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更新日 : 2006年11月5日
秋のはじめの 美ヶ原高原 |
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上田方向の 遠望 |
| 11月 2日 |
9月の末から、上田市にある長野大学の公開講座に出席、プライバシーの保護や 情報倫理の問題を学んでいる。以下に掲げるのは、山越が提出したレポート。 インターネットにかかわる問題といえば、現在は、どこにもかしこにも問題は まさに、インターネットを通じて手にいれることの出来る情報が、身辺に飛び しかし、このごろの、全国の高等学校の必修科目履修漏れの問題を見るにつけ、 ネット社会などと言っても、履修漏れの実態が、はじめに一つの高校で露見し、 その事態について、高校の学校長をはじめ、教師らが、全国で、誰も何も知らな いまテレビの音だけ聞いていると、不幸にも、ひとりの高等学校長の自殺が インターネットだけが普及しても、本質的な社会変革が進まないかぎり、この
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| 10月17日 |
インターネットで頼んでおいた『本の話』(10月号、文芸春秋社)が郵送されてきた。先日読んだ『文学全集を立ち上げる』(丸山才一、三浦雅士、鹿島茂の座談、文芸春秋)の関係で、読みたいと思った丸山才一とのインタビュー「文学全集と私」を巻頭に特集した10月号だ。 ときには、出版社の戸口や窓を通じて出版界の情勢も追ってみたいと思うのが、ボクの精神である。長年、図書新聞、読書新聞なども手に持って読みたいとも思ってきたし、購読している新聞の広告、文化面、読書のページなどは、その新聞を購読する理由でもあった。 新聞、雑誌の購読を変更するのは、世界を読む視座を変えてみたいと思うからでもあった。 ただし、ボクは、世界文学と日本文学をあわせて300巻という「文学全集」には関心があったが、本も雑誌も(あれだけの分量で、当然のことではあったが)表面をなぞっただけであったため、拍子抜け。残念。 あれではとても、刺激的だったとは、言えなかった。 しかし、ボクは、『本の話』を2年間予約、購読することにした。ちなみに、見本でもらった1冊は96ページで、それを、2年間2000円、24冊。そのコストはボクは、情報料として、その後の展開をを追ってゆきたいと思っている。 長い間、本が読みたい、本が読みたいと思ってきた。そして、とくに、近年。とくに、とくに、言ってしまえば、昨年末から、今年に入って、現代詩の総体を、文学の総体を、文学の源流も知りたい、読みたいという気持ちが、つよく、つよく、突き上げるように強くなっている。 どこからか、「そんな、テーマも持たずに、無鉄砲な」という声が聞こえる。しかし、いまは、どうしようもなく、その気持ちが強くなっている。 翻訳業を廃業した平成十二年の春、筑摩書房が再版、一括販売した『現代日本文学大系』を購入して拾い読みをはじめ、その後浩瀚な『伊藤信吉著作集』全七巻をかなり読み、そこから読み広げているうちに、現在に到っている。 あの座談会、インタビューは、ともかくも文春の仕掛けたアドバルーンであり、観測気球であろうとも思う。 そのようなボクだから、あの話題は架空の編集会議を謳っているけれども、ホントに全300巻の『大文学全集』、中国やインド、アラビアなども含む世界文学や、日本の古典文学も含むというそれが(ホントに良いものが)発行されるのであれば、ボクはそれに引きつけられるだろうと、思ってしまう。 現代のような時代に(印刷文化の苦難の時代に)、もしかしてそれが実現するかも、ということについては、ボクが読了できるだろうか、その大全集が出版物として成功するか否かは知らず、しかし、ボクはロマンを感じる。 それはやはり、時代を反映した鮮烈な批評精神に貫かれ編集されなくてはならず、しかも、300巻から350巻程度の大枠は必用であろう。 必用な全集は、際限のない宇宙であってはならないのだ。 |
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| 10月16日 |
平林堂書店から連絡があって、『情報化社会と情報倫理』(第2版、辰巳文夫著、共立出版)を受け取った。これは、高橋先生の講座指定の参考書。これで教科書の『ケースで考える情報社会』とともに、2冊の本がそろった。教科書のほうは一読した。 2冊の本を手がかりに、インターネットを探ると、情報があふれている。とても読みきれないほど。 授業はもう四回受けたが、毎回、先生に簡単なコメントをメールで送る。教室のノートはパソコンでとる、とったノートは、フラッシュメモリーで家へ持ち帰る。先生の板書はなく、パソコンから操作されるスライドがスクリーンに映し出される。2006年秋の大学の教室風景は、ざっとそのようなものだ。 教室で見るかぎり、パソコンでメモッている学生はあまりみえず、インターネットのクルマやカメラのページかなんかをゆったりと眺めていたりして、なんとなくリビングでテレビを眺めているかのよう。 |
| 9月28日 24日、美ヶ原高原美術館を見た。その美術館には高原一円に広がる屋外彫刻美術の展示がある。その展示物のことは後日、あらためて書きたい。 ここでは、一室だけ展示してあった企画展「人・人・人」のなかの、ピカソのことである。 ひとことだけ、ピカソについて書いてあった。曰く、 「晩年のピカソにとって、制作は日記であり回想であった」と。 感動のことばよ! ボクのHPも、「日記であり回想である」と、言っておきたい。 繰り返し書いているように、ボクは日記を書くようにこのHPに書き込み、更新してゆくつもりだ。 もう一度言えば、「ボクのHPは日記風に書く。完成品を書くわけではない。」 「日記とは、日々の記録および回想である。」 |
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| 9月28日 今日からボクの新学期。 長野大学の講座が始まる。はずむ気持ちで、妻とともに受講生になった。 講座名「ネットワーク社会論」担当の先生は、高橋進先生。受講生数は70名、とくに社会人として指名され紹介を受けたので、公開授業だが社会人はやや少ないか、と思った。 教室を出ての帰り道、妻と、 「こんなところへ来るのも、いいもんだね」 「ほんと……」 と話し、遠い学生の日を思い出したりした。 生協の売店をおとずれ、教科書を注文した。『ケースで考える情報社会』、1、680円也を支払って予約した。 天気も今日はからりと晴れて、ちょっといい日だった。 |
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| 9月24日 ボクがこのホームページを開いているのは、2006年のころ、長野県上田市のあたりに暮らしている詩人の会のひとつのグループの代表が、あるいは普通の家族が、どんな生活をしているか、どんな文化生活をしているか、いわばひとつの民俗的資料を公開しているようなもの。 書き込みのなかで、「交流」、「あゆみ」のコーナーは、はりみち詩人の会の交流活動、日常活動の記録的な内容で、関係詩人の作風なども垣間見えるかも。 (10月18日追記。 実は、9月初旬から、長野大学の公開講座に参加して、高橋進先生の「ネットワーク社会論(情報社会と情報倫理)」を聴講している。それは、このHPを開いてから多くの迷惑メールを受け取るようになり、この情報化社会において、無防備に、会の交流活動や日常活動の記録を公開することは、問題を派生させかねないと考えたからである。そのため、当面は、「交流」、「あゆみ」のページをかなり縮小してすすめることにする。) 「作品」、「エッセイ」、「農事メモ」、「読書」のページは、山越の、日常の記録、読書ノートであり、みずからの生活を整理整頓し、意識化するためのものである。 |
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| 9月23日 今日はお彼岸。わが家では、毎年団子を作り墓参りにも行く。今年は、妻と娘と三人で。 きのうはサトイモを2株掘って、イモを主食の、衣かつぎ(きぬかつぎ、秋の季語)を行った。それは、茹でたイモに塩をつけ、それを主食として夕飯とするだけのことであるが、この行事は、ボクらの世代になってから、一種の風流で始めたもの。わが家では、バターをつけて食うこともやる。 |
(9月14日)
毎日のようにパソコンの調子が悪く難儀している。技術的なことで疲れるのではたまらない!!
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