絶品のオリジナルポーズ(2) 〜末吉神社(鶴見区上末吉)
次にこの姿をご覧下さい!
どうでしょうか?
前ページの<上の宮八幡神社>の吉六狛犬と驚くほど似ていますよねぇ。
そして、なかなか見事な作!
こちらの方が上の宮より出来が良いと評価する人も少なくないようです。

そして問題は、この作者です
建立は<上の宮八幡>の7年後、天保3年。石工銘はありません。
円丈師匠は『なかなか見事な作、大したものだ』と評価した上で、『近くの石工がまねて作ったもの。何とか吉六を超える狛犬を彫りたいと考え、何度も見に行った筈です。そして彫り上げたのがこの狛犬。吉六の陰で知られることなく消えていったライバル。でもやはり、この狛犬は傑作の一つです。』と言っていますが…

私は、これも吉六の作である可能性が必ずしも低くないのではないかと考えています。
その理由の一つは、この時期・この地域に石屋は吉六の所以外他になかったことが文献から明らかであり、同じ境内の鳥居も水盤も吉六の作であること。
二つめは、台座のレリーフ。狛犬を真似るのは分かるが、台座レリーフをここまで真似るだろうかという疑問。

上段は上の宮八幡・吉六狛犬の台座レリーフ
下段は末吉神社の台座レリーフ
そして3つめが銘です。見にくいのですが、よくご覧下さい。
左が上の宮八幡

右が末吉神社の石工銘

右側の末吉神社の台座は、建立年・願主はしっかり刻まれているのに、石工銘の面だけが判読できません。
しかし、良く見ると、左下に「六」は確かに読み取れます。
また、その上には「吉」の下の口の一部と推定出来なくもない刻み跡が確認できます。

この3点から、上の宮八幡と同じ吉六かどうかは別にして、吉六の作の可能性があると考えているのです。

 神社名  末吉社
 住 所  神奈川県横浜市鶴見区上末吉4-14-4
 石 工  
 建立年  天保3壬辰年12月吉日(1832)
 奉 納  願主 清水助左エ門

やっぱり吉六だった!

2016.11.3 狛犬さがし隊の「秋の横浜 吉六狛犬ツアー」に参加しました。
この時、詳細に確認し<ほぼ吉六の作に間違いない>と確信しました。

現在確実に読めるのは「石工」と「六」の文字。
吉六研究家の北村正幸さんによると以前は「飯」と「吉」の文字もかすかに確認出来たとのこと。

中央が綱川潔さん

そして、今回、石工である綱川潔さんから専門家としての貴重なご意見を伺うことができたためです。
他の刻みはしっかりしているのに何故この石工銘の面だけハッキリしないのか?

その理由は「自然な風化などによるのではなく、誰かがこの面を削ったのではないか、何となく平らではない気がする」と思っていたのですが…

綱川さんによると
・狛犬は安山岩(小松石)だが、台座は硬質の砂岩を使用している。
・その表面に磨きをかけている。
・そしてそれは明らかに垂直面を削った後に磨いている

では、<誰が、何時、何故>吉六の名を削ってしまったのか?
そのヒントになるのが反対の狛犬側面に刻まれたこの文字です。

  
大正拾貮年拾貮月 石垣寄附 清水藤吉
  昭和三十三年十月再修

この大正12年か昭和33年に(その時の石工に〜素人に出来る仕事ではないので)削られた可能性が大きいのではないかと思います。
清水藤吉は狛犬の願主 清水助左エ門の子孫の可能性が高いと思われますが…
そして<何故>の理由、邪推は出来ますが、不明です。

何はともあれ、この狛犬は吉六だ!
五代目 吉六(軍次郎)が上の宮八幡の7年後、あの独特のかがみ込みポーズを更に進化させた名品狛犬であると(個人的には)確信します。