二氏について、TVを見ただけで、「品性がない」と断じているのです。人の品性を論じるには、その人物のことをもっと知ってからにしてもらいたいものです。
私に言わせれば、品性は、「心がきれい」と言うことだと考えます。心がきれいと言うことは、「なにごとについてもフェアーであること」です。ところが、中村氏は「カネの猛じゃで、卑しい」と、いうのです。おカネについて、フェアーならば、なにも品性は問われないはずです。プロ野球選手が契約更改して、自分の貢献度に応じて年俸を決めているのと、同じなのです。
日本とドイツだけが、「職務発明の対価」の仕組みを取っているそうです。欧米は、初めからプロ選手同様、契約制になっています。研究者は「カネの猛じゃ」になることが、いかんというなら、資本主義社会は成り立たないではありませんか。彼のしゃべり口に、「品性がない」というなら、それは品性の問題でなく、表現力の乏しさ、顔の悪さであるはずです。問題は話している内容で「品性がない」という指摘なら分るが、そういう人たちには、「嫉妬心」からだと思ってしまう。ある国立大学発ベンチャーで成功し、大金を得た助教授は『嫉妬のかたまり』で排除されようとしています。日本人は「和を以て貴し・・・」でなければ承知しない農耕民族なのです。
先に西澤肇氏の著書『人の値段』でも触れましたように、「中村氏は、一見、オレが、オレがと、独善的に見える」というのも、誤解だと分ります。彼は特許申請で協力者、全員の名前を列記していますし、常務で彼の上司、小山稔氏が「中村氏の貢献度を客観的に認めている」ことでも、明らかです。
西村氏は、「国内で中村擁護論を主張したのは、自分と日経の中嶋彰記者だけです」というように、中村批判が当たり前なのです。結局、日本人は「ゲマインシャフト」の社会から抜けられないのでしょう。ところが、中村裁判をきっかけに、世界を相手に戦っている武田薬品のように「対価を青天井にした」企業も現われました。松下電器も「貢献度に応じた職種別賃金制度を導入する」動きもあります。グローバル化というのは、ゲゼルシャフト社会へ移行することで、それは嫌な面もあるでしょうが、個性を伸ばせる意味では、より進んだ社会でもあります。
「ゲマインシャフト」といえば、ライブドアの堀江社長とフジテレビ会長のやりとりを見ていても、つくづくそう、思ってしまいます。確かに、ゲマインシャフトでは、「事前に挨拶がない」というのは、分りますが、ゲゼルシャフトでは「大株主と、なぜ会わないのか」という論理は明快です。日本人は戦略的M&Aを嫌うのですが、「会って、堀江氏の考えを聞いて損はない」と思うのですが・・・・。先の知識人と同じように、「堀江氏にも品性がない」ということになるかもしれません。彼の服装、顔つき、バサバサの髪をみて「生理的に嫌になる」ということはあっても、株式ビジネスに情緒的、感情的なものを持ち込んでは、成り立たないですね。ただ、彼は「カネで女もついてくる」といっているそうです。ある面、真実ですが、「品性がある」とは、思わないし、人の心までカネですべて買えるという発言があったとしたら、彼の品格はいただけませんが・・・。
時々、国立大学や、国立の研究機関が「すごい発明しても、独占せずに、公開している姿はうつくしい」という人もいますが、税金を使っているので、当たり前のことです。単純に行為だけで、比較して批判することに、アホらしくなってしまい、愚痴日記となりました。
☆2005年2月16日(水)、雨、気温は緩む。風邪気味の状態。
☆2005年2月15日(火)、今日も寒い。かぜが治らない。
「ラジオ深夜便」
定年後、起床時間が不規則というか、夜中に目が覚めることが多くなったため、TVよりラジオを聴くことが圧倒的に増えました。現役の頃、ラジオといえば、自動車で聞く程度でした。ところが、ラジオがすばらしいことを再認識しました。ラジオは映像がないものだから、説明が丁寧で、詳しく話される。
NHK第1の「ラジオ深夜便」は、その内容が大変、充実しているのです。聞いている人の多くが、シニアであるのでしょう。そうした年齢向きの内容が中心です。音楽も旧い曲が多いので、懐かしいのですね。昼もNHKのFMは朝の6時の「バロックの森」など、ジャズ以外、あまり興味ない私でも、PCの作業中、バックグランドミュージックにはいいですね。ラジオを聴くようになったら、「歳をとった証」では、あるのでしょうが・・・。
先日、ラジオ深夜便で「流氷」の研究者、青田正秋氏が出ておられました。先生は、北大名誉教授、低温科学研究所流氷研究施設長(紋別)ですが、もともと長崎の出身(高校まで長崎)で、疎開、原爆の体験を経て、学究の道は、北の地に来たそうです。
ラジオでは映像はありません。音だけですが、その番組でも「氷山が流れるとき、動物のような不思議な声を発する」と、録音テープを流していました。流氷が活きているような感じがします。
「夏の青い海原が、冬白い大陸と化かす。荒れくるいながら凍っていく氷海のきびしさ、凍てつく流氷野の静けさ、海明けの流氷の美しさー凍る海では自然のすばらしいドラマが演じられます。」
児童書の著書『白い海、凍る海―オホ−ツク海のふしぎ』の一文ですが、科学者の青田氏が非常に文学的に表現し、語られます。
「海は母、流氷は友」
−冬、オホーツク海は荒れ狂いながら冷えていきます。海中に小さな氷の結晶が生まれ、ゆらゆらと舞い上がります。流氷の赤ん坊−氷晶−です。氷晶の群は、絡み合って海面を覆い、さざ波が消えていきます。軟らかい氷の膜は、やがて、薄い氷の板へ成長します。うねりで氷板が割れます。ぶつかり合って角を削られた円盤状の はす葉氷が揺らぎます。はす葉氷の隙間もやがて凍り、青い海は白い海へと変わります。氷野と氷野の激突、起伏の激しい荒野が生まれます。延々と続く氷の山脈が走ります。オホーツク海に静寂の時が流れます。春一番に氷野に亀裂が走り、青い海が顔を出します。流氷の群が去っていきます。沖に氷海の蜃気楼−幻氷−が揺らぎ、オホーツク海は海明けの季節を迎えます。白い海は豊かな青い海へ還ります。浜に活気が戻ります。 流氷、それは海からの素晴らしい贈りものです。−
●大陸移動説と流氷
−世界地図を広げ、南アメリカ大陸を東へ、東へ動かしてみましょう。アフリカ大陸の西側にピタリとつながります。−『白い海、凍る海―オホ−ツク海のふしぎ』から。
☆ 2005年2月14日曇り、寒さ続く
再び、NHK&朝日問題
●先に、「神楽坂まちの手帖」編集長の平松南氏の、この問題についての意見を掲載しました。それには、私も賛同し、意見を書きました。今回、その続きのメールが届きましたので、下記に紹介します。
サイト送信が不能?
●その前に、日曜日、HPのサイト送信が不可能となり、しばらくダメだと思い、休止としました。ただ、日記だけは書き続けることにしておりました。いずれ、公開できる日が来るからと考えたからです。月曜日、朝9時になるのを待ちわびて、サポートセンターに電話をかけました。すると、10分足らずの説明で、元に戻りました。NECは遠隔操作でサポートする体制をとるということですが、おじんクラスには、そうしたサポートが出来れば、PCはもっと普及すると、思うのだが・・・。富士通はずばり、シニア専用のサポート体制をとると、報じられていましたが、PCについては、もっと、容易に安くサポートすることを考えるべきだろう。
「PCの増設を行い、情報や、ソフトを移動すると、サイトへの送信ができなくなることがあります。」ということで、テキパキと指導してくれました。これほど早く回復するとは思いもしませんでした。
●今日、ある大手メーカーの下請け企業の経営者との懇談の席で面白い話を聞きました。その方は、かつて政治家を目指して戦いましたが、破れ、いまは大手メーカーの下請け企業の経営者をしています。
「国政選挙で投票率が下がって、正常化してきているのです。ネコも杓子も選挙権を持ちましたが、問題意識を持った人たちが投票しているので、投票率が下がっても、かえって健全なのです。選挙権はその昔は、有力者だけに与えられていましたが、20歳になれば日本人なら誰でも選挙権をもつため、そのありがたさを忘れ、タレントのような、哲学のない議員か、地元へ利益誘導を図る議員に群がるわけです。それにしても、昔に比べれば、議員の質はよほど良くなっています。結局、政治家が悪いのではなく、選ぶ国民がその程度だということです。すぐ、人のせいにしますが、すべて自分の責任だということを、みんな忘れているのです。」と語っておられました。ごもっともですね。
●――先の意見に対して、賛同者からのメールをいただきました。わたしは一つの党派性にこだわる者ではありませんが、あまりにひどい論調を看過することはできません。その続きで、2月7日青山で行われた「緊急シンポ、NHK番組改変・政治介入事件の原点を徹底検証」という催しを覗きました。NHKを糾弾する側の論調なので、そう聞いてくださっていいのですが、やはりNHK上層部はひどいと思います。それは資料を読むと少しわかります。
過去のジャーナリズムの歴史を見れば明らかですが、ジャーナリストもうそをつきます。
朝日新聞はあの「沖縄サンゴ事件」で信用を失墜しました。NHKも特番ででっち上げを何回もやり
した。しかし今回は、そうした事実を踏まえてもどうやらNHKはうそをついていると思います。
ジャーナリストもときどきうそをつきます。CNNもニューヨークタイムスもみな例外ではありません。しかし公的な人々のなかでだれが一番うそをつくかといえば、経験的にだれもわかります。政治家です。
安部晋三氏が例外とは思えませんし、中川昭一氏も同類です。北海のひぐまといわれた中川氏の父親一郎氏は、自民党青嵐会系の大物政治家で、石原慎太郎現都知事の自民党での領袖でしたが、どろどろした政治の陰謀に飲み込まれて、政治的に破壊され自殺しました。それに負い込んだのはあの鈴木宗男氏といわれています。
鈴木宗男氏は中川一郎氏の秘書でした。一方の安部晋三氏は、その魑魅魍魎(ちみもうりょう)そのものを糧として、戦前戦後の日本政治の権力中枢を生き抜いて「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介氏の孫です。岸信介氏は、第二次世界大戦・太平洋戦争では、敗戦の責任から、東京裁判のA級戦犯として巣鴨プリズンに拘置されながら、持ち前の権謀術数で生き延びましたし、その弟の佐藤栄作氏は、造船疑獄で逮捕寸前でありながら、吉田茂内閣の指揮権発動で逮捕を免れ、なんとノーベル平和賞を受賞するのですから、政治や権力の世界は、板子一枚で地獄と天国を分けるのです。
そして目を転ずれば、報道機関でもっとも政治的体質を持っているのがNHKです。とりわけ海老沢体制だったのはないでしょうか。
(神楽坂まちの手帖編集長平松南
2005.2.14)
☆2005年2月13日(日)、曇り、寒さが続く。 【石部小路の料亭「玉半」】
「Oyaji」サミット
昨晩は「Oyajiサミット」と称する会合が、京都・祇園の玉半で行われ、私も招待され出かけました。実は、これは10年前にバブル崩壊とともに、当時、大変な脚光を浴びていました企業「ナカテック」(社長中眞一郎氏、八尾市)が倒産しました。そして不死鳥のごとく、見事に「パラット ドウ」の社名で再生して10年を迎えました。そのことについては、HPの経営ページnewpage3keiei.html へのリンク「倒産は天から与えられた“ごほうび”」としてまとめてありますので、お読みください。
中社長は、地獄から這い上がるなかで、終始、応援してもらった方々に声をかけて、お礼の思いを込めて集まってもらったそうです。最近、インドやシンガポールの工場から帰ってこられた人をはじめ、東京、名古屋、茅ヶ崎、川崎、福井など遠くからも駆けつけてこられました。倒産後に、これだけの人たちを呼べるのは、さすがに中さんをはじめ従業員の方々の人柄と、努力の賜物と、改めて感動しました。
出席者の方々には、一応、了解を得ましたので実名と肩書き、それとひとこと発言を紹介します。大半の人たちが技術者ですが、日本のモノづくりに誇りと夢をもっておられることを知って、うれしく思いました。1人3分のところ、ほとんどの人が10分近く、話しました。皆さん一家言お持ちの方ばかりで、好きなんですね。話をすることが・・・。
参加者の中では一番の長老でありますが、非常に若々しい印象の元デンソー常務山口寛氏(67歳)は「これからの自動車はデイーゼル車が増えてきます。」と、世界の流れを踏まえて予想、エンジンの性能も日進月歩だという。ご本人はエンジンの噴射技術に長年、取り組んでこられたそうです。
松下系の自転車、消火器メーカ、宮田工業社長(元松下電子部品常務)東和登氏は、「当社は、自転車、オートバイ、750CCの自動車も作っていた会社ですが、オートバイで失敗。自転車は世界的に溶接で作られていますが、当社は航空機でつかっているボンド接着方式で生産しているのが特徴です。」と、自転車のPR以外に、クリーンルーム向けの新製品を商魂たくましく宣伝されました。
ご自分のプロフィールを1枚のはがき大にまとめられたものを配布しながら、横河電機常務安養寺明彦氏は話されました。「名前の安養寺は(あんようじ)は天国の中でも一番楽しいところです。」と珍しい名前なのでその説明をまず、されたあと、「いまは設備や機械が大きくても精度をいかに高められるかという技術に取り組んでいます。その模範とする例は橋梁です。」と話されました。
(株)エビサワ代表海老澤満男氏(元松下電産)は「これからは単に組み合わせの技術でなく、すりあわせの技術が重要です。」という認識で、退職後、会社をもたないとビジネスが出来ないことを知って、株式会社を設立、自分で開発した技術の「ご用達」をしているそうです。その第1号が間もなく、開花するという。「やはり技術者だから、世界初のものを開発したいですね。」と、夢を語っておられました。
松下電子部品をこの5月に定年退職するという内藤晴夫氏は「定年の日が待ち遠しい。」と言う。「45年間、モノづくりに携わってきましたので、残りの人生をモノづくりの楽しさ、面白さを日本の若い人たちに伝えたい。」と、定年後の夢を膨らませておられました。
大阪工大高(元都島工業校長)の蔵敷重壽氏は、都島工業の教え子で中社長とは35年のお付き合いだそうです。「中さんは成績もトップグループにいて、いつもリーダーシップを発揮するアイディアマンでした。」と、若いころのお話を披露されました。倒産後、「朝の来ない夜はない。」と励まされました。長年、教育にたずさわられて、「人を教えることは出来ても、育てることは、忍耐のいる仕事です。40人の子供がいれば、それぞれ何か、個性を持っています。それを見つけ、引き出してやることが育てることです。」と教育哲学を述べられました。現在の大工大高も64歳で定年ですが、臨床工学士養成の専門学校から引き続き講師依頼があって、80歳で引退する前任者から「定年はないから、よろしく頼む。」と言われたそうです。「人工呼吸器などを扱う臨床工学士は大変、不足していて、この資格をもつ人は、引っ張りだこというので、生徒は真剣そのものです。大卒の方もおられます。」と、話されました。
デンソーインドから帰国された前田順一氏は、「よくインド人と間違われますが、当のインド人から、そう言われた時は、ショックでした。」と、笑わせました。「やはり、海外展開は現地に溶け込むことが大事で、人間カメレオンになっています。それにしても、インド人の商売はしたたかで、手ごわいと思いました。」と、ご苦労の一端を述べられました。
松下電子部品変成器ビジネスユニット長の杉本英一氏はシンガポール時代、、宮田工業社長東氏が上司で、「アジアへ行くと、日本人は自分たちが偉いと誤解する人もいますが、みんな同じです。レイバーコストの安さのみで、進出するのは危険で、そこでしか作れないものを求めるべきです。」と、松下の生産方式を現地の人たちと変革するんだという気概で取り組んでいるというお話でした。
中小企業金融公庫福井支店長増田浩士氏は、金融庁の調査を受けた経験を話されたあと、「どうして中社長は、無借金経営でやれるんだろう。」と、不思議な思いを話されました。
中京大学経営学部教授の寺岡寛氏は、「ドイツ人の仲間と、かつてヴァーチャルの大学をつくり、やがてドクターも取れる大学に成長しました。いまはそこから離れ、今度は「学外疑塾」を日本で立ち上げたところ、2週間でアクセス1000もあって、40名の教授が集まりましたので半座同盟(半分本業、半分は教育)にして運営するという大変、ユニークな報告がありました。
最後に、小生もNPO活動を報告させていただきました。
野村総合研究所理事長村上輝康氏(すばらしい祝電披露がありました)、小松ライト製作所羽生一美氏、弁護士の斉藤勝俊氏のみなさんたちも急用でこられなかったことが説明されました。
こうして、石塀(いしべ)小路(こうじ)という、京都の通好みの通りに面した、由緒ある料亭「玉半」で会席料理に舌鼓を打ちながら、楽しいひと時を過ごしました。すばらしい異業種交流の場となりました。
中社長をはじめ、中岩男さま、三桝恵美さま、広畠健一さま、阿部伸也さま、そして中社長の奥様で経理・事務を受け持っておられる中章子さまのスタッフの皆様、さらに参加者のみなみなさま、玉半の女将・稲葉英子さまら給仕役の方々の心温まるお世話により、すばらしいお祝いの会になりましたこと、厚くお礼申し上げます。(文責は岡田です。間違い、さらにご意見を追加されたい方はメールをください。)
☆2005年2月12日(土)曇り、今朝も寒さ続く。
「NHKと朝日」問題
昨日は、友人A氏と夕方、久しぶりに大阪市内で会った。いろいろ語り合った中で、「NHKと朝日」の問題で、10日付「読売新聞」の番組改編問題を1ページにわたって報道した紙面を見せながら、「朝日の記者が、放送前日に、政治家、それも具体名を書いているため、それを政治家とNHKが否定している以上、説明責任はある」という意見を披露した。ここのところは、水掛け論になるだろうし、ニュース源を守る立場からすれば、「できない相談になる」と思われるが、果たして、朝日はこの読売の求める「説明責任」にどう対応すのか、注目される。
☆2005年2月11日(金)曇り、また寒さがぶり返す。
一眼レフデジカメの複雑なこと
カメラを扱って40年ぐらい経ちます。その間、ニコンの広角、望遠、接写、焼付け機等を揃えてきました。デジカメが登場した頃は、解像度でデジカメは一眼レフにはかなわないだろうと思っていました。そのうち、PCを扱い、写真を挿入する必要が出てきましたので、自分のPCと同じメーカーのデジカメを購入して、なんとか間に合わせていました。ところが、デジカメの解像度で十分、見れるし、それ以上にPCの大型画面で見れるなど、楽しめることを知りました。
カタクリの開花時期が迫ってきました。どうしても手持ちの望遠レンズが使える一眼レフのデジカメが売り出されていたので、なんとか手に入れようと、呻吟していましたが、ついに購入を決断しました。ところが、ニコンF2という旧型のカメラのため、マニュアル操作をしなければならず、これが結構、複雑なんですね。レンズがD2ではシャッタースピードに絞りが連動せず、表示できないことが分りました。写すことはできても、露出、スピードの調整は暗闇でするようなものです。さすがにニコンだと思っていましたが、レンズは次の世代のD2hでないとダメです。HPをマスターした後だけに、また新たなメカの操作、機能をマスターすることに、うんざりしています。
しかも、メモリーの入れ方が間違って、カメラ内部のツメを壊してしまいました。新品なのに修理費が取られると、思いながら、買ったヨドバシカメラ梅田店に保証書を添えて持参、壊れた箇所の説明をしましたところ、「買って2日しか、経っていませんので、ボディーを新品と取り替えましょう」と、無料で交換してくれました。やはり、大手だけあるなと、感心しましました。オートマニュアルで練習してから、マニュアルの方法を店の方に教えてもらおうと思っています。年を取ると、メカの扱いが億劫になる今日この頃です。
☆2005年2月10日(木)朝から雨、まだ肌寒い。
サッカーに想う
昨日の、北朝鮮のサッカーは日本中で盛り上がったようですね。専門家をはじめ、いろいろな方がコメントしています。それぞれの見方に一応、うなずくのですが、結局、アジアの王者でも日本が確実にドイツへ行ける保証はないということだけはハッキリしているということでしょう。
サッカー競技は、世界ランクのトップ10と以下の差は割合、実力通り結果がでるようですが、10位以下の順位になれば、当てにならないし、だからこそ面白いし、サッカーくじも盛んになるのでしょうね
。
埼玉競技場のサポーターの応援席を観ていて、赤と青の両国の間に緩衝席を大きく設けていることが、この試合の政治的意味合いを嫌がうえでも見せ付けていました。この空間がいつ、埋められるようになるかな、と多くの日本人は感じたと思います。
どのスポーツもそうですが、精神面が出てきます。最初の5分という時間帯に得点して、誰もが楽勝すると感じました。選手もそう感じたのかもしれません。ところが、時間の経過とともに、北朝鮮チームの方が攻めまくっていました。不思議ですね。もう1点取れば、確実に勝てると思いながら観ていますと、逆に、相手に1点取られ、がっくりさせられたことでしょう。残り時間が迫ってくると、サポーターの応援席の緩衝帯のことが、頭を過ぎり、ドローになった方がいいかもしれないなんて、つい政治的な顔がのぞきます。
それにしても、サポーターの大きな混乱もなく、すばらしい試合をした両国の選手には拍手を送りたいですね。案外、こうしたスポーツの交流が日朝間の隙間を埋める機能が働くのではないだろうかと、サッカーを観ながら思ったものです。
☆2005年2月9日(水)晴れのち雨、ポカポカ陽気(気象庁)の割には朝は肌寒い
『きみに読む物語(The Notebook)』
今日は、春のような陽気に誘われて、近くの枚岡梅林(HP:独人房アート館)出かけました。咲き始めで、来週の中ごろが見ごろだと思います。平日だからシニアばかり、デジカメで楽しんでいる人が多かったですね。
今夜は、サッカー、北朝鮮との一戦に日本人の多くはTVにクギづけになるでしょう。私の予想では1−0で日本か?
先ごろ、平日の午後4時20分上映の映画「きみに読む物語」を観ました。平日の総入れ替えでも8ぶ通りお客(若者8、シニア2の割合)で埋まっていました。
毎月1日は「映画の日」で女性1千円、この映画かどうか確かめていませんが、50歳以上のペアーは2千円、もう一度見たい人にもペアー2千円、もちろん60歳以上は1千円と、観客動員に工夫していました。映画はTVと違って、やはり迫力がありますね。
今回の「きみに読む物語」は、ITの映画案内で観賞した人の評価のほとんどが満点だっただけの理由で、ストリーなど、すべてを知らずに行きました。結果は、私も90点はつけますね。この映画は人生、高齢化、痴呆症、愛がキーワードの内容です。アメリカ人好みの貧者と富裕者、一途な愛の賛歌等、ストリーが単純で分りやすいです。舞台は1940年のノースカロライナ州(実際の撮影はサウスカロライナ州)です。風景がすばらしいです。
日本でも新藤兼人の「午後の遺言状」など、高齢者を扱ったすばらしい映画がありますが、高齢者問題は世界共通ですね。映画で主演ノア役を演じるライアン・ゴズリンクはすばらしい俳優ですね。それに、相役のレイチェル・マクアダムス、二人の高齢者役を演じるジーナ・ローランズ、ジャームズ・ガーナーの演技はたまらないです。
映画のような夫婦で人生を終えることができれば,最高ですが・・・。ぜひ、好きな方とご覧になってください。
●「NHKと朝日新聞問題」の日記を読んだ感想(Aさん)が届きました。
☆ 2005年2月8日(火)雨のち曇り、最高気温11℃
NHK&朝日新聞問題
ようやく寒さが緩んでまいりました。今日は、「NHK&朝日新聞問題」について、記事を紹介しながら,私見も書きたいと思います。まず、紹介しますのは、私どものやっているNPO活動の東京の兄貴分のNPOが提携していますメルマガ『神楽坂まちの手帖』編集長の平松南さんが書かれた記事です。平松様の了解が得られましたので、この機会に取り上げたいと考えました。私も、政治家・安部晋三氏について平松氏と同じ思いを持ちました。
また、私のHPのNET108ページに『神楽坂まちの手帖』のHPアドレスを掲載しますので、ご覧ください。平松氏は講談社編集部から独立、市民運動、神楽坂の町の活性化、同地で飲食店の経営など、幅広い活動をしておられます。(私の記憶が間違いなければ・・・。)
「●英国王室のチャールズ皇太子の次男のヘンリーが、パーティーでナチスの軍服を着て、おまけにハーケンクロイツの腕章までつけてきて、回りを驚かせました。皇太子は激怒して、早速ポーランドのアウシュビィッツに研修にいかせたそうです。
最近のイギリスでは半数の人が、アウシュビィッツの存在を知らないといいます。
文芸評論家福田和也氏が今週発売の雑誌に書いている内容です。」
「●朝鮮人従軍慰安婦問題は、イデオロギーが混入してややっこしなくなっていますが、あったことは事実です。しかし事実が誇張されたことがないとは言えません。南京大虐殺もしかりです。草思社の近著「南京事件【証拠写真を検証する】」は、その証拠写真といわれるものの胡散臭さを亜細亜大学の東中野修道氏が3年かけて調べたそうです。戦時下の事件には、誇張や虚偽があることは想像できます。
しかし今週日曜日にフジテレビに出演した自民党の人気者安部晋三氏のNHK・朝日問題に対する見解はひどい物でした。北朝鮮問題では毅然とした風に見えた氏が、言論や報道のはなしになると、しかもその当事者になるととたんに、その底の浅さを露呈してしまったのです。」
「フジテレビ「報道2001」の内容はこうです。
キャスターの黒岩氏にたいして安部氏はこんな発言を繰返しました。「朝日の松井やより記者や本田雅和記者は、従軍慰安婦問題が事実であり、その責任を追及するという視点で報道することを決めており−−」といい、いかにもそうした視点を持つことが反政府的であるかのごとく咎め、朝日新聞社を攻撃したのです。(朝日新聞の報道にいろいろ問題があることは、わたしも編集者として見逃してはいません。しかしこの新聞が、日本ではクオリティペーパーであることに変わりはありません。)
これにはさすがの黒岩キャスターも(竹村健一氏も)「安部さん、その発言はまずいですよ。それでは、ジャーナリストの思想や信条まで問題にしているようです。
記者がどんな考えを持つのは自由ですから」と、いさめました。
見てくれがよくて、岸信介の孫という血筋、安部晋太郎の息子という育ちで、苦労
なしの安部氏が人気を得るのはいいとしても、こんな人が総理候補の筆頭であることにわたしは日本政治の深刻なあやうさを禁じえません。チャールズ皇太子ではないが「言論の自由」「思想の自由」という戦後憲法の根幹をよく学びなおしてほしいとおもいました。フランス革命で、ヨーロッパは「自由、平等、博愛」を、そして「民主、人権、」を確立しました。民主主義は、反対意見を命懸けで保証することです。
フランス啓蒙思想家のモンテスキューは「君の思想には反対だが、君がその考えを発言することは命を懸けて守る!」
といいきりました。これが言論の自由です。
今号では、このことを踏まえて、ふたつのイベントをご紹介しました。
(2005年2月4日 平松南)。」
URLはhttp://www.carinavi.org/db/です。
平松南 HIRAMATU MINAMIminami@cba.att.ne.jp
● この問題は映像と、活字メディアの両横綱の争いになっていますので、世間の関心はジャーナリズムの世界だけにとどまらず、野次馬も含め大変な盛り上がりを見せています。昨晩、筑紫哲也氏がNHKと朝日新聞のOBを招いて、この問題を取り上げていました。「本来の問題はNHKの内部、つまり経営陣と現場(内部告発)の問題が、すりかわってしまって、NHKと朝日新聞ということになっている」と指摘していました。疑惑の取材の難しさも明らかにしていました。NHKOBの川崎氏は「海老名会長体制と政治家の関係が、指摘されたわけで、彼が顧問にも就けないことが決まると、一番の子分も発言を変えてきている。」と、厳しく批判していました。
● この問題は、ジャーナリズムの本質を問う意味で、NHKと政治家の馴れ合いの一例として、朝日新聞が取り上げました。しかし、朝日新聞の予想に反して、政治家への取材方法、さらには、NHKからの事実誤報の追跡となり、思わぬ展開を見せています。私がこれまで、現役の記者を含め、ネット上で意見交換した中では、「日本のマスコミは先の戦争責任の総括をしていない。“従軍慰安婦”という言葉も最近、ようやく新聞に登場してきたのである。あの戦争責任はマスコミこそ、大罪をうけるべきで、そういう意味ではA級戦犯たちはチンピラのようなものである。」という指摘もありました。
● 私の父は、ニューギニヤのスタンレー山脈を挟んで連合軍と死闘を繰り広げた、ポートモレスビー作戦に従軍記者として現地を取材、それを小説の形で『ニューギニヤ山岳戦』(山岳戦は市街戦と違って、個人戦の様相をおびます。「死体の数が戦争の悲惨さと規模を示す。」といって、死体の数を克明にメモしておりました。)を発表、それが戦前最後の直木賞に選ばれました。戦争が終結、父もGHQに呼び出され、報道を厳しく追及されました。英語が得意だったことに加え、捕虜のオーストラリア人神父と現地で毎日、話し合ったことも理解され、最終的に釈放されました。後年、この神父について雑誌に発表、オーストラリア戦争記念館=ITで見られます、の関係者からの依頼もあって、翻訳したものを届けました。)戦後、朝日の記者に戻りましたが、小説を書くのは40年近く後の定年後のことです。「長く戦争責任で悩んでいた。」と、評論家の鶴見俊介氏は書いています。先の小説では、「攻撃までしか書く許可が出なかった。退却の悲惨さは、晩年になって話し、書くまで待たなければならなかった。」と、述懐していました。
● こうした人物をそばでみていて、ジャーナリズムの難しさを感じていました。権力とどの程度距離をおいて、取材をするのか。今の記者クラブ制度を見るにおいて、戦前の大本営発表と違うのか、ともすればサラリーマン化した報道陣は安易な道に堕ちこんでいないのか、常に自省する姿勢を持ち続けなければ、ジャーナリズムは言論界から消えることを危惧します。一方、安部氏が指摘する『取材の行き過ぎた姿勢』については、人権問題と関連して難しい問題です。真実や事実を追究するという大儀のなかで、ともすれば、行き過ぎてしまう現実があることも、確かです。
● それと、私が危惧しているのは、朝日新聞にせよ、NHKにせよ、コメント掲載がそれぞれの理解者に偏っていないかという点です。文化面やその他紙面に登場する人物を色分けして、いかにも「公平。中立だ」ということを標榜していることです。やはり、違った思想の持ち主でも、登場させてこそ、堂々とオピニオンリーダーとしての理解が深まるのではないだろうか。いずれにせよ、この両方のメディアからジャーナリズムがなくなることは、日本にとって不幸なことです。今回の問題は、水掛け論になる心配もあるし、仮に裁判になって、最後の一線は敗訴と分っても明らかにできない言論人として守るべき内容が含まれています。裁判を一番望んでいるのは、政府自身であることを、両方のメディア首脳部は知っていてほしいと願っています。皆さんのお考えをお聞かせください。以上。
☆2005年2月7日(月)曇り、最高気温8℃とまだまだ寒い。
異文化コミュニケーション
今日から、京都の北天満宮の梅が一般公開。やはり、春を告げる一番は梅ですね。近くの枚岡神社の梅林にも多くの人が訪れます。
先月、紹介しました元外交官の七尾清彦さん(HPは私のNET108にも掲載)からメールが届きました。そこには、みなさんにも読んでいただいたらいいと思うエッセイが紹介されていました。
「皆さん、お寒いですね。お元気ですか?
私の永年の友人である木村洋君(ワシントンDC在住)のエッセイ「文化は変えられるのか?」がシヴィック・エクスペリエンスに掲載されました。日々のアメリカの動きを追いかけていてもなかなか分からない根っこの問題を、彼の永年のアメリカ人との付き合いの例を引き合いに分かりやすく解説してくれています。
最後はアメリカ人の文化は変えられるのかという問題に読む者を誘導してくれるのですが、これは人によって皆、考えが異なるのかもしれません。
もう野鳥達はツガイになって電線に止まっているみたいで「春遠からじ」です。ご自愛ください。」
*********************
七尾 清彦
ホームページ
「 シヴィック・エクスペリエンス」
( http://civex.org)
********************
「ご連絡ありがとうございました。興味深い論文ですね。
私は、日米社会に横たわるゲゼルシャフトとゲマインシャフトの違いのようなものを感じながら読ませていただきました。
実は、私は青色発光ダイオードの裁判を追っているのですが、この裁判を通じて日本のゲマインシャフト社会をまざまざ見せ付けられた思いをしております。発明者の中村修二氏自身はすでにゲゼルシャフト社会の意識を持っておられる、数少ない日本人であると思います。だから日本社会では誤解されやすいのではないでしょうか。」
「木村さんの異文化コミュニケーション論はおそらく、ペリーの黒船出現以来の旧くて新しい問
題で、ある意味で永遠の課題であるように思えます。取り急ぎお礼まで。」岡田。
☆2005年2月6日(日)曇り、昨年より寒い。
介護問題
以前に紹介しました熊谷市の知人からメールが届きました。介護問題について書かれていました。
友人からのメールを紹介します。
「主題の件 介護施設での介護から自宅での介護支援政策に軸足を移すと厚生労働省の方針変更。私の母は(91歳)現在介護施設に週3日通っていますが、これより重度な介護を必要とする老人が自宅に帰ります。
そこでこの人たちの住環境の整備をする組織(NPO)を立ち上げたいと考えています。
その環境整備を行うに必要と思われる資格(第二種電気工事士は10月に取得、第一種電気工事士合格証書は昨日届きました)、また安全で安心できる住環境の構築のために今、防犯設備について勉強中です。構想も未熟ですがお力をお貸しいただけたら幸いです。取り急ぎお願いまでで失礼します。」
介護経験した人なら、その大変さが分ると思います。私の場合、親父が亡くなったあと、お袋が一人、不自由な体でありましたが、誰の世話にもなりたくないと言って、独居を続けておりました。兄は「有料老人ホームに入れよう」と、提案しましたが、母親が一蹴したので、諦めました。そのうち、電話をかけるのもおぼつかないことになり、夜だけは心配になって、私が母親の家から通う別居生活を続けました。いま自分がその歳に近づいて分るのですが、老人は、夜、何回も起きては、ごそごそ動きまわりますし、年がら年中、ラジオのボリュム一杯上げて気を紛らわせておりました。だから、現役の私は、そのたびに起こされ、いつも睡眠不足に悩まされました。このままでは、母親より、自分の方が先に死んでしまうのではないかと、心配したものでした。
さらに、やっかいなことに、女房の方も、九州の熊本へ、姉妹4人で96歳の母親の自宅介護に交代で出かけてしまうことでした。しかも、長女は70歳を越え、老老介護の悲劇に直面、ついに長女が担当する介護期間だけは、老人ホームと病院にかわるがわる入れざるを得なくなりました。「もう、帰ってこられないかも・・・」と、家を離れる母親は寂しげにつぶやいたそうです。介護期間が1年、2年と過ぎていくころ、一番下の妹も大阪から通う辛さをもらすようになりました。私は、そばで見ていて限界に近いと思ったこともありました。恐らく、皆さんも、いろいろご苦労をされた、あるいは今、されている方もおられると思います。介護保険だけでは、まだまだ対応できない現実があります。先の知人のNPOも、そういう問題を含んでいるように思います。
☆2005年2月5日(土)晴れ、寒さ続く。
今日は、エレガンス会
この会ではいつも何か、発見できるからうれしい。違う世界が見られて面白い。昨晩、新しく名刺交換した方々には、エレガンス会の名前にふさわしいエレガントな女性が多く、参加していました。
Webで稼動する業務管理システムを運営する有限会社(滋賀)の代表O女史、有限会社(滋賀)マネージメントプロモート(広島市)の代表T氏、奈良産業大学教授F氏、米国カルフォルニア大から帰国して企業PRをする有限会社(大阪市)を立ち上げたM女史、高齢者支援事業組合(神戸市)理事K氏、専門学校(埼玉)校長、企業勤務しながらベンチャー企業(枚方市)を経営するY氏ら、各地のユニークな人たちです。
昨晩の会合での語録を紹介します。
「いまの学生の3割はなぜ、働かないといけないの?社会へ出て行く意思が、まったく無い。6割が働く意思を示している」
(大学の授業中、ひところはお喋りする学生が多かったが、いまは静かになった反面、携帯でメール通信していることも聞く。2007年問題は、少子化で全員大学に入れる。すでに、筑波大学の一部学科でも昨年、全員入学があったというくらいだから、地方大学、私立大学は大変である。一方、ニート族が増加している。自宅に引きこもり、怠惰な毎日を送る若い人たちである。私の知り合いにも、いるが、実に気の毒に思えます)
「学生は卒業したら、なぜ、社会で働かなければ、ならないか?という新しいカリキュラムを準備している。これを教育的表現をすると、“就職哲学”と名付けます。」
「私は企業人から、大学へ移りましたが、企業社会と教育現場の人たちの考え方に大きな開きを感じます。」
そのほか、関西に住んだり、やってくる外国人を対象にしたビジネスなど、老若男女の生き生きした会話に圧倒されています。IT社会になって、いろいろなビジネスが出てきている事を実感しています。
☆2005年2月4日(金)曇り、依然、朝は冷え込む。
NPO活動
昨日は、NPO法人WS西日本の例会がありました。これからの行事を中心に議論しました。2月は、WS西日本会員の小形真訓氏が、著書『迷ったときの聖書活用術』について講演されることが決まりました。3月はシニアのための「話し方教室」ということで、元アナウンサーの方をお招きすることになりました。また、この日記でも話題にしましたブログの勉強会も行う方向で、講師と交渉に入ります。会員のための仕事情報は、毎週メルマガ(有料)で10本前後、流しています。
このNPOは情報系のものでは、大阪府の第1号認証団体ですので、関西からの情報発信の強化を目標にさらに充実を図らなければならないと、思っております。
本日、夕方、「企業戦略と知的財産権」の講演に出かけます。いずれ概要を報告したいと思っています。
☆2005年2月3日(木)曇り時々晴れ、最高気温8℃で平年より冷え込む。寒波は今日までという。
カイワレ育つ
台風で野菜が市場から消えた時、スーパーでカイワレの種を買い込みました。室内で10日ほどで、栄養価の高い野菜を口にできるという、メッセージが気に入ったからです。15cm四方のプラスチックの容器の中のスポンジの上に百粒程度の種を撒き、上から水をかけ浸すだけで立派なカイワレが育ちます。野菜不足の対策の一助にはなりそうですね。
採れたてのカイワレをトマトの上に散らし、その上から、エキストラバージンオイル、ワインビネガー、ドレッシング、レモン、胡椒、塩をかけていただくと、イタリヤレストランのサラダに変身します。
花粉症が心配な女房が市の総合病院の耳鼻咽喉科に診察に出かけました。若い医者はカテーテルの先についたカメラを鼻の中に入れ、すぐ30cm四方の画面に10cm画の鼻の内部を写し出して説明するそうです。「赤い周囲に少し白く写っているのが、アレルギー反応、つまり花粉症の兆候です。」と、すでに軽い花粉症にかかっていることに驚いていました。以前に服用した薬剤名が分らないので、「一般的なもの(ジルテック錠)を渡しましょう。」ということで、会計で支払って家に着いてから、薬をもらってこないことに気づきました。薬局はすべて院外になっているため、支払いですべて終わったと思うことが、時々、起こります。それで、近所の薬局へ受け取りに行くと、「今、4錠しかありません。今日中に取り寄せになると、300円費用が余計にかかります。明日なら無料です。」と言う。やはり、田舎の小さな薬局では在庫をそう多く持たないからだろう。「明日、御宅に届けますよ。」と、町では考えられないサービスをする。こういうところに、大規模な薬チェーンが押し寄せるなかでも、何とか残れるのだと思う。高齢化社会になれば、こうしたサービスを工夫すれば、価格競争でないところで勝負ができるに違いない。
☆2005年2月2日(水)曇り、朝氷点下1℃、最高気温7℃
ブログて何?
先日、日記でブログについてどなたか、「教えてほしい」と書きましたところ、M女史から次のようなメールが届きました。私の知る所では、日記などはサイト管理が不要だから、メールを書く感覚でいいようです。プロバイダーにはブログを無料で提供している所もあるそうです。HPとブログを併用すれば、いいという人もおられます。
メールの最初の部分は、私のHPでのトラブルについての意見です。
●M女史からのメールです。
「お使いのHPソフトがおありですか。 ざっと拝見しましたところ、そんなに容量は無いと思いますので、契約範囲を超えているとはあまり思えないのですが。
既にお使いの写真、例えば年賀状でお使いの花のお写真などを2月のページに貼り付けてテストされましたでしょうか。 参照先などの設定が間違っているとパソコン上で表示されているのに、アップロードすると表示されないというトラブルは起こります。」
「又、ブログについてもご質問なさっていらっしゃいましたが、確かに日記はこれをお使いになって、HPからリンクさせるのも良い手段かと思われます。
ご存知の通り、日記はHP作成ソフトをお使いになったりして毎回アップロードをするという手間が必要ですが、ブログはそれが要りません。
なぜなら、ブログはインタネット上で書き込みや書き換えをするからです。 無料で使用することも可能です。私のちっぽけな知識などお笑いネタにしかなりませんが、必要でしたらお知らせください。
もう少し情報提供が可能かと思います。」
☆2005年2月1日(火)曇り時々晴れ、朝、庭に雪1p、最高気温3℃。
ドラえもん秘話
2月が始まります。ページも一新しました。今日は、ドラえもんについて、おかちゃんこと、岡田剛一さんのメルマガから転載します。ドラえもんについては、私にもなつかしい思い出があります。出版局に籍を置いていた頃、サザエさんなど有名漫画の謎解きのような本が、大変、流行したことがあります。
ある方からの持込で、「ドラえもんに出てくる、竹コプターなどを、科学的に検証して、実現可能か、どうか研究しているグループがあります。リーダーは東大教授の○○氏をはじめ、NTTの技術者ら多くの方が参加しています。」ということだった。
途中からどうしても漫画を入れないと、竹コプターといっても、読者は分らないということになり、私が小学館に了解を取るための交渉役になりました。幸い、知人から同社のA専務を紹介してもらって、著者の故・不二子氏(A?)の事務所を一緒に訪ねて、了解をとったことがありました。もちろん、初対面でしたが、趣旨を説明しますと、すぐに了解されました。
「あとは、版権を管理している小学館プロダクションと契約してください」ということでした。小学館にとって、ドラえもんは同社の最大のドル箱商品です。版権管理は大変、厳しいものでした。交渉は長引き、そのうち同社編集部から「当社で出すべき」と言う声もでてきて、何回もダメだと思いました。漫画をはめ込めば、完成する段階でしたから、諦める訳にはいきませんでした。「不二子氏のお墨付きがあるんだ」というこを支えに、何回も粘り強く交渉を重ね、ようやく、売れ部数に沿って印税を増加させる、あまり、これまで例が無い方法で合意しました。合意後は「がんばってください」と、エールを送られました。すでに『ドラえもんの鉄がく』の書名で発行して10年以上たちますが、いまだに売れているという報告が伝えられます。
さて、おかちゃんからのメールです。
■ ドラえもん
ドラえもんを知らない人はいないくらい、ドラえもんは有名人ですね。じつ はおかちゃんはドラえもんシリーズの映画を全て見ています。
1980年に封切られた「のび太の恐竜」〜 2004年に封切られた「のび太の ワンニャン時空伝」まで。おかちゃんは一年に一本のわりに作られるどら えもんの映画はそれぞれ少なくとも2回〜3回ほど「あっ君」と見てい ます。
あっ君はドラえもんが大好き、新百合ヶ丘の家に帰るとこのドラえもんのビデオに付き合わされます。 ところが、ドラえもんをあっ君(彼の息子さん)とみているとストリーの面白さについつい おかちゃんの方が一生懸命に見てしまいます。
去年の11月に驚くべき発表があったのをご存知でしょうか? そうそう。 どらえもんの愛すべき声優さんたち全員が引退するというもの;
★ 大山のぶ代さん (68) 「ドラえもん」
★ 小原乃梨子さん (69) 「のび太」
★ 野村道子さん (66) 「しずか」
★ たてかべ和也さん(70) 「ジャイアン」
★ 肝付兼太さん (69) 「スネ夫」
上の皆さんは四半世紀1つの役を演じ通すという、このすさまじいプロ 意識に驚くとともに脱帽と敬意を感じます。 平均年齢が68歳、間もなく全員が70歳です。 実年齢を聞いて 腰を抜かさんばかり驚きました。 この年齢で小学生4年生を演じるわけですから すごいです。
恐らく声優のような仕事は視聴者が支持してくれる限りは、定年というもの がありません。 最終的には今回の引退は5人で話し合って交代を決めた と聞きました。 引き際を自分で決められるということが自分自身に厳しい故にこのような25年も続けられた要因なのでしょうね。
次回のドラえもんから新しい声優さん達でスタートと聞きました。 先輩のやった25年もの「どらえもん」を越えることは難しいかもしれません がまた新しいドラえもんの世界を作ってもらいたいものですね。
もう一つどらえもんは嬉しいことがあります。 おかちゃんはよく、仕事 の関係で東南アジアの人たちと話すことが多いのですが、南の国の人達 もドラえもんファンが多いことです。 ドラえもんという日本文化が海外の子供達(一部大人達)にも受け入れらて いることに感謝です。
日本製の物理的な物の輸出より、このような「夢」、「文化」の輸出は これからますます、増えることとおもいますが、、増えてもらいたいですね。
以上です。
今日は女房が朝から花粉症の診察と、薬をもらいに行くというので、病院に同行しようと思っていましたが、朝の積雪による路面凍結が心配で見送りました。テレビで「これまでかかったことがない人こそ、今年の花粉症は要注意です」というものだから、心配になっています。皆さんは何か、対策をされていますか。