江戸期建立狛犬/嘉永(1) 〜黒船神社(台東区寿)
すでに江戸期の吉六狛犬を10対紹介し、その全てが名品と
  呼ぶに価する作であったが、更にあと2対江戸期の作がある。これはともに嘉永の作で、勿論素晴らしい出来!
浅草の目立たない小さな神社。
黒船神社とは言っても、幕末ペリーの黒船来港とは関係がない。
その証拠に、鳥居は寛文11年(1671)、灯籠は安永2年(1773)、
手水鉢は寛政7年(1795)と圧倒的な歴史が刻まれている。
そして狛犬は江戸両子獅子タイプ。
これまた素晴らしい出来だ。
台座の高さがちょうど良く、顔の位置が私の顔と同じ高さ!
その迫力と感動がグンと響いてくる。
子獅子もイイでしょう!
阿像の授乳タイプは珍しくないが、吽像の表情・姿の可愛いこと!
ただ、この吉六狛犬には、一つの大きな問題があります。

狛研例会のゲストに何回かお呼びした、石工調査所の小松光衛氏によると、江戸時代「江戸御府内石工十三組」という石工の組織(組合?)があり、<江戸御府内へは他所からの石工は絶対に入れなかった>と言うことなのです。
そして、これはかなり厳格に守られていたことが知られています。

となると、横浜鶴見の石工である吉六の狛犬が、浅草にあると言うことをどう考えればよいのだろうか?

他の狛犬の銘には必ず「鶴見」「鶴見橋」「鶴見村」のどれかを記しているのだが、この狛犬だけにはその刻みがない。
そんなことが何か関係あるのか…?

実は、その答えは国見優太くんの調査で明らかになりました。
詳細は確認中ですが、後に他所からここへ移転してきたことが判明したとのことです。
従って、この狛犬も例外ではなかった訳です。

「第4回参道狛犬展」にて、鈴木利雄さんから30年前の狛犬の資料写真の展示がありました。
そして、そこにはこの黒船神社の写真が!
しかし、正面からの写真に吉六狛犬が写っていなかったのです。
この狭い神社の境内ですから、もしあれば、写らないわけはありません。
ですから、昭和50年代以降に他所から移転してきたことが明らかになりました。

 神社名  黒船神社
 住 所  東京都台東区寿4-3-1
 石 工  飯嶋吉六
 建立年  嘉永7甲寅年9月(1854)
 奉 納  若者中
 世話人 伊勢屋八五郎、角屋興太郎
     宮崎屋八五郎