今回のキョロキョロ探検隊は、
お散歩感覚で訪ねた場所のご紹介です。
旧軽井沢の「万平ホテル」
軽井沢を知っている人だったら、誰でもピ〜ンとくる有名スポットですよね。
でも、今回 ご紹介するのはそこではなくて
そこのすぐ近くにあるHAPPY VALLEY(ハッピーバレイ)
「幸福の谷」です。
そこにキョロキョロ・ウロウロ・・・(笑)
散歩に行ってきました。
こう見えても えこりん 子供の頃は
可愛い文学少女でしたからね〜。(自己申告にはウソがある)(笑)
その頃に戻って、えこりん目線で
リポートしてみようと思います。
えこりんが、ハッピーバレイにひかれる訳、
それは、単純ですが、言葉の響きなんです。
「ハッピーバレイ」=「幸福の谷」
ねっ! えこりん ならずとも、その言葉の響きに
ひかれるものがあるでしょう。
浅間石を敷き詰めた石畳の道、
こうした道が、緩やかな坂になって ずっと続いています。
この場所を「ハッピーバレイ」と命名したのは
明治時代にここに別荘を構えた外国人宣教師たちに
よるものだそうです。
それ以前、ここは「桜の沢」と呼ばれていて
その由来は 「さ」(狭い)「くら」(谷)から
きているのではないかという説もあるようです。
谷の北側は「北幸の谷」(ノースハッピーバレイ)
南側は「南幸の谷」(サウスハッピーバレイ)と呼ばれています。
この石畳の道を歩いてみました。
デコボコの石畳の道は、実に歩きづらい・・・。
幅は車一台が通れるか どうかぐらいの狭さで
見学の為にだけ訪れる車を
寄せ付けない感じです。
そこがまた良い!という人も多いようですが・・・。
途中、このような看板をみつけました。
作家・川端康成さんの別荘だそうです。
川端さんの別荘は、小高い山の頂上付近にあり、
下から建物を見ることはできません。
昭和12年(1937)の秋、文芸懇話会賞に選ばれた時の賞金を
そっくり山小屋の代金に入れて
外人宣教師から この別荘を買ったそうです。
軽井沢を代表する作家・堀 辰雄さんは
同年、この別荘にひと冬 滞在して
実体験で「風たちぬ」の終章を書き上げたのだそうです。
終章のタイトルは「死のかげの谷」
衝撃的なタイトルになっています。
「風たちぬ」の中で、堀さんは
「こんな人けの絶えた、淋しい谷の、一体どこが幸福の谷なのだろう、」
(中略)
「 死のかげの谷。・・・そう、よほどそう云った方がこの谷には似合いそうだな、」
と、書いています。
当時の別荘は、防寒対策がとられていた訳ではなく
木造の建物は、想像を絶する寒さだったと思います。
婚約者を亡くし傷心のまま この地を訪れた堀さんにとって
雪で覆われた真冬のハッピーバレイは
けして明るい存在ではなく
「死のかげの谷」に思えたとしても不思議はない、
そんな気がします。
自分をトコトン追い込む作品作りの厳しさが
地名からも 伝わってくる気がしました。
以前、文学好きな友人と、
雪で覆い尽くされた この道を歩いたことがあります。
木々は道に覆いかぶさるように行く手をさえぎり
別荘の庭には、小動物の足跡が残されていました。
人気のない別荘は、静まり返り、
寂しさより、心細さを感じて引き返してきたことがあります。
こんなところで、あの名文学が書きあがったのかと思うと、
堀 辰雄さんへの畏敬の念(いけいのねん)が湧きあがってきました。
さあ、俄(にわ)か解説者の弁はこれくらいにして、(笑)
来た道を帰るとしましょう。
今回は、この石畳の途絶える場所まで
行くことができませんでした。
石畳の道が、どのくらいの長さなのか、
確かな資料も見つけられませんでした。
でも、この場所を「幸福の谷」と感じた人も、
「死のかげの谷」と感じた人もいるのだと思うと、
感慨深いものがあります。
文学離れが叫ばれる今日この頃です。
活字の持つ力は、人に感情がある限り
脈々と受け継がれていくと思います。
もし宜しかったら
「風たちぬ」の本を手に、あなただけの「谷」を探しに
この道を歩いてみませんか?