横浜一之宮神社(横浜市神奈川区入江)
狛犬を勝手に楽しむ!

境内及び拝殿前に狛犬はいない

横浜一之宮神社

ここは「かなり古くから小祠が祀られていたが、元禄4年に武蔵国一の宮である大宮氷川神社の分霊を勧請したことから、横浜一之宮神社と称されている。」とのこと。

神奈川県横浜市神奈川区入江1-13

表参道から見た中参道〜石段
拝殿は奥の石段の上にある

この神社には2対の狛犬と1.5対の先代がいる。
中参道入口の狛犬は
安永7年横浜市で3番目に古い狛犬である。

その安永狛犬の何度目かの再訪時に、1.5対の先代の方が気になって来た。
その先代が、元はどこにいたのかと。

刻まれた在銘文字のみからイマジネーションを広げ、想像することも「狛犬の勝手な楽しみ方」の一つなのではないか…

(1) 中参道入口の狛犬
上の中参道の写真で、入口に見える狛犬。
建立は 安永7年戌年正月吉日(1778)で、横浜市で3番目に古い狛犬。
奉納者14名連記あり。
顔のアップもなかなか良い感じですね。
足座の下の台石は石質が違う。
そしてそこには、下記の銘が刻まれている。
  
大正12年6月 修繕之
  石工 金子文太郎
  奉納者 27名連記

この狛犬で一つ気になるのは、阿吽が逆置きなこと。
これは、この大正の修繕の時に
間違えて置いてしまったのではないだろうか?
では、その大正の修繕前はどこにあったのか?
と、下に記す先代狛犬と同じ事を考えてみた。
この神社は、文久2年に社殿大破、慶應4年・明治30年に火災にあっているが、それらの痕跡は無い。従って、拝殿前ではなかった。
また、石段上にもそのスペースが無く、石段下には明治13年から下記(2)の狛犬がいるので、それもありえない。
となると、面白くはないが、元々この位置にいたと考えるしかない。
この大正の修繕からわずか3ヶ月後に関東大震災に見舞われている。
阿吽を逆に置いてしまったとは言え、この修繕・据え直しのおかげで震災の難を免れたのかもしれない。

(2)石段下の狛犬
中参道の奥、石段前の二の鳥居前にしょうわ狛犬がいる。
子獅子が玉をくわえている以外は、珍しくも面白くもない狛犬なのだが…

台石には建立年と奉納者名が刻まれている
    建立:
昭和2年9月吉日
       明治13年2月 
 

再建とか再興の文字はないが、明治13年建立の狛犬に取って代わって、昭和2年にこの狛犬を建立したのだろう。

ちなみに、ここに見える鳥居は文化9年(1812)で吉六の銘がある。

(3)石段途中植え込みの中の(先代)狛犬
上記石段の写真、下からは植え込みで何も見えないが、実は中程にこの狛犬がいる。
先代の扱いだが、阿像の鼻が欠けている以外は特に目立つ傷みも無い。

いかにも、この地区の明治期狛犬の感じが良く出ている。

 建立年は左右の台座に刻まれていて
 
明治13庚辰年2月 とある。

 石工銘は左像の台座に記されていることは分かったのだが、
 ほとんど埋まっていて…
 そこで、ガンバって掘り起こしたのがこの写真。
 粘土質の土と、はびこった木の根でかなり苦労したが…
 
神奈川飯田道 石工 岸文右衛門
 とハッキリ読めた。

 横浜市都筑区大熊町の杉山神社に明治14年建立の狛犬が
 いるが、その石工銘は「
神奈川 石工 岸文吉」とある。
 同じく3匹の子獅子があり、良く似ている。
 文左衛門と文吉は親子なのではないだろうか。
 そして注目すべきは、この親子の狛犬が内藤留五郎の狛犬と
 同じタイプであること。

で、石工銘をが読めたことに満足して通り過ぎたのだが…
上の(2)の昭和狛犬へ戻って、ハッとした。
昭和2年の狛犬だが、何の記載もなく唐突に
明治13年2月と彫られていたではないか!
明治13年2月はこの先代狛犬の建立年!
と言うことは、
元はこの先代が石段下の吉六鳥居の前にあったのに違いない!
そして、昭和2年に新しいしょうわ狛犬の建立で、この石段途中へと隠居させられたのだ。
(4)境内脇の末社横の先代狛犬
拝殿横の末社、その横に1体の先代狛犬がいる。

この姿は獅子山の上に乗っていた狛犬と思われる。
では、一体どこにあったものなのか?
銘は全くない。

境内には、獅子山を感じさせる所が2カ所ある。
そのいずれかにあったものなのか…?

下の写真、いかにも「元獅子山」って雰囲気がありますよねぇ…

最初見たとき、もう、ここに違いないと確信したのだが…
「擁壁に石積み配石庭つくる」昭和43年
明治百年記念 と銘があり、思ったより新しく、残念ながら獅子山ではなかった。

もう一つの候補がここ。
横濱市長 有吉忠一閣下 御揮毫による「一之宮大神」の石碑。
この下部がなにやら「元獅子山」の雰囲気。

この岩組は「木遣塚」とあり、○年正月吉日 庭師 川崎市南町 山崎松之助 と刻まれている。
年号は読み取れないが、上の石碑(大正15年9月)より古いことは間違いない。

「木遣塚」に狛犬を乗せることがあったのかどうか?
しかも、対ではなく1体だけってことが…

疑問は小さくないが、この先代狛犬、他所から持ち込まれたと考えるより、元はココにあったと想像した方が楽しいのではないだろうか。