タンザニアの概要
タンザニア連合共和国は東アフリカにあり、北をケニア・ウガンダ、南をモザンビーク・マラウイ・ザンビア、西をコンゴ共和国・ブルンジ・ルワンダと国境を接し東はインド洋である。
面積は94万5千平方kmで日本の2倍半、首都は1983年から国土の中心ドドマに遷都したことになっているが、アラビア語で「平和の港」を意味するダルエスサラームが現在も実質上の地位を占めている。
国土は険しくそそり立つ山々や、数多くの湖と河川の流れる広大な平原と台地が特徴で大地溝帯が国の中央と西側にあり、アフリカ最高峰のキリマンジャロ山(標高5,895m)や世界最長のタンガニーカ湖(最深1,471m)、世界第二の淡水湖ビクトリア(面積69,480k㎡)があり、北部のセレンゲティ国立公園・オルドヴァイ渓谷・ンゴロンゴロクレーターは世界遺産に指定されている。気候は、地勢や緯度によってかなり変化があるものの、基本的には熱帯サバンナ性のものであり、平均高度による気温の全国平均では、海岸地帯を除けば特別に高くなく、さらに年間の季節的な気温の変化よりも、一日の間での気温差の方が大きい。降雨量は、地域によって異なり、北部山岳地域や南部の高原地帯では年間雨量は多く、中部台地では少ない。 また、年間の日照時間の変化も少なく、日の出・日没を12時とする独特のスワヒリ時間を用いている。
タンザニアには3つの大きな人種集団があり、それは全人口(およそ3千500万人)の95%を占めるアフリカ人と、アラブ人、およびインド人(アジア人)である。さらにアフリカ人は百数十の民族集団に分けられ、例えばモシ市を中心とするキリマンジャロ山の周辺地方に住むチャガ族は、コーヒーやバナナなどを主として栽培し、ムワンザ地方のスクマ族は綿花を栽培したり牛を飼育している。今回訪問したタボラ地方はスクマ族と近縁のニャムウェジ族の人が多い。その他にもマサイ族は遊牧民族として有名で、ケニア国境を自由に行き来している。 タンザニアの特長の一つは、これまでに深刻な部族や言語の問題が起こったことがないことである。つまり、それぞれの部族の成員は、タンザニアという国家の国民としての自覚を持っており、特に言語的にスワヒリ語を共通語として認識しているという利点がある。他方、英語は第二公用語で、ビジネス用言語であり、また中等・高等教育の全教科の教授用言語でもある。
宗教は、例えば祖先崇拝の儀式などの形態は異なっても基本的には、死者と生者が一体であることを信ずるというような精霊崇拝を行ってきたが、キリスト教・イスラムの信仰が伝道されるようになってから、これらの新しい信仰に入信する人達が非常に多くなり、現在では約3分の1ずつとなっている。
さて、人類発祥のこの地域は、アラブ商人が2000年前にはタンザニアの海岸に到達し、7世紀頃にはザンジバルに定住するようになった。タンザニア内陸部への通商ルートが確立されたため、アラブ人の影響を受けたスワヒリ文化とスワヒリ語が沿岸部から内陸部へと浸透していった。16世紀頃からザンジバル・ペンバ・キルワの海岸地帯をポルトガルが支配するようになり、象牙・奴隷売買や香辛料産業が始まった。その後、ザンジバルは英国保護領になり、本土タンガニーカは1884年から第一次世界大戦で英国に征服されるまではドイツ領であった。そして先ずタンガニーカが1961年に、ザンジバルは1963年に独立した。1964年、タンガニーカとザンジバルが統合されてタンザニア連合共和国が建国された。建国の父、ムワリム・ジュリアス・ニィエレレ初代大統領は独自のアフリカの伝統文化を生かした社会主義政策で国家運営をした。ムワリム(先生)の尊称を持つニィエレレ大統領は教育振興にも力を入れ、識字率を高めるなどの成果を上げた。しかし、「ウジャマー」と呼ぶ共同農場による農村振興が旱魃やオイルショック等の外因で予期した実績を上げることが出来ず、またウガンダのアミン大統領追放のための戦争や大洪水被害で経済疲弊が顕著となり1985年に身を引いた。その後、ザンジバルのムウィニ大統領が二代目を勤め、構造調整による経済自由化へと政策転換を行った。1992年単独政党(革命党)改変があり野党の存在が可能となった。1995年からは現ムカパ大統領が統治している。
主要産業は農業で国内生産高の半分に達し、主食であるメイズ(とうもろこし)・米・キャッサバ・小麦・豆類の作付けに加えて換金作物としてコーヒー・茶・サイザル麻・綿・たばこ・カシューナッツ・蚊取り線香のもとの除虫菊等がある。天水農業が主なので収穫は不安定な降水量に左右される。なお、ザンジバルの丁子(胃薬にも入っている)は全世界の80%以上の生産高を有する。 このほか、黒檀などの森林資源も重要な産業であり、漁業も内水面・大洋とも相当の漁獲高あげている。内水面の白身魚は、ファミリーレストラン用などに日本にも輸出している。さらに、牧畜も発展しており人口に匹敵する牛と緬山羊が飼育されている。
工業は農業と関連した、肥料・農機具の生産や農産物加工としてのタバコ・コーンビーフ・ビール・除虫菊・カシューナッツ・繊維製品等が主力である。(日本との合弁で乾電池・ラジオ・自動車用電池・毛布・漁網会社があったが輸入品との価格競争で不利な立場に立たされているとのことだった) 鉱業は金・ダイヤモンド・宝石等に外資を導入して収益高を上げている。 経済改革により経済成長率は順調なものの一人当たりGDPは対米ドルレートの低下で$270程度となっている。
国内は以下の25州の行政単位がある。Arusha, Dar es Salaam, Dodoma, Iringa, Kagera, Kigoma, Kilimanjaro, Lindi, Mara, Mbeya, Morogoro, Mtwara, Mwanza, Pemba North, Pemba South, Pwani, Rukwa, Ruvuma, Shinyanga, Singida, Tabora, Tanga, Zanzibar Central/South, Zanzibar North, Zanzibar Urban/WestIndependence
交通網は主要幹線道路の修復が軌道に載ってきたほか、植民地時代の鉄道に加えてダルエスサラームからザンビアへの中国援助によるタンザン鉄道もある。また、近年国内航空路が民間会社の参入でかなり充実してきた。 保健衛生指標は、民間セクターの進出で充実している面もあるが全般的にAIDSの影響で低下傾向にある。平均余命も50歳程度となっている。