聖封神儀伝 外伝1

teacup 〜Nalgeeni〜

 彼女と出逢った時の衝撃を、どう表現したらよいのだろう。
 右から左へと、東洋から西洋を見るように見事に色移り変わる長く艶やかな髪。同様の法則にのっとっているのか、ぬばたまの闇夜を思わせる右目と、神界の東、真の青とはこの海の青を指すといわれるほど青い青海の海水を凝縮したような左目。
 世界を象徴し、無理なく調和させたその容姿は、誰の目をも惹きつけるほど凛として美しかった。
 しかし、私は決してその美しく華やかな外見に心惹かれたのではない。
 異色の双瞳の奥に潜む孤独が、鏡に映る私の目ととてもよく似ている気がしたのだ。
 生まれた直後に母に死なれ、乳母に育てられてきた私と。
 彼女に出逢ったのは、天宮王だった父が病死し、弔う間もなく天宮の地下宮へと一人、血晶石を継承しに行ったときだった。
 十五歳。
 それは、天宮王を継承するには弱冠と上につけられてもおかしくない年齢だった。
 亡くなった母の分まで愛そうとしてくれた父は、真面目な人だったのだろう。
 神界の柱である天宮王という重責を真っ向から背負って、朝から晩まで執務室と玉座のある謁見室とを往復してばかりいるような人だった。
 母が死んだ後も、後宮には次の女性など入れず、訪ねることがあるとすれば激務の合間を縫って幼い私に会いに来るときだけだった。
 何が楽しくて代々引き継がされるこの天宮王の血晶石を守ってきたのだろうと思う。
 神界を創り、この天宮にて永年神界を治めてきたという神・統仲王。
 父は九百年ほど前まで、確かにその神話時代があったのだと言った。
 この血晶石がその証。
 天宮を取り巻く八国にも同じ名のものが伝わっているというが、天宮に伝わる玉だけは真紅。精霊王たちすら配下に置く神が、彼らの力を必要とすることはなかったからだ、といわれている。
 統仲王の血に、一滴だけ初代天宮王の血を混ぜて造られた天宮王の血晶石。
 他国と割合が違ければ、当然役目も違う。
 他国の血晶石は、法王が亡き後も契約した精霊王の守護を得て国を鎮護するため。
 王となるものは玉に魂を預けて国の柱となるが、死すればその魂は何の制約を受けることなく育命の国の輪生環へと還され、次の生を享ける。
 だが、天宮王は違う。
 血晶石を受け入れることは即ち、この神界という世界を丸ごと背負うことなのだ。
 血晶石に凝縮された統仲王の血は、血晶石を受け入れたものの魂を通して一生涯精気を吸い取り続ける。
 何のために?
 地下で、目覚めの日まで眠り続けるために。
 天宮王は、そのための栄養補給源にすぎない。
 この玉は天宮王の生命力を少しずつ吸い取って、地下で眠る統仲王に流し渡すための変換器のようなものだ。
 初代がどんな気持ちでこれを受け入れたのか、私には想像すらできない。
 だが、代々の天宮王は出来るだけ長生きを心がけ、老いて死ぬまで次王となる子に玉座を明け渡そうとはしなかった。
 命を縮める枷を嵌めるのは、できるだけ先延ばしにしてやりたい、と。
 死の直前にでも王位を継承させ、血晶石を子に押しつければ欠片だけでも魂は残り、次の世へと命をつなげられるというのに、それをした天宮王は誰もいない。
 だから、父は若くして私を天宮王にすることを心から詫びながら死んでいった。
 身体は残っても、魂はもうこの世のどこにもない。
 父の魂を絡めとった血晶石は、拠り所を失うと秘密の地下宮に眠る統仲王の胸の上に現れるという。
 代々天宮王の命を吸い取り、心なしか代を重ねるごとにその真紅は深みを増していく。
 父の命を、祖父の命を、先祖達の命を吸い取ってきた玉。
 口上のみで父から伝えられた統仲王の復活と、天宮王の血晶石の話。
 物の区別がつくようになって、おとぎ話よりも先に私はその話を聞かされた。
 一度しか話さないからよく聞きなさい、と、いつも柔和な父にしてはやけに厳つめしく話し出したのだった。
 血晶石保持者である天宮王が死んだ後、次代天宮王となる者は一日以内に封印された天宮は地下宮へ、血晶石を継承しに赴かねばならない。
 封印を解いて中に入るには、入り口の封印部に己の血を一滴たらす。
 そのための短剣は、執務室の机の引き出し奥深くに布にくるまれて隠されていた。
 父の遺言どおり、私は引き継いだ短剣で小指の先を傷つけて入り口前に描かれた印の中央に血を一滴、滴らせた。
 すると、話に聞いてから幾度となく同じ方法で試しても開かなかった扉が、重々しい音をたてて内側へと誘うように開かれたのだ。
「父上……」
 本当に父が死んだのだ、と初めて実感した瞬間だった。
 灯一つない真っ暗な地下宮。
 その奥深く、ぽつりと輝く真紅の光が見えた。
 灯をともすまでもなく私はそれに近づき、微かに上下する胸に抱えた玉の光に赤く照らし出された神の顔を見下ろした。
 寝台から流れ落ちる漆黒の髪。閉じた瞼を縁取る長い睫。鼻梁は高くすっきりと顔の中央を走り、唇は端が笑んだようにわずかに上がっている。
 顔全体の彫りも深く、眠っているというのに闇の中で眩しいほどの神々しさを放って見る者を威圧する。
 年の頃は父より多少若いだろうか。
 男は三十前後の、まだ青年といって差し支えない容貌を保ったままだった。
 ――この男がいなければ……
 ふと突き上げてきた憎しみが、私に無意識のうちに短剣を振り上げさせていた。
 この男がいなければ、父が悔やみながら死ぬこともなかった。
 祖父も、曽祖父も、老体に鞭打って玉座を暖めなくてもよかったはずだ。
 天宮王には代々子供は一人しか生まれない。
 否。
 父たちは一人しか作らなかったのだ。
 生き返るという話が本当かどうかも分からない神に魂を差し出されなければならない、
その不条理さ、不確かさへの意趣返しとして。
 いつか、どこかで途絶えてしまうならその方がよいのだと、父たちも思ったに違いない。
 ならば、今私がここでこの短剣を振り下ろし、不幸の連鎖を断ち切ったとて、父たちも文句は言うまい。
 代々引き継がれてきたこの短剣は、むしろそのためのものなのではないのか?
 父だって、この男を前にしたとき、この短剣を振り上げずにはいられなかったのではないか?
 祖父も、曽祖父も、そのずっと前の天宮王となるべき者達も。
 出来なかったのは、偏に年を重ねすぎて保守に回ったか、神への畏怖か。
 短剣をこの男に突き立てて我が身に異変が生じるというのなら、それとて遅いか早いか
というだけだ。殺してすぐさま天誅を我が身に受けようが、子への愛情に搦めとられていずれ魂を永遠に失おうが、結果が同じなら今ここで決着をつけてもいいはずだ。
 いや。
 むしろ統仲王は私の命を奪えやしないじゃないか。
 父一人、子一人だった私にも、まだ子はいない。私が死ねば天宮王の血は確実に途絶える。天宮王の血がなければ、血晶石は生者の精気を吸い取れず、統仲王は人知れずこの地下宮でひっそりと飢え死にする。
「ふっ、……くっくっくっくっくっくっ……」
 漏れ出でた笑い声は、丸天井の天辺へと届く頃には自分でも聞いたことがないほど下卑たものに変わっていた。
 構うものか。
 世界は真に私の手中にある。
 私は渾身の力をこめて短剣を振り下ろした。
 振り上げた頂点から統仲王の体までは、それほどの距離もない。
 だが、直後、そのわずかな隙間になだれこむように白い影が割り込んだ。
 ふわりと目の前を遮って、黒から金へと色を変えながら零れ落ちていく髪。
 振り向いた目は青と黒の異色。
 孤独の深遠を抱えた奥深くも苛烈な瞳。
 その瞳に射抜かれて、私はとっさに振り下ろした短剣の方向を変えていた。
 手首に、腕に、伝わってきたのは、柔らかくもずっしりと重い感覚。
 私はおそるおそる目を開けた。
 短剣は、白い布を敷いた寝台に突き刺さっていた。
 気が昂ぶったせいか息は上がり、肩を上下させている。
 柄を離れた手は小刻みに震え、汗ばみながらも冷たくなっていた。
 少女は、いない。
「は……はははははははは……」
 私はふらふらと後ろへ倒れこんだ。
 これが統仲王が身を守るために仕掛けたトラップか。
 小さな背中一つ突けなかった私に、神殺しの大罪など犯せまい、と。
 馬鹿馬鹿しい。
 私は何を血迷ったことを考えたのだろう。
 揚句、あのような幻に一瞬で心奪われるなど……。
 一度殺し損ねた者にもう一度短剣を振り下ろす力など、もはや欠片も残ってはいなかった。
 息が整うのを待って、私は神の胸の上で輝く玉をそっとつまみ上げた。
「長生き、しなきゃな」
 胸元に近づけるだけで、玉は物理的なことなど無視して体の中へと吸い込まれていく。
 直後、一瞬だけ心臓がわし掴まれるような冷たい衝撃が走った。
 どっと冷や汗が噴き出す。
 魂が囚われたのだ、と教えられるまでもなく直感した。
 嫌な痛みはすぐに霧散する。
 だが、忘れはしないだろう。
 感じなくなったからといって、神に魂を捧げた拘束感はこの先何度でも甦るに違いない。
 あの孤独な瞳に魅入られさえしなければ――
 美しい少女だったと思う。
 心を揺るがされるにたる清冽な美しさ。
 何より気高く、他者につけいる隙を与えない絶望に張りつめた瞳。
 あれが時空を司ったという神の子、聖刻法王。
 左右異色の瞳なら他にいくらでもいるだろうが、髪の色まで、となれば歴史上、一人しかいない。
 明日に即位式、明後日には定められた相手との婚礼が控えているというのに、どうしたことか。
 あの瞳は、どうやら一生忘れられそうにない。
 とうに亡くなって久しい者を、それも神の子である法王を「欲しい」と思うなんて、我ながらいかれてる。
 そう――自嘲してここから出てしまえば、もう二度と会うこともないと思っていた。
 彼女は父親である統仲王を守るために輪生環にも向かわず、幻となってこの地下を彷徨いつづけているのだと思っていたから。
 だから翌日、公的な即位式の最中に来賓者の中に混じって一際目立つ彼女の姿を見つけたとき、心底、私は昨日統仲王を殺しておかなかったことを後悔した。
 周りの来賓者の誰一人として彼女に気づくものはいない。
 その姿が見えているのは私だけだ。
 けれど、私は出来る限り彼女の姿を目に留めないようにして赤い絨毯の上を、大神官と王冠の待つ玉座へと歩んでいった。
 全身に彼女の痛いほどの視線を感じながら。
 何のために彼女がここにいるのか、吟味するようなその視線は物語っているようだった。
 王位継承式が始まり、長い御言葉の末、大神官は垂れた私の頭に息詰まりそうなほど重厚感たっぷりの王冠をゆっくりと載せた。
 けれど、この冠の重さなどいかほどのものか。
 胸の中に根を張るあの血晶石の束縛に比べれば、こんなもの塵ほどの重みもない。
 形ばかりの即位式が無事に済み、バルコニーで国民達への挨拶を終えた私は、父が病に伏せるようになってから私の部屋と化した執務室へと向かった。
 各国の貴賓たちを招いた晩餐会のために衣装を変えろという口やかましい催促など聞き捨てて、足早に室へと急ぎ、後ろ手に扉を閉める。
 瞬間、全身に留め置いていた疲労がどっと廻りわたった。
 口が裂けても、それは心地よいものだなどとは言えなかった。
 ともすれば味わわずに済んだ徒労だ。
 一気に重くなった身を引きずって、私は執務机の引き出しから布にくるみなおした例の
短剣を取り出した。
 布を解き、静かに鞘から刃を抜き出す。
 昨日、迷いさえしなければ――
 鈍色の刀身に、後悔もあらわな自分の顔が映っていた。
 と、その背後で金色の稲穂のような光が揺れた。
 息が、止まった。
 私の背後に映っていたのは、昨日とはうってかわって不安げな少女の顔だった。
 寂しそうで、悲しそうで、きっと誰も手の届かないような淵に佇む少女の顔。
 再び、大きく鼓動が脈打ちだしていた。
 地下宮へ行かずとも、即位式など行わなくてもこの幻には会えるのだ。
 そう思った瞬間、私は短剣に映る自分の顔を冷静に見つめるふりをしながら、頭の中で必死に彼女を引き止める算段をめぐらせていた。
 どうせ手に入らず、手に入れてもいけないものならば、それなりの距離はあったほうがいい。
 須く、それは自分のため。
 つと視線をあげたその先には、ガラス棚に収められたままの亡き父お気に入りのティーセット。
 小さいとき、ここに来るたびに嫌々ながら紅茶の入れ方を仕込まれたことを思い出す。
 ふっと口元に笑みが浮かびあがった。
 短剣を鞘に納め、布にくるみなおして机の引き出しに戻すと、私は彼女の前を素通りしてガラス棚の前へと向かった。
 質素が好きだった父が愛用していたティーセットは、土ばかりは上質な鉱土国産のものを使用した、何の図柄も描かれていない白磁のカップとポットだった。
 二つあるカップのうち、一つは口元に私が落としてつけてしまった僅かな瑕がある。
 もう一つのカップよりまだ少しばかり綺麗なそれが、私専用のカップだった。
 そして、大分茶渋が沈着したものの瑕のないカップは、今となっては誰も口をつけることがなくなってしまった父のもの。
 私は順に、銀のトレーの上に紅茶の葉を納めた缶と角砂糖、ポットと瑕のついた自分のカップとを乗せていった。
 そして、ゆっくりと息を吸い込み、おもむろに父のカップの持ち手に指を絡めて振り返る。
 予想通り、そこには同じ場所で不安げに佇む彼女の姿があった。
「一緒にお茶、しませんか?」
 幻のような姿だというのに、彼女の頬には俄かに赤みがさしていった。
「ええ」
 鈴の振れるようなその声を聞いた私は、胸のうちで小さく快哉を叫んだ。






〈了〉







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