佐嶋村 石工 上田伊右衛門 |
三浦半島の石工と云うと、源右衛門と共に思い浮かぶのが伊右衛門。 東の源右衛門に対して、西の伊右衛門。東西(三浦半島の)両横綱といったところか。 狛犬以外の石造物につてはあまり調査していないので、確かなことは言えないが、この近辺では鳥居等に良くその名を見かける。11年間に6対の狛犬を残し、それをコピーしたと思われる狛犬が数対あることを考えると、西の雄と言っても過言ではないであろう。 現在も横須賀市佐島には上田石材加工店がある。確認はしていないが、多分伊右衛門の流れを継ぐ店なのではないかと想像している。 |
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これが伊右衛門狛犬。 吽の右前足の下には子獅子か牡丹があったと思われるが、破損したためモルタルが盛ってある。 |
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伊右衛門タイプ、伊右衛門「顔」と呼んでいるが、この顔・頭・あごひげ… 伊右衛門狛犬は全て同じ。一目見てすぐに分かる。足下には子獅子か玉か牡丹が配される。 状態は蹲踞姿勢だが、直立ぎみのものが多い。 在銘の4対は、安政3年(1856)から万延元年(1860)までの4年間に集中している。 しかし、この短期間の作を比べても、出来には差がある。一人の作ではなく、伊右衛門親方の名の下の工房として考えるべきであろう。 |
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在銘では一番古いが、出来は最も良い。江戸タイプの狛犬として江戸へ持っていっても恥ずかしくないだろう。
阿の背中の子獅子がとても可愛い。 |
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上で「在銘では」と記したのは、この狛犬があるから。 実はこの神社の末社前に、ご覧の先代狛犬(阿吽共に元気!)がいるのだ。 どう見てもこちらがコピー元、元祖伊右衛門狛犬だ。 建立年も石工銘も無い。 が、5年や10年で先代扱いになるとも思えないから、これが最も古い伊右衛門タイプであろう。 となると石工は誰なのか? 同じ神社に、これだけそっくりに彫って、堂々と自分の名を刻むとは思えない。従って、安政の伊右衛門4対を彫った一代前の伊右衛門なのではないかと思われる。 |
と、一代前の伊右衛門について書いたが、相澤靖久さんから貴重な情報をいただいた。 白髭神社氏子会編集による「白髭神社物語(平成元年3月発行)」という本によると、「稲荷社の狛犬を納めて評判がよく、後に白髭神社の狛犬も頼まれ、早速彫って持参した。ところが稲荷社より材質が悪いといって若い衆が受け取ってくれない。仕方なく持ち帰り、再度小松石で彫ったのがあの狛犬だと、いつも親父から聞かされていたというのが、昨年96歳で他界された茂さんの父熊蔵さんの昔話だったそうである。」 そして、この銘のない狛犬こそが「評判の良かった稲荷社前の狛犬」だと言うことだ。 つまり、これも同じ伊右衛門の作であることが明らかになった訳だ。 また、八雲神社(三浦市初声町和田)に建立が ■■2酉年10月吉日、石工が 佐嶌村 伊右■ と刻まれた狛犬がいるのだが、2年10月で酉年は嘉永しかないので嘉永2年(1849)と思われ、佐島村の石工で伊右■となれば、伊右門しかありえない…
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この顔と髭…独特な伊右エ門の雰囲気。 彫りはイマ一歩か。 江戸両子獅子タイプ。 阿の子獅子はオッパイを吸っている。 |
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写真が悪くて申しわけありません。
しかも、阿の1枚だけで。 実はこの日、夏の強い日差しがガンガンで…とてもお見せする写真が撮れなかったのです。この写真もパソコン上で無理矢理補正して何とかここまで。 この狛犬は、高さ 1.7mの牡丹と獅子のレリーフ台座の上に、81cmの大きさで、何もない境内の中では圧倒的なデカさと迫力を感じさせてくれます。 |
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