首筋なら執着のキス ―君を食べたい―

 彼女の首に口づけると、このまま噛みついてしまいたい衝動に駆られる。
 唇越しに前歯を立て、ねっとりと舌を這わせてくすぐったがる彼女を甘く酔わせてから、口をわずかに開き、前歯を直接立て、彼女の皮膚に喰いこませる。
 どれくらい喰いこませるかは、その時の自制心次第だ。
 頭が冷静なうちなら、微かに青く歯形を残すだけで済む。
 しかし、本能に突き上げられるまま歯を立ててしまうと、そのまま食べてしまいたくなって困る。拒む皮膚を突き破り、大切な血管や神経が寄り集まっているこの首の一番柔らかなところを食いちぎってしまいたくなる。
 そして、大量に溢れる血をすする自分を想像する。
 血は、大しておいしいとは思わないに違いない。自分は吸血鬼ではないから。
 ただ、彼女の身体の一部を自分のものにしているという所有欲は大いに満たされるのではないかと思うのだ。
 身体の一部だけではない。
 彼女の命すらほしいままにしている自分に、大いに酔うことができるのだ。
 だけど、それは想像の中だけでのこと。
 本当に食いちぎってしまったら、彼女は二度と僕にその白い首筋を見せてはくれないだろう。前歯を立てたとしても、うっすらと皮膚を突き破り、血を滲ませるのが関の山だ。
 それでもいつも怒られるのだ。
 貴方のせいで、襟の深い服しか着られなくなった。夏でもスカーフを首に巻いておかなくてはならなくなった、と。
 そのお蔭で悪い虫は一匹もよらなくなったことを、彼女はまだ気づいていない。
 だから僕は、今日もせっせと彼女の首筋に自分のものだという証を刻んでいく。
 彼女の肌は、白くてほんのりミルキーな甘さを持っている。体温が上がるとさらに匂いは濃厚になり、僕の汗と混ざり合って昇華された香りになっていく。
 その香りにあてられながら、首筋に沿って上から下へと唇を這わせる。時に前歯を剥き出しにして噛み跡を刻みながら、君は僕のものなのだと言い聞かせていく。
 彼女は命懸けのキスに震えながらも、その一方で悦楽の虜となっていく。
 彼女が安心しきって僕に首筋を委ねることはない。歯形を残されたと騒ぐ割には、十分に警戒しながら僕に肌を与えている。
 それなのに、今日はいつもより警戒心が足りないようだった。
 潤んだ目は僕を求め、全身はすでに僕の思うが儘に痙攣させられている。仰け反った瞬間、まだ歯形を刻まれていない真っ白な喉笛が僕の目の前に晒された。
 ガブリ。
 一瞬にして、僕の理性は吹き飛んでいた。
 前歯を圧迫する強い脈動。唇に噴きつける生温い感触。錆びた匂い。
 正気に返った彼女の顔に浮かぶ、恐怖の表情。
 見る間に彼女の顔色は白くなり、青くなり、土気色になっていく。
 共に正気に返りそうになった僕だったが、なぜか血を舐めて恍惚とした気分に蕩けていった。
「大丈夫だよ。そんな傷、僕が塞いであげる」
 ヒューヒューと喉元から息が漏れる音を聞いたような気がした。
 死の影に怯える彼女は、目から大量の涙を流し、声にならない抗議の悲鳴を上げているようだった。
 その表情に、僕は高まりが満たされていくようだった。
 ああそうか、と僕は思った。
 僕は君の命が欲しかったんだ。
 そうすれば、ほら。
「これで君は、ずっとずっと、僕のもの。――僕だけのもの」
 僕はちぎれた首筋に唇を当てた。
 彼女に残された、全ての生命力を一呼吸たりとも漏らさず自分のものとするために。

〈了〉
201709022305