戻る

西山-西赤石山-物住頭-八巻山-東赤石山縦走

平成22年5月6日(木) 雨:愛媛県新居浜市・・・翌日は平家平−冠山へ⇒

参加メンバ−:ogojyo、oshiro、michi、yamask&いーさん

◎大分県の臼杵港で福岡より参加のいーさんと合流しyamask車一台で愛媛県の八幡浜港へカーフェリーで渡る。
大洲より松山自動車道を走り新居浜で下りてマリンパーク新居浜に宿泊し翌日県道47号で別子へ

【到着時刻】…所用時間は約10時間
日浦登山口発(6:20)⇒ダイヤモンド水(6:55)⇒送電用鉄塔ヶ所(7:35)⇒銅山越(7:55)⇒西山(8:15)⇒銅山越(8:35)⇒西赤石山(9:40)⇒カブト岩(10:00)⇒西赤石山(10:30)⇒物住頭(11:00)⇒赤石山荘分岐/石室越(11:40)⇒八巻山(12:30-12:45)⇒赤石越(13:05)⇒東赤石山(13:15-13:23)⇒赤石越(13:30)⇒赤石山荘分岐(13:37)⇒筏津ルート合流ヶ所(15:10)⇒筏津登山口(16:05)⇒筏津山荘(16:10)
(※下山後、筏津山荘の軽トラをお借りして日浦登山口の車を回収しましたが地域バスも利用可です)

◎西山や西赤石山はアケボノツツジの花で一面染まるそうですが、今回は大よそ標高1400m以下では開花が見られましたが西赤石山付近はまだ蕾状態でした。


■マリンパークより望む赤石山系(5/5)&大永山トンネル付近から望む西山の斜面ではアケボノツツジが見られます。


■別子ダム近くの日浦登山口(P・トイレ有)/赤レンガが残る要人の接待館跡


■京都から役者を招いた劇場跡/ダイヤが今も地中に残るからダイヤモンド水
・劇場跡では例年5月に山神祭りが行なわれていたそうです。
・地質調査用のロッド先端には岩盤をくり貫くためのダイヤモンドが取り付けてありますが水脈に当たりそのまま地中に取り残されたそうで、いつからか噴出する水はダイヤモンド水と呼ばれるようになったそうです。


■別子銅山の殉職者を祭った蘭塔場(左画像)/ツツジ咲く銅山越へのルート


■アケボノツツジが多く見られます/峰地蔵が建立されている銅山越に到着
別子銅山の銅は銅山越を越えて新居浜まで運ばれたが冬季は雪が積もる難所で命を落とす者も多かったそうです。


■銅山越から西山(1429m)山頂を往復/西赤石山(1626m)山頂に到着
 西山ではツガザクラやコメツツジが見られます


■カブト岩に咲くイシヅチザクラ/カブト岩を下り西赤石山へ戻ります(右画像)
 (⇒カブト岩へは西赤石山から北方へ急坂を約10分下る)


■物住頭(1635m)/前赤石山は岩峰で頂上は通らず山裾を巻いて通過します。
・前赤石山への踏み跡を途中まで登りましたが風雨が強いので引き返しました。


■前赤石山の岩肌を巻いて通過します/赤石山荘&八巻山分岐(石室越)
※八巻山は岩稜帯を通過します・・・雨天時は滑り易いので注意してください。


■八巻山ルートの岩場です・・・少ないテープとケルンを見落とさないこと!


■八巻大権現の祀られた八巻山(1698m)山頂/八巻山の岩場を通過して東赤石山へ向う


■赤石越から約10分で東赤石山(1707m)山頂へ到着です。


■赤石越を南へ下り山荘分岐・・・ここから筏津へのコースが二つに分かれます。
私達はアケボノツツジ(右画像)が見られる尾根コースを下りました。


■筏津への2つのコースは瀬場谷で合流/瀬場谷沿いではヤマシャクヤクの群生が見られます。


■下山後、今宵の宿『筏津山荘』へ向う/早速お風呂で汗を流し乾杯です♪
筏津登山口より筏津山荘へは約200m、徒歩で数分の距離です。

************************************************************

*** 別子銅山の筏津坑 ***


■実際の坑道を観光用に開放した筏津坑の入口と内部では当時の掘削の様子が再現されています。
 ⇒筏津坑は筏津山荘の裏手に有ります。

別子銅山は元禄3年(1690)に別子山で露頭が発見されて当時大坂の銅商泉屋(現住友)が請負、翌年から採掘が開始されました。
筏津坑は最初は弟地坑と呼ばれ明治34年(1901)には休坑となりましたが、大正7年(1918)に鉱床が確認されてから筏津坑の名で操業を再開。以来別子の産出銅の増加に大きな役割を果たしたそうですが、昭和48年3月に閉山され283年に及ぶ別子銅山の歴史を閉じて山々は再び自然の眠りについたそうです。

 戻る